ふだんはあまり読むことはない雑誌ですが、いま発売中の週刊朝日に「戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』は改竄されていた」という記事が掲載されていることを知り、会社の調査資料部にコピーをファクスで送ってもらいました(せこいですが、自分で買ってまで読みたくはないので)。実は、私は13年前にこの問題を少し取材しており、気になったからです。週刊朝日の記事はジャーナリストの有田芳生氏のもので、リード部分には「反戦平和の聖典(バイブル)は改竄されている」とありました。記事本文には、例えば次のような例が出てきます。

 

 《たとえば、沖縄海上で戦死した特攻隊員の佐々木八郎氏の日記は、『新版』ではマルクス主義者であるかのように読めるが、遺稿を読むと、マルクスに批判的でアダム・スミスを重視していたことがわかる、という。》

 

 要は、「きけわだつみのこえ」の編者である「日本戦没学生記念会」(わだつみ会)が、当時の社会風潮や自分たちの思想信条に都合のいいように戦没学生の遺稿をいじったり、文章を取捨選択したりしたということですね。そして、それが戦後長い間、特攻隊員たちの真情を表す感動の書として社会に流通し、いまなおそう信じられていると。ただ、この問題については、今までも何度か指摘されています。

 

 平成11年に発行された「『きけわだつみのこえ』の戦後史 歪曲された戦没学徒の声」(保阪正康著)は、「きけわだつみのこえ」は、実際に書かれた手記を原典のまま収録したものではなく、戦争反対の戦後的価値観に合わせて編集したものではないかと指摘しています。また、その前年の産経抄(8月21日付)も、こう書いています。

 

 《戦没学生もまた侵略戦争の加害者であったとは、例の東京都平和祈念館とよく似た政治的主張によるものである。「東京は軍事都市だった」という空襲容認論と同じように、特定のイデオロギーでもって戦没学生の責任を問おうとしているのである。(中略)旧版の編者だった渡辺一夫が序文で触れているように「初め、僕は、かなり過激な日本精神主義的な、ある時は戦争謳歌に近いような短文までも、全部採録するのが『公正』であると主張した」という。だがそれがそうならなかったのはまさに〝政治的理由〟の下に編集されたからだった。》

 

 平成7年には、昭和25年封切りの映画「きけ、わだつみの声」がリメーク、東映系で再上映されました。その際に、「わだつみ会」が東映側に送った映画制作にあたっての要望書には、「アジア太平洋戦争は侵略戦争という基本的視点で」「昭和天皇の戦争責任は自明の大前提として描いてほしい」…などとありました。この点は当時、私が取材して記事にした部分なのですが、「わだつみ会」の傾向性、スタンスがよく分かるエピソードだと思います。この会はその前年にも、「戦没学生が総体として、侵略戦争の担い手として死に至らしめられたことを、私たちは悲しく銘記する」として、戦没学生の戦争責任を強調していました。

 

 余談ですが、京都市の立命館大学の本部近くには、「立命館大学国際平和ミュージアム」があり、玄関には「わだつみ像」が立っています。このミュージアムは「わだつみ会」の事業としてつくられたものですが、その2階には「立命館孔子学院」があります。孔子学院とは、中国政府が世界各国の大学・研究機関と連携して、中国語教師を育成し、中国文化普及を目指すという一大プロジェクトで、世界中に100カ所創設しようというものです。で、この立命館孔子学院が日本での第1号だそうです。

 

 …私は先日のエントリで、坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」という文章が掲載禁止にされた問題を取り上げ、GHQによる検閲が歪めた日本の言語空間について触れましたが、GHQが去った後も、日本人自身によってさまざまな「事実」が隠され、また曲げられてきたと考えています。この「きけわだつみのこえ」もその一例だと思いますが、このほかにも、例えば、清朝最後の皇帝の生涯を描き、映画「ラストエンペラー」の種本としても知られるR・F・ジョンストン著「紫禁城の黄昏」は、岩波文庫版では、政治的意図を持って、満州国建設の経緯について東京裁判史観と逆の記述がある部分などが「虫食いのように削除」(渡部昇一氏)されていると指摘されていますね。

 

 何度も書いてきたことですが、南京事件でも慰安婦問題でも、樺太(サハリン)の残留韓国人の件でも、問題を焚きつけて大きくし、国際問題化しようとしている日本人がいます。外国勢力が何かについて日本批判を始めるとき、必ずと言っていいほどその背後に日本人の協力者、煽動者の姿がちらつきます。もともとはGHQが日本社会にはりめぐらした「閉された言語空間」にしても、それを戦後60年以上たつ今も墨守し、何か自分たちの利益のために利用しようとしている人たちがいるようです。残念ですが、日本の敵は日本人、という思いを否定できずにいます。