今朝、いつものように産経抄を読んでいて、少し驚きました。というのは、内容が昨日の私のエントリと同じく、沖縄戦の集団自決をめぐる「再検定」結果について、産経を除く各紙が軍関与の復活と報じたことへの疑問が記されていたからです。まあ、冷静になってみれば別に驚くようなことでもありませんが、産経抄は「今さら改まっていうことでもないが、小紙は少数派に属しているらしい」「小紙以外の見出しは、今年3月の検定に合格した教科書には、軍の関与の記述がなかったことを示している。小覧ですでに何度も書いてきたように、それは事実と違う」とも書いていました。まったくね、その通りなのだと思います。

 で、そのマイナーな新聞である産経は、「再検定」を受けて昨日開催された自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会合について、今朝の朝刊5面で「教科書審議結果を批判」という見出しで報じています。記事は、「自決への軍の強制性を示す記述を認めた教科書検定審議会の審議結果を『政治介入で教科書検定のあり方がゆがんだ』と批判した」と書いています。ふむふむ、まあそうだろうな。

 ところが、同じ会合について毎日新聞記事の見出しは「旧日本軍関与の認定に批判続出 歴史教育議員の会」、朝日新聞の見出しは「集団自決、軍関与 自民有志議員が反発」でした。…完全にアサヒっています。私はこれまで、アサヒるという言葉はブログでは遣わないようにしていましたが、もう我慢できません。これでは、歴史教育議連のメンバーたちは集団自決に一切、軍の関与がなかったと言っている人たち、関与がなかったことにしたい人たち、というようにしか読めません。これをアサヒると言わずして何と言おうか。

 私も昨日の記事とエントリで指摘しましたし、今朝の産経抄もそう書いているように、3月の検定は軍関与自体は何も否定していないし、検定後の記述にも関与は残っているのです。ただ、マスコミが「関与が削除された」と不正確かつおおげさに騒ぎ立てただけだというのに、朝日も毎日もその過去記事との整合性にこだわり、事実からは目をそらしているようです。そして、読者には何も分かるまい、そらこれを信じなさいとやっているわけです。

 私は昨日は別件で忙しく、この教科書議連の会合には行けなかったので、取材した記者に「軍関与の記述に対する批判はあったのか。関与が復活したうんぬんという言いぶりはあったのか」と確かめましたが、「そんな議論はなかった」とのことでした。ちなみに、今朝の産経紙面からはスペースの都合で削られましたが、会合では、有村治子参院議員が「3月の教科書検定以降、新たな史実の発見がないのに、教科書記述を書き換えるのは、政治介入でしかない」と述べ、萩生田光一衆院議員は会合後、記者団に「検定審の委員に変化がないのに、教科書の中身が変わるのは異常なことだ」と強調していたそうです。

 実は今回の集団自決記述問題をめぐり、萩生田氏らは会合に文部科学省の担当者らを招いた際も、糾弾したり、厳しく詰め寄ったりするようなことは避けてきたといいます。その理由は、「検定への政治介入は排せと言っている我々がプレッシャーを与えては、それこそ政治介入になりかねない」ということを危惧したからだと聞いています。また、文科省側も萩生田氏らに対し、「検定審は、『3月以降、新たな史実が何も見つかっていないのに検定意見を変えるわけにはいかない』と言っている。教科書の再申請を認めたのは、いわばガス抜きだ」などと説明していたそうです。

 文科省と長年にわたってやりとりしてきたベテラン議員らは「文科省は信用できない。われわれもそうだったが、また騙されるかもしれない」との懸念を示していたのですが、萩生田氏は文科省の反応などから、今回は信じようと考え、事態の推移を見守っていたというのです。でも結局、またしてやられたということですね。私も文科官僚のこの議連での発言は何度も取材し、実際現場で見てきましたが、のらりくらりと言質を与えず、まさに面従腹背という印象を受けていました。そしていつも、左派勢力の言い分へとなびくのです。保守派よりもサヨクの方が怖いという実感をもっているのかもしれません。まあ、萩生田氏も、以前、「もし文科省に裏切られたら徹底的に追及する。国会でも取り上げる」と言っていましたが…。

 そしてしばし物思いにふけった後、ふといつもは読まない東京新聞の1面コラム「筆洗」が目にとまり、「ここにもアサヒってる新聞がある」とまたうんざりさせられました。コラムはこう偉そうに書いていました。

 「高校生諸君。沖縄の人たちに感謝しよう。もし、あの人たちがあれだけの怒りを表明してくれなかったら、君たちは沖縄戦の集団自決が『軍の関与』なしで起きたかのように書かれた日本史の教科書を読まされるところだったのだ」

 私は以前のエントリで、この新聞の論説委員さまの支離滅裂で牽強付会で感情的で自慢たらしいコラムの批判を書いたことがありますが、この高いところから見下ろすような、それでいて書いていることはいい加減極まるという論調は一体なんなのか。きょうは仕事納めの日なのですが、ああ、一年中何かに腹を立てていたような気がします。