自民党も確信的な保守系から社民党に近いようなリベラル派までいろいろいますが、民主党も寄せ集め政党と言われるだけあって思想・信条がバラバラなのは周知の事実です。ですが、意見対立が表面化することを嫌って、これまで党内で左右両派の議論は表立ってしてきませんでしたね。

 

 ところが、興味深い二つの文章を見つけました。一つは今月18日付で岡田克也元代表が書いた「小泉政治との5年」という論文。もう一つは野田佳彦元国対委員長が20日付で記した「パフォーマンス参拝」という小泉純一郎首相の「8.15」参拝を批判したコメントです(どちらもホームページ上に公開されています)。

 

 双方とも、小泉政治の問題点を指摘した形をとっているのですが、私には、野田氏の論考は、先行する岡田氏の論文に対する反論のように読めました。うがちすぎかもしれませんが、興味のある方にはご一読をお薦めします。

 

 まず、岡田氏は、小泉参拝を批判しつつも、「東京裁判に対する小泉総理の認識は、私と大きな違いはなかった」と指摘し、その一つの根拠として首相が国会で「(A級戦犯は)戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べた事例を挙げています。

 

 論文の中で岡田氏は、ポスト小泉候補の安倍晋三官房長官や麻生太郎外相が「戦犯は国内法では犯罪人ではない」との見解を示していることに反論し、「国内法で戦争犯罪人となったわけではないことは事実だが、日本において犯罪人でないというのは誤りである。犯罪人とした東京裁判を、日本政府は受け入れたのである」と強調しています。

 

 岡田氏は「東京裁判は当時、国内法を超越する上位のものとして存在したのであり、そこで有罪判決を受けた以上、国内法に基づく犯罪人ではないというのは単なる形式論であって意味がなく、犯罪人とした判断に日本政府は拘束されるということが重要である」とも書いています。私にはさっぱり論拠というか、前提が理解できませんが。

 

 これに対し野田氏は、やはり小泉首相の参拝を「歴史観の欠如とした単なるパフォーマンス」と批判していますが、その論理は岡田氏と全く違います。野田氏はこう書いています。

 

 「総理が『A級戦犯』を戦争犯罪人と認める限り、総理の靖国参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁できません。むしろ、中国の江沢民前国家主席の『歴史問題は終始強調しなくてはならず、永遠に話さなければならない』というような非合理な態度を助長するだけです」

 

 「私は、『A級戦犯』と呼ばれる人たちはもはや戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻しているという立場です」

 

 野田氏は、その理由として①昭和27年の法務総裁通達によって、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」となり、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われるようになった②戦犯として拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する法改正もされた③国会決議とサンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づく関係11か国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年、「BC級戦犯」は33年までに赦免釈放された~ことなどを挙げています。

 

 さらに、「刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消失するというのが近代法の理念である。(中略)既に『A級戦犯』として絞首刑になっている7名の人々も同様に解するのが自然だ」「昨今、他国に追従したり、天皇陛下のお言葉を政治利用するような論調が横行していますが、その多くが『戦争犯罪人』と『戦時指導者の政治責任』を混同しています」とも明快に主張しています。

 

 私は、この野田氏の指摘は、小泉首相に対するものというより、岡田氏を諌めたもののように感じてしまいますが、どうでしょうか。野田氏の言っていることを当てはめれば、岡田氏は近代法の理念をよく理解しておらず、戦争犯罪人と戦時指導者の政治責任を混同しているということになると思うのです。

 

 野田氏に比べ、岡田氏はあらかじめ設定された結論に向かって無理やり理屈をつけようとして失敗している、というのが私の受けた印象です。大手マスコミもだいたいそうですが。

 

 岡田氏は最近、核兵器を持っていない日本でわざわざ核軍縮促進議員連盟というものを立ち上げましたが、9月に予定される第1回勉強会の講師は、なんと朝日新聞の論説委員を予定しているようです。まあ、もうどうにでも好きにしてくれ、と言うしかありませんね。