今朝の朝日新聞は1面で、「青木愛議員派 選挙違反事件」「小沢氏秘書 立件へ詰め 千葉県警」という記事を載せていました。《7月の参院選比例区で当選した民主党の青木愛氏陣営による公選法違反事件で、報酬を支払う約束をして選挙運動用ポスターを張った看板数千本を立てさせたとして利害誘導容疑で千葉県警に逮捕された印刷会社社長が、看板設置は小沢一郎・民主党代表の政策秘書(45)の指示だったと供述していることがわかった。県警は2人が頻繁に電話でやりとりしていた事実も把握、秘書の共犯容疑での立件を視野に詰めの捜査を進めている》という内容です。ふーん。

 小沢氏がからむだけに興味深いところですが、私がこの記事に関心を持った理由はほかにもあります。全くの偶然ですが、私の今月20日のエントリ「兵たちが夢の跡・もう見たくない参院選ポスター」で、いまだに撤去されていない青木愛氏の選挙ポスターについて、写真入りで取り上げたばかりだったからです。やっぱり派手に展開していたのだなと。最近は、週刊誌などで、さくらパパであるとか、虎を退治した姫だとかのスキャンダルも目にしますね。選挙が終わったから、民主党側の問題追及も解禁されたということでしょうか。

 この看板の件は、今後の成り行きがどうなるかも含め、注目していきたいと思ったので、ここに備忘録代わりに書き留めておきましたが、本日は別のちょっと古い話について書きます。今回の参院選では、安倍首相が続投し、一部に異論はあったものの、党側に了承され、総裁選は開かれませんでした。ただ、昨日の弊紙の記事「土俵際の再出発(下)」にもあったように、安倍氏が降板し、森元首相や古賀誠元幹事長らが福田康夫元官房長官擁立に走った場合には、総裁選が開かれていたかもしれません。

 その場合は、すんなり福田氏が過半数を獲得しただろうか、安倍氏は麻生氏につくから、町村派は分裂するだろうな、小沢氏が手を突っ込んできたかも…とそんなことをぼーっと考えていて、なんだか以前の総裁選のことに触れたくなりました。小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3氏が出馬し、小渕氏が勝利したときの話です。

 私は平成10年7月、橋本首相率いる自民党が参院選で大敗して橋本氏が退陣を表明した日に政治部に配属になりました。それで、政治部員としてのほとんど初めての仕事が、自民党総裁選の関係取材となりました。その際、自民党の主な4つの派閥の中堅・若手議員はどういう動きをするのか定点観測しようという話になり、私もある旧三塚派(現町村派)の若手議員に10日間ほど、朝から晩まで張りついて取材することになりました。以下はその際の過去記事ですが、さてこの若手議員はだれでしょう。 


《◆旧三塚派のD議員(7月15日・水曜日)

午前7時半、自宅を出て都内のホテルへ。8時から会社経営者ら後援者約二百十人と朝食講演会。的場順三・大和総研理事長の講演後、政局について、約30分間話す。会場で「次の首相はだれが望ましいか」と挙手を求めたところ、梶山静六氏が5割、小泉純一郎氏が4割で、本命の小渕恵三氏はたった一人。11時半ごろ、財界関係者と会った後、議員会館の事務所へ。テレビ二社のインタビューや来客、電話への応対に追われ、昼食は抜き。

午後1時15分、事務所を出て厚生省へ。「(総裁選に向けて)どれくらいの決意か大臣(小泉厚相)に聞いてみようと思って」。32分から約40分間会談した。途中、同派閥の石原伸晃衆院議員も参加。会談後、報道陣に小泉厚相の出馬意欲を聞かれ、「現段階では極めて慎重ですね」。その足で、近くのホテルで開かれている若手超党派議員グループの会合へ。3時13分、赤坂プリンスホテル内にある旧派閥事務所で三塚博会長に会合内容を報告後、再び事務所へ。4時10分、谷津義男衆院議員ら四人と、党総裁選管理委員会の谷川和穂衆院議員の事務所を訪ね、先の会合で決めた新総裁選出に当たっての緊急提言を伝えた後、故・塚原俊平衆院議員の初盆へ。

 午前0時12分、派内の会合を終えて帰宅。「派内から総裁候補を擁立しようという声が極めて強い」》

 …現在の的場副長官や石原政調会長の名前が出てきますね。初日は、ちょっと張り切って、こと細かに書いたら、あとで「こっちが何をやっているかみんな分かっちゃうから、あんまり全部は書かないで」という要望があり、二日目からは少し端折ることにしました。取材に協力してもらっていたので、記事の趣旨が変わらない範囲で。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月16日・木曜日)

午前10時、自宅を出て議員会館へ。小渕派退会を表明した佐藤前通産相に、梶山前官房長官の総裁選出馬問題を聞きにいく。「佐藤さんは『出るべきだし、出るよ』と言った。難しくなってきた。向こう(小渕派)はまとまっているのに、こっちがバラバラじゃダメ」

11時5分、平沼赳夫衆院議員の事務所で、亀井静香前建設相や衛藤晟一衆院議員ら若手議員と協議。

午後0時20分、近くのホテルで自派の会合に出席後、党本部へ。「小渕さんじゃだめという点では、みんな一致している」。1時42分に森喜朗総務会長室へ。「総務会長は『もっと情勢を見極めなくては』と言っていた」。2時、両院議員総会。再び森氏と会い、派閥の会合に出席。5時、事務所で荒井広幸衆院議員と打ち合わせをし、後援者との会合へ。車に乗り込む際、「やっぱり亀井さんがカギ」とぽつり。

11時12分、石原伸晃衆院議員の車で送られて帰宅。足早に自宅に。》

 …記者はだれでもやらなくてはいけないのですが、夜は取材相手が帰ってくるまで、家の前(近く)でただひたすら、何時間でも待っていなければなりません。このころは、産経と同じような定点観測取材を日テレさんがやっていて、いつも2社で待っていました。特に役職も持たない若手議員であり、私たち以外に夜回りをかける社はいませんでした。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月17日・金曜日)

午前10時12分、自宅を出て正午すぎから、東京・紀尾井町のホテルで派閥の会合に出席。全体総会後も、梶山静六前官房長官の出馬問題について若手議員らと議論。午後2時半すぎに自派中堅議員の事務所を訪ねたが留守。

「小渕、梶山、小泉の三氏が出馬したら、一発で過半数を取り、小渕氏が勝つ恐れがある。すると、小渕派は勢いづく上、他派は内部が割れてバラバラの最悪の結果になりかねない。現時点で、旧宮沢派の一部が小泉さんを推すといっても、信用できないし

3時32分、議員会館の事務所に戻った。39分に衛藤晟一衆院議員を訪問後、57分から事務所で同期の自派議員と協議。「だれが出るのがいいか、戦術論として話し合った。派内の5分の3は、自派から候補を出すべきという意見だが、仲間を出す以上はみじめな結果を招いてはいけない」

6時前、都内のホテルでの若手議員の会合などに出発。9時すぎ、派閥総会で小泉厚相の総裁候補擁立決定の報告を聞き、親しい議員らと夜の闇へ。》

 …当時は、旧田中派の流れを組む平成研究会が圧倒的に強く、その政界支配はずっと続くような気がしていましたが、これは小泉氏が見事にぶっ壊しました。田中角栄、福田赳夫両氏による角福戦争は、最終的には福田が勝ったと言われるゆえんですね。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月18日・土曜日)

午前11時15分、羽田空港を出発し地元へ。機中で新聞各紙をチェックする姿も疲れ気味。午後2時、一週間ぶりに自宅に戻ったが、すぐに事務所へ向かう。

「参院選の票の出方の分析。反省会が必要。総裁選の行方もスタッフには説明しなきゃ」

2時35分、事務所へ。自民党新人が無所属候補に大敗した参院選・選挙区の結果について、約50分間、13人のスタッフと話し合う。その後、総裁選について議論。「衆院も小選挙区制では党対党の戦いとなる。党首の顔の意味は極めて大きい。小渕さんはこの時期に向かない。自分は小泉さんに投じたい」と理解を求める。6時、事務所を出て、後援者宅で開かれる会合へ。》

 …最近は、出張旅費を含め、経費削減要求が厳しいですから、こういう出張は少なくなったように思います。この日は、夜は特に仕事もなく、一人で居酒屋でビールを楽しんだように記憶しています。当然、土日の休みはつぶれましたが、総裁選の最中なので仕方ありません。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月19日・日曜日)

午前8時、地元の自宅を出発、東京に戻るため空港へ。11時3分、羽田空港着。「総裁選で日本は変わるのか」との民放テレビ局の質問に「経済政策は基本的に変わる。(政治家の)リーダーシップについて、考え直す機会になる。今回は、党員も国民の民意を意識しながら投票する」。

空港から直接、東京・紀尾井町のホテルで開かれた派閥の会合に向かい、正午前に到着。出陣式など総裁選日程の説明を受けて解散後も約20分間、会場に残って先輩議員と今後の情勢について協議した。

「基本的には、小渕氏が一発で決まる可能性が高いのかな。各都道府県連の状況は(小泉純一郎氏に)厳しい。長年の人脈的つながりがあり、私の地元も県連会長は他候補支持だ」

午後1時過ぎ、車に乗り込み、複数の会合に出発。9時40分、帰宅。

 

     旧三塚派のD議員(7月21日・火曜日)

 午前9時35分、自宅を出て党本部へ。宮沢喜一元首相が前夜、小渕恵三氏支持を表明したことについて、「(小渕氏当選の)流れができてしまった感があるね。あと二日でどこまで盛り返せるか」。10時から派閥の連絡会、11時半から小泉純一郎氏の出陣式。

 午後零時半、東京・紀尾井町のホテルで派閥の三塚博会長と派内各議員の考え方、動向など協議。党本部へ立ち寄った後、議員会館で先輩議員と状況分析。3時12分から再び同ホテルで派閥の会合、同51分、後援者との打ち合わせへ。

 「選対本部は盛り上がりを見せてきた。(小泉氏の勝利は)無理だと思っていたけど可能性が出てきた。民放テレビ局の政党支持率の世論調査で、自民党は民主党の次になったんだって? 小渕さんじゃ次の選挙に勝てないという若手の動揺は大きいよ」。6時から、党本部での小泉氏の選対会議。9時半ごろ帰宅。

               

 20日は、正午に都内のホテルで派閥の会合。午後2時から議員会館の事務所で先輩議員と約1時間、その後、新聞社の取材。6時から派閥の会合。》

 …小渕氏は党内では非常に強かったのですが、一般国民からは「Who?」という感じでしたね。当時も確か外相という要職にあったのですが、とにかく目立ちませんでした。小渕内閣発足時の支持率は、産経とフジテレビの合同調査で26.5%、時事通信の調査で24.8%で、かなり低い水準からの出発となりました。そういうこともあって、テレビ局の若い番記者などには、小渕氏を頭から馬鹿にしてかかる人もいましたが、徐々に評価は高まりましたね。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月22日・水曜日)

 午前9時から東京・紀尾井町のホテルで派閥の会合。議員会館で他派の議員と各都道府県連の票読みの情報交換をした後、10時から党本部で選対会議に出席。11時14分、事務所に入り、選対で割り当てられた他派議員に電話し、小泉純一郎氏に票を投じるように説得活動を続けた。

 「極めて難しいと思っていたけど、二、三位連合もまじめに考えた方がいいね。想像以上に梶山、小泉の両氏支持グループの反小渕感情は強く、わが派も両氏の票の取り合いで割れることはなかったから。(政治家には)勝ち馬にのるという発想があるが、今回は永田町の勝ち馬は日本の勝ち馬とはいかないし」

 正午ごろから、都内の別のホテルで、昼食会を兼ねた議員仲間の意見交換会に。2時に事務所に戻り、林野庁、外務省の異動のあいさつや新聞社の取材を受ける。5時ごろから約1時間、支持候補を決めていない自派の荒井広幸議員と協議、小泉氏支持を促す。6時40分、紀尾井町のホテルで、小泉氏出馬の決起大会。自派と梶山氏支持グループの会合へ。11時18分、帰宅。》

 …この「永田町の勝ち馬は日本の勝ち馬とはいかない」というセリフは、今でもそうでしょうね。この危機的状況下で、一切自分の政策を明らかにせず、やる気があるのかどうかもはっきりしないような福田氏を、自分たちの都合で擁立しようという大物たちが、うごめいているのですから。

 

《◆     旧三塚派のD議員(7月23日・木曜日)

 午前10時に党本部内の小泉氏の選対本部に入り、11時、議員会館の事務所へ。衛藤晟一議員と約30分間、総裁選の行方について協議した。

 「小渕さんじゃダメだという小泉、梶山両氏支持の若手勢力を結集した会を開く相談をした。あす投票だから今日中にやらないと意味がないが、上の許可もいるし。新党構想については、都市部の若手はかなり真剣だけど、それはすべてをやってからのこと」

 地元の後援者と会い、午後0時3分、選対本部に戻り再び事務所へ。40分、新聞社の取材。2時から3候補の立会演説会に出席し、3時すぎから選対本部で派閥幹部らと打ち合わせ。

 4時7分、「積極的にやれというのではないが、了解はとった」と飯島忠義議員と握手を交わし、小泉氏支持の旧宮沢派の白川勝彦、岩永峯一両議員にあいさつへ。「何せ急なことだから、何人集まるか分からないけどね」

 その後、事務所で地元から上京した党県連幹事長と打ち合わせ。

 6時すぎから党本部での選対会議に出席して8時から、都内の別のホテルで若手議員らによる「党の再出発をめざす会」に出席した。

 

     旧三塚派のD議員(7月24日・金曜日)

 午前10時40分、議員会館の事務所に入り、50分から地元テレビ局の取材。若手議員の都市新党結成の動きについて聞かれて「極めて偏った政党にならざるをえないと思う。都市部だけでなく、あらゆる階層に目配りできる政党こそが、国政を担いうる。(若手の)気持ちは分かるが、自制してほしい」。

 55分、先の参院選で当選した亀井郁夫議員のあいさつを受けたあと、11時半から国会の党国対委員長室で行われた会議に出席。

 午後0時半、党本部で開かれた小泉氏の必勝激励集会に参加。58分、いったん党本部を離れて都内のホテルで催された地方道路整備促進の総決起大会へ。2時からの総裁選の両院議員総会後、民放テレビの選挙特別番組に出演し、4時半前、事務所に戻った。

 「自民党もばかだよ。ただ、これまで強気に発言してきたけど、もともと(小泉さんは)厳しかったからね。(小渕さんに)決まったからには、盛り上げていかなくてはならない。でも、国民に人気がないことを意識して人事には配慮してほしい」

 45分、後援会などのあいさつ回りに出発。この日、7時から予定されていた派閥の若手議員との選挙総括会は中止となった。(おわり)》

 …この小泉氏の必勝激励集会では、小泉氏は泣いていました。そのときは、「簡単に涙を見せるというのも、弱々しく見えるな。感激屋なのかな」と感じましたが…。この若手議員の「国民に人気がないことを意識して人事には配慮を」という言葉も、今となっては胸に突き刺さる思いがします。まあ、見ていて楽しいことばかりではないし、むしろ苦々しい思いの方が多いのですが、やはり政治は人間ドラマなんだなあと考えています。