昨日(20日)の朝日新聞は社説で「福田さん、決断の時だ」と書き、「ぜひ総裁選に立ち、安倍氏との論争に臨む決断をしてもらいたい」とエールを送っています。他紙のことではありますが、よくもまあ臆面もなく特定候補を応援するものだな、と思わないでもありません。
さて、この福田氏は朝日新聞や加藤紘一氏、山崎拓氏らが「早く決意表明してよ」とじれているように、いまだに総裁選に出るとも出ないとも言っていません。私自身は、「この人の性格からいって、安倍氏に勝てる見通しが立たない限りは出ない」と予想しています。ただ、福田氏が主要な総裁候補の一人と目されること自体に違和感を覚えるのです。
この欄はもともと産経の社論、主張、スタンスとは関係のないものですが、あえて個人的意見だと重ねて断っておきます。また、決して個人攻撃が目的でもありません。そのうえで、あえて書きたいと思います。福田氏は、政治家は向いていませんし、ましてや総理・総裁の器ではないと。
こう断定するからには、それなりの根拠を示さなくてはならないでしょう。実はいろいろと考えることはあるのですが、一つ、拉致問題を例に挙げたいと思います。拉致という北朝鮮による主権侵害、人権侵害に対し、いかに福田氏の感性はにぶかったことか。
拉致被害者家族、蓮池透さんの著書「奪還 引き裂かれた二十四年」の中に、小泉首相が初訪朝した平成十四年九月十七日のエピソードが紹介されています。この中に、外務省・飯倉公館に呼びつけられた家族らが、福田官房長官(当時)から、拉致被害者の生死について宣告を受ける場面が出てきます。引用させていただきます。
《福田氏は断定的な口調で生存者の現状を説明しました。でも、他に亡くなった方がいると聞いて、手放しで喜べるはずがありません。(中略)私の母が「家族会は一つの家族のようなものです。こんなふうに別々に発表しないで、みんな一緒の場でやってほしい」と訴えると、「黙って聞きなさい。あなた方の家族は生きているのだから」福田官房長官はそう言って、両腕でわれわれを押さえつけるような仕草をしました。まるで、なぜ自分たちに感謝しないのか、とでも言いたげな口ぶりでした》
拉致被害者を救う会のメンバーの一人は、当時のことを「福田氏は生死を確認していないのに、確認したかのような伝え方だった。家族にとっては何よりも重要な情報なのに、非情さに驚く。その点、安倍副長官は翌朝、われわれのところに来て『政府として生死を確認していない』と教えてくれた」と話しています。
福田氏は小泉訪朝前、首相に会わせてほしいと求めた家族らに対し、「首相の心が乱れるから」という不思議な理由で断ったこともありました。拉致事件に関して、オフレコだから書けない「暴言」もあります。本人は否定しているようですが、北朝鮮の工作船引き揚げが遅延したのも、水面下で進められていた日朝交渉えの影響を懸念した福田氏と田中均・外務省アジア大洋州局長(当時)の意向だったとされます。
国家の無為無策によって、想像を絶する艱難辛苦を味わってきた拉致被害者家族に対する対応をみるだけでも、「福田氏は物事の重要性、優先順位というものがよく分からないのだな」と思ってしまいます。この一点だけをみても、自民党が総裁として戴くにふさわしい人物かどうか分かりそうなものでしょう。
小泉首相の例をみるまでもなく、トップには冷徹さ、非情さも必要だとは思います。しかし、それはいざというときに発揮されればいいもので、いたずらに敵をつくったり、反感を買うのでは意味がありません。
私は比較的、首相官邸担当が長かったため、福田官房長官の記者会見にはかなりの回数、出席しています。その経験からみて、政府のスポークスマンとしても、とても合格点はあげられません。
気に入らない記者(私も含め)の質問には、あさっての方向を向いて貧乏ゆすりをしながら投げやりに答える姿には、呆れていました。記者の質問をはぐらかし、まともに答えようしないいいかげんな答弁を、「軽妙で洒脱」と評した記事を読んだときには、もう茫然自失です。
記者会見で、当時の政府が前向き(前のめり)だった日朝国交正常化について「そもそも日本にとっての利点・利益は何なのか。国民に説明すべきではないか」と質問したところ、「それは重要だ」という答えがかえってきましたが、その後、続く説明は何もありませんでした。
これは何も私だけの意見ではなくて、当時の官房長官会見を体験した多くの記者は賛同してくれるのではないでしょうか。当時、やはり福田氏の不誠実会見に業を煮やしていた他社の記者から「福田氏の記者会見はひどい。右(なぜか私のこと)と左(その記者)で共闘しよう」と話しかけられたこともあります。そういえば当時、最も福田氏を追及していたのは朝日のキャップだったと記憶しています。
もちろん、記者会見に熱意がないからといって、総理・総裁に不向きだなどとは断言できません。しかし、こうした実情はおそらく国民に伝わっていないだろうと思い、あえて記しました。
福田氏についてある森派幹部は「福田さんは貴族そのものだから」と評しました。また、お父さんの福田赳夫元首相と福田氏の双方をよく知る人物はこう言っています。参考までに。
「お父さんは外国に行っても、真の実力者に会うのを好んだ。でも康夫さんは階級が上の人、現在の地位が高い人が好きだ。(大蔵官僚だった)お父さんより、(民間企業出身の)康夫さんの方が、ずっと官僚だよ」
コメント
コメント一覧 (18)
ただ、森元首相が安倍氏を嫌ってるような発言が多いですね。国民に全く人気のなかった首相なので、世論の動向など読めないんでしょうかね?
コメントありがとうございます。森元首相は、自分が苦労して維持してきた派閥にひびが入るのを何より嫌っているのだろうと観察していました。森氏にとっては福田氏だろうが安倍氏だろうとどちらでもいいはずだと。しかし、確かに最近の森氏の発言は少し荒れ気味ですね。要注意です。
そうですか、朝日新聞を購読されているのですか‥。それはさておき、私にはこの国立追悼施設構想自体が全く用をなさないものに思えて仕方ありません。小泉首相が「それと靖国神社は別」「戦没者追悼の中心施設は靖国」と語っているように、国立施設が仮にできても靖国神社が存在する限り、状況に大きな変化はないと思います。それなのに、無宗教で霊魂のない国立施設を税金で建ててどうしようというのか。千鳥が淵の戦没者墓苑ですら閑古鳥が泣くありさまなのに、そんなところにだれが参るのか。とてつもない倒錯に基づいた発想のような気がしてなりません。朝日さんはなぜあれほど靖国を憎み、敵視しようとするのでしょうかね。
しかし、阿比留先輩が「右」だといわれるぐらい世の中の中心が左に傾いているのでしょうか?驚きです。いわゆる左の人々の好きな中国(政府)は、核を含めた軍事力、(自国内の)他民族への侵略、言論の自由の制限、一党独裁、どれをとっても左の人々の最も嫌うことをやっているのに・・・
戦後五十年にあたる平成七年、のべ約百人の戦没者遺族の方々に取材しました。彼らはほぽ例外なく、天皇陛下と首相の靖国神社参拝を望んでいました。私は完全な戦後世代ですが、「靖国で会おう」という戦死者との約束を、生きている者の勝手な都合で反故にしていいのかと思います。
左に傾いていると言っても、以前よりはましですけどね。新人記者として高校野球の県大会を取材した際、国歌斉唱時に起立して一緒に歌った記者は周囲で私一人。私は他社に笑われながら、「本当はあなたたちの方が変なんだよ」と心の中でつぶやいてしました。今はいくらかましなんじゃないかな、と思います。
してみれば、高校野球で国歌斉唱するということは、国際人として自国の誇りと愛国心を示すための格好の訓練になるのではないかと思います。
>小生、産経さんには、申し訳ありませんが、朝日新聞を取っています。
割り込みさせて下さい(^-^) 私は やむなく小朝日と言われる北海道新聞を読んでいますが あわせて「産経NetView」も購読しています。これは産経新聞の東京版をインターネットで読めるものです。料金も安く お勧めできます。よろしければご検討下さい。
http://www.sankei.co.jp/netview/index.html
http://hiton.seesaa.net/article/7446698.html
弊社にとってありがたいご提案、感謝いたします。
車好き隠居様
すいません、新聞社に勤務しておりながら、あまり詳しくないのですが、法律に規定されているわけではないと思います。ただ、株を非上場としているのは、やはり特定意図を持った人や勢力に支配されないようにだと思います。といっても、株を持ち合うグループ企業が上場すると、この前のライブドアの件のような事態に陥るので、はなはだ不十分な状態にあるのかもしれません。
私は若いときはアカヒ読者でしたが、ソ連の記事がやたらと多くて鼻に付き、その後読売を20年以上購読していました。3ヶ月ごとに洗剤を6箱もらえるので、家内も喜んでいました。
ところが昨年6月4日(多分)の社説で「靖国に代わる施設をつくれ」と唱え、元共産党員のナベツネが先祖がえり。これに腹を立てて産経に変えました。先輩(台北のロイヤルホテルのGMをしていました)が「ぶれない」産経ファンだったこと、大好きな山本夏彦さんが産経や「正論」にしばしば触れており、産経を読みたいと思っていましたので、渡りに舟です。読売販売店に「英霊を侮辱する気か。契約期間が終わったら産経に変える」と抗議しました。
購読後は毎日、知的刺激を受けています。背筋がしゃんと伸びる感じがいいですね。切れ味が良すぎて「大丈夫かよ」と思うこともしばしばです。
読売は朝食のときに10分もあれば読めましたが(野球シーズンのスポーツ面はどうしようもない。巨人で読者が付いてくると思っている時代錯誤)産経は内容が濃いので、大事な記事や論評、解説などを読むと1時間くらいかかってしまいます。時間がなくて目を通しきれないときは週末にまとめて読んでいます。
早く日本一になってください。当面は500万部が目標でしょうね。
コメントありがとうございます。読売の最近の論調については、読売の記者からも不満の声が聞こえてきます。そこで弊社としてもいっきに500万部といいたいところですが、斜陽産業でもあり、現実は厳しいようです。残念ながら。
日刊の(紙媒体の)新聞は斜陽産業でしょうが、新聞記者はむしろこれからの「情報化社会」における重要産業(?)ですよ。販売部数ではなく、中身で勝負でしょう。アメリカ、イギリス、フランスでも、高級紙の部数はそんなに多くありません。高級紙はその顔となる記者を多く抱え、世論を正しい方向へと導いてくれています。
これからは、検索エンジンも発達するでしょうから、誰が書いた記事なのかが重要になると思います。
私自身は紙媒体(新聞、本、雑誌)には読みやすさという強みがあると思いますが、かといって現状のままとはいかないんでしょうね。諸外国の例をみても苦しいところです。
そうですね。紙媒体には読みやすさという強みがありますね。判断が分かれるのは、「読みやすさ(じっくり考えならが読む)」を取るか、「事実情報(の速報性)」を取るかだと思います。
単なる事実のニュース(最近では、事実かどうかも怪しいものが多数ありますが)だったら、わざわざ紙で読まなくても、ネットで5紙まとめて読むことが出来ます。
深い解説記事、エンターテイメント(小説や写真集など)は、紙媒体の方が良いですね。
日刊紙はその点、事実の速報に重心があるので、週刊誌や月刊誌に比べて「斜陽産業」でしょうね。「読ませる・唸らせる」記事がなければ。速報は、携帯電話で十分でしょうね。その方が資源の観点からも良いのではないでしょうか。
SFは、やはり本(紙媒体)としてゆっくり楽しく読みたいですが・・・
朝刊に間に合いますか?
日本の尖閣 海上保安庁5
http://www.youtube.com/watch?v=q3JYT0G94-E