今日はブログとしてはちょっと反則(?)なのかどうか分かりませんが、民間のシンクタンク、日本政策研究センターの伊藤哲夫所長が書かれた論説「安倍首相の困難な『戦い』」(雑誌「明日への選択」10月号掲載」)が、私と認識を共有する部分が非常に多いので、ご本人の許可をとってそのまま転載させてもらうことにしました。このブログを訪問してくれる方々に読んでもらいたいと思ったからです。

 いま現在、安倍氏に対しては、病で力尽きた辞め方もあって、「未熟」という形容がつきまとっています。なるほど私も、本来であれば、首相に就任するのが3~5年早すぎたとは、就任当初から考えていました。しかし一方で、テレビなどで報じられた首相就任以降の安倍氏しか知らない人たちが、「未熟」「ひ弱」「甘ちゃん」などと決めつけているのを見ると、違和感を禁じ得ないのです。

 伊藤氏の論説も指摘していますが、安倍氏はヒラ議員、官房副長官、自民党幹事長…と、首相になるまでの間、「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」や「拉致議連」をはじめとする党内外の保守系議員連盟や諸活動のとりまとめ役であり、リーダーであり、ときに背後に隠れて運動を実質指揮する存在でした。この点については、よく知らない人が多いように感じるので、また機会を見てエントリを立て、もっと詳細に書こうかとも思っています。

 これは記者としての私自身の未熟さを表しているに過ぎないかもしれませんが、長年安倍氏の活動を取材してきた私にとって、安倍氏は未熟というよりしたたかで、ときに老獪ですらあり、また政治家として必要な「ずるさ」も十分持ち合わせているように思えました。それが、どうしてこのような事態に陥ったのか。

 そんなことを考えていた折に、伊藤氏の文を読み、ぜひ紹介したいと思った次第です。以下、掲載します。きょうはなぜか文字がゴチックになり、元に戻せないので、読みにくかったでしょうがご勘弁ください。

安倍首相の困難な「戦い」

 安倍首相の辞任について書かせていただく。

 なぜあのような突然の辞任になったかについては色々な見方もあったと思うが、要は二十四日の記者会見に尽きていると思う。倒れてもやるべきだった、との見方もあるが、そんな半端な体力・気力で切り抜けられるほどこの国会は甘くはない。最後はせめて特措法だけでも、とのメッセージを残しつつ辞任した、というのが真相ではないか。筆者としてはただただ残念と言うしかない。

 首相辞任後、「われわれは安倍さんを単騎突撃させ、討ち死にさせてしまった」との感想を漏らした国会議員がいたが、この一年の安倍首相の軌跡を振り返る時、筆者もその感を深くする。首相になるまでの安倍氏はあらゆる面で党内保守派のリーダーであり、また全てのまとめ役・推進役であった。ところが、その安倍氏が首相に就任するや、その安倍氏が果たしてきた役割をになうリーダーがいなくなってしまったのである。加えて、郵政選挙により本来ならその役割を担うべき人材が党内から排除されていた。以後、安倍首相は全て一人で論陣を張り、戦うという重荷を負ってきたように思うのだ。


 それも「任命責任」だと言われれば反論のしようもないが、この一年、われわれは最後まで安倍内閣の閣僚や側近と言われる政治家たちから、積極的に「安倍政治」のめざすものや意義といったものを説く言葉を聞くことがなかった(むろん一部の例外はあるが)。例えば、就任当初のあの中国・韓国訪問の真のねらいといったものも、また米議会下院における慰安婦決議問題の際の首相の真意といったものも、結局何一つ説明されることがなかったのである。

 首相という立場は、自分の抱懐する本音を率直に語れるような単純なものではない。時には本音とは逆のことも言わねばならない立場だと言える。であればこそ、「いや実は首相が考えていることはこういうことなのだ」と、国民にその真意を説明する人間が必要なのである。にもかかわらず、そうした言葉は一切聞こえてはこなかった。全ては首相が自ら発信し、自ら説明するという形にならざるを得なかったのである。

 安倍政治がめざしたものは、これまでのわが国の政治から言えば、まさに革命的なことであったと言える。それだけに左翼勢力からは常軌を逸した反撃がまた連日のように続けられたわけだが、それと戦うためにはそれなりの重層的な布陣が必要であった。しかし、その任に堪えうる政治家そのものがきわめて少なかったのだ。安倍政治の意味するところも、左翼勢力との戦いの困難さも、とてもわかっているようには思えない政治家が多かったのではないか。

 安倍首相辞任後、政権を支えていた政治家までもが「福田支持」に回るという信じがたい流れになったことは周知の通りだ。これなどはここ数年の政界の「保守化」というものがいかに「上げ底」的なものであったかの例証とも言えるが、同時に安倍首相の戦いというものがいかに困難で孤立したものであったかを示すものなのではなかろうか。安倍首相という柱が倒れたと同時に、十年前のあの薄汚れた「古い自民党」が復活するという現実は信じがたいものであったが、考え方を替えれば実に示唆的だったとも言えるからだ。

 いずれにしても、これからしばらくは「揺り戻しの時代」となろう。われわれ保守派としてはもう一度わが陣営を固めつつ、再挑戦していく他ない。一時的な揺り戻しはあろうとも、だからといってこれまでの日本再生の流れが全て無意味になってしまうはずもない。どこかでもう一度、「反転攻勢」のチャンスが訪れるのではないか。その日を信じ、今からもう一度やり直すのだ。

 安倍政治がめざしたものを筆者なりに整理してみれば、要は古い体制古い自民党と「官僚内閣制」からの脱却、原理も原則もない自虐的な外交から新しい「主張する外交」への転換、「開かれた保守主義」に基づく教育や社会政策の全般的見直し、日本版NSCに代表される「官邸主導体制」の確立による国家戦略をもった政治の実現といったものであったように思う。この戦いは一敗地にまみれたが、しかし種子は確実に残った。とすれば、いつかそれが花となって咲く日のくることを信じ、われわれも頑張っていかねばならないと改めて思う。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)》

  「われわれは安倍さんを単騎突撃させ、討ち死にさせてしまった」。どの議員がこう言ったのか、だいたい想像がつく気がしますが、何とももの悲しい言葉だと胸に響きました。