先日のことですが、首相官邸の記者クラブで席を並べて仕事をしている「夜討ち朝寝坊日記」の佐々木美恵記者の机に置いてあった月刊「Voice」4月号をパラパラめくっていて、「おおっ」と驚きました。いや、別に驚く必要はなかったのかもしれませんが、「ヒゲの殿下」の愛称で知られる寛仁親王殿下と、旧皇族の家に生まれた竹田恒泰氏の特別対談が載っていたのです(※親王殿下のお名前は、正しくは「寛」の右足の部分に「、」がつくのですが、この画面では表示できないため、大変失礼と知りつつ「寛」の字を使用させてもらいます)。いやあ、贅沢な対談というか、「Voice」の企画実現力はたいしたものだというか。

 寛仁親王殿下と言えば、明治天皇の孫であり、現在の天皇陛下のいとこに当たります。1昨年11月に政府の皇室典範有識者会議が父方に天皇を持たない女系天皇容認の報告書を出した際に、皇族の立場から異論を唱えられた方として有名ですね。有史以来の皇室の大伝統である男系による皇位継承を守る方策を探るべきだという趣旨からのご発言でした。私もインタビューを申し込んだことがあるのですが、当時は国会開会中だったため、「政治的発言ととられることは慎みたい」というお考えから、これは残念ながら実現しませんでした。

 一方の竹田氏は、やはり明治天皇の血統を引く旧皇族、竹田宮家の一員ですが、著書「語られなかった皇族たちの真実」を出版、やはり女系天皇容認に反対の論陣を張った方です。雑誌の対談で、司会者の田原総一朗氏に暴言を浴びせられている記事も読みましたが、それでも真摯に答えていました。先日、サンデー毎日の広告で「旧田中宮家」と誤記されているのを見たときには、さすがにびっくりさせられましたが。私は以前、一度この竹田氏と何人かで食事をする機会があったのですが、そのときに竹田氏がこう聞いてきたのが印象的でした。

 「この前、大学で講義をする機会があったのですが、皇室典範の話になった際、学生から『そもそもなぜ皇室が必要なんですか』と問われて、明確な返事ができませんでした。何と答えればよかったと思いますか」

 …これはねぇ、理屈はいくつも考えられますし、自分なりに考えるところはあるのですが、相手に説得力を持って伝わる回答というのは、実はなかなか難しいのではないでしょうか。その相手がどの程度、日本の歴史を知っているかによっても、理解度は変わってくるでしょうし…。私はそのとき、竹田氏に対して明確に「こう言えばどうですか」という話はできなかったと記憶しています。

 それで「Voice」の対談を読み進めていると、竹田氏はまさに同じ質問を寛仁親王殿下にぶつけていました。ずっと心に引っかかっていた、ということでしょうか。殿下は、次のように答えられています。

 《まず、一つの国家を形づくるには必ずリーダーが必要です。烏合の衆では部族同士が縄張り争いするだけで、国家にはなりません。かつて日本もさまざまな豪族がいて、北条や織田といった武将が現れ、時代の変遷を経て、江戸時代に徳川家を頂点とする三百諸侯になりました。あるいは家族という単位で例えれば、お父さんがしっかりしていないとその家庭は崩壊してしまう。しかし、もしお父さんが亡くなってもお母さんがしっかりしていれば、その家庭は安泰です。家庭という小さな単位でも、国という大きな単位でも、何らかのリーダーが必要と思います。
 ただし日本の場合は特殊で、世界で唯一、権力をもった人がナンバー2、権威をもった人がナンバー1です。ナンバーワンは天子さま、最高権力者はナンバー2としてきたから、2667年ものあいだ、日本のあり方は微動だにしなかった。かつて、ほとんど二年ごとに総理大臣が代わることを日本人はずいぶん恥じた時期がありました。外国人も不思議に思っていました。しかし、本心では何も気にしてなかったのではないでしょうか。ナンバー2がころころ代わっても、ナンバーワンは不動だったからです。逆にいえば万世一系が崩れ、誰が本当の権威の継承者かわからなくなり、一般国民の家系図と天皇家の家系図があまりにも似たものになれば、おそらく天皇は尊敬の対象でなくなってしまうでしょう。》

 これは私も同感ですが、なかなかこうはずばっと言えませんね。いつだったかは忘れましたが、少年のころ、初めて明治維新時の版籍奉還や廃藩置県のことを知った際、「どうしてこんなことが可能だったのか」と不思議でなりませんでした。で、徐々にいろんな本を読んで学びつつ、「皇室の存在がなければ、明治維新もありえなかったろう」と思うようになりました。また、歴史学者の今谷明氏の「信長と天皇」「武家と天皇」など一連の著書などで、覇者、織田信長も最後は朝廷の権威にすがらざるを得なかったことなどを知り、感銘を受けたこともあります。

 ともあれ、寛仁親王殿下を主張されている男系継承の維持に関しては、昨年9月に秋篠宮家に悠仁親王殿下が誕生されたことで、当面は可能となりました。ただ、若い皇位継承者が悠仁さまただお一人というのでは、皇位継承は不安定にならざるをえず、そこで旧皇族に複数いる男系男子の中から、適正とご本人の意思を確かめた上で皇族に復帰してもらおうという意見があります。この点について、皇室典範有識者会議は否定的でしたが、寛仁親王殿下は「Voice」の対談でこう語られています。

 《GHQによって11宮家が皇籍離脱させられたとき、当時の宮内府次長が、「宮さま方がいつの日かまた復帰なさることがあるやもしれません。身をお慎みください」といっているのです。実際に旧皇族の方とは、いまも年間を通して至るところでお付き合いがあります。有識者会議は、60年間も一般人として生きてきた人々が皇族に戻るのは違和感があるといいましたが、2667年のなかの60年など一瞬にすぎません。陛下も皇族と旧皇族からなる菊栄親睦会を大切になさり、お正月や天長節など、事あるごとにメンバーをお集めになられています。私のなかには現職皇族と元皇族の垣根などありません》

 この中に出てくる宮内府次長とは、加藤進氏のことです。加藤氏は月刊「祖国と青年」の昭和59年8月号のインタビュー記事で、終戦後、鈴木貫太郎元首相と次のようなやりとりを交わしたことを明らかにしており、殿下のお言葉もこれを指すのだと思います。

 《(皇籍を離脱する宮様方に対し)また「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」とも申し上げました。これに対し鈴木さんはさらに「それでも(皇位継承者が)絶えたら」と質問をしてまいりますので、「万が一にもそのようなことは無いと存じますが、それでも絶えたなら、そのときは天が日本を滅ぼすのですから仕方のないことではありませんか」と申し上げました。鈴木さんは「そこまで考えているのならばよろしい」と言って認めてくれました。》

 最近はあまり見なくなりましたが、加藤氏は「天」という言葉を使って説いています。確かに、今でも「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、この皇位継承問題について、現在はとても人事を尽くしたとは言えない状況だと思います。国会では、超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)もできて、男系継承維持の方向での皇室典範改正・特別律法の可能性を探る動きもあります。ただ、まあこれも参院選が終わるまでは本格的な活動には至らないのかな、と感じています。