あの参院選から3週間以上がたったというのに、いまだにその衝撃から完全に抜け出すことができずにいます。27日の内閣改造で、私自身も心機一転、気分を切り替えることできるかどうか、期待と不安を抱えて見守っているところです。で、本日もそんなことをぼーっと考えながら某所を歩いていて、こんなポスターを見つけました。もういいかげん、撤去してほしいものです。



 ポスターで参院選のことを思い出してなんだか、憂鬱な気分にさせられたので、総務省選挙課に電話し、「どうにかならないものか。取り締まることはできないのか」と自棄気味に聞いてみたのですが、「本人か事務所にでも言って、撤去してもらうしかないでしょう」と簡単にあしらわれました。まあ、しかし、こうしたポスターも民主党ばかりが目についた選挙でもありました。今回の参院選にかける熱心さと用意周到さが、自民党に比べて一枚も二枚も上手だったのかもしれません。

 ところで、全く話は違いますが、先日、憲法改正反対と安倍首相を批判する立場から安倍政権について検討し、論評した「安倍政権論 新自由主義から新保守主義へ」(旬報社、渡辺治著)という本を読んでみました。私とは考え方や主張は全く異なりますが、これがけっこう面白く、安倍首相の背景や小泉前首相との相違点などに関する分析それ自体には、頷ける点も多々ありました。例えば、第1部第5章「安倍政権の担い手、ブレーンと支持基盤、政権の矛盾」の「安倍首相のブレーンたち」には、次のようにありました。

 《(前略)国内政治では強いナショナリズムの思想をもち、靖国神社への参拝、教育基本法改正による伝統と文化の教育の強化、皇室典範改正による女性天皇・女系天皇容認への強い反対、そして憲法改正などを主張する。反面、構造改革や日本の経済などにはあまり強い関心をもたない。せいぜい日本経済の活性化による「強い日本」の復活を漠然と望むくらいである。
 以上のような安倍ブレーンの構想には、いくつかの特徴がある。一つは、その主張する領域が極めて狭く限られている点である。経済政策や福祉、社会保障などにはほとんど独自の主張をもたないことが最たるものである。
 二つ目は、彼らの構想は明らかに従来の保守勢力主流や財界の思想とはかけ離れており、そのため、一貫して保守の傍流に追いやられていたという特徴である。今やそうした構想の担い手が安倍の政権掌握によって主流的位置に浮上してきた点が注目される。》

 私は、安倍首相には一般に言われるような固定的な「ブレーン」はいないと思っています。人の意見には耳を傾けはするものの、結局いつも自分で判断して決める人だと考えているからです。ただ、安倍首相がときに夜会合などで意見を交わす相手を広い意味での「ブレーン」だとすると、この本の指摘する点はけっこう当たっているのかもしれません。私自身は、ブレーンでもブレーンもどきでもなく、ただ周辺をうろうろ取材しているだけですが、傾向性としては私も同じだなあと苦笑いするしかないような。

 それにしても、保守の傍流か。自民党の宏池会的なあり方が「保守本流」であるとすれば、確かに安倍首相もその周囲も傍流でしょうね。私もかねて、安倍政権は自民党内の少数派が政権を握った希有な政権だと考えてきました。ですから、この点でも同意できます。安倍首相は官房副長官に就任するまでは、自宅では産経1紙だけを購読(もちろん、事務所は別)していましたが、これもある意味、マイナーな話ではありますね。残念ながら。

 この渡辺という人(著者紹介を見たら一橋大教授とありました)は、《安倍のようなタカ派のイデオロギーをあからさまに表明する政治家は、小国主義の政治が安定していた1990年代初頭には、保守政治の主流には、いわんや首相にはとうていなれる展望はなかった》と書いています。私もその通りだろうと思います。だからこそ、安倍首相のそうした主張が広く受け入れられるような時代に変わってきたのかと期待していたのですが…。参院選で示された「民意」は、あまりに厳しく、多くの国民の政治への期待は別の場所にあると指摘するものでした。

 今回の内閣改造がどうなるかは、安倍首相がこれからどういう政治をやろうとするのかに直結しますから、昨年の組閣以上に注目したいと思います。何としても態勢を立て直し、来るべき本当の政権選択選挙である衆院選に向け、成果を出してほしいものだと思います。