私は今まで、このブログで繰り返し日教組批判を続けてきました。でも、読者のみなさんの中には「教育荒廃は日教組のせいだけじゃないだろう」「私が習った先生はいい教師だったけど」などと疑問に思う方がいると思います。

 確かに、日教組が強い地方も弱い地方もありますし、日教組に所属する教師一人ひとりを見れば、立派な教育のプロもたくさんいることでしょう。それは全く否定しません。

 ですが、組織としての日教組はどうでしょうか。私のブログでは、何度も授業を放棄して国会前で座り込んでいる教師たちのことを紹介していますが、サヨクイデオロギーに支配された日教組教育は、果たして子供たちのためになるでしょうか。

 そうしたことを考えるヒントとなればと思い、産経のデータベースで、関連しそうな過去記事を検索してみました。10年以上前の私の記事もヒットしましたが、改めて振り返り、この人たちをこのまま放置してはいけないとの思いを強くした次第です。

【社会部発】日教組研集会いじめ分科会から「優しさ」だけでは解決せず
 
[ 1996年02月04日  東京朝刊  社会面 ] 

 大阪市内で四日まで開かれている日教組の教育研究全国集会では、「個性」「自由」といった言葉が飛び交っている。相次ぐいじめ自殺や不登校に危機感を募らせた教師が子供のさまざまな要求にこたえようとする姿勢は分かる。だが、子供をはれもの扱いし過ぎてはいないか。厳しい現実社会と遊離した「優しさ」だけが目立っている。

 今回のメーンテーマを話し合う「いじめ・不登校問題克服」特別分科会。約四百人の教師や父母らが沈痛な面持ちで討議に耳を傾け、メモをとる。

 「いじめは教師自身の問題」「教員同士にもねたみや中傷はある」「教師は忙しいというが、本当か」といった率直な意見も多かったが、討議からは、いじめ問題に有効策を見いだせないまま暗中模索している教師像が浮かんだ。教師でありながら不登校児を持つ父親も発言、問題の根深さをうかがわせた。

 首をひねりたくなるような議論もあった。「『がんばれ』という言葉はプレッシャー」「運動会は軍隊の行進みたい」「生徒とはいつも対等に」「子供はいつも傷ついている」…。優しさを強調したいのはよく分かるが、何を目指しているのかはっきりしない。

 子供につらい思いをさせないような気配りは大切だが、学校も教室も社会の一部だ。子供の世界だけを温室状態にしておいても、子供はやがて大人になり、社会に出る。

 三日の討議では、「私服通学が学校に受け入れられないのはおかしい」という熊本市の父親の報告があり、不登校の中学一年生の娘が「個性を押しつぶす中学はつまらない」という作文を読み上げた。大阪市の父母も私服通学を通していじめられた娘の話をし、会場から拍手が起こった。だが、個性は制服を着たぐらいでなくなるものだろうか。

 教師の多くは「子供の未来は無限」「子供を信頼しよう」と訴える一方で、子供に厳しく接することを恐れ、物事の是非善悪を教えられずにいるようだ。

 「環境・公害と食生活」分科会では、三重県の小学校教師が「給食の盛り付けを子供に任せて自由にし、食べ残してもいいことにした」というリポートを発表したが、このリポートには「忍耐力を育てる」という思想はない。

 目の前のいじめや不登校の深刻さはどの教師も自覚しているが、教師たちには確固たる価値観がなく、子供の要求に迎合しているように見える。戦前の歴史、日本の道徳観のすべてを否定した日教組の教育そのものが今日の事態を招いたのではないだろうか。 (阿比留瑠比) =おわり

 …この記事をめぐっては、同僚記者から「不登校の子供には本当に『頑張れ』という言葉はプレッシャーになる」と後に諭され、反省しました。ただ、当時の日教組は放任と個性尊重をはき違えているという感想は今も変わっていません。

【社会部発】日教組の教研集会開幕 来賓に罵声 まるで“荒れる成人式” 
[ 2001年01月28日  東京朝刊  社会面 ] 

 「ヒトラー!」「右翼!」

 二十七日午前、東京都江東区の有明コロシアム。壇上に立った横山洋吉・東京都教育長に、穏やかでない言葉が飛んだ。

 客席で声を張り上げているのは、教師か、少なくとも教育関係者である。なぜ断言できるかというと、そこは日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会の会場だったからだ。

 司会者は時々「静粛に」と注意するが、ほとんど罵声(ばせい)にかき消されて聞こえない。客席側は「かーえーれ! かーえーれ!」と、シュプレヒコール風に調子をあわせたりしている。声の聞こえる方向の客席には、「日の丸・君が代処分糾弾」との横断幕が掲げられた。

 横山教育長は、この教研集会を妨害するために乱入し、壇上にかけ上ってマイクを奪ったわけではもちろんない。来賓として、あいさつをしているのである。

 しかし、すぐ後ろに着席している日教組の榊原長一委員長も、隣となにやら言葉を交わして苦笑いするだけで、特に場をとがめるふうでもない。怒号はとどまることを知らず、場内は妙な雰囲気になってしまった。

 日教組中央と、各都道府県の教職員組合との間には、はっきりとしたねじれ関係がある。いつまでも「なんでも反対」ばかりしていては生き残りすら図れないと危機感を持つ中央に対し、何十年も前の闘争至上主義をいまだに変えない地方の組合も多い。

 しかしそんな事情はともかく、招いた来賓に罵声を浴びせ、それをどうにもできない組織をはたしてまともな団体といえるだろうか。

 逮捕者まで出した今年の「荒れる成人式」を、教育の問題とする声は多い。ところが、教育者自らが最低限の社会常識すらわきまえていないことを、図らずも露呈してしまった。

 会場の臨海副都心は、折からの寒波で吹雪となった。しかし、教育への熱い思いを話し合うはずの会場の中には、外の風雪よりももっと冷たい、荒涼とした空気が漂っていた。(松尾理也)=おわり

 …学校の先生たちは、何というか集団になると品がない言動をとることが多いように感じています。私が平成7年に取材した日教組大会でも、会場ではヤジというか怒号が飛び交っていました。「日米安保廃棄、反天皇制を運動方針に盛り込め!」とか「闘いを続けることが大事なんだ」とか、昔の学生運動のような内容でした。

【社会部発】日教組教研集会・総合学習分科会 「甘えさせる教育」極まれり 
[ 2001年01月29日  東京朝刊  社会面 ] 

 東京都内で開催されている日教組の教育研究全国集会で、ある教師からこんな発言が飛び出した。

 「遅刻もなくみんなが登校し、授業中の私語もない学校が良い学校なのか

 特別分科会「子ども参画と学校改革」の会場。いじめや不登校などの問題解決に向け、実際に悩んでいる子供たちの声を聞き、子供も加わった学校づくりの可能性を探ろうと、初めて設置された分科会だった。教師ら約百人に各地の小・中・高校生約三十人が加わり、「いじめ」「校則」などのグループに分かれ、意見交換した。

 「校則」のグループでは、子供たちから校則への批判が相次いだ。「先生は『前髪が勉強のじゃまになるから切れ、お前のために言っている』と言うが、自分が良ければよい」「(校則の)理由も言わないでダメというのはおかしい」という“理論的”な言い分から、「決めつけられるから破りたくなる」というやや感情的な声も出た。

 冒頭の教師の発言は、「中学校で丸刈りを強制されたため二年半、不登校になった」という男子高校生に対し、別の教師が「かつて学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら(学校が)良くなったこともある」と発言したことを受けたもの。恐らく「“良い学校”では学校管理に息苦しさを感じている子供たちを受け止められていない」という考えがその裏にあるのだろう。

 しかし、学校現場の荒れが無視できない状況のなか、一人の保護者として言わせてもらえれば、子供がきちんと授業を受けられる学校は何よりの願いである。そこで子供たちの息苦しさが生じるとしたら、また別の問題として対策なりを考えるべきだ。結局、会場を取材した限りでは、教師側は子供たちの言い分にうなずくばかりで「学校で君たちを受け止めてくれる教師がいなかったら、日教組に連絡してほしい」と働きかける教師までいた。

 「子供たちを甘えさせてきた」という戦後教育も「ここに極まれり」とさえ感じた。(小島新一)=おわり

 …だれが日教組に連絡するでしょうか。また、仮に何か勘違いした子供が日教組に連絡したとして、本当に対応してくれるのでしょうか。思いつきで無責任なことを言っているのなら、深く反省してほしいところです。

【社会部発】「学校の警備強化」に不可解反応 
[ 2002年01月28日  東京朝刊  社会面 ] 

 大阪府池田市の大教大付属池田小で起きた校内児童殺傷事件は教育界に大きな衝撃を与えた。宮崎市で開かれている日教組教研集会でも大阪府教職員組合が報告を行い、現場でどのような対応が可能か、問いかけた。

 ところが、その報告の後、理解に苦しむ発言がいくつかあった。

 東京からの参加者は、池田小事件の後に東京都杉並区で起きた幼稚園教諭が狂言で「刃物を持った女に切りつけられた」としていた事件を引き合いに出し、「狂言事件後、登下校がものすごい警備体制になった。そこにキナ臭さを感じてしまう」と発言。キナ臭さとは、警察の警備が教育への国家権力の介入であるから許せないということらしい。次のように発言が続いたからだ。

 「捜査のプロなのだから、本当なら狂言とすぐにわかるはずなのに、それを隠して警備強化につなげているんじゃないかと…。われわれも見抜く目を持たなければ」

 また、埼玉県からの参加者は昨年末に起こった不審船事件を例に出し、「米国からの情報に基づいて、他国の人を武器で粉砕してしまうことを、(社会が)当然と思っている。これは日教組の危機ではないか」と、とうとうと述べ立てた。「命の大切さ」というところから話が発展したと思われるが、あまりの論旨の転換ぶりに理解力がついていかなかった。

 組合の大会だから、イデオロギー的な議論もあるだろう。しかし池田小事件を、そんな議論のタネにしてしまっていいのだろうか。違和感は消えなかった。(松尾理也)=おわり

 …公立学校の教員は地方公務員であるのに、どうしてこう反体制を気取りたがるのか。また、教職員の組合がなぜ反社会的になるのか。私には理解できないことが多すぎます。

教研集会 「北海道の教育」討議 「国旗・国歌」反対崩さず 本紙記者一時足止め 
[ 2001年01月30日  東京朝刊  社会面
 国旗国歌の適切な取り扱いがなされていなかったり、勤務に関する違法な協定が結ばれていたりする実態が問題化している北海道の教育をめぐり、東京都内で開かれている日本教職員組合(日教組)の教研集会で二十九日、実情が報告された。北海道の組合員らは国旗国歌問題について、従来通りの反対姿勢を強調。さらに「マスコミの前では発表できない」と急きょ報告をとりやめるなど、閉鎖的な体質をうかがわせる一幕もあった。

 「民主的な学校づくり」をテーマにした分科会では、北海道教職員組合(北教組)の組合員が、昨春の中学校卒業式で十勝支部の教員が会場に流された「君が代」のテープに抗議し途中退席した問題を提起。処分を不当と非難した。

 その後の討議で参加者の意見が続出。「日教組として、日の丸と君が代に反対だということを、はっきり言うべき」などと、日教組中央を突き上げる意見が目立った。

 一方、「(神奈川県のある支部は)処分者を出さない取り組みを掲げている。職員会議での交渉ではもはや解決できない」「(沖縄県では)日の丸と君が代の問題は十年前に終わっている」などと“悲観的”な意見もあった。

 また、同日の平和教育分科会では「平和教育(運動)をとりまく状況をふまえ、どのようなとりくみを展開したか」との課題で、室蘭市の小学校教諭が「今こそ平和教育を!-日の丸・君が代をどう教えるか」と題する報告を予定していた。

 しかし、この教諭は「北海道はいろいろ攻撃をかけられている。とんでもない処分が行われ、札幌市教委からは校長に日の丸・君が代に関しての職務命令が出された。学校管理運営規則も改悪され、組合員が勤務時間中の組合活動を行っていないかという調査も入っている」と現況を説明したうえで、「本部(北教組)からはマスコミがいる前では発表するなといわれており、今回は発表できない」と報告を辞退した。

 この日の同分科会出席者らは、マスコミに対して過敏になっている様子をうかがわせた。産経新聞記者が取材に訪れると、日教組中央本部の役員が「これまでの(産経新聞の)報道からトラブルになる可能性がある」として一時、会場への立ち入りが足止めされた。=おわり

 …メディアに傍聴され、報道されたら困るような話なら、公の場でしなけりゃいいのに、と言いたくなります。どうせ集会の夜は仲間と飲みに行くのでしょうから、そのときにでも語り合えばいいと。

日教組教研集会 「開かれた集会」なぜ… 本紙取材拒否、やり取り再現
 
[ 2003年01月29日  東京朝刊  社会面 ] 

 二十八日閉幕した日教組教研集会では、全国の単位組合から約九百の教育実践例が報告され、学力問題などでは真剣な討議が行われた。一方で、日教組と北朝鮮の関係の報道をめぐって産経新聞記者が五時間半余りにわたって取材を拒否された。閉鎖的な姿勢を見せる一部の単組に対し、「開かれた教研集会」を掲げながら組織をまとめるのに四苦八苦の中央。やりとりを再現する。(教育問題取材班)

 ◆「産経は壊すために参加」/「記事のどこが不正確なのか」/「個人的判断で指摘できない」

 ■やじと怒号…

  平和教育分科会は二十六日午前九時半から奈良県生駒市の生駒市北コミュニティセンターで行われた。会場には本紙記者以外に山口県内の新聞社の記者らも入場した。

 騒ぎは冒頭のプログラムが進行中に起きた。やり玉に上げられたのは、教研集会開会前の二十日付本紙が、拉致事件を主題にした報告がないことを指摘して日教組と北朝鮮の友好の歴史を振り返った記事だ。

 記事中に取り上げられた東京教組の女性組合員が「報道でプレッシャーを感じている。産経新聞は(平和教育を)壊すために参加しており、記者が同席したのでは安心して発言できない。そうしたことを皆で確認して退席させてほしい」と提起した。

 会場は拍手喝采(かっさい)。相前後して、記者の斜め後に座った女性出席者から「あなたでしょ! 何か言ったらどうですか」と取材者である記者に発言を求める声…。

 司会者側は「中央で(後ほど)対応する」と出席者に理解を求めた。日教組中央は「開かれた教研集会」を掲げ、公開を原則としている。教育への国民の負託に日教組が応えるためには、批判も含めた取材活動に広く門戸を開くことが不可欠と考えているからだ。

 しかし、会場の空気は違った。「今すぐに対応してほしい」と女性組合員が繰り返すと、これに唱和する拍手や「テープを取り上げろ!」「人権侵害だよ」といったやじが飛ぶ。

 記者の背後からは「誠実に報道したらどうですか! 何か表明すればどうですか」。その言葉をノートに書き記すと今度は声を荒らげ、「ちょっと! そんなの書かないでよ!」。騒ぎはさらに大きくなった。

 ■警備役を配置

 会場の空気に抗しきれず、司会者側は「いったん出ていただけますか」。記者は退席を余儀なくされた。誘導時に「これ以上残ると危害が加わる恐れもあります。この後は本部で対応しますので」と理解を求められた。開会から二十分余りの九時五十四分。産経を排除して討議が始まった。

 十一時前、中央の幹部が会場に駆けつけ収拾に乗り出した。しかし、事態は変わらない。「すみません。時間を下さい」。午前中の報告は終わり休憩に入った。

 午後になっても収拾は続いた。どうも幹部にとっても会場を抑えるのは難題のようだ。二度、三度の“水入り”を挟みながらの断続的な協議の末、幹部から、経過説明に加えて「正確な報道をお願いします」と告げられた。

 入場を認めるにあたり、会場内部の“要望”を伝達したものとみられるが、これでは記者は納得できないので「一体、どこが不正確なのか。具体的に指摘すべきでしょう」と水を向けると、「それを今この場でやるのかい。それに(今言われても)組織で決めてないから、個人的判断で今指摘はできないよ」と幹部はかわした。

 不測の事態に備え、地元・奈良県教組から二人がボディーガード役になった。右翼団体から分科会を守るためではなく、組合員から新聞記者を守るための警備だ。

 ■拒否と感ぜず

 午後五時、初日の日程が終了。ことの経緯を記事にした。そのさい、中央に電話でコメントを求めたが「ない」という返事だった。

 ところが、翌二十七日の朝刊を見た幹部から電話で「われわれとしては(入場できたのだから、記事にある)『取材拒否』をした認識はなく、記事の訂正を求める」と告げられた。

 この日の分科会の冒頭、司会者側は「取材拒否ではなく、本部で対応する時間をいただいたと考えている」と説明。討議は淡々と進められた。

 一連の経過について、日教組に再度コメントを求めた。幹部は「重大な問題と考えており、今後、運営のあり方は検討したい」と述べるにとどまった。=おわり

 …同僚記者も苦労しています。これだけ産経だけが目の敵にされるのも、他紙が日教組の問題点についてほとんど批判しないからでもあります。弊紙記者が取材拒否を受けた現場には、他紙の記者たちも当然いたわけですが、その場では「同情的な目で見るだけ」で、何もしてくれなかったと言います。

 そういえば、かつて村山富市首相の時代に、与党の北朝鮮訪問団の同行取材を、産経だけが北朝鮮側に断られたことがありました。このときも、当時の自社さ政権は何もしてくれなかったなあ。あまり関係ないかもしれませんが。