文化庁所管の芸術文化振興基金750万円の助成を受けているにもかかわらず、その内容はいわゆる「反日」映画ではないか、実質的に中国映画ではないかなどと指摘されていた自称・ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、12日からの上映を決めていた映画館5館すべてで上映中止となりました。公開によって、近隣の劇場や商業施設などに迷惑が及ぶ可能性があるとの理由で、この「自主規制」には、言論・表現の自由の問題とのからみもあって賛否両論あるだろうと思います。
この助成を問題視してきた自民党の稲田朋美氏は、「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない」という談話を出したそうです。この点は、この映画に反感を覚えていた議員たちの間でも、かなり徹底されていたと思います。もちろん、映画の内容自体にも大いに不満や批判はあったでしょうが、それを前面に出すと、「不当な圧力をかけた」として逆にマスコミにたたかれることは分かっていたからです。今回の上映中止は、そういう議員側の「配慮」「自制」と、映画館側の「自粛」がかみ合わなかった感はありますが…。
ともあれ、この映画をめぐっては、国会でも取り上げられています。先日のエントリで、参院文部科学委員会での水落氏のやりとりを紹介したので、きょうは3月27日の参院内閣委員会での自民党の有村治子氏の質問を取り上げようと思います。後輩の原川記者が詳細にテープ起こしをしてメモを送ってくれたものですが、有村氏の質問を通じ、文化庁のいい加減さと、映画の問題点が改めてあぶり出されてきたように感じました。まずは、メールで届いた原川記者の所感です。
【原川記者の独り言】
《映画「靖国」に関する3月27日の参議院内閣委員会での有村治子(自民)の質問(靖国関連部分で1時間)を(ようやく)起こし終わりましたので、参考資料として送信します。(水落氏、有村氏の質問とも記事を書きましたが残念ながらボツになってしまいました)この映画に対する助成の不適切さと、映画の事実誤認、撮影モラル上の問題点が網羅されています。特筆すべきは、感情論や印象論を徹底的に排し、あくまで事実の積み重ねと、それに基づく論理構成で、ストイックかつスマートな質問手法です。答弁者の文化庁の文化部長はのっけからしどろもどろで、質問を理解する日本語力を欠いているかのような答弁に終始しました。国会のインターネット動画で一見の価値ありです。有村氏が指摘した中で、映画が出演者らの承諾なしに映像を使用し、靖国神社の許可を得ずに境内で撮影されていた(善し悪しは別として、いかにも中国的!)事実は最も重要な点だと思います。政治的、宗教的な宣伝意図の有無を考える以前に、公金による助成(道義的には上映も)は常識的に不適当ではないでしょうか。》
《有村氏:文化行政に対する予算の適切な執行がなされたかどうかという点におきまして、映画「靖国」について質問をさせていただきます。映画「靖国」は文化庁所管の独立行政法人、日本芸術文化振興会において平成18年度の芸術文化振興基金、記録映画、募集分の助成対象に採択されて750万円の公的助成金を受けた映画で、来月公開予定と理解しております。文化庁次長、尾山(眞之助)文化部長、今日参考人でお越しになっていただいています。またこの日本芸術文化振興会の会長は、これからの映画をご覧になりましたでしょうか。本件を所管される直接の系統において見たことのある人で、責任権限が一番高い人はどなたでしょうか。
尾山文化部長:私、文化部長でございますが、私が一番責任が高い立場にございます。
有村氏:この芸術文化振興基金は助成金を交付するにあたり、配付資料で私の事務所が書かせていただきました。出典はもともと助成金募集案内でございますけども、助成金を交付するにあたり、助成金を交付するにあたり、芸術文化振興基金助成金交付の基本方針を出しておられます。そこで書いてございますように、これは灰色で囲んでおります、以下以下、これこれのことを助成すると。ただし「商業的、宗教的、または政治的な宣伝意図を有しないもの」としますと明確に書かれています。ここが最大のポイントの一つになると認識しております。そこで文部科学大臣政務官に伺います。小泉総理の靖国参拝について世論のみならず国政を預かる私たち国会でも8月15日前後には与野党の最大の関心事となり是非が議論されました。このことは政治的な事柄でしょうか。
尾山文化部長:独立行政法人日本芸術文化振興会の芸術文化振興助成金交付の基本方針におきまして、基金による助成につきましては、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とされておるところでございます。この映画「靖国」の審査を行った記録映画専門委員会におきまして、この方針についての判断が行われたものと承知しております。政治的テーマを取り上げることと、政治的な宣伝意図を有することは、一応分けて考えられると思っているところでございまして、本件につきましては、政治的なテーマを取り上げていても、政治的な宣伝意図を有するものとまではいえないと専門委員会で判断されたと聞いているところでございます。
有村氏:分かりました。小泉総理の靖国神社参拝の是非をめぐって宗教的、思想的な相違などの理由によって靖国神社を相手に裁判を起こし、自らの政治的主張を展開することは、これは政治的な事柄でしょうか、宗教的な事柄でしょうか。私は文部科学大臣政務官にお伺いしたいと存じます。
保坂武文部科学政務官:本質問につきましては、ときの総理がご判断し、対応している事柄と私どもは思っている次第であります。
有村氏:総理がご判断されるもので、政治的なんでしょうか、どうなんでしょうか。その辺をお伺いします。
保坂政務官:私ども政務官の立場といたしまして、政府の最高責任者の立場で、この参拝についてご判断をするものかと存じております。
有村氏:参拝の是非をめぐってご意見を伺っているのではございません。このような靖国神社の参拝の是非をめぐって靖国神社を相手に裁判を起こしている。そして自らの政治的主張を展開すること、このことは政治マターか宗教マターかどうですか、そうじゃないんですか、ということを伺っております。
保坂政務官:えー、いずれにいたしましてもこれら問題は、国際的な世論を巻き起こす問題でもありますので、私の答弁の方では差し控えさせていただきたいと存じます。
有村氏:今いみじくもおっしゃいました。国際的な世論を喚起するもの。つまり国際政治の場でも議論をされている極めて政治的なことでございます。今頷かれた通りでございます。私もそう思います。今日皆様に配布をいたしておりますように、この映画宣伝用のパンフレット2ページ目に記載されている通り、右、2ページ目の裏のキャストというところには、3人の名前が書かれています。この映画に出てくる中心人物のうち、3人のうちの2人であるこの菅原龍憲さん、高金素梅さん両氏は、小泉前首相(ママ)の靖国神社参拝についてこの映画の申請がだされた当時も現在も靖国神社を相手取って訴訟を起こしており、当該映画のテーマである靖国神社とは係争関係にあります。しかも、この映画の中で両氏は、彼らが現実の社会の中で提起している訴訟と同じ趣旨の主張をそのまま展開をされており、一連の靖国関係訴訟を代弁する政治的宣伝がそのままキャスティングにそのまま反映されています。にも係わらずこの映画が政治的、宗教的宣伝意図を持っていないとどうやって断言されるのでしょうか。
尾山文化部長:ご指摘のように、金高素梅さん、菅原龍憲さんがインタビューで出ておられるのは事実でございますけれども、全体として政治的な意図を有するものとはいえないと先ほど申しあげた記録(映画)専門委員会で判断されたものと承知しております。
有村氏:全体としては政治的意図は持っていないとおっしゃいますけれども、キャストとして上がっている名前は3人しかないんです。そのうちの2人は靖国訴訟の原告なんです。そしてここに刈谷直治さん、残り一名のキャストの名前が挙がっていますが、この刈谷直治さんは、この映画のキャストになることを知りませんでした。そして今もキャストになることを了承していらっしゃいません。そしてこの靖国神社に関して、この刈谷さんは政治的発言は展開しておられません。こんないびつな形の映画がどうして政治的ではないとおっしゃるんでしょうか。3分の2は原告、靖国訴訟、今も係争中の原告でございます。もう一人は何も政治的なコメントをしていない3分の2が原告であるにもかかわらず、どうして政治的意図がないと言えるんでしょうか。教えていただきたいと存じます。
尾山文化部長:審査に当たっては、あの、製作会社から提出されました企画書、そして最終的に完成試写で専門委員会が確認しておりますが、その結果として、えー、あのー、(しどろもどろ)政治的な宣伝意図を有するものまでは言えないというふうに専門委員会で判断されたと承知しているところでございます。
有村氏:尾山部長、随分強弁されているようですが、その強弁は後に苦しい立場をつくることと私は思います。芸術文化振興基金から、今尾山部長がおっしゃったように、審査を厳正にしていただいたというふうにおしゃっていますが、助成金を受けようとしてこの有限会社「龍影」のチャン・イー代表取締役は、助成金交付要望書を提出した最初の段階、18年7月19日です。その最初の段階から、その資料に、映画の概略には、小泉参拝をめぐり靖国の政教関係を透視する、と明確に書かれています。そして主な出演者、キャストとしては、小泉首相靖国参拝を意見と考えられる東京訴訟の会を登場させる旨、明記をして交付金交付の申請書を提出されます。つまり申請者は意図してこの問題を取り上げます、と明確に書かれた上で最初の助成金交付要望書を出されているわけです。つまりこの助成金交付要望書が正式に提出された時点で、振興会がこれを公式に受理した時点で、この基金が助成を禁じている政治的、宗教的喧伝意図を有するもの、に当たるはずでありますが、それでも文化庁は「いや、この映画には、これには政治的、宗教的な宣伝意図は入っていませんよ」と強弁されるおつもりでしょうが、ご見解をお伺いいたします。
尾山文化部長:先ほど申しあげましたように、政治的テーマを取り上げるということと、政治的な宣伝意図を有するということは一応分けて考えられると考えておるところでございまして、本件につきましては政治的なテーマを取り上げていても、政治的な宣伝意図を有するものとまでは言えない、と、その独立行政日本芸術文化振興会の専門委員会で判断されたと文化庁は聞いておるところでございます。
有村氏:それでは、別の観点から伺います。靖国訴訟、つまり宗教法人である靖国神社を訴えている方が原告となってメインキャストを為している、その方が実社会で実際に裁判で展開されている主張をそのまま映画の中でも宣伝されているのに、これが宗教的意図ではない、政治的ではないとおっしゃるのなら、何が宗教的宣伝、政治的宣伝に該当するのでしょうか。これから、応募される方々、応募を希望されている方々にも、また、国民の税金の配分を決めるということでの調査権を行使している私たちにも分かる形で具体的に明示していただきたいと存じます。
尾山文化部長:政治的、宗教的な宣伝意図を有するものかどうかは、交付要望書の内容を踏まえまして、専門委員会において個別に検討されるものであると考えます。過去にそのような事例があるわけではございませんけれども、例えば特定の政党や特定の宗教法人のPR映画であれば、該当するのではないかと思われるところでございます。
有村氏:PRではなくて、ではその方々の主旨とまったく違うむしろ「反日」をしているというような場合はどうなるのですか。いいもの、PRだけはアウトで、反PRであれば、それはOKということでしょうか?
尾山文化部長:具体の事例に則して、専門委員会において個別に検討されるものと考えております。
有村氏:ということは専門委員会がキーの一つになってまいりますね。この映画を製作した李纓監督は、「北京週報」の日本語版でこのようなことをおしゃっています。「私の映画が具体的に示しているのは、『菊と刀』でその二者の間の関係だ。最後に問いただす最も鍵となるのはやはり天皇の問題だ。天皇の問題が解決されず、永遠に曖昧のままに過ぎ去られれば、靖国神社の問題を解決することはできない」と北京週報に答えられているんですね、公言されているんですね。ここでもこの映画の特定の政治的喧伝意図があることが明白になっているんです。因みにこちらのパンフレットにありますこの右側には、キャストとかスタッフとかいろいろ書かれていますが、委員の先生方ご覧になってお分かりになっていただけますように、ほとんどが中国名でござまいす。これが果たして日本映画なのかなあ、というふうに私は素直に疑問を提じずにはいられないんですけども、この中で8人のプロデューサーの名前が出ていますが、8人のうち7人は中国の方でございます。日本人としてただ一人、協力プロデューサーとして、名前が挙がっている山上徹二郎氏は、「この映画の影響はアジアを飛び越し、世界的に注目を集めることになる。『靖国』が日中韓と欧米で公開されれば、日本は戦争責任問題を本当に反省せざるを得なくなる」と人民日報の国際版サイトで語っておられます。常識的に考えますに、戦争責任というのは戦争を終結して、戦争に勝った国と負けた国がそれぞれ負うべき、持つべき責任、制裁、権限を明確に出し合い、当事国双方が折り合いのつく条件を明文化して講和を結び、国境を定めるという極めて政治的なプロセスです。戦争状態を終結し、当事国同士の国際関係を正常化していくプロセスは政治そのものです。いかがでしょうか、この見解に何か間違いがあるでしょうか。外務省政務官教えてくださいませ。
小池外務大臣政務官:戦争責任という言葉はさまざまな文脈で用いられるものでございまして、いちがい申しあげることは困難ではありますけれども、一般的には戦争後当事国間で、いわゆる平和条約を締結することによりまして、戦争状態の終了、それに伴う領土問題、および戦争賠償等にかかる問題を解決しております。戦後我が国も当事国との間で、平和条約等を締結して平和国家として歩んでまいりました。このような戦後の日本の対外政策が当時の政治指導者の重要な決断のもとに進められてきたことは疑いのないところでございます。
有村氏:小池政務官、本当に簡潔なご見解をしていただき、ありがとうございました。外務省を代表してのいわゆる常識的な見解だと思います。私が日々感じている感覚と何ら違いがない。つまり今おっしゃったように戦後の平和国家としての歩みをつくる原点でございます。まさに国際政治そのものでございます。この政治そのものであります戦争責任をテーマにし、しかも、主張を一方的にしか論いていない映画が政治的喧伝意図がないと認識される理由を、尾山部長、私たちに分かる平易な、通常の常識人が理解できる日本語で説明をしていただきたいと思います。
尾山文化部長:先生、あの、北京週報の記事をご引用なさいましたけども、この映画の審査に当たりましては、株式会社「龍影」、あ、有限会社「龍影」から提出されました企画書、そしてそののち完成した試写によって行っておるわけでございまして、その結果としてその助成が行われたということでございます。
有村氏:質問に答えていただいておりませんが。(答えろよ!だめだよ、質問に答えてないよ、とヤジ)
尾山文化部長:あの、北京週報に、どのようなことを監督がおっしゃっているかは別として、審査は提出された書類によって行っておるということでございます。
有村氏:政治的宣伝意図がないと認識される理由を私たちに分かる日本語で説明をしていただきたいと申しあげているんです。自民党の議員だけでなくて、与野党を超えてやはり議員の先生方にちゃんと分かるような、私自身に分かるような説明をしてください。
尾山文化部長:あの、本件の審査を委ねられまして、日本芸術文化振興会の記録映画専門委員会において、そのような判断をしたということでございます。
有村氏:手続き論を伺っているのではありません。さっきから二度も三度もその説明は伺っています。これが政治的意図ではないというふうに言い切られるその背景を教えてくださいと申しあげているんです。
尾山文化部長:審査を行った専門委員会の判断についてご説明をさせていただいているわけでございます。
有村氏:その審査を行ったとおっしゃいますけども、その先生方が見てくださったはずの、最初の申請書類に、チャンイー代表がですね、小泉総理の靖国参拝の政教問題を透視すると明確に書かれているんですよ。それが政治的意図ではないと断言されているわけですから、その理由を聞かせてくださいと聞いているんです。今一度申しあげます。手続きを聞いているのではありません。お分かりになられると思いますが。
尾山文化部長:あの、私どもは、専門委員会の審査の結果についてご説明を申しあげているわけでございまして、あの、結果、そういう宣伝的な意図を有するものではないという判断をしたということを確認しているわけでございます。ただ、どういう理由かということにつきましては、その間の議事録を作成しているわけではございませんので、これ以上の説明はちょっと難しいところでございます。(何を言っているんだ!とヤジ)
有村氏:議事録をつくっていらっしゃらないんですか。ではどうやってその審議の正当性を証明されるんですか?
尾山文化部長:専門委員会の先生方が高い見地された結果ということでございます。
有村氏:それをおっしゃると専門委員会のメンバーの中に入っていらっしゃる方の思想信条を聞かざるを得なくなります。そのようなリスクをとられたのは、尾山部長の答弁からだということをご承知おきください。委員長、この点について私は、議事録で皆様お分かりいただけますように、再三再四、手続き論を伺っているのではなく、これが政治的意図を持っていないと断言されるその背景を教えてほしいと、限られた時間なのに、この時間で随分浪費がありました。後に文化庁によって、正式に文書でコメントをしていただけるよう、一週間以内の提出を求めたいと思います。ぜひご検討いただけるよう委員長にお願い申しあげます。
委員長:後日理事会で協議をいたします。
有村氏:そもそも李纓監督は、もともとは「南京」に関する、「南京事件」に関する映画をつくりたいと思っていたと北京週報で答えていらっしゃいます。この映画のクライマックスでは南京事件に関して、中国側から証拠写真として出されている写真の中でも、ねつ造と断定されたり、現在の学術界からその信憑性が著しく問われているような写真が、あれよこれよとコラージュのように出てきます。これはまさに特定の政治的意図の最たる証左ではありませんか。
尾山文化部長:えー、あのう、おー、日本芸術文化振興会から映画で使用されている写真や映像の真偽を判定する立場にはないので、そのことについては審査していないということを聞いているところでございます。
有村氏:(冷静に)とぼけないでいただきたいと思います。その写真が本物ですか、偽物ですか何て聞いていません。そのような信憑性が極めて疑われている学術界でも問題になっているのを次等次へと出してくる。これは特定の政治的喧伝意図の最たる証左ではないかと伺っているんです。
尾山文化部長:日本芸術文化振興会は、そういったことの内容については、審査対象としていないということを言っているところでございます。
有村氏:すいません。いやしくも専門委員会の方々は、給料、報酬を得てこの審査をしていらっしゃるんです。そして最後のこの映画のクライマックスというのは映画人ならずも私たちもみんなクライマックスは大事だということは分かっているんです。そこで南京事件でこれはねつ造写真であって、明らかに言われているもの、また疑義があるものが次から次へと出てくる。そこを審査しないで、どこをご覧になっているんですか。
尾山文化部長:写真、その、映像の真偽を、判断する立場にはないので、そのことを審査対象としていないと申しあげている。
有村氏:その写真の真偽なんて聞いてません。その真偽が疑われる写真を次から次へと出しているところは政治的意図だと私は思うんです。そうじゃないと断言されるその理由を述べてくださいと先ほどから申しあげてます。(きちんと答えろよ!とヤジ)
尾山文化部長:この判断をいたしましたのは、あの、再々、あ、あの恐縮でございますけれど、あの、専門委員会でございまして、その間の議事録等は作成されておりませんので、これ以上の答弁はしかねるところでございます。》
…とりあえず「前編」はここまでです。質疑が進むにつれ、尾山文化部長はますますしどろもどろになっていきます。(「中編」に続く)
コメント
コメント一覧 (90)
レポート、有り難うございます。続きをわくわくしながら待たせていただきます。
気がかりが、一つあります。
上映中止になった事で、支出問題の追及がうやむやに終わらないか?と言う事です。
これを徹底的にしておかないと、再度、再々度、同じ問題が起きます。
「反日映画」に、国民の税金を使うなど、家財没収の上、蟄居閉門ですね。この部長。
そうですね、これだけ国会で問題になった映画だからこそ、広く国民が見て議論できるようにする責任が、国にはありますよね。
「東京国立近代美術館フィルムセンター 」ででもきちんと上映して国民の審判を仰ぐべきだと思います。
この記事を読んでいて、如何に日本の役人等が、日本国民の意識にかけているかと言う事だと思います。
日本は民主国家で言論、表現の自由を良い事に、色んな面で「中国共産党や韓国」等にプロパガンダとして、可也利用されているのではないかと、危惧しています。
以前の教科書問題でも、「韓国の反日団体」が日本の反日市民団体を使って共に反対運動を起こし、結果日本の歴史教科書が歪曲される始末です。
中国や韓国の今までの日本バッシングを思うと、今回の様な「公務員、役人」が「中国怖し」「韓国怖し」で言い成りになって全て国家主権を捨てて来ていた、結果が今の、自虐的日本社会を作ってきたと思います。
この様な「役人や一部反日団体等」の国益無視の問題に対し、監視、抗議できるのは、しっかりした国会議員や、しっかりした日本のマスメディアしか無いと、思います。
つまり、国益重視の国会議員や産経新聞等に大いに頑張っていただきたいと思います。
記事起こしのレポートありがとうございます。私も続きが楽しみです。
読みながら思ったのが実際の評価を行った「専門委員会」の面々を国会の場に引き釣り出して再度同様の質問して、2度とこのような反日映画に血税を助成しないようにして欲しいものです。それに「専門委員会」の面々を早々に更迭すべきですね。
本当に『靖国』が反日映画なのか、それともいちいち言いがかりをつけて日本を中国や北朝鮮のような思想統制国家にしようとしている議員が悪いのかそれを知るためにもぜひ上映を。
この反日映画に750万の助成を決めた専門委員のメンバーをオープンにして糾弾しなければなりません。
配給会社もこんな反日映画よりも「南京の真実」を配給せよと言いたい。細々と自主上映を続けているのをみると、この国は完全におかしいと思う。
>我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。
稲田議員の発言は立場上理解するが、私の素直な気持ちは「当然だ、私たちの税金返せ!」です。
「映画による表現の自由を冒涜する行為で、絶対に許されない!」等と、
本来の問題点を証さずに、映画上映中止のみ垂れ流している始末です。
今回の問題も、他人の懐から拠出するカネに対する「甘さ」「いい加減さ」が
招いた、第2の社保庁に通じる問題でしょうね。恐らく多くの国民は
先の高輪プリンスホテルでの日教組の会議中止事件と同様に、表面的な
似非(捏造)報道を信じ込まされているようで、何とも嘆かわしい限りです。
「役人答弁」とは良く言ったものですね。
こんな言い訳、普通の会社で一言でも言ったら「会議をバカにしてるのか!」ととっちめられますよ。
まぁ、尾山文化部長も下から上がってきた事を、特に専門委員会の審査結果をはねつけることは無理なのでしょうから、少しばかり同情しますが。
それにしても「靖国」って映画タイトルだけみたって、「これは助成対象としてはまずいな」と思う常識が無い時点でアウトですがね。
あと、小さな事ですが「映像の審議を・・」は「映像の真偽を・・」の誤字かと。
そもそも、「文化庁所管の芸術文化振興基金」は、“親日ヨイ書・反日コラ書”を目的に設立したのではないでしょうに…。
笑っちゃいけないとは思いつつ、文化部長の対応は笑えます。
本当に続きが待ち遠しいです。
先日のA新聞では「上映を控えるようなことあってはならない」という社説を載せているようでした。相変わらずです。見飽きました…。
(あ、A新聞は取っていませんから!)
この問題については今後の成り行きをきちんと見て行きたいと思います。
通り過ぎてしまうとうやむやになることが多いこの頃ですが、是非、阿比留さんには、徹底的に追求して下さることをお願い致します。
全てのことの根幹になっている事柄だと思いますので…。
>
>この反日映画に750万の助成を決めた専門委員のメンバーをオープンにして糾弾しなければなりません。
→「反日映画」?
どうせ内容など見ないで、新潮や産経の尻馬に乗ってるだけなんだろうが、もし見た上であの映画を「反日映画」だと思うのなら、あなたの頭をかち割って中身を見てみたい。
この映画を撮った、李纓監督は中国人だが、日本語はペラペラだ。独学で学んだそうだが、「三島由紀夫が好きで、三島の小説を読んで日本語を勉強しました」と言い、特に『音楽』『金閣寺』『奔馬』などが好きだという。
はっきりいってあなたや産経や新潮の馬鹿記者「美しい」日本語を書く。
また、李監督は孫文、魯迅が好きで尊敬している。「孫文が日本に亡命してきた時は右翼の頭山満さんたちに助けられたんです。感謝しています」と言う。日本の右翼についても詳しい。それなのに中国人というだけで「反日」と攻撃されている。
アホか、お前ら。
>配給会社もこんな反日映画よりも「南京の真実」を配給せよと言いたい。細々と自主上映を続けているのをみると、この国は完全におかしいと思う。
>>我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。
→この二文に矛盾がないと思うなら、あなたの頭は相当いかれている。
>
>稲田議員の発言は立場上理解するが、私の素直な気持ちは「当然だ、私たちの税金返せ!」です。
>そもそも、「文化庁所管の芸術文化振興基金」は、“親日ヨイ書・反日コラ書”を目的に設立したのではないでしょうに…。<
そんなことは誰も問題にしていないでしょうに。
以下の役人答弁をあなたは読んでいないのですか?
>尾山文化部長:独立行政法人日本芸術文化振興会の芸術文化振興助成金交付の基本方針におきまして、基金による助成につきましては、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とされておるところでございます。<
この文化部長が言っているように、「反日だから問題」だと言ってるわけではないのですよ。
あくまで原則に反する事が問題なの。わかりませんか?
>To hanausagiさん
>はっきりいってあなたや産経や新潮の馬鹿記者「美しい」日本語を書く。
*お前も、書けよ。
阿比留さん、失礼ですが、その指摘していたのは誰ですか?もしかして、2chの中学生ではないですよね?
この映画はとてもストイックなもの、映画表現としては起きている事をそのまま映したものであり、ナレーションや編集により、あるメッセージを強く訴えるものではありません。簡単に言って映画自体には「反日」「政治性」などのと言えるようなものはありません。いわゆる「声高な」の正反対のものです。ここにあるのは日本の靖国神社それ自体でしょう。
もし阿比留さんやその指摘した人が、反日だと感じるなら、それは映画を見た観客の側にそういう問題意識があったからではないのか?崇敬すべき靖国神社を「そのまま」映すこと自体を、あなたは「不敬」「日本に反対」するものと受け取ったのでしょう。
何が政治的かを判断するには実はかなりの知識が必要であり、日本の戦争を扱った映画はあなたのような見方をすれば全て「反日」となるでしょう。
●映画の鑑賞にもそれなりの能力がいる、残念ながら阿比留さんにはそれが欠けているようですね。
だから、国会議員で、見た人の中でも「政治的、宗教的宣伝意図」を感じた人も感じなかった人もいるわけでしょ。
チャップリンの「独裁者」だって「政治的宣伝」と見るかもっと一般的な「人道的」テーマの映画と見る人もいるわけでしょ。
彼の「殺人狂時代」なんか共産主義的で反米的映画だと当時のアメリカの一部議員からさんざんののしられた。
今やあの映画を見てそんなことを言ったら笑われるだけでしょ。
だから、国会議員だけで見て議論するなって。
文化庁がひどいことと、映画の内容の話は別のことだって。
前にも2件、変なのに助成金を出していますから、文化庁にも内部に通じている者が居るでしょう。
こういうのを馬脚を現すと言います。
そういう、まともな議論もせずに、何かというと人をイデオロギーで決めつけるやからは、中国でも北朝鮮へでも行けばいい。
おっ、また出てきたな、今回は複数か(笑)。
>どうせ内容など見ないで、新潮や産経の
あんたは見たのか?。見た上で反日映画でないと言い切れるのか?。
>李纓監督は中国人だが、日本語はペラペラだ。
それがどうした。
このテーマには、何かあるんでしょうね。
こんにちは。助成と言っても、元をたどれば国民の税金ですから、無駄遣いや日本のためにならない使途はごめんですね。
>「東京国立近代美術館フィルムセンター 」…。これはよく知らなかったのですが、これだけ話題になり、議論の対象となったわけですから、見たい国民は見ることができるようであってほしいと思います。
>以前の教科書問題でも、「韓国の反日団体」が日本の反日市民団体を使って共に反対運動を起こし、結果日本の歴史教科書が歪曲される始末です。
…私はむしろ、日本側のサヨク勢力・団体が韓国などにご注進し、働きかけ、煽った上で連携したのだろうと思っています。それだけ、どうしようもない人たちの日本社会の各所におろした根は深く、しぶといということだろうと。
専門委員会の面々や、その議論の閉鎖性については、中編・後編に出てきます。そして、構造的な問題点が見えてくるような気がします。
エントリにも書いたように、今回は議員たちは、映画の内容・表現に文句があっても、あえてそれを問わずに「なぜ助成?」「助成制度はこのままでいいのか」という論点に絞って議論をしています。したがって、>それともいちいち言いがかりをつけて日本を中国や北朝鮮のような思想統制国家にしようとしている議員が悪いのか…これは当たらないと思いますし、またそれに当たらないようにみな気をつけて発言していたと見ています。
>配給会社もこんな反日映画よりも「南京の真実」を配給せよと言いたい…。そうなのですよね。こうした映画が上映中止となると大騒ぎするメディアは、南京の真実がこれまでさまざまな妨害を受けてきたことや、なかなか一般の映画館では上映できない点には目をつむります。
自分もマスコミの一角のそのまた端っこで暮らしておきながら言うのもナンですが、報道の画一性、そして表面性はなんとかならないものかといつも思います。記事を書いている者みんなが、そんな単純な考え方をしているというわけでもないと思うのですが…。
>そんなことは誰も問題にしていないでしょうに。
>以下の役人答弁をあなたは読んでいないのですか?
いや、読みましたよ、一通りは…
>>尾山文化部長:独立行政法人日本芸術文化振興会の芸術文化振興助成金交付の基本方針におきまして、基金による助成につきましては、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とされておるところでございます。<
で、その映画は、政治的または宗教的に何を宣伝しているというのですか?
靖国神社を誹謗することを宣伝しているのですか、それとも靖国神社を進攻していることを宣伝しているのですか?
> この文化部長が言っているように、「反日だから問題」だと言ってるわけではないのですよ。<
その部長が言っているのは、「政治的宣伝・宗教的宣伝・商業的宣伝」はいけないといっているだけで、「政治的事柄・宗教的事柄・商業的事柄」はダメだと入っていませんよね。
例えば、小泉純一郎首相が靖国神社に産経したとき、「不時参詣クルーピー」が、その様子を逐一報道することが、直ちに「宗教的宣伝」「政治的宣伝」とはいえず、単に「小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関係する情報の伝達」と捉えるのが普通でしょう。 ぴりぴりしているステレオタイプ左/右のコンサバさんたちのことは知らないが…。
然し、あなたは「反日」を問題にしているのではないとおっしゃいますが、肝心と思しきところに「反日」という文字が躍っているようですすから、誰かは「反日」を問題にしているのでしょうね…。
> あくまで原則に反する事が問題なの。わかりませんか?<
阿比留さんの記述内容では、何が原則に触れているのかさっぱり判りませんね。
>まぁ、尾山文化部長も下から上がってきた事を、特に専門委員会の審査結果をはねつけることは無理なのでしょうから…。そういう役職であることへの一定の理解は、有村氏も後に示していますが、そういう構造的な問題をなんとかできないものかと思います。それと変換ミスのご指摘ありがとうございます。訂正しておきます。
朝日新聞の社説は私も読みました。稲田氏らを本当はたたきたいのだけど、稲田氏たちが慎重な発言をしているのでそれができず…という内心が透けて見えるような気がしました。私も、いろいろとウオッチしなければいけないことが多く、どこまで追えるかは分かりませんが、この問題の今後の成り行きにも注意していきたいと思います。
問題は、日本では戦後長年にわたり、こういう問題がノーチェックだったという点にあると思うのです。例えば、海外にある日本の基金から資金が拠出された財団の研究論文が反日的なものばかりだったり、という例も以前読んだことがあります。いろいろな見方、意見が世の中にあるのは当然として、国民の税金を何も日本批判を応援することに遣う必要はないと思っています。
>To maikeeさん
> 靖国神社を誹謗することを宣伝しているのですか、それとも靖国神社を進攻していることを宣伝しているのですか?
*お気持ちは、分からなくもありませんが、そんなところを攻めては、いけません。
>To mochizukiさん
>>To maikeeさん
>> 靖国神社を誹謗することを宣伝しているのですか、それとも靖国神社を進攻していることを宣伝しているのですか?
>
>*お気持ちは、分からなくもありませんが、そんなところを攻めては、いけません。<
そうですね“侵攻”ではなく、親交・神幸・振興・信仰のほうが適切ですね。
ごめんなさい。
なんか久々に国会での「真摯な論議」を見たような気がいたします。情けない事に有村議員については全く存じ上げなかったのですが、調べると自民党らしからぬなかなかの経歴の持ち主、見識の高さもうかがい知れます。議員の質問の最後の部分については私も全く同意、もういい加減に靖国神社を「解放」してくれよ、と言いたくなります。
当方、この問題について今回やっとよく分かったのですが、これは明らかに文化庁が意図的にやったとしか思えません。関連は全くの不明ですが、例の文科省でゆとり教育を推進した亡国の徒氏が文化庁文化部長に異動したのが2003年4月、2006年11月まで文化庁に居座ったのですが、この件、映画オタクでもあった彼が深く関与している気もします。
ところで、靖国の桜はいつまでもちますか?土曜日にでも参拝しに行こうかと。何せ父方母方双方の親族が祭られているのですが、一族が遠方のため容易に行けるのは当方だけでありますので。
>なんか久々に国会での「真摯な論議」を見たような気がいたします…。そうですね。理路整然と論点を外さずに冷静に追及する議員というのは、本当にあまりいませんね。「ソーリ、ソーリ」などと連呼している人はたくさんいますが。>映画オタクでもあった彼が深く関与している気もします。…うーん、これは私どうこう述べる材料を持たないので何とも言えません。靖国の桜は今年は確かめていませんが、土曜日であればまだきれいなのではないかと思います。…これも断言できないので、すいません。
>>どうせ内容など見ないで、新潮や産経の
>
>あんたは見たのか?。見た上で反日映画でないと言い切れるのか?。
→見ました。見た上であの映画を反日映画などという人とは、なにか特殊なカルトにでも嵌ってるんではないですか。
>>李纓監督は中国人だが、日本語はペラペラだ。
>
>それがどうした。
→アホか。ポイントは、「三島由紀夫が好きで、三島の小説を読んで日本語を勉強しました」というところだ、といったところで、にわかファッションウヨは三島も読んだことはないだろうから、わからないだろうねえ。
おっ、レスついていたのか。
>→見ました。見た上であの映画を反日映画などという人とは、
南京大虐殺の捏造写真が使われていてもそう感じるなら何を言っても無駄だな。
>ポイントは、「三島由紀夫が好きで、三島の小説を読んで日本語を勉強しました」というところ
あんたが好きな李纓監督に言ってくれ。武士道のかけらでも理解できるなら人をだまして映画に出演させたり、法律違反までして撮影するのは日本では出来ないことだと。
最低限のルールは守れ、とね。
こんにちは。>最近・・戦争がらみの映画が多すぎると思うのは私だけなのでしょうか…。そうですねえ、昨年が南京事件の70周年だったので、その関連映画が8本ほど作られたそうですから、その影響もあるのでしょうか。>アメリカ目線の映画…。日本目線の映画は、世界で批判されるだけでなく、日本国内でもなかなか受け入れられないというのが現状のようですね。敗戦国は、戦勝国がつくった国際秩序の中では、なかなか自己主張もできず、言い分も聞いてもらえず…というのは実際にあるのだと思います。
靖国神社を批判するとか、批判的に捉えることが「反日」でなのでしょうか?(この映画が反日的であるかどうか知りませんが)
靖国神社付属の「遊就館」の展示のほうがはるかに「反日的」だと思うのですが・・。
日本を破滅の淵に追いやったいわゆる「大東亜戦争」を‘賛美’とまでは云わなくても「やむをえなかった」などと‘擁護・弁護’するような神社が愛国的(反日的の反意語として)なのでしょうか。
私は映画を見ていません(見るにも見る映画館がない)のでよく分かりませんが、安易に「反日的」だなどと云わないでいただきたいものです。
それに稲田さんなどが「助成金」を問題にしていますが、それこそ「ケツの穴が小さい」(下品な言葉で申し訳ありませんが)。
仮に「反日的」だとしても、靖国神社について「そういう見方もあるんだ」と分かればそれこそ‘文化的に’向上することになる・・。
「反日的」だなどと大騒ぎするのは、それこそ、チベット問題などに見られる中国政府の姿勢と同じではないですか!
みみっちいことは云わない!!
>靖国神社付属の「遊就館」の展示のほうがはるかに「反日的」だと思うのですが・・…歴史観や物の見方が異なる部分については、指摘されても改めようがありません。私は先の大戦について、その手法やあり方にミスや間違いがたくさんあったにしろ、戦争になったこと自体は「やむをえなかった」と考えています。従って、ご意見に賛同はできません。
【戦争になったこと自体は「やむをえなかった」と考えています。】
・・・これは多くのいわゆるネット右翼のたわごとです。
ここで云う「戦争」とは真珠湾攻撃で始まるいわゆる「太平洋戦争」です。
戦争の引き金を引いた「動機」さえ説明できれば「やむをえなかった」というのでしょうか?
戦争という最悪の政治的出来事(事件)については、動機よりも結果が大切なのです。
日本が滅亡の淵に立たされた・・そういう事態を招いておいて「やむをえなかった」で済むものでしょうか?
だから「遊就館」の展示は「反日的」だと私は云うのです。
仮に「やむをえなかった」のなら何故大敗したのでしょうか。
さらに、大敗の責任はどうなるのでしょうか?
300万人の日本人を死に追いやり、中国大陸や東南アジアで数千万の犠牲者を出した・・・その責任はどうなるのでしょうか。
ただし・・・70年前の日本を蝕んでいた「軍国主義」を駆逐するためには戦争で叩きのめされるしか方法はなかった、という意味で「やむをえなかった」という意見には賛成ですが・・。
靖国神社は戦争を始めた責任者や、多大の犠牲を強いた戦争責任者を何の疑問もなしに「合祀」しています。
靖国神社は多くの立場から批判されるべきです。
今回の映画はそういう批判を(一部)含んでいるのではないでしょうか。
さらにあなたは、
【歴史観や物の見方が異なる部分云々・・】
といわれます。
だったら、いやそれだからこそ異なる見解を大切にしなければならないのです。
稲田議員のなどの「(議員による)事前鑑賞」要求は、極めてダーティーな政治的干渉です。
もし(政府の助成金に)文句を言いたいのなら上映が始まってから行うべきであり、この映画を見たいという要求を踏みにじる結果になったことに責任を感じるべきです。
稲田議員は弁護士として、「百人斬り」や「沖縄集団自決」の裁判に深く関っています。
私にはこういう人物こそ「反日的」ではないかとさえ思います。
靖国神社を批判すること、百人斬りを「なかった」と強弁すること、集団自決に「強制はなかった」と強弁することは決して「愛国的」ではありません。
あるいは旧日本軍を非難することは決して「反日的」ではありません。
貴方のような考え方、思想を「自虐史観」というのですよ。ものの見事に洗脳されてますよ。
先の戦争は、アメリカのルーズベルト大統領が日本はおろかアメリカ国民をもだまして始めたことは、その後に解禁になった報告書で明らかになっているという事実を知りませんか。
ついでにいえば、東京裁判はマッカーサーの権限で行いましたが、そのマッカサー自身が「我々は戦う相手を間違えた」、「東京裁判は誤りだった」、「日本の戦争は主に自存自衛のためだった」といっているのです。
で、これが言いたいのですが、阿比留さんは既に「ご意見には賛同できません」と言っているのだから、これが結論ですよ。議論交わしても無駄でしょう。
hanausagi様のおっしゃる通り、これ以上議論しても無駄だと思いますが、こういうこともありました。終戦50年の平成7年に、岩波書店の某編集者にインタビューし、「あの戦争はやむをえなかったと思うか、それともそうは思わないか」と聞いたことがありました。彼は、「私は、日本としてはやむをえなかったと思います」と答えました。へえ、岩波にもそういう人がいるのだなと強く印象に残りました。
【貴方のような考え方、思想を「自虐史観」というのですよ。ものの見事に洗脳されてますよ。】
と仰る。
日独伊という世界の「ならず者国家」が世間(国際連盟など)の「アホなこと止めときな!」との忠告を無視して世界相手に喧嘩を売った。そして挙句の果て徹底的に叩きのめされた。
日本を滅亡の淵にまで追いやった日本の指導者を批判するのは当たり前!
彼らは間違いなく「反日的」であり、彼らを批判することこそ「愛国的」だといって何がおかしいのか!
自国を破滅寸前まで追い込んだ指導者を批判することが「自虐的」だというのなら、喜んで受け入れましょう。
そういう指導者まで「合祀」している靖国神社に限りない親近感を抱くことが「愛国的」だというなら、「愛国者」とは国を滅ぼしかけた人々なのですな?
何処の国でも自国を繁栄させたり、滅亡の淵から救った人を「英雄」というんです。
滅亡の淵に追いやった人々を英雄視するのは、多分、日本のネット右翼ぐらいなモンでしょう。
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阿比留瑠比 さん 、驚きましたな。
先の戦争はアメリカのルーズベルトの始めたこと(陰謀)だと本当に思っているのですか(hanausagi様のおっしゃる通りと書いていますよ)。
hanausagiさんは
【後に解禁になった報告書で明らかになっているという事実を知りませんか】
と書いていますが、お笑い種です。
マッカーサー発言についても同様、本気で信じているなんて・・・。
世界には(この報告書なるものと同様)トンデモ本がたくさんあり、また、たとえ普通の本(報告書)であってもトンデモ解釈がこれまた星の数ほどある・・。
・・・これ以上議論しても無駄、と仰るのですから無駄でしょうね。
反論は求めません。
ついでに太平洋戦争、いくら否定しても白人対アジア人が根底にあり窮鼠・・・百人切りについては素人判断から果たして日本刀で一人で一気に百人きれるものでしょうか?。いかがでしょうか?。
う~む、日本酒が効いて眠るところだったけど…
ここに来て偉そうなこというから当然知っていると思うけど、誰でも知っている基本中の基本から。
1951年5月、朝鮮戦争から呼び戻されたマッカーサーはアメリカ上院軍事外交合同委員会で次のように証言した。
連合国はABCD包囲網を作って日本に重要な工業資源を売らなかった。日本が持っていた天然資源は蚕だけであり、要するに日本の天然資源で出来る近代産業は絹工業しかない。
しかし、我々は全てを持っていた。それを売らないことにしたのである。このままでいけば、日本は一千万人ないし千五百万人が失業するような事態になる(当時の日本の人口は八千万人といわれているので、働く男性のあらかたが失業するわけである)。
したがって、日本が戦争に入ったのは、主としてセキュリティのためであった(渡部昇一著、東京裁判を裁判する、致知出版社)。
アメリカ歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は1948年、「ルーズベルト大統領と第二次世界大戦」を著した。アメリカの公式資料に基づいて日米戦争が大統領の周到な準備によって日本に仕掛けられた謀略であることを告発したのだ。
この中でルーズベルトは戦争はしないと誓った米国民自身と、日本国民とを同時に騙して、開戦に突入したことが明らかにされた。
戦後アメリカの詩人ウエン・コーエン氏は、大学の図書館でビアード博士の本に接し、一般の常識と全く逆である事実に仰天した。そしてルーズベルトが戦争を仕組み、日本の無実の指導者を処刑したことに心から詫びたいと来日して、巣鴨刑務所跡の記念碑の前で次の詩を書き残した。
「あー、アメリカよ、汝は法を曲げ、正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今や黄泉(よみ)にて汝の非道に涙す」と(佐藤和夫編、世界が裁く東京裁判、ジュピター出版)。
あっ、それから少しでもまじめに勉強しようという向上心が貴方にあるのなら、小林よしのりの「戦争論」1.2.3もお勧めです。
漫画だからビジュアルだし、記述にほとんど間違いはない。気合いを入れて繰り返し三回くらいづつ読んでご覧なさい。累計76万部、今でも増刷が続いているベストセラーです。
くそ~、目が覚めてきてしまった。特別サービスでオマケだ。
大東亜戦争が自存自衛の闘いであり、共産主義との闘いであり、さらには白人の植民地主義との闘いであったことは貴方の頭でも理解できますね。
このうち、白人の植民地主義との闘いでは日本は大勝利を収めました。
東南アジアを植民地にしていた米、英、仏、蘭は緒戦で日本にあっけなく負けました。それを目の当たりにして、「自分たちにもやれば出来る!」という勇気を与え、インドネシアを皮切りに全て独立を果たしたのです。
東南アジアに親日国が多いのはこのためです。ビルマの独立宣言文を読んでみてください(フラッシュに出てきます)。感動ものですよ。
この波はやがてアジアからアフリカ、南米にも広がり、16世紀から500年も続いた白人キリスト教国による世界の植民地主義は崩壊、同時に人種差別も徐々に是正されていくことになります。
大東亜戦争後に独立を果たした国は多分130近くになると思いますが、その背景には、黄色人種の日本人が唯一、世界を支配においていた白人社会と勇敢に正面から戦ったからなのです。
白人の植民地主義と人種差別を終わらせた国、それが日本です。本来ならノーベル平和賞を100個くらい貰っても罰は当たらないでしょう。
これは別に私がデタラメを言っているのではなくて、世界の識者、リーダーが言っています。このフラッシュが分かりやすいでしょう。
http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.html
このフラッシュの中に出てくるパール判事の言葉を特に貴方は頭にたたき込んでください。
同じ白人なのに世界から迫害されたユダヤ人。命のビザの杉浦千畝外交官の話は有名ですが、二万人のユダヤ人を救った樋口中将の感動ストリーは知っていますか?。
さて、我々の先人はこのように勇敢に戦って靖国神社にいます。ここに祀られている人たちは日本という国家のために無くなった英霊です。その靖国神社を貶める映画など私は絶対に許しません。
世界中でお国のために戦って無くなった方はその国の大統領や首相が参拝するのは当たり前です。貴方も、これをきっけかに歴史を勉強し直して、早くWGIPの呪縛から目覚めてください。
以上です、疲れた~。
ひしお屋 さん、
【このような条件下で文化庁が国費をもって制作を援助したことが合法と思われるのでしょうか?!】
とのこと。
【このような条件下で】というのが具体的によく分かりませんが、文化庁が法に従って適切と認めた場合、援助するのは何がおかしいのでしょうか?
私のいいたいことは靖国神社を「批判」することは決して「反日的ではない」ということです。
靖国神社を批判することが反日的である、というのなら証明してもらえませんか?
ただし私はこの映画を見ていませんので、靖国を批判しているのはそれとも賛美しているのか判断できません。
「反日的だ」という人がいるから書いているだけです。
中国側のコメントなるものについては私は知りません。
関心ありません。
【太平洋戦争、いくら否定しても白人対アジア人が根底にあり窮鼠・・・】
・・・あのね、この戦争はヨーロッパにおける「第2次世界大戦」の一環なのですよ。
ヒットラー(やムッソリーニ)と組んで行った世界大戦です。
ナチス・ドイツの緒戦における「快進撃」に惑わされてバスに乗り遅れるな、とばかりに戦争に突入したのではないですか。
ヒットラーは白人ではないのですか?
「白人対アジア人」ではなく枢軸国対連合国です。
世界的視野で見なきゃ・・・。
フィリピンではアジア人のフィリピン人がアメリカと一緒に戦っています。
アホなこと云わないの!
日本は植民地を解放するためにアジアへ「進出」したのではない。
取って代わろうとしただけです。
そして日本が負けて追い出された、だからアジアの国々は独立した(やりやすかった)。
もう一つ大事なことですが、中国を共産主義に追いやったのは誰(どの国)ですか?
日本と違いますか?
ついでに「百人斬り」(切りではなく斬りです)について。
【日本刀で一人で一気に百人きれるものでしょうか】
とのことですが、誰が「一人で一気に百人斬った」と云っているのですか?
参考までに・・・
昭和13年3月21日付けの『鹿児島新聞』に野田毅少尉が新聞記者に「三百七十四人の敵を斬りました。袈裟がけ,唐竹割,突伏せなど眞に痛快でした愛刀は無銘でもこの通り刃こぼれは餘りありません・・」と語っています。(百人斬り訴訟、最高裁判決文)
大戦に関しては歴史感の違いですから何処まで行ってもすれ違いでしょうね!。ただ台湾や東南アジアの対日感情はかの人権無き一党独裁中華思想害毒撒き散らし国家とは違いますよね。韓国でさえ日本統治時代の見直しが徐々にされてきているようですね。
百人斬りですか。私もやったことは無いので何とも言えませんが・・・。まず、日本刀で人を斬った場合刃こぼれより脂肪が刀身にまとわり付き斬れなくなるので実戦では突いてすぐ引くらしいですよ。また戦争中の新聞報道のいい加減さはあなた方の方が常に口にされていることではないですかね?!。
hanausagi さん
【チャールズ・ビアード博士は1948年・・・・アメリカの公式資料に基づいて日米戦争が大統領の周到な準備によって日本に仕掛けられた謀略であることを告発したのだ】
戦争の原因となる出来事はたくさんあります。
この‘大統領の謀略’なるものも、ひょっとしてあったかもしれません。(偉い博士が言うのですから、なかったとは言えないでしょうね)。
問題はその「謀略」なるものが戦争の引き金としてどれほどの影響があったのか、ということです。
たくさんの要因の中で「(これが)どれほどの影響を及ぼしたか」を評価することなしに、あたかも、この謀略なるものが太平洋戦争の「唯一の原因」であるとか「最大の要因」だなどと大真面目に云うのは歴史というものを知らない小児病です。
それから「謀略」といわれますが、モノは云いようなんです。
現在日本は北朝鮮に対して経済制裁を加えていますが、北朝鮮から見れば「謀略」でしょう。
国際政治において外国に対し、さまざまな働きかけの一つが「謀略」と呼んでもかまわないものなのです。
ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込もうとさまざまな謀略を画策した、といってもこれは一種の外交戦であって、当時としても日本側でも分かっていたはずです(分からなかったとなると、よほどボケ国家だったことになります)。
古くは日露戦争後から日米関係は悪くなっていたし、戦争(真珠湾攻撃)の前1939年7月には「日米通商航海条約」を破棄を通告しています。
アメリカは「謀略」ではなく、公然とシグナルを送ってきていたのです。
ピアード氏も(ル大統領の)謀略なるものが唯一の引き金だ、などとは云っていないと思います。そんなに単純な学者ではありません。
多分彼の云っているのは「外交戦で日本を戦争に追い込んだのではないか」という批判でしょう(読んでいないので分かりませんが・・・)。
あなたがちゃんと彼の著作を読んで私に「垂訓」されるのならともかく、片言隻句を捉えて知ったかぶりするのはみっともないですよ。
>この‘大統領の謀略’なるものも、ひょっとしてあったかもしれません。
おっ、やけに素直になったな。「あったかも知れません」ではなくて「あった」の!。
ついでに紹介すると、「アメリカの鏡 日本」(ヘレン・ミアーズ著・メディアファクトリー社)も読んでください。同じような指摘が随所に出てきます。
この二つのアメリカ人が著した本は1948年、つまり終戦直後の昭和23年には既に出版されていというところが凄い(当然日本では発禁処分)。
>古くは日露戦争後から日米関係は悪くなっていたし、
こういう認識があるなら、何故悪くなったか(ヒントはユダヤ商人)、その後アメリカは日本と在米日系人になにをしたか(これは大事、昭和天皇も開戦理由の一つにあげている)、時系列で把握してください。
満州事変の柳条湖事件、支那事変の盧溝橋事件、日米開戦を余儀なくされたハルノート、貴方の好きな現日本国憲法。これにはスターリンのコミンテルンが密接に関わっていたということは当然ご存じですよね。
>謀略を画策した、といってもこれは一種の外交戦であって、
全く甘い!。アメリカにしてみると、出遅れた中国権益への参入の他に、ドイツにやられっぱなしだったイギリスのSOSに何が何でも早急に応える必要に迫られていた、という事情がある。
かくして謀略で自国民を犠牲にしておいて「リメンバーアラモ」でインディアンをやっつけたというアメリカの勝利の方程式で、「リメンバーパールハーバー」で日本をやっつけた、というのがアメリカ側からみた真相だ。
少しは理解できたかね。私が紹介した本を熟読すれば、貴方は「自虐史観」から脱出出来る可能性は充分にある。そうなることを願っている。
問題 インドネシアの独立は西暦では1945年8月17日だったが、独立宣言文には05年8月17日と記されている。これは何故か?。
あのね、あなた何か大きな勘違いをしているようだ。
いいですか、昔から「戦争は政治の延長」だといわれています。
つまり政治的な問題があり、平和的に解決できないときに‘やむを得ず’戦争という非常手段に訴えるわけです。
もう一つ、戦争は「国益」を守る手段です。(政治の一部分でもありますが)。
ですがあなたのご意見では、どうも「謀略」によって戦争に引きずり込まれた、というようなことですが、「国益」はどうだったのでしょうか?
つまり・・・日本は国益はともかく、アメリカの謀略によって戦争に突入せざるを得なかった・・そういうことになりませんか。
国益を考えないで戦争をしかけるなんて考えられませんな。
もしそうなら、当時の日本はよほど‘大バカ’な国だということになる・・。
このスレッドの目的は、文化庁の件の映画への援助が問題になっていることはよーく分かっています。
しかし(稲田さんなどが)「何故問題にするのか」といえば、この映画が「反日的」なのではないか、との疑問からきています。
だから私は「靖国神社を批判することが何故‘反日的’なのか」と、逆の疑問を投げかけているのです。
あの無謀で、しかも国を破滅の淵にまで追いやった戦争を指導した人たちを「カミ」として祀っている神社を批判することがどうして反日的’なのか・・・?
むしろ「愛国的」というべきではないですか。
おっ、まだやるのね。
>いいですか、昔から「戦争は政治の延長」だといわれています。~もう一つ、戦争は「国益」を守る手段です。(政治の一部分でもありますが)。
この部分は貴方にしては珍しい正論ですよ。
>「謀略」によって戦争に引きずり込まれた、というようなことですが、「国益」はどうだったのでしょうか?
はあ~、大丈夫ですか?。何としてでも戦争を回避したいという日本の意向を踏みにじるような事実上の宣戦布告とも言うべき「ハルノート」を提示したのはアメリカですよ。
この事実上の最後通牒、つまり「死ね!」と言われて、「はい、死にます」という馬鹿が何処にいるのだ!。ここにいたって「開戦やむなし」の決断をしたのは当然だろうが。
「あんなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグのような国でも銃をとって立ち上がるであろう」。これはパール判事の判決書にも書かれている事だ。
東京裁判で東條英機陸軍大将は、この戦争で「日本は常に受け身であった」と述べているのはそういうことだ。
ここで最初に戻るが、マッカーサーがアメリカ上院軍事外交合同委員会で証言した「したがって、日本が戦争に入ったのは、主としてセキュリティのためであった」は、事実上東條英樹大将の陳述を認めたに等しいのだよ。
貴方は「普通の国、日本をめざして」という自分のブログで、現職の時は三重県教職員組合(略称、三教組)に加入していた、と書いている。今では日教組の自虐史感から脱して、普通の日本人として目覚めたのかと思ったら、全然目覚めていない。
>日本を破滅の淵に追いやったいわゆる「大東亜戦争」を‘賛美’とまでは云わなくても「やむをえなかった」などと‘擁護・弁護’するような神社
この文を読んだだけで今でも貴方は真っ赤に汚染されている事が明確だ。悪かったのは日本だ、日本の軍隊だ、その指導者だと。恥ずかしくないのか。日本の軍隊が悪いのなら、徴兵されて立派に戦った日本人が悪いと言っているのと同じだ。
日本の明治維新以降の近現代史の再勉強、GHQがWGIPで日本人をどう洗脳したか、「閉ざされた言論空間」も読んで欲しい。少なくとも産経新聞と正論くらいは定期購読すべきだと思う。
>事実上の宣戦布告とも言うべき「ハルノート」を提示したのはアメリカですよ。
この事実上の最後通牒、つまり「死ね!」と言われて、「はい、死にます」という馬鹿が何処にいるのだ!。ここにいたって「開戦やむなし」の決断をしたのは当然だろうが。
あのね、ハルノートの何処に「死ね!」と書かれているんだよ?
重要な点は日本の中国、南方からの撤退などではないか。
それに「最後通牒」だなんてそっそかしい判断をしたのが大間違いだったのだ。
仮にだ、あなたの云うように死ねといわれたから開戦に踏み切ったのなら、敗戦後の日本をどう解釈するのかね?
ハルノート以上の「損失」があった(挑戦、台湾の喪失)が日本は「死んだ」のかね?
馬鹿も休み休みに云いなさい!
私が【真っ赤に汚染されている】というのなら、あなたはボケているとしか言いようがない。
>あのね、ハルノートの何処に「死ね!」と書かれているんだよ?
>重要な点は日本の中国、南方からの撤退などではないか。
酷いね~、無知を恥じるということを知らないらしい。
開戦前の日米交渉の流れを一から勉強すべきだ。
・支那事変で日本は蒋介石国民党をあと一歩まで追いつめていたが、英米の武器や資金の支援で決着がズルズルと引き延ばされている状況にあった。
・そこで日本は昭和16年7月28日、政権の了解を得て北ベトナム、7月30日にはサイゴンに進出し、援蒋ルートを断とうとした。
・それを契機に米は石油の全面禁輸、英、仏、蘭も足並みをそろえABCD包囲網が確立する。それ以前にも四カ国は事実上の制裁を行っていたが、ここで決定的な経済封鎖を行った。
おおまかに言って以上が日米交渉が行われた背景にある。
このまま経済封鎖が続けば日本は立ちゆかなくなる。つまり死んでしまうということだ。
(続く)
・直前に首相となった東條英機大将は、「戦争準備をする」という9月6日の御前会議にもかかわらず、陛下の意を受けて戦争回避に向けて最後の努力をする。
・甲案 日本と中国で和平が成立後、25年間駐留したあと2年以内に撤兵する、仏印の日本軍は和平成立後ただちに撤兵する。
・乙案 日米は仏印を除く東南アジアに武力進出をしない、日米は蘭印で得られる物資の獲得が保証されるよう協力する、日米は通商関係を資産凍結前に戻す、米国は石油の対日供給を約束する、米国は日支両国の和平に関する努力を妨害しないこと。
・東條首相は野村・来栖両大使に二案をあたえ、まず甲案で交渉し、だめなら乙案で。乙案が駄目だったらこれはもう本当に駄目だ、という決意だった。
・しかし、米側は甲・乙ともに拒否、代わりに「ハル・ノート」を突きつけてきた。19項目からなるハル・ノートは中国・アジアでの日本の権益を全て否定して日本軍の撤退を求めたもので、石油や資源の供給には何も言及していない。
・この内容を見てそれまで開戦に反対していた人も「これは宣戦布告に等しい」と受け取った。ここにいたって「日米開戦やむなし」と満場一致で決まることとなった。
もの凄く簡単に流れを説明した。
(続く)
>重要な点は日本の中国、南方からの撤退などではないか。
日本の最終案、乙案をよく見てみろ。最終案ですら石油や通商関係の回復をうたっている。無条件の撤退など「死ね!」というに等しいということが理解できたかね。
重要なことはアメリカ自身が日本が開戦を決断することを暗号解読で常に把握していたという事実だ。だから「アメリカが仕掛けた」という見方が出来ることを説明してきた。
毛沢東や周恩来は日本軍に感謝していた事実を知らないのか。植民地にあった東南アジアの人々は日本軍を歓迎で迎えた事実を知らないのか。
日本がアジアで戦った相手は、占領していた米、英、仏、蘭の軍隊と経済的利益を独占してきた華僑だった事実を知らないのか?。まさか日本軍が現地の民族を殺害し虐待したなどとは考えていないだろうな。
貴方のブログ名は「普通の赤い国、日本をめざして」と変えるべきだろう。三教組役員までつとめてその思想に何の疑問を持たず、それが普通といまでも思っていること自体が既に救いがたい。
日本の教育をここまで荒廃させた責任は日教組にある。生徒に「日本は悪かった、迷惑をかけたアジアに永遠に謝らなければ行けない、中国、朝鮮にはもっともっとお詫びしなければならない」。
「戦前の日本は悪かった、自分たちの親も祖父も酷いことをした極悪人」とでも今まで教えてきたのかね。するとその子供である我々も、孫である子供世代も極悪人とでも言うつもりなのか!。
そんなに日本がいやで嫌いだったら、貴方の好きな中国でも北朝鮮でもさっさと行ってくれ。だれも引き留めないから!。以上
hanausagi さん、あなたはとんでもない間違いを犯している。
【支那事変で日本は蒋介石国民党をあと一歩まで追いつめていたが・・】
と書いているが、ボケてるとはこのことを云うんだ。
蒋介石と戦うことが「善」である、という仮定が正しければあなたの議論は一応成り立つ。
しかしだ、蒋介石と戦っていること自体が国際社会から非難されていた。
そもそも、中国という他の国に入っていって、その政府を攻撃することを「侵略」というんだ。
あなたのボケた頭の辞書にもこの言葉を付け加えておいたほうがよい。
この前提が「侵略を是とする」ことから始まっているから、
【英米の武器や資金の支援で決着がズルズルと引き延ばされている状況にあった。】
ととぼけたことを云うんだ。
アメリカなどが侵略されている国(中国=中華民国)を援助することは当然ではないか。
【何としてでも戦争を回避したいという日本の意向を踏みにじるような事実上の宣戦布告とも言うべき「ハルノート」を提示したのはアメリカですよ】
支那事変で日本は蒋介石国民党をあと一歩まで追いつめる、つまり侵略しながら戦争を回避する、などというのは詭弁に過ぎない。
アメリカはそういう日本に対して「ハル・ノート」を突きつけたのであって、当然といえば当然である。
「非」は日本の中国侵略にある。
あなたは少し前に、
【先の戦争は、アメリカのルーズベルト大統領が日本はおろかアメリカ国民をもだまして始めたことは、その後に解禁になった報告書で明らかになっている】
とか
【アメリカ歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は1948年、「ルーズベルト大統領と第二次世界大戦」を著した。アメリカの公式資料に基づいて日米戦争が大統領の周到な準備によって日本に仕掛けられた謀略であることを告発したのだ】
などと書いている。
陰謀とか、騙した、とか云うのはこの中国援助のことなのかな?
見事に噛み付き合ってはいても話は噛み合っていないですね。話が大きくなりすぎている。ここではまずはお題の映画の審査問題に絞ってお聞きしたいのだが、映画の内容の是非でなく文化庁の審査自体はその審査基準に適合していると思いますか?。その一点如何でしょうか?。私はそれがクリアされていてこその内容の問題だと思うのです。 もしこれが個人資金で創られているなら別ですが。
>蒋介石と戦うことが「善」である、という仮定が正しければ
へえ~、善悪論を出すの?。
>蒋介石と戦っていること自体が国際社会から非難されていた。
日本は不拡大政策をとっていて我慢に我慢を重ねていたが、コミンテルンの意を受けた毛沢東共産軍の陰謀による盧溝橋事件で支那事変に突入を余儀なくされたのだよ。「日本は常に受け身であった」という意味がここにある。
>そもそも、中国という他の国に入っていって、その政府を攻撃することを「侵略」というんだ。
それならその結果としての租界も同じだな。当時上海や天津他にはイギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア、ベルギー、ロシア、イタリア、日本などが20カ所以上の租界を持っていた。
上記の国々も侵略国家と認めるのだな?。
>アメリカなどが侵略されている国(中国=中華民国)を援助することは当然ではないか。
するとこのコメントは矛盾してないか?。アメリカも中国を侵略していたのだよ(笑)。
酷いね~、無知を恥じるということを知らないらしい(繰り返し)
前にも言ったけど、明治維新以降の近現代史を勉強し直せ。あまりにもその歴史認識がピントはずれでみっともないよ。三教組の役員でもその程度?。
貴方に質問する。
私はチベット、東トルキスタン、内モンゴルは支那中共の侵略であり、民族浄化を行っている許し難い行為であると思っている。
貴方は私の意見に賛成か、それとも支那中共の国内問題と思うのか、どっちだ?。これはちゃんと答えてもらう。
>映画の内容の是非でなく文化庁の審査自体はその審査基準に適合していると思いますか?。その一点如何でしょうか?。
ごめんなさいね。お邪魔したみたいで(--)。
質問に対する私の答えは「全然まったく適合していない」です。
【文化庁の審査自体はその審査基準に適合していると思いますか?。】
という問についてですが、映画を見ていないのでなんとも云えません。
一般論として、ある範囲にある限り(これが大事なことですが)、たとえ「反日的」だと一部の人が判断しても、審査基準に適合していないとはいえない、というのが私の答えです。
刈谷さんがキャストであることを拒否しているらしいから、多分この映画は上映されないだろう。
観る機会を奪っておいて、【適合していると思いますか】と聞かれてもいいようがありませんな。
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hanausagi さん、
まず、中国がチベット、東トルキスタン、内モンゴルに侵略して奪取している、ということに全くの同意見だ。全くその通りです。
あなたとの違いは何処にあるのか?
hanausagi さんの意見:1937年以降の日本は今の中国とは全く違う。
私の意見:(1937年以降の日本は今の中国と)非常によく似ている。
もう一つ、英米など西欧列強も中国を侵略していたのではないか、とのご意見だが、これもその通り。
日本のその一員になろうとしたわけだ。
これだけなら問題は少なかった。
一番の(日本の)間違いは、欲が深すぎたことだ。
あなたは、1937~38(昭和12~13)年当時中国における日本の「勢力圏(事実上支配していた地域)」がどれくらい広かったかご存知か?
一度地図で確認して欲しい。
いいかね、日露戦争で確保した南満州鉄道とその周辺だけなら、列強並みだった。
ところが蒋介石が「北伐」で中国を統一しそうになると、この地域も取られるかもしれないと勘違いした河本、石原などによる謀略で張作霖を暗殺し、満州事変を起こし、満州国をでっち上げた。
これに物足らず、北京の北に緩衝地帯を押付け、上海事変で南京まで攻め込み更に南方に戦火を広げた。
(続く)
当時の中国に関係していた国々においては何処から見ても文句の付けようはない、きれいにスジが通っているなどという国は無かった。
多かれ少なかれ「尤もだ」と思われる言い分も、「無茶だ」と思われる言い分もあった。
要は程度問題なのだ。
日本は「分」を超え、無茶すぎたということだ。
あなたの意見は支離滅裂だ。
はじめにあなたは、太平洋戦争(真珠湾攻撃から始まる戦争)は「アメリカの陰謀に日本が乗せられて始めた」という。
私が「日本は国益を無視して陰謀に乗って戦争をおっぱじめたのか?」
と聞いたら、あなたは
「ハル・ノートで‘死ね’といわれたから戦争に突っ込んだ(これが国益だ)」
という。
では、戦争の結果国益は守られたか?という問には答えはない。
あなたには答えられない。
当時の指導者(今の一部の愚かなウヨク)が云うところの「国益」はすべて失われた。
中国における権益だけではない。
台湾も、朝鮮半島も失った。これが良かったか悪かったかは、問わない。
要するに「国益を守る」といいながら必要以上に失ったではないか、といいたいのだ。
あなたのボケた頭ではこういう支離滅裂さが分からないようだ。
雑誌『正論』ばかり読んでいると、そういうドタマになりかねない。
ボケ老人がこれ以上増えては困る・・・。
【コミンテルンの意を受けた毛沢東共産軍の陰謀による盧溝橋事件で支那事変に突入を余儀なくされたのだよ。「日本は常に受け身であった」】
・・などとみっともないことを云うなよ!
>hanausagi さんの意見:1937年以降の日本は今の中国とは全く違う。
あれ、そんなこと言っていないだろう。私の書いた文を良く読め。
>謀略で張作霖を暗殺し、満州事変を起こし、満州国をでっち上げた。
数年前にユン・チアンがマオのなかで、
「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」。
こういう情報が明らかになり、一昨年くらいに雑誌で話題になっていた事は貴方も知っているだろう。従来の常識が疑われているのが現状だ。
満州事変もそんな単純なものではない。領土的野心だけなら領土で良いわけで「満州国設立」などいらないではないか。それをどう説明するのだ。
この分野の研究の第一人者は渡部昇一氏だ。「リットン調査団」、「紫禁城の黄昏」を熟読してみろ。目から鱗だぞ。
>要するに「国益を守る」といいながら必要以上に失ったではないか、といいたいのだ。
東條英機首相は、アメリカに対して「開戦責任は認めない」とし、「日本に対しては敗戦責任はある」として立派に死んだではないか。
戦争に負けたと言うことはそういうことだ。軍の指導者だけをいうが、当時は議院内閣制は立派に機能していたし、貴方の好きな朝日新聞を筆頭に全てのマスコミが戦争をあおり、当時のほとんどの日本国民もこれを支持していたという事実を忘れるべきではない。
それとも貴方はハル・ノートを受諾して、自滅を待てと言いたいのか?。
>・・などとみっともないことを云うなよ!
東京裁判で東条首相が証言した言葉だ。後にマッカーサーも認めた事実をガキの言い合いみたいに軽々しく論評するな。
頭の程度が知れるぞ。そんなに日本が悪いと叫びたいなら、さっさと好きな国に出て行ったらどうだ。誰も引き留めない。日本にいて日本が悪いと叫ぶび行動する輩を反日日本人という。日本の本当の敵はこういう人間だ。
あっ、云うの忘れた。
>まず、中国がチベット、東トルキスタン、内モンゴルに侵略して奪取している、ということに全くの同意見だ。全くその通りです。
では聞くが、君はこの件について、何か意見表明なり行動を起こしたのか?。ブログにも何もないな。
靖国上映中止は表現の自由の侵害だ、と云っておきながら、今現在も進行中の支那中共のチベット人虐殺には何も言わない。
こういうのをダブルスタンダードという。参考までに、私はチベット抗議デモに三回、抗議集会にも四回程度は出ている。
たまには「チベットに自由を!」、「中共はチベット弾圧を止めろ!」と大声でデモってみろ。
はじめにチベット問題について・・・。
「イザ!」のブログは最近始めたばかりで触れていない話題が多い。
しかし、もともとHPがあって、そこでは数年前からチベット問題について触れている。
www.ztv.ne.jp/web/ms-kudoh
を読んでもらえば分かるだろう。
最近のチベット情勢については、田舎にいるため集会にもデモにも参加できなかった。
その代わり「貧者の一灯」だが知り合いのチベット人(日本在住)に運動資金として寄付している。
ちなみに集会とかデモであるが、『チャンネル桜・掲示板』でも呼びかけをしていた。
こういう人たちと一緒にデモをするのはごめんだと思った。
それは、『チャンネル桜・掲示板』の「地獄の戦場」での議論をみて感じることだ。
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By the way・・・
「陰謀論」だが、ルーズベルトの陰謀、毛沢東の陰謀、スターリンの陰謀・・とあたかも日本が陰謀によって戦争に巻き込まれた、いわば「被害者だ」と言いたげだが、冗談も休み休みに云いなさい。
誰かが陰謀を図ったとする。
これは簡単、謀議そのものは簡単である。
しかしそれが実現するためにはいくつかの困難を乗り越えなければならない。
ルーズベルトや、毛沢東それにスターリンが陰謀を計画したとしてもおかしくはない。
しかしそれをどう実現したかを検証することなしに、彼らの「陰謀によって(日本は)戦争に巻き込まれた」と主張しても、そういう意見は「ゴミ」である。
hanausagi さんに聞くが、ルーズベルトなり毛沢東なりがどのような陰謀を計画し、どのようなプロセスを経て実現(成功)に導いたかを示していただきたい。
もちろん、ビアードとか渡部昇一とかあなたが挙げた‘大先生’の本を読む気はない。あなたが要約してそのプロセスを示していただきたい。
渡部昇一を読めば‘目からウロコ’というが、むしろ‘白内障’になる確率が高い。
【それとも貴方はハル・ノートを受諾して、自滅を待てと言いたいのか?。】
分かっていないねぇ、ハル・ノートを拒否して「自滅の道」に向かったのではないか。
チベットの件は了解した。
>チャンネル桜・掲示板』でも呼びかけをしていた。こういう人たちと一緒にデモをするのはごめんだと思った。
私はこのデモにも参加した。あいにくの雨で人出が心配されたが、良く集まったと思う。先入観念が過ぎやしないか。憂国の士によるまともなチャンネルで、私は高く評価している。
>ルーズベルトなり毛沢東なりがどのような陰謀を計画し、どのようなプロセスを経て実現(成功)に導いたかを示していただきたい。
一連のコメントの中でいろいろな書籍を紹介したが、それを読めばすべて判る話だ。
ただ、一言付け加えると、貴方のコメント見ていて日本からしか物事を見ていない印象を受けたので、アメリカ側から見るとこういう見方もあって、ほぼ当たっているんだよ、と指摘したのだ。相当ビックリしたようだけど。
>渡部昇一を読めば‘目からウロコ’というが、むしろ‘白内障’になる確率が高い。
つまり、現在の自分自身の考え方で思考が止まっている。向上心がないということだ。自分で本屋に行って身銭を切って本を買い、勉強し直すという意欲と勇気はもうないのか?。
>分かっていないねぇ、ハル・ノートを拒否して「自滅の道」に向かったのではないか。
何回も云うけど、その渦中にいた政府やマスコミ、国民など当事者がその選択をしたのだよ。結果を見て当事者でもない貴方が、つまり戦争を体験していない後の人々がそれを批判するのはたやすいことだ。
しかしそれは国の存亡を掛けて必至で戦った我々の先人たちを否定することになるのが判らないのか。無謀な戦いをした当時の日本人は馬鹿だ!、と云っているに等しい。
その馬鹿から生まれた私たち、さらにその子供、孫も馬鹿だとでも云うつもりなのか。お国のために勇敢に戦った先人に敬意を表し感謝する、という発送は持てないのか?。
世界が賞賛した日本人の大和魂、武士道。貴方はその対極にある人だ。
【何回も云うけど、その渦中にいた政府やマスコミ、国民など当事者がその選択をしたのだよ。結果を見て当事者でもない貴方が、つまり戦争を体験していない後の人々がそれを批判するのはたやすいことだ。
しかしそれは国の存亡を掛けて必至で戦った我々の先人たちを否定することになるのが判らないのか。無謀な戦いをした当時の日本人は馬鹿だ!、と云っているに等しい。】
こんなこというと、同じ論理がナチス・ドイツにも当てはまるのではないかな?
【軍の指導者だけをいうが、当時は議院内閣制は立派に機能していたし、貴方の好きな朝日新聞を筆頭に全てのマスコミが戦争をあおり、当時のほとんどの日本国民もこれを支持していたという事実を忘れるべきではない】
といっているが、ヒットラーも一応‘合法的に’絶対権力を握った。
もちろんその過程に「暴力」があった。これは日本でも同じで「テロ」が荒れ狂った。
当時の圧倒的大多数のドイツ人はヒットラーを支持していた(もちろん反対勢力もあったが、かき消されていた。日本では斉藤隆夫のような骨のある人は残念ながら少なかった・・)。
いいかね、‘合法的手段’で政策を実行しておればその政策(行為)は正しい、というか後世が非難すべきではない、などというのは見当違いも甚だしい。
hanausagi さんの論法によればヒットラーも非難さるべきではないし、場合によってはスターリンだって(見せ掛けの)議会で‘鳴り止まぬ拍手’で支持、承認されたのではないか?
(続く)
かってのソ連、ナチス・ドイツ、あるいは現在の中国、そして当時の日本・・・いずれも言論の自由が非常に、若しくは、かなり制限されており、政府批判(日本では、特に軍部批判)が出来なかった。
【必至で戦った我々の先人たちを否定することになる】
こういう言い方は理性を麻痺させるに十分だ。
一般庶民は戦争に行くことを拒否できたのか?・・・できるはずがなかった。
赤紙で召集された一般庶民を「否定」することにはならない。
私が否定するのは、そういう戦争を指導した、そして反対勢力を弾圧した連中を言うのだ。
そういえば、阿比留瑠比さんも2008/04/03 14:29の返信で、(靖国神社の「遊就館」に関して)
【私は先の大戦について、その手法やあり方にミスや間違いがたくさんあったにしろ、戦争になったこと自体は「やむをえなかった」と考えています。】
と当時の日本の立場を肯定しているようで、当時の朝日新聞並みですな。
>同じ論理がナチス・ドイツにも当てはまるのではないかな?
おっ、今度はナチスドイツに話が行くのね。
仮に、当時の日本国民、つまり敗戦を体験し、その日その日を食べていくのが精一杯だった人々が、悪いのは軍の指導者だった、天皇陛下だったという思いを共有していたと仮定する。
今の貴方と同じようにね。すると、次のような事実をどう説明するのだ。
昭和27年、サンフランシスコ講和条約によって日本は独立を回復すると、すぐに戦犯・赦免運動がはじまった。昭和27年から30年にかけて4回の・戦犯赦免・の国会決議があり、社会党女性議員の提唱ではじまった国民の赦免署名はなんと4000万人を超えた。
つまり、当時の政治家と日本国民は東京裁判を否定、「ふざけるな」の思いを共有していたのだよ。もし本当に戦犯であると思っていたなら、決して赦免運動、赦免決議をしなかった筈だ。。
確かに日本は敗戦でボロボロになったが、国民は戦時の政治家をヒトラーやムッソリーニのような独裁者であると思っていたわけではなかったのだ。
この運動や決議の結果、すでに処刑されていた戦犯は「法務死」とされ靖国神社に合祀された。また、遺族年金や弔慰金も支給されることに決まった。
即ち、東京裁判で戦犯とされた人たちは、「独立後の日本で戦犯ではない」と国会で決議されたのだよ。国内法では戦犯などいない、この事実を貴方は知らないのか?。
どん底の苦難を体験していた当時の日本国民がほとんど総意の形でこのような行動を取ったのだ。これは歴然たる事実だ。
その後の世代である貴方が「納得いかない」と思うのであれば、当時の4本の国会決議とその関連法の取り消し、ついでに4000万人の署名の無効を運動をすればよい。
多分、そのような運動をすれば、当時を必至で生きて我々にバトンタッチしてくれたあの世の世代から、「この罰あたりめ!」と言われるのではないか?、私はそう思う。
それは、とりもなおさず、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の浸透であった。『太平洋戦争史』は、まさにその「プログラム」の嚆矢として作成された文書にほかならないからである。
歴史記述をよそおってはいるが、これが宣伝文書以外のなにものでもないことは、前掲の前書を一読しただけでも明らかだといわなければならない。
そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。
これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命化にほかならない。
「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。
大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。
そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。
つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。
以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。(閉ざされた言論空間、江藤純著、文春文庫)
日本軍が悪い、靖国は反日だという貴方の主張は見事にこのWGIPによって洗脳されたものと一致する。貴方はこのプログラムの優等生だ。
東京はじめ大都市の民間人への無差別絨毯爆撃、ヒロシマ長崎への原爆投下、悪いのは国際法を徹底的に無視した米軍に決まっているだろう。
▲「判決の取り消し」と不利益の除去とは違う▲
【即ち、東京裁判で戦犯とされた人たちは、「独立後の日本で戦犯ではない」と国会で決議されたのだよ】
一連の国会決議で、極東軍事裁判の何を否定(修正)し、何をしなかったかがまるで分かっていない。
① そもそもこの国会決議は戦犯の家族(遺族を含む)を救済することが一番の目的だった。
すなわち、戦犯も敵前逃亡のような犯罪であるわけで、その場合は恩給などは支払われない。それでは家族(遺族)が気の毒だ、というので救済を主目的とした決議だった。
処刑された戦犯(A級だけではなくB、C級も)は「犯罪」ではなく「法務死」と「みなす」とされた。
② このことは、「戦犯」という罪名を否定(取り消)したのではなく、要するに「実害」がないようにしたのである。
有罪判決そのものを取り消したのではなく、それによる不利益がないように取り計らったのであり、両者をごっちゃにしてはならない。
どういうことかと言うと、例えば履歴書には賞罰を記載することになっている。
「戦犯」だったことを記載する義務はあるが、それによって特別の不利益を蒙ることはない、ということだ。
▲「判決の取り消し」の法的手続き▲
③ そもそも判決を取り消す(修正する)には、原判決を下した裁判所より「高等な」裁判所で審理し、決定しなければならないことは法治国家の常識である。
極東軍事裁判所やB、C級戦犯を裁いた各地の裁判所についても、その判決を取り消すにはそれより高等な裁判所が判断しなければならない。
唯一考えられる「手続き」は日本政府がサンフランシスコ講和条約を締結したすべての国に対し、国会決議で判決取り消しを決めるがよろしいですか、とお伺いを立て承認されれば可能だろう。
しかしそんなことは出来るはずがない。
サンフランシスコ講和条約は、極東軍事裁判を認めることを前提になされているからだ。
サンフランシスコ講和条約でも、判決取り消しの手続きは定めていない。
この第11条は、例えば収監されている被告を一定の手続きで釈放することは認めており、そのように処理された。これをもって【日本には戦犯はいない】などというのは法律を知らないボケの云うことだ。
>hanausagi さん、あなたは何処まで抜けてるんだろう?
いよいよ口が悪くなってきたな(笑)。
サンフランシスコ講和条約11条で、日本は「東京裁判を受諾」したのか、あるいは「東京裁判の判決を受諾したのか」の古くて新しい問題だ。
前者なら日本政府は日本の有罪を認め、事実認定からABC級戦犯の罪状すべてを受け入れたことになる。多分貴方はこの立場だろう。
後者なら判決のみを受け入れたのであって、そのほかの部分は認めてはいないという立場で、当然私はこれだ。
今夜自宅に帰ってレス返すが、その前に聞いておきたい。
4000万人を超える署名をした日本人の気持は、「犯罪人だけど気の毒だから赦免要求に賛同する」なのか、あるいは「あんな不当な裁判は認めない、即時に赦免を要求する」という思いだったのか。どちらだと考えているのか?。
To hanausagiさん
議論が全くかみ合っていないようなので他でやったら?
お互いのブログとかで
・・・・・・・・・・・・
【議論がかみ合っていない】
というより、このスレッドのテーマと少し離れていることが問題でしょう。
他でやるべきだ、というのも尤もなのでそうしたほうがよいのでしょうかね・・・?。
その前に・・・
先の戦争について日本の戦争責任を認める(極東軍事裁判を支持することも含む)という主張をA、これに反対の主張をBとすると、Aの立場の殆どの人は稲田、有村議員らの行動を批判し、逆にBの立場の人は殆どが両議員を支持するでしょう。
おそらくきちんと色分けできると思うのです。
スレッドのテーマと関係ないようで、実は深く結びついているのです。
だから私は、気になりながらも、書込みを続けているわけです。
皆さんの意見を見ながら続けるか止めるか決めます。
>To 三代目 中村シド(ヴィシャス)さん
横レス失礼しますが
>その前に・・・
>先の戦争について日本の戦争責任を認める(極東軍事裁判を支持することも含む)という主張をA、これに反対の主張をBとすると、Aの立場の殆どの人は稲田、有村議員らの行動を批判し、逆にBの立場の人は殆どが両議員を支持するでしょう。
>おそらくきちんと色分けできると思うのです。
恐ろしく単純な見方だと思いますけどね。
表現の自由というものを大事にする人は、稲田、有村議員らの行動を批判すると思います。
日本の戦争責任を認める認めないにかかわらず。
それとも、日本の戦争責任を認めない人たちは表現の自由を重視しないんですか?
>その前に・・・
>先の戦争について日本の戦争責任を認める(極東軍事裁判を支持することも含む)という主張をA、これに反対の主張をBとすると、Aの立場の殆どの人は稲田、有村議員らの行動を批判し、逆にBの立場の人は殆どが両議員を支持するでしょう。
>おそらくきちんと色分けできると思うのです。
>
>スレッドのテーマと関係ないようで、実は深く結びついているのです。
>だから私は、気になりながらも、書込みを続けているわけです。
戦争責任の定義で判断が分かれるので、貴方の言うような単純な色分けは出来ないのでは?
それこそ貴方が白内障になり、hanausagiさんが敬愛するであろう「渡部昇一」さんも戦前の日本政治は「二頭政治」であることを指摘しています。
もっとも「渡部昇一」さんはAでしょうけど・・・
横レスのヨコレス失礼します。余りに噛み合ってない噛み付きあいなので傍観しておる者ですが少々気になったことを書かせていただきますね。まず戦争責任を認める派、認めない派に分類されるなら認めるべき点は認めるが既に平和条約等で終わったとする私の様な考え方は認めない派?。 また表現・言論の自由については私見ですが問題とされている議員さん達に近いと思われますこちらのブログの自由さに比べ2代目イザンヌさんの名前にあるところはかなり管理?されているように感じるのです。マスコミの言論の自由とは右に厳しく左に甘い?!。(かって同じ放火でも失脚中の加藤議員と新しい教科書の事務局の場合かなり扱いが違いましたよね。) ふと、思ったままに・・・
>To KURO-CATサマ
>横レスのヨコレス失礼します。余りに噛み合ってない噛み付きあいなので傍観しておる者ですが
はい、たしかに噛み合ってないですね(^^;
ここの皆さんは基本的に、この問題を表現の自由の問題とは見ていないみたいですので。
しかし、巷の問題意識は表現の自由に対する事前抑制の問題と見ていると思います。
私も事前抑制の問題のほうが深刻だと思っています。
>マスコミの言論の自由とは右に厳しく左に甘い?!。(かって同じ放火でも失脚中の加藤議員と新しい教科書の事務局の場合かなり扱いが違いましたよね。) ふと、思ったままに・・・
マスコミの基本的スタンスについては、ここで指摘されているように産経と朝日は相当違うと思いますがそれはともかく、
私としては、靖国擁護映画であろうが批判映画であろうが、上映開始前に国会議員がクレームをつけて上映中止になったとしたら、まったく同じ反応をします。
その議員を批判します。
上映開始後のクレームであれば、みんなが見た上でそれぞれ意見を言えばいいと思います。
それぞれのブログでやれと言うもっともな意見が出たので、そろそろ終わりにしよう。阿比留さんにもこれ以上の迷惑はかけられない。
>有罪判決そのものを取り消したのではなく、それによる不利益がないように取り計らったのであり、両者をごっちゃにしてはならない。
貴方の意見の通り、日本政府は戦犯を認めていてこれは取り消していないとすると、次の事実について問題になっていないことの説明がつかない。
・A級戦犯の重光葵氏は鳩山内閣の副総理・外相となり、国連で感動的な復帰演説をし、勲一等まで受賞している
・A級戦犯合祀が明らかになっても大平首相、鈴木首相は靖国神社に参拝している。
・8月15日の全国戦没者追悼式にはA級戦犯も対象としているのが政府の見解だが、天皇陛下のお言葉を頂いている。
さらに貴方が今でも抱いている「全ては軍や政治の指導者が悪かった」という思いは、敗戦でどん底の生活を強いられていた国民の共通の思いだったのか、はなはだ疑問だ?。
敗戦で苦難の国民を励まそうと昭和天皇は昭和21年から沖縄以外の全国を約8年半かけて御巡幸された。行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の歓迎の国民にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
東京裁判が国際法に基づくまともな正義の裁判だったかといえば、今では世界の法学者で誰もそんなことを信じているものはいない。日本の左翼ぐらいだろう。つまり貴方のような人たちだけだ。
軍事法廷で読まれる事の無かったパール判事の判決文が今でも燦然と光り輝いているのは、それが国際法上唯一まともな判決だったからだ。戦争責任については「日本は無罪」だ。
最後に貴方に次の一文を紹介して私のコメントの〆とする。
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう
これはパール判事の判決文の結文である。1966年10月(死去の前年)、パール博士は4度目の来日をされ、天皇陛下から勲一等瑞宝章を授与された。
・民主主義国日本において、表現の自由という「権利」と日本国憲法・法律を守るという「義務」は一体である事を確認する。
・映画に登場する刀匠の刈谷直治さん、参拝シーンを無断で撮影されポスターに大々的に扱われている現職自衛官、何より靖国神社そのものから異議が申し立てられ、削除要請が出されている事実がある。
・従って李纓監督はこの三者と協議し、話し合いで折り合いを付けるか、削除なりして了解を取り付ける必要がある。そうでなければ商業映画として一般公開をする条件を満たさない。
・つまり助成金が妥当か、あるいは表現の自由の侵害云々よりも、それ以前の問題である。映画はまだ完成していない。三者との解決が大前提であり、それをクリアしてから「映画」として公開すべきである。
この件に関してはそのように考えています。
稲田、有村両議員は「表現の自由の問題」に引っかからないように、「助成金の是非」と「出演者のキャスト拒否」、「靖国神社の異議申し立て」などという全く別次元の問題を持出して、巧妙に事前抑制を引き出したのです。
もし「表現の自由の問題」の問題であるとすると、いったい誰に文句を言うのでしょうか?
先日TV「たかじんのそこまで言って委員会」(注)でこの問題を取り上げていました。
「誰が一番悪いと思いますか」という問に対し、8人のコメンテーターの内(誰だったか忘れましたが)「映画館」と答えた人がいました。
日教組と「高輪プリンスホテル」の問題では、マスコミは圧倒的にこのホテルが悪い、という論調でした。
今回の件もそれと同じではないか、というのが(映画館と答えた人の)理由です。
ちなみに回答として「議員」、「街宣車」、「文化庁」などがあがっていましたが、李纓監督の名前はあったかな・・・?
「表現の自由」、「事前抑制」ともに重大な問題ですが、この件に関しては「歴史認識の違う2つの勢力の代理戦争」だと、私は思います。
私が先に書いた「大東亜戦争を肯定的に評価する見解(=B)」の立場の人々は靖国神社への批判には極度に「嫌悪感」を示し、それが両議員による巧妙な「事前抑制」に繋がったのです。
ちなみに「表現の自由」、「事前抑制」を中心テーマとすると、同様の事件「女性国際戦犯法廷」放映問題と整合性が難しくなります。
このドキュメンタリはNHKの(一種の)「事前抑制」で、法廷主催者側の「期待権」を裏切ったと法廷は判断したようです。
注:「たかじんのそこまで言って委員会」は読売TV系で、関東以外の殆どの地域で放映されています。たかじんさんは関東では絶対にやらない、といっています。
恐い考え方ですね。
立場を変えて、自分が制作者側になったときのことをちょっと考えればおわかりだと思いますけど。
制作者側と出演者側のトラブルは当事者同士で解決するのが原則で、第三者が仲裁または一方当事者側に立つこともありだと思いますが、国会議員がそれをやっちゃいかんでしょ、というのが憲法を学んだ人間の常識だと思いますよ。
助成金の問題も、所詮は金の問題ですから問題があると決まれば返還を求めればいいと思いますが、一国会議員が質問したからといって返還しなければならない筋合いのものではないです。
表現内容の問題については、何はなくても「見てから議論しよう。」というのが大原則ですよ。
国会議員が事前抑制について、「原因を作った」でも「繋がる言動をした」でもともかく事前抑制に加担したという疑いが生じる言動をしただけで、その一点において批判は免れないですね。
上映が開始されてから、自分で見に行って意見を述べていれば、事前抑制云々の批判は受けなかったんですよ。
事前抑制を問題にすることと映画の内容を批判することはまったく別問題ですよ。
事前抑制を行うことなく徹底的に映画を批判することは可能ですし、誰もが映画を見られる状況でこそ説得力のある徹底批判が可能だと思います。
鈴木邦男氏らも同意見のようですね。
鈴木邦男氏がここでどのように見られているのかは知りませんが。
また横から口を挟みます。たかじんの番組ではたしか志方氏?でしたかの「金を出した文化庁が悪い、映画を創る方も自己資金で創れば文句言われないでしょうに・・・。」でしたか?が最も正論に思えました。また元右翼の親玉さんの発言もなかなかでしたね。(この番組は司会者以下師匠初め東京では危な過ぎますね!) それからABの2分割だけでなく、認めるべき点は認めるが既に平和条約等で終わったという考え方も有ると思えませんか?。 全く別件ですが、空自のイラク派遣に対する判決はいかが思われますか?。以前も有りましたが柔道の掛け逃げ的と言うか・・・。裁判の限界でしょうか?。
で、民族派の『靖国』についての討論の再放送が見られました。
その中で民族派パネラーの中で最長老とおぼしき山口申氏が述べていたことが、印象的でした。
「東京大空襲を経験した自分としてはあの映画を見て(共感して?)泣けた」「中国人の監督が、中国の資本も使って撮ったのだから、南京虐殺のイメージはいれざるを得なかったのではないか(だから、それを責めるのは気の毒?)」「我々の世代は、いいか悪いか?、より敵か味方か?の方が重要だと教わった(この中国人監督を山口氏は味方と感じて、肖像権だなんだ、という善悪の議論をする若い右翼をいさめている?)」以上、( )の中は、勝手な私の感想ですが、興味深い発言の数々が聞けてありがたかったです。
何か、あの戦争を経験した世代と全く知らない世代では、愛国も靖国も同じ言葉でも全く違う意味をもっているような気がします。
以下、上坂冬子氏の
「正論」 再論「靖国」 より、一部引用します。
>{ 結論からいうと、この映画は私には老人への言論イジメにさえ思われた。いまも名刀を打ちつづける90歳の矍鑠(かくしゃく)とした刀匠の応答が柱になっていて、答えたくないことを強いられている印象を受けたからだ。
画面はまず敗戦の日に旧陸海軍の軍服を着て靖国に参拝する人々の様子から始まるが、それが終わると老刀匠が現れる。監督はこの厳粛な雰囲気で靖国刀を作るのはどんな気持ちか、戦争中はどう思って作ったかというような質問を、たどたどしい日本語で聞く。刀匠は穏やかな表情ながら無言であった。
かつて靖国刀として8100振りの刀が靖国の境内で作られ将校の手に渡ったという解説が字幕で入ったから、観客には監督の意図が手にとるようにわかる。監督は「覚えていることだけでもいいから」と執拗(しつよう)に刀匠に問いかけたが、刀匠は淡々として最後まで見事に無言を貫いた。
≪無言の老人を執拗に≫
これでいい、長々とカメラを向けられながら一言も口にしなかった刀匠を映し出しただけでも、この映画は上出来だと私は好感を持った。
これ以上は観客の忖度(そんたく)に任せるのが表現の自由というものだろう。}
上坂さんが、上出来だと好感を持った映画を、「反日」「反日」と騒ぎ立てた有村、稲田両議員の「売名行為」がこれではっきりしました。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080425/tnr0804250256000-n1.htm
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「反日だ」と聞けば‘血が踊る’バカな‘ウヨク’がいる。
少しでも「言論弾圧」の匂いをかぎつければ大騒ぎするマスコミがいる。
この2点を熟知した人は、そういう状況を生み出すにはどうすればよいかを考える。
まず、どこかの週刊誌なり何とか新聞の記者にそれとなく漏らす・・・
「映画『靖国』は反日的だ」
真に受けた記者はさっそく記事にする。
これまたその記事を‘利用できる’と勘違いした議員が、法的には「言論弾圧」には当たらないように、巧妙な手段で‘ケチ’をつける。
予想通り一部マスコミは「言論弾圧だ」と騒ぐ。
騒げば宣伝になる。
こういうのを「謀略」というんです。
もちろん冗談ですよ・・。