今朝、通勤電車で「SAPIO」の「ゴー宣・暫」を読んだところ、小林氏はこのブログでも取り上げた朝日新聞の12日付朝刊掲載のインドのパール判事に関する記事を批判していました。朝日が「パール判決は日本無罪論ではない」と強弁したことへの反論で、私も全く同感です。

 

 弊紙も、主に米国に対するスタンスの違いなどから、小林氏によく「親米ポチ」と批判されます。私はけっこう昔から小林氏と多少、縁があり、氏の作品の愛読者でもあるので残念なところです。

 

 個人的には、中学3年生のときに「小林氏のアシスタントにならないか」という誘いもありました。私の福岡の実家のすぐ近所に小林氏のおばさんの家があり、私の母と親しかったからです。当時、たいして勉強ができなかった私が絵が好きだったことから持ち上がった話ですが、これは立ち消えになりました。でも、その際に小林氏から「阿比留君へ」と書かれた「東大一直線」の色紙をもらったのはうれしい記憶です(後に小林氏と話した際には、覚えてくれてはいませんでしたが)。

 

 また、私とは関係ありませんが、小林氏の「いろはに豊作」(だったっけ?)という作品には、いじめっ子の阿比留君というキャラが登場していて、余計に親近感を抱いたものです。氏の作品はだいたい読んでいると思います。

 

 「ゴーマニズム宣言」がまだ「SPA」に連載されていた初期のころ(14年ぐらい前か)には、文化面で記事にしたこともあります。一般紙で初めて「ゴー宣」を取り上げたのは私ではないかというのが、当時のひそかな自慢でありました。後に書評で「ゴー宣」について書いた際には、「ゴー宣」の欄外に私の名前を載せてくれたこともありました。

 

 そんなわけで、今の状況はとても残念なのです。確かに、弊紙の親米ぶりが突出しているとのご指摘は、他の人からも受けたことがあります。否定できません。社員がみんなそうというわけでは全然ないのですが、社論としてそういう傾向があるのも事実でしょう。

 

 私自身はというと、特定アジアの存在がある限り、親米というよりも米国を利用するしかないという考えです。以前、防衛庁を担当して、日本の安全保障がいかに米国に依存しきっているかを痛感し、当面は米国にくっついているしかないという思いを強くしたこともあります(特に海上自衛隊はほぼ米国と一体化していますし)。

 

 私は、小林氏の言うことが分からないわけでも、間違っていると思うわけでもありません。ただ、現実にどう対応するかに関する考え方はきっと違うのでしょうね。

 

 現在は首相候補と言われるある政治家が、数年前に私にこう言ったことがあります(この人も小林氏と会ったことがあります)。

 

 「小林よしのり氏は思想家だよね。思想家ならばこれでいいけど、われわれ政治家は現実と直接、向き合わないといけないから」

 

 小林氏からすれば、この意見にも反論があることと思いますが、私は小林氏の言動や作品(ビッグコミックに連載中の「遅咲きじじい」も読んでいます)を見ながら、ときに思想と政治について考えたりもしています。