《人格そのものに挑戦する無礼な作法、権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である。それは、まず、権利者の自分自身に対する義務である。(中略)また、国家共同体に対する義務である、-それは法が実現されるために必要なのだから》(イェーリング「権利のための逃走」)

 今朝、テレビで、核保有議論をめぐる自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相に対する変な人たちの言論の自由を無視した攻撃ぶりを見ていて、上の言葉を思い出しました。本日のエントリとは直接的な関係はありません、すいません。

 さて現在、全国で続発しているいじめ事件や必修科目の未履修問題で、学校だけでなく教育委員会が何をしていたのか、どういう役割を持っていたのかが問われています。なぜ、いじめをなかなか認めないのか、あるいは問題教員をかばうように見えるのか…。

 私は、全部が全部そうだとは言いませんが、一定割合で、日教組をはじめとする教職員組合が絡んでいることが、問題の不透明さを増しているのではないかと考えています。つまり、教組が組合教師をかばって事実認定を難しくし、教組の影響を受けた教委が同調しているのではないかと。

 北海道や福岡の事例については、私は現地で取材したわけでもないし、特に産経が発行していない場所なので、実際のところはよく分かりません。ただ、山梨県教職員組合が県教委から市町村教委まで支配し、組合幹部を教育委員に送り込んでいたことを知っているので、どうしてもその可能性を考えてしまうのです。

 それではなぜ、教組が本来は監督者であるはずの教委を影響下に置くことができるのか。一つには、現場からの突き上げもあるのでしょうが、教組が持つ政治力も大きく作用していると思います。

 本来は政治的に中立であるべき教職員の政治的行為は、法律違反ではあっても罰則はありませんから。強制力のない指導・助言しか法律上できない文部科学省(国)の無力もあるでしょう。

 そこで、自民党のプロジェクトチームが1年半も前にまとめた「地方公務員の政治的行為の制限に関する答申」を紹介します(全文は長いので抜粋で)。何度でも書きますが、自民党と公明党は一度、地方公務員や教育公務員の政治活動に、国家公務員と同様の罰則を設ける法案提出に合意していますが、支持者から抗議を受けた公明党が党利党略から現在は足を引っ張っています。

 ・山梨県の教職員組合などは、その30年史の中で、端的に「国会議員を送り出せる山教組という、自らの戦いによって勝ち取った大きな『政治力』は、つぎには、山教組と協働しうる県知事を当選させ、県議選に大きな力を発揮してきた。…こうして、一つ一つ積み上げて来た『政治力』が、山梨県の教育行政をして、『山教組を無視してはうまくことが運ばない』という状態にまで、大きく前進してきた」と自ら、選挙によって、政治力を培ってきたことを認めている。

 ・昭和29年、政府が提出した教育公務員特例法の改正案においては、政治的行為の制限違反に対して罰則を科すことが規定され、衆議院を通過したのであるが、参議院において、教育界の内部、教育行政の手によって矯正すべきだという趣旨から修正案が出され、結局、罰則が削除され、行政処分のみとなった経緯がある。

 ・しかし、昨年、山梨県教職員組合による組織的な政治活動・選挙運動の実態が明らかとなった事案において、山梨県教育委員会をはじめとする教育行政は、こうした違法行為を行った教育公務員に対して厳正な行政処分を行っていない

 ・都道府県の教育委員会を指導・助言する立場にある文部科学省は、山梨県教育委員会に対して、本件については、第一に、事実解明が不十分である。第二に、法令の解釈について誤りがある。第三に、口頭訓告処分という対応は処分手続上不適正である。との見解を伝え、再三にわたり、以上三点に対する回答を求めている。

 ・しかし、いまだに山梨県教育委員会から回答はない。それどころか、山梨県教育委員会は、昨年、本件に関して厳重注意処分にした教頭を、本年4月1日付けで校長に昇任させるという人事を行った。

 ・教職員組合と教育委員会が一体となれば、違法行為が行われていても、見て見ぬふりをすることができるだけでなく、違法行為に異議を唱える教職員に対して、人事等を通じて圧力をかけることができるとともに、違法行為者を人事で優遇することさえできるのである

 ・今後、ますます進むであろう地方分権を考えた場合、一自治体という限られた世界の中で、行政権を一手に握った者が強権的な支配を行ない、教育行政の歪みを回復し難いものとすることが懸念される。こうした事態に鑑み、違法行為を行った教育公務員に対しては、適正に処断することができるように罰則を科すことが必要である。

 …山梨県教委による関係者処分については、その後、山教組幹部らが罰金刑を受けたことで一部見直されましたが、当初は処分に抵抗し、最低限かつだれにも傷がつかない処分でお茶を濁そうという姿勢が見え見えでした。

 政治活動といじめや未履修は別の問題ではありますが、どうも同じ構図が背景にあるのではないかと疑ってしまいます。北海道人事委員会が、国歌斉唱を妨害した教師の「戒告」処分を重すぎると裁定した背景にも、北海道教組の有形・無形の圧力がなかったか。

 先日、いじめ問題の調査のため、福岡県筑前町教委を訪れた山谷えり子首相補佐官や小渕優子文部科学政務官に対する教委側の対応は、いじめだと明言しないなど、必ずしも誠実なものではなかったと聞いています。それが、単なる責任逃れなのか、それとも、もっと大きなしがらみに絡め取られているのか。

 個人的には、いじめには傷害罪を適用するぐらいの厳罰を持って対応してほしいと思っています。教職員は日教組によって聖職者ではなく労働者となりましたが、なぜだか学校現場は教職員の聖域になって守られているような気がします。ちょっと変ですね。