宮沢喜一元首相が逝去しました。私はこの人については、名刺を渡したことがある程度であまり知りませんが、いい印象を持っていたとは言えません。特に、今回の米下院外交委員会による慰安婦問題に関する対日非難決議が、宮沢氏が首相時代に発表された河野談話を根拠にしている点や、鈴木内閣の官房長官時代には教科書検定基準に「特ア」への配慮を盛り込んだ近隣諸国条項を導入することにかかわったことを考えると、肯定的に評価するのは難しいのも事実です。

 ただ、一度だけ、宮沢氏が勇気ある発言をしているな、率直に思いのたけをぶつけているなと感じたことがありました。それは今から8年前、宮沢蔵相(当時)が広島の県立世羅高校長、石川敏弘氏の自殺と、部落解放同盟とのかかわりについて言及した際のことです。当時は、今以上に解放同盟への批判はタブーでしたし、国会中継を見ていて「おおっ」と驚いたのを覚えています。

 そこで、宮沢氏に敬意を表し、当時の記事を紹介したいと思います。まずは、宮沢氏の本音を引き出すきっかけとなった、岸元学・広島県公立高校長協会会長の性根の座った国会証言を振り返ってみます。以下は、証言を報じた記事です。

世羅高校長自殺 広島校長会長参考人質疑要旨 八者懇合意が「教育介入」招いた
 
[ 1999年03月11日  東京朝刊  総合・内政面 ]

 

 参院予算委員会で十日おこなわれた矢野哲朗議員(自民党)による岸元学・広島県公立高校長協会会長への参考人質疑の要旨は次の通り。(敬称略)

矢野 岸元先生が私どもの要請にこたえ、出席された真意について述べてほしい。

岸元 広島県の教育現場にあっては、職員団体、研究団体、運動団体が学校運営に強い働きかけをし、校長が実質上動きがとれない状況になっている。その中で一人の校長が命を失うという痛ましいことが生じた。第二、第三の犠牲者を出さないために今回参考人として出席した。

矢野 県立世羅高校の石川敏浩校長が自殺に至る経緯について、ご存じのことを述べてほしい。

岸元 石川校長は二月二十四日から、自殺される直前の二十七日まで連日連夜八回にわたり、校内、校外で一日約五時間にわたる会議交渉がもたれた。その中で「あくまで石川校長が国歌斉唱を実施するというのなら、従来三脚で掲揚されていた国旗までも引き降ろすぞ」とか、「授業の補習や駅伝の世話などの学校の運営に一切協力しない」と反対された。

一時は実施をあきらめた石川校長は、同じ地区の校長が国歌斉唱するとの情報を得て、すがるような思いで二十八日に職員会議を設定してもらいたいと組合に要請したが、拒否された。石川校長は無力感に打ちふさがれ、「何が正しいのか分からない。自分の選ぶ道がどこにもない」との遺書をしたためて、お亡くなりになった。同僚の校長として誠に痛ましく思っている。一部に、県教委の「職務命令」が石川校長を自殺に追いやったと流布されているが、むしろ、校長が県教委に「職務命令を出してもらえないか」と心待ちにしていた面があった。その効力も結構あった。

矢野 広島県では今回の国旗・国歌の実施に対し、どのような反対活動が組織的に進められたか。

 五者協が国歌斉唱を反対する戦略を練った。五者協とは県高等学校教職員組合、県教職員組合、県高等学校同和教育推進協議会、県同和教育研究協議会、部落解放同盟広島県連合会の五者。二月中旬までは各高校で同和教育推進係や高等学校教職員団体の執行部が「国旗・国歌を実施する県教委の通達と教育内容がそぐわない」という観点で校長に迫り、「国旗・国歌を実施すべき」との県教委通達を撤回させる方向で闘争を組む。それでも校長が通達通り実施しようとするなら「従来掲げていた国旗も降ろす」と校長に迫るよう闘争方針が組まれた。石川校長は五者協の戦略の犠牲者と受け止めざるを得ない。

矢野 岸元会長も直接抗議を受けたのか。

岸元 平成三年十二月に公立高校長協会と県高校教職員組合との間で「国旗は三脚で揚げ、国歌斉唱はしない」という約束がなされていた。今回、文部省から学習指導要領の通りに行うべきとの是正指導を受けたので、高校長協会は組合に対して約束の破棄を通告した。すると、すべての公立高校の組合から、抗議電報が百四通も私の自宅に来た。

矢野 部落解放同盟広島県連合会は、今回どんな活動を行ったのか。

岸元 部落解放同盟広島県連合会は、他県の部落解放同盟や中央本部とは違う特異な動きをしているので、同じ名前の団体とは峻別(しゅんべつ)して聞いてほしい。

部落解放同盟県連の要請により、二月十一日に福山市の解放会館に福山地区の校長十八人が出席したところ、部落解放同盟県連や県高校教職員組合など約百人に及ぶ人たちから大衆団交を受けるに至った。卒業式での「君が代」の実施は、従来行ってきた同和教育と矛盾するとの要望書を校長会として、県教委へ出せ-と次のようなやりとりで強く迫られた。

「要望書を書け」

「検討させてください」

「今、ここで書け」

「分かりました」

このようにして二、三時間の交渉があり、要望書を出す結果となった。

引き続き、十三日には石川先生がおられた尾道、三原地区の校長たちも、先のような百人規模の交渉を受け、要望書を県教委に提出した。さらに国歌斉唱の実施を予定している個々の学校にも、卒業式の前には「われわれの子供たちを当日欠席させる」「卒業式途中で退席させる」「そのことによって新たな差別事件が生じた場合、許さない」という風に国歌斉唱実施を妨害するような行為があった。卒業式後には、国歌斉唱を拒否して卒業式当日欠席した生徒に対して、校長がわび状を書かせられるようなことがあった。

私自身も、高校の教頭をしていた平成四年二月末、部落解放同盟県連の人がやってきて、国旗掲揚・国歌斉唱の実施を取りやめるよう要請してきた。「もし実施するならば街宣車で乗り込んで卒業式をひねりつぶすぞ」といわれた。その言葉をいまだに忘れることはできない。

矢野 教育現場になぜ、学校外部の団体が介入し、学校運営を左右することができるのか。

岸元 広島県では昭和六十年、当時のさまざまな教育課題を解決するために八者懇合意が行われた。八者とは、県知事、県議会議長、県教育長、県教職員組合、県高校教職員組合、県同和教育研究協議会、県高校同和教育推進協議会、そして部落解放同盟県連合会。この八者で「広島県における学校教育の安定と充実」を図っていくということだが、合意文書の中に「差別事件の解決に当たっては、関係団体とも連携し」という一節がある。この関係団体は部落解放同盟県連のことで、この「連携」という言葉が拡大解釈され、今回の卒業式の持ち方について部落解放同盟県連の介入を許す結果を招いた。私は部落解放同盟県連にもう少し節度というものを考えていただきたいと願っている。

矢野 現状は「連携」を逸脱し、教育現場への介入となっているのか。

岸元 今回の卒業式に関しては、私は「教育介入」という言葉を選ぶしかない。》

 このころ、広島県の教職員組合や平和団体などは校長の自殺の原因について、県立学校長に卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の職務命令を出した県教育委員会の責任だ、県教委が校長を死に追いやったと非難を繰り返していました。これに対し、岸元氏は真っ向から意を唱え、多くの人が知っていながら口に出せなかった解放同盟の介在について、国会で指摘したのでした。相当の覚悟だったろうと思います。

 そして、この岸元氏の覚悟に揺り動かされたのか、宮沢氏も次の記事のように語ったのです。私は、宮沢氏が沈痛な面持ちで、でも淡々と語っていたように記憶しています。

 

広島県の教育現状 宮沢蔵相(広島県選出)の見解 ようやく議論できる雰囲気に 
[ 1999年03月11日  東京朝刊  総合・内政面 ]

 

十日の参院予算委で、宮沢喜一蔵相は広島県選出(広島7区)の国会議員として、同県の教育の現状に対する見解を次のように述べた。

実はこの問題はきのうきょうの話ではなく、四十年ほどの歴史がある。それも今、(岸元)校長の話にあったように、ほとんど(広島県)東部に限られた話だ。

私がまさに選ばれてきた地域で、四十年間たくさんの人が闘ってきた。今回、命を落とされた方があったが、(これまでも)たくさんの人が職を失い、あるいは失望して公職を辞めるということがあった。

なぜ、その闘いに勝てなかったかというと、基本的には、部落問題に関係があるために、これについて報道することが「差別発言」になるということを報道機関は常に恐れていて、このことを口にすることができない。共産党だけが実に勇敢に発言してきたが、それ以外はこれについて「差別発言」と批判されることを恐れ、世論の形成ができないということが一番の原因だったと思う。

私自身もそういう中にあって、このことについて今日までこの事態の解決に十分寄与できなかったことを恥ずかしく思っている。今度こういう不幸な事件があり、初めてそのような事件として広く取り上げることができるようになった。今度の痛ましい世羅(高校)校長の死で、この問題をようやく公に議論できるようになったというのが、私の郷里の雰囲気だ。

国会がこういう機会を設けていただいて、参考人もよく意を決してここにおいでいただいて、この問題が公に議論されるようになったことは、何十年うっ屈していた問題に初めて国民の目を集中させることになった。この点については国会の配慮に心から感謝するし、参考人としておいでになった岸元さんの勇気に心からの敬意を表したい。

率直な感じをいうと、自分がこの中にあって何十年も解決できなかった問題について国会がこうやって取り上げたことに勇気を感じる。また自分が今まで果たし得なかったことに渾身(こんしん)の努力を尽くしたい。》

 果たして、宮沢氏がここで述べたように、この問題についてその後、「渾身の努力」をしたのかどうかは、私の取材が足らず、分かりません。しかし、元首相であった宮沢氏が、それまでの自らの不作為を「恥ずかしい」と率直に語り、問題の所在について「部落問題に関係」と明言したことの意味は小さくなかったように思います。この年の8月には、世羅高校事件をきっかけに国旗国歌法も制定されました。

 解放同盟と教職員組合などが結びつき、教育現場を支配するという構図は、広島県に限った話ではなく、福岡県など他県でもみられる悪弊です。そして、「平和」「人権」の美名を掲げて反日教育を徹底してきたのです。そして、そうした問題点について、マスコミはあまりに無力で、見て見ぬふりを続けてきた(あるいは今も続けている)ことについて、その末席に連なる者として、私自身も恥ずかしく思います。

 さて、この宮沢発言に関しては、部落解放同盟広島県連合会が反論しているので、公正を期すため、それに関する記事も掲載しておきます。

 

広島の教育問題発言 宮沢蔵相に抗議文 部落解放同盟県連合会 
[ 1999年03月17日  東京朝刊  社会面 ]

 

広島県の教育問題に関して宮沢喜一蔵相が参院予算委員会で、「部落問題に関係があるため、このことを口にすることができなかった」などと答えたことに対し、部落解放同盟広島県連合会(中村徹朗委員長)は十六日、「(広島県立世羅高校の)校長自殺の背景と責任を部落問題、解放運動に転嫁する発言をおこなった」とする抗議文を宮沢蔵相に送付したことを明らかにした。

抗議文では「石川(敏浩)校長は教育者としての良心から『君が代は実施しない』と決めていた」とし、自殺は県教委の辰野裕一教育長と県公立高校長協会の岸元学会長の強引な手法が引き金となって起きた、と主張。蔵相の発言について「事実に基づかない誹謗(ひぼう)中傷は、差別的偏見を助長する」と発言の撤回と謝罪を求めている。これに対し、宮沢蔵相の地元事務所は「どういう返答をするか協議している」とコメントしている。》

 宮沢氏の地元事務所が最終的にどういう返答をしたのかに関する記事は、見つけられませんでした。ともあれ、宮沢氏のご冥福を祈ります。