今朝の産経に、慰安婦問題をめぐる対日非難決議案が、米下院の本会議で採択される可能性が出てきたことが報じられました。「戦前、戦中に20万人を超える女性や少女が日本政府により性奴隷とされた」という、何の根拠もないことが、独り歩きしています。

 

 以前のエントリで、旧日本軍が慰安婦を募集した際の「強制性」を認めた、平成5年の河野洋平官房長官(当時)の「河野談話」作成の事務方だった石原信雄官房長官のインタビュー前文を紹介しました(詳しくはご参照ください)。

 

 あの通り、日本側が「強制性」に言及したのは単なる政治決断であり、事実に基づく根拠は何もありませんでした。官庁、公文書館に残されたあらゆる文書には、当然ながら、日本が政府・軍の意思として女性を強制的に慰安婦にする決定など全くなかったといいます。

 

 河野という親中派で知られる衆院議長が何を日本に残したか。彼と当時の宮沢喜一首相は、目前に迫った日韓首脳会談を成功裏に終わらせることと引き替えに、日本と日本人に「性奴隷の国、日本」という耐え難い屈辱を背負わせました。

 

 以前、やはり慰安婦問題で外国への謝罪と賠償に熱心な村山富市元首相にインタビューした際、「それでは、慰安婦の中で多数を占めた日本人慰安婦についてはどう考えているのか」と質問したところ、「うっ」と絶句して、何も答えなかったことがありました。たぶん、何も考えていなかったのでしょう。

 

 この問題では、一方の当時者である日本人の視点が、きれいさっぱり忘れ去られています。

 

 慰安婦問題については、やはり以前のエントリで作家のつかこうへい氏にインタビューした際の話を書きました。基本はああいうことですが、戦後60年以上たって、当時のことを知っている方は老いて数少なくなっています。そこで、10年前に書いた記事を再掲します。参考程度にはなると思います。

 

 これは当時、中学歴史教科書のすべてに「従軍慰安婦」が登場した際に、産経新聞に「実態は違う」と自らの経験談を投書してこられた方々に、電話で再取材してまとめたものです。(当時、私は社会部でした)

 

 見出し 「中国教科書、慰安婦記述の嘘」「投書にみる歴史教育の現場」

 

《来春から使われる中学校社会科(歴史)の全教科書(7冊)に「従軍慰安婦」が登場したことをめぐって、読者からは、実際に中国や朝鮮半島で暮らした経験に基づき、「強制連行はなかった」「教科書の記述は私の体験と違う」といった証言が寄せられた。

 千葉県我孫子市のAさん(76)は朝鮮・忠清北道に生まれ、小学校までそこで暮らした。陸軍士官学校(53期)を経て、昭和15年から17年まで旧満州(中国東北部)の西部国境地帯のハイラルに勤務した。

 Aさんの記憶によると、朝鮮では、警察の第一線の巡査はほとんどが朝鮮人で、同胞を強制連行などするはずがなく、できる雰囲気もなかったという。

 「内地(日本)に帰ったとき、最初に手紙をくれたのは朝鮮人の友達。今も韓国の友人と行き来があるが、同年配の女性が強制連行されたなんて聞いたこともない」

 ハイラルでは、近くに日本軍目当ての売春宿があり、日本人、朝鮮人、白系ロシア人の娼婦がいた。

 Aさんは彼女たちと話をしたことはないが、「軍とのかかわりは、兵士の性病予防のため、業者らに病気の娼婦の接客自粛を要望していたぐらいでは。朝鮮女性もいたが、陸続きの安心感からか、暗い感じはなかった」と印象を語る。

              × × ×

 中国河南省の新郷付近で15年から終戦まで衛生兵として勤務した横浜市の業界紙経営、B
さん(75)は性病予防のため、週に一度、慰安婦の衛生検査を行っていた。

 「外出兵にはサックを持たせ、検黴(ばい)と称して慰安婦の性器検査、菌検査などを実施したが、それは軍が女性を管理していたのではなく、軍にとっての自衛策だった」

 朝鮮人慰安婦の多くが「嫁入り資金を稼ぐために働いている」と話し、「彼女たちの行動は自由だったと思う」とBさん。

 Bさんと同じ中隊にいた神奈川県大磯町の男性(76)も「部隊は5カ所ほど移動を繰り返し、朝鮮人の業者に連れられ慰安婦もついてきたが、引っ張ってこられた形跡はなかった。業者には、アヘンの密売をしている海千山千の人もいたが」と回想する。

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 宮城県岩出山町の農業、C
さん(80)は「公娼制度があった当時を現在の見方で判断するのはおかしい。岩出山でも、戦後の35年ぐらいまで、身売りは実際にあった」と証言。

 10年に渡満、満鉄に勤め、大連市と錦州市で生活したCさんは娼婦の相場を記憶している。満鉄社員の初任給が日給で約1円50銭の時代、苦力(クーリー)相手の中国人は1時間50銭、朝鮮人は1-1円50銭ほどだったという。

 Cさんはあるとき、20代前半の朝鮮人娼婦から身の上話を聞いた。彼女は「故郷には親も夫もおり、子供もいるが、生活苦のために出稼ぎにきている。2、3年働いて、家に帰るのが唯一の楽しみ」と話し、家族の写真を見せた。

 彼女たちは寝物語で聞くのか「何百人ぐらいの兵隊がどの方面にいくか」に詳しく、あっせん業者から「第一線の兵隊相手だと、待ち時間も少なく相場が高い(1回1円)」などと勧められていたという。

 Cさんは「ボスが上前をはねたり、前貸しした借金でしばることはあったろうが、軍は関係ない。私には孫がいるが、間違った教科書で先祖を敬わなくなると困る。慰安婦が軍の強制というなら、証拠を出してほしい」と訴える。

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 東京都板橋区の木材業、Dさん(85)は満州東部の国境地帯、鵜佗江付近の関東軍第一国境守備隊に勤務時、部隊についてきた日本人慰安婦に「どうしてこんな場所で働くのか」と聞いたことがある。


 その女性は「兵隊さん、今、私たち女が働いて、金になるところがありますか。好んでやっているわけではないけど、ここには金を使う所もなく、貯金ができます」と答えた。不況下では、強制などしなくても、女性のほうから集まってきたという。

 現在、区の青少年健全育成連合会長でもあるDさんは「日ごろからいじめや学校五日制など教育に関心を持っているが、文部省はどうしてこんな教科書を検定で通すのか」と憤る。

 来春から使われる中学校社会科教科書の多くは軍属でない慰安婦を「従軍慰安婦」と表記し、強制連行の一環として取り上げているが、本紙に寄せられた証言は教科書の記述と明らかに食い違っている。(教科書問題取材班)》


当時はみなさん元気でしたが、現在はいかがお過ごしでしょうか…。もちろん、この証言だけで全体像が描けるなんて毛頭考えていませんが、少なくとも、中韓の宣伝活動に乗せられつつある米下院の決議は実態を反映していません。


日本も負けずに情報宣伝活動ができる日がくればいいなあ、と心から思いますが、日本人には向いていないのでしょうか。