いま、1時間以上かけて打ち込んだエントリの文が、何らかの操作ミスですべて消えてしまいました。過去にも何度かあったことですが、ああ、気力が萎える。…気を取り直して、また書き直します(さらにもう1度消えました。マウスが偶然、マイページヘルプの上に行き、突然画面が変わって…ふぅ。今度は一時保存を途中でしていたので文の半分は残りましたが)。

 参院選の投票日までもう10日を切りましたが、報道各社の情勢分析では、民主党が大きく飛躍しそうなのに対し、与党側は大敗しそうな雰囲気です。まだ投票先を決めていない人も多いですし、当日になって気が変わって与党に入れる人だっているでしょうが、この期に及んでそんな楽観論や希望的観測を強調したってあまり意味はないでしょうね。安倍首相と与党はまだ、無明の大嵐の中から抜け出せずにいます。したがって問題は、負けるにしても、どの程度負けるかです。

 安倍首相自身は、全国遊説などを通じ、反応はそんなに悪くないと感じているようです。安倍氏は官房副長官時代から今まで、数限りなく街頭演説を繰り返してきた人ですから、それはそれで間違っていないのでしょうが、民主党の幹部も口をそろえて「動員をかけなくても人が集まる」「握手をした際に強く握り返され、期待を感じる」などと語っています。やはり風は民主党の方に向いて吹いているのでしょう。

 自民党の当初の目標獲得議席は、参院で与党が過半数を維持するために必要な51議席でした。ただ、これは多分にタテマエ的な数字で、実際は40台後半取れれば、他党議員や無所属議員を引き抜けば何とかなるというのが本音でした。そして、3か月前までは、40台後半はまず取れるし、場合によっては51議席だって大丈夫かもという見方が与党内にはけっこうありました。それが、年金記録未統合問題の表面化をきっかけに状況は一変し、閣僚の失言問題や政治とカネの問題が追い討ちをかけましたね。

 安倍首相の「責任ライン」についても、初めの51議席から、いつか橋本元首相が退陣に追い込まれた9年前の参院選の44議席が一つの基準となり、現在では40台に何とか踏みとどまれるかどうかというところまで落ちてきました。仮に40台半ばに達したら、与党内では「大勝利ではないか」という声さえ沸きあがりそうな空気です。自民党内のアンチ安倍勢力からも「40台前半なら安倍さんは辞めないだろう」という声が聞こえてきます。同時に、議席が30台にとどまった場合は、いくら何でも政権は持たないだろうとも噂されています。

 自身の女性スキャンダルとリクルート事件、前政権の消費税アップの余波の三重苦に見舞われた宇野元首相のもとで戦った参院選の場合、獲得議席は36にとどまり、歴史的大敗と言われました。ところが、今回もこれと似た数字になるのではないかという予測も出ています。それほど現在は、どこか理不尽ともいえる与党への逆風が吹き荒れているようです。

 さて、それでは安倍氏はどうするのか。結論から言えば、安倍氏はどんな結果になろうと、やりかけの首相の仕事を放り出す考えはない、と私は聞いています。 

 安倍氏は、あやうく支持率が一桁にまで落ち込みそうになった森内閣で官房副長官を務め、森元首相を支えていました。このときも党内から森降ろしの動きが出ていました。ただ、日本の首相という存在は、本人が辞めようと思わない限り、周りが引き摺り下ろそうとしても、そう簡単には辞めさせられないものです。安倍氏はそのことを間近に見て、熟知していることと思います。

 ただし、仮に議席が40にも達していなかった場合、安倍氏と政権が、相当苦しい立場に追い込まれるのは間違いありません。自民党内の反安倍勢力の不満と批判は一斉に噴き出すでしょうし、公明党も安倍政権との距離を演出するでしょう。与党内から安倍降ろしの策動も出てくるかもしれません(安倍氏が続投しようと変わろうと、参院の与野党逆転状態は変わりませんが)。今でさえ常軌を逸した反安倍報道を繰り返しているマスコミが、「地位に恋々として潔くない」などと書き立て、さらに安倍バッシングを続けることも当然予想できます。そんな中にあって、自民党内の最大派閥ともいえる日和見・ノンポリ派は安倍氏につくか離れるかでふらふら揺れ動くことでしょう。

 参院は与野党で議席が大きく逆転するのですから、野党の案を毎回丸のみでもしない限り、与党はまともに法案を通すこともできなくなります。安倍氏が進めてきた公務員制度改革も教育改革も、日本版NSC構想も集団的自衛権の問題も、これからやろうとしてる独立行政法人・公益法人の見直しも、みんな抵抗が強まり、進展は難しくなるでしょう。政治は次の衆院選で再び国民の審判を仰ぐまで、少なくとも政策の上では停滞を余儀なくされます。

 また、これを機会に、政界再編の動きが出てくる可能性もあります。民主党は勝つわけですから、そうそう離党者が出るかどうかは疑問ですが、より権勢を強めるであろう小沢代表がいやで仕方がないという議員は少なくありません。自民党側も働きかけを強めるでしょうから、あるいは一定数が離党、新党結成・与党と連立ということだって、全くないわけではありません。逆に、自民党から離党者が出ることだって当然考えられます。国民新党の動きも注目されます。

 私は、保守とリベラルの二大政党ができたり、保守大合同が起きたりするのなら、政界再編を歓迎しますが、左派に主導権を握られた自社さ野合政権の再来のようなものには懸念を覚えます。そうなったら、日本はこの先10年は失うことになるでしょうし、再びその負の遺産に長きにわたって苦しむことになるでしょう。どうなるか分からないことを心配しても仕方ありませんが。

 いずれにしても、現在、安倍政権は最大の試練に直面していて、参院選後にも苦難の道が待っているということになります。私は何だか、安倍氏がマックス・ヴェーバーのいう政治への「天職」を試されているような気がしています。そこで、ちょっと長くなりますが、ヴェーバーの名著「職業としての政治」(脇圭平訳)の最後の結論部分を引用してみたいと思います。

 《しかし現状は違う。現在どのグループが表面上勝利を得ていようと、いまわれわれの前にあるのは花咲き乱れる夏の初めではなく、さし当たっては凍てついた暗く厳しい極北の夜である。実際、一物だに存在しないところでは、皇帝だけでなく、プロレタリアまでもその権利を失ってしまっている。やがてこの夜が次第に明けそめていく時、いまわが世の春を謳歌しているかに見える人々のうち、誰が生きながらえているだろうか。また、諸君の一人一人ははその時どうなっているだろうか。憤懣やる方ない状態にあるか、それともすっかり俗物になり下がってただぼんやりと渡世を送っているか、それとも第三に、そう珍しくもないケースだが、――もともとその素質のある人や、(よくある悪い癖で)そういう真似をしようと夢中になっている連中のように、――神秘的な現世逃避に耽っているか。以上どの場合についても、私はこう結論するであろう。この人たちは自分自身の行為に値しなかったのだ、あるがままのこの世にも、その日常の生活にも耐えられなかったのだ。つまりこの人たちは自分ではあると信じていた政治への天職を、客観的にも事実の上でも、深い内的な意味で持っていなかったのだ。むしろ彼らはも会う人ごとにありのままに素直に同胞愛を説き、ふだんは自分の日常の仕事に専念していればよかったのだ、と。

 政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけでなく、――はなはだ素朴な意味での――英雄でなければならない。そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。》

 ヴェーバー自身の情熱と、強い思いがゆらゆらと立ち上ってくるかのような言葉だと思います。私は、9年間余の政治部生活の中で、無役だったころからずっと安倍氏をウォッチしてきたのですが、ときどき、信じられないぐらい前向きな人だな、と感じてきました。昭恵夫人は以前のインタビューで、安倍氏を評して「人から見るよりも強い人です。ここぞとなったときには本当にすごく強い人」と言っていました。国民はどう判断するでしょうか…。