最近、有力政治家の口から、靖国神社の「A級戦犯分祀論」がたびたび飛び出し、心底げんなりしています。あまりにナイーブというか、甘いというか。

 

 確かに、中国は現在、いわゆるA級戦犯だけをターゲットにしているように見えます。というか、そう振舞っています。王毅駐日大使も、日本の政治家と会談する際には、BC級戦犯は問題にしていないようなことを言っているようです。しかし、それを本当に信じていいのでしょうか。

 

 過去、中国の官製紙は繰り返し、「靖国には、A級戦犯を含む1000人以上の戦犯が祀られている」と書いているのです。つまり、当面はA級戦犯のことしか取り上げなくても、新たな必要なり状況なりが生じたら、今度はBC級戦犯をカードにするということです。カードは多い方がいい。何も一度に切る必要はないですから。

 

 こんなことは子供でもわかることなのに、海千山千であるはずの有力政治家や一部大マスコミのトップなどが、中国のいいなりにA級戦犯分祀を迫るなんて。第一、靖国さんの方が「宗教上、分祀はできない」と明確にしているのにどういうつもりなのか。

 

 「A級戦犯は戦死者じゃないから祀るのがおかしい」という政治家も少なくありませんが、それじゃあ世界各地で処刑された1000人以上のBC級戦犯も分祀しろというのか。その覚悟があってものを言っているのか、浅知恵を口に出しているだけなのか。1000人もの人命であがなえないような罪とは何なのか。

 

 戦後50周年の平成7年に、のべ100人ぐらいの戦没者遺族らから話を聞きました。その際、とりわけ心に残ったのが、BC級戦犯とされた人のご遺族や、戦友のお話でした。

 

 自身も身に覚えのないことで巣鴨拘置所で10年もの歳月を過ごしたFさんは、拘置所内で約800人の入所者の体験談を集めていました。Fさんによると、「処刑された人の3分の1は明らかに冤罪だ」ということです。

 

 香港で刑死したNさんの手記は、涙なくしては読めませんでした。Nさんは遺書に、次のように記しています。

 

 「今刑死するは人類最大の破廉恥を犯した如く田舎の御両親を初め思はれるかも知れませんが、私はふ仰天地に恥ぢるが如き行為は絶対に有りませんから信じて御安心下さい」

 

 獄中で友人に託した手記にはこう書いてあります。

 

 「(起訴状を見て)良くこれ程嘘を作りあげたものだと、感心せざるを得ない」

 「毎回証人の無き予実(ママ)を捏造せる偽証の陳述を聞いていて終には出たらめを云うなといいたくなって来た」

 「全然自分等の知らぬ、見たこともなき者を証人として喚問してくるやりかたの浅ましき事」

 

 また、こんな短い遺書を残した人もいます。

 

 「力は主人公にして正義は召使人なり」

 

 もちろん、みながみな無罪だとか冤罪だとかいうつもりはありません。しかし、敗戦の責めを負わされて処刑された人々と、戦犯遺族として戦後、肩身の狭い思いをしながら暮らしてきたご遺族のことを思うと、政治家もメディアもあまりに軽軽しく「戦犯」という言葉を使っているように感じます。死者がもう口をきかないことをいいことに、もてあそんでいるような気すらします。

 

 「靖国で会おう」といって露と消えた死者との約束は、決して破ってはならない重みがあると思うのです。魂のやどらない単なるモニュメントなんていくら建てたって、税金の無駄遣いでしょうに。