《「われわれはわれわれの椅子を中間に置いた」-彼らのほくそ笑みはわたしにそう言う-「瀕死の剣士たちからも、満足したブタからも、同様に遠く離して。」 だが、これは-凡庸というものだ、たとえそれが中庸と呼ばれているにもせよ》(ニーチェ著「このようにツァラトゥストラは語った」)

 本日は風邪でお休みをいただきました。同僚たちが忙しく働いている中で、申し訳ないのですが、どうにも頭がくらくらして体に力が入りません。さきほどまで寝て、いま起きだしてぼーっとしながらこのエントリを書いています。

 さて、このところ自民党の中川秀直幹事長による「左に懐を深く」「保守中道」発言について考えるたびに、脳裏に上の言葉が浮かびます。特に政策的な問題については、中庸・中道をきどる「足して2で割る」式の半端な施策は、左右両方から評価されるどころか軽くみられるだけで、実効性も担保されないことが多かったなあ、とか。

  一方で、自民党の旧来の支持組織・団体はかつてのように票を集められなくなりました。だから、国民各層にアピールし、無党派層を取り込むしかこれからの国政選挙に勝つ手段はないというのは本当でしょう。中川氏の危機感も分かりますが、私はそもそも自民党がしっかりと保守層を固めてこなかったことの方が問題だと思うのです。

 昨年の郵政解散では、小泉前首相の鬼気迫る訴えと、国民に直接信を問うた妥協を許さないある意味、極端な主張で、従来は民主党に流れた無党派層を取り込み、自民党に圧勝をもたらしました。それもとても有効な手法だと思います。

 ただ、それは小泉氏という特異なキャラクターにしかできない一代限りの博打的なやり方(計算は周到にされていましたが)だとも考えています
。他の人に同じことを求めるのは無理だろうと。あるいは国民も二番煎じだとそっぽを向きかねません。

 では、小泉氏が刺客を放って「クビ」にした造反組が復党すると、自民党は昔の自民党に戻り、いったん自民党を支持した無党派層は再び自民党を見限るのが順当なのでしょうか。私は、昔の自民党には戻りたくても、もう戻るための基盤が壊れているので戻りようがないとみています。

 また、今回復党を認めた安倍首相について、やはり古いタイプの政治家だったかとの見方も出ているようです。森喜朗元首相や青木幹雄参院議員会長らに逆らえないのだろうという論評も読みました。なるほどそのように見ることもできるのだろうな、とそういう見解も理解できます。

 でも、どうしても違和感を覚えるのは、昨年、自民党に一票を投じた無党派層も含め、みんな本当に「郵政民営化」をすべての基準に据えられるほどの大事業だと思っているのか、ということです。小泉氏が別のテーマで同じように訴えていたら、やはり同じ結果になったのではないかと思うのです。

 確かに、小泉氏自身は「郵政民営化をやるために首相になった」と側近からも言われていましたから、彼の主観的には郵政が一番重要だったというのは、それはそうなのでしょうが…。


 ですが、その郵政問題はもう決着がついていて、小泉氏自身も以前の私のエントリで書いた通り、9月にフィンランドで、こうはっきり述べているのです

  《郵政民営化は決まったことだから。一つの政策課題として。それをまた、郵政民営化反対などと言って復党してくることはないでしょう。私が間違っていた、大きな時代の流れを見損なったこれから郵政民営化一段落してあとのいろんな施策がある自民の方針についていきたいと、戻りたいという人が戻るのは不思議でない

 
この小泉氏の言葉は、今回、中川氏が復党希望者に突きつけた条件と符合しているように思います。郵政は日本が直面している何百、何千という諸課題のうちの一つだったはずです。そのワンマターで自民党の旧体質の象徴のように決めつけ、悪役にするというのは私の趣味には合いません。

 また、安倍首相の周囲からは、オフレコベースで次のような意見も聞こえてきます。これは中川氏の主張とはまた違う情勢判断のようです。

 「自民党は左にウイングを広げるのではなく、保守層をきちんと固めなければならない。今までの自民党が本当の保守主義だったかというと半分以上は違うと思う。だから安倍政権は今までの政策の延長線上ではなく、今までとの違いを明確にすることが重要なテーマになる」

 この言葉からはうかがえる発想は、保守政党を名乗りつつも実態は保守とはいえなかった今までの自民党から、明確に保守主義に拠って立つ自民党へと脱皮を図りたいという考え方です。

 もっといえば、自民党に根を張っていた古い、サヨク・リベラル的な体質を少しずつ改善し、今は自民党から離れている保守無党派層を何とか固めたいという意向があるのでしょう。小泉氏とは志向する方向が違いますが、自民党を変えていくという一点では共通していますね。

 まあ、一言に保守といっても定義はあいまいだし、保守という言葉から受ける印象はそれぞれ千差万別かもしれません。私個人は、ある政党職員から聞いた「保守とは、家族を守ろうという心だ」という言葉が印象に残っています。

 復党問題をめぐり、イザでもさまざまな意見・主張が出ているのをみて、何か書きたくなったのですが、どうにもまとまりません。いずれ、また体調がいいときに改めて書こうと思います。

 ■おまけ
 
 昨日、国会前でまた全国労組交流センターのビラが配られていたので、内容をちょっと紹介します。国会前の座り込みに激励にこなかった日教組の森越委員長を非難する言葉が踊っています。ああいう組織のトップになるのも大変だな、と変に同情してしまいました。

 ビラによると、11月25日に行われた「教育基本法改悪ストップ実行委員会」主催の全国集会では、森越委員長に組合員から次のような怒りのヤジが飛んだそうです。

 「委員長は国会前に来い!」「国会前に座り込め!」「行動提起はないのか!」

 繰り返し書いてきましたが、どうしてそんなに座りたがるのかが不思議で仕方ありません。また、ビラには「森越発言に怒りの声」という特集があり、こんな組合員の発言が載っていました。

 「委員長ならば、自分が先頭に立って座り込みをして、スト指令を出すべき。こんな重大事態なのに粛々と授業が行われている方がおかしい」(大阪教組Tさん・女性)

 「日教組は何万という数を動員して闘うべき。本部は組織の力を生かそうとしていない。怒りを感じます」(同Sさん・女性)

 「私は貧乏で育ったけれど、今の教育基本法があるからみんなと一緒に教育を受けられた。改悪されたら、お金のある人たちだけの教育になってしまう」(神奈川県教組Sさん・女性)

 …粛々と授業が行われていることがおかしいのだそうです。この人たちは、自分たちの仕事は政治運動だと思っているのでしょうね。また、改正基本法でどうしてお金持ちのためだけの教育になるのか、条文を読んでもさっぱり分かりません。

 日教組のみなさん、もう少し私たち一般国民にも通じる言葉と論理で主張してくれないと、いくら座り込んでも無意味ですよ。余計なお世話でしょうが。