あす4月29日は「昭和の日」ですね。昨年のこの日は前回のエントリで写真をアップしたようにアラブ首長国連邦で海上自衛隊の護衛艦に乗ることができたので思い出深いのですが、きょう、まったく関係のないサミットの原稿を書いていて、この日に関する別の記憶が甦ってきました。それは9年前、当時の小渕首相が、大方の予想を裏切ってサミット開催地に沖縄を決定したのが4月29日だったということです。

   

 あのとき、私は首相官邸で小渕首相の総理番と自治省を担当していました。新聞各社は、当然のことながら8年ぶりに日本で、しかもそれまでの東京開催と違って初めて地方で開かれるサミットの開催地がどこになるのか抜こうと必死でした。読売は22日の夕刊1面トップで「首相は開催地を福岡でとする意向を固めた」と打ってきていましたし、産経はその前の15日に「大阪府開催が有力に」と書いていました。またその前日には朝日が「福岡市有力」とやっていましたし、確か福岡が地元の西日本新聞も福岡開催が決まったというトーンの記事を載せていました。

   

 でも、これらはみんな周辺情報で、小渕氏の固い決意はどこの社も見抜けていなかったようです。あとで事情を聴くと、政務、大蔵、通産、外務、警察といた首相秘書官の中でも、外務省出身の秘書官だけが、密かに米国への事前根回しために「沖縄案」を知らされていただけで、小渕氏は本当に自分の気持ちを周囲にも漏らしていなかったとのことでした。米軍基地が集中する沖縄で開催するには、やはり米国の意向は無視できないところだったのでしょう。

   

 私はと言えば、あとで振り返り「あれはヒントだったのかも」と、痛い思いをしたのを覚えています。サミット開催地決定の前日の28日夜、担当していた野田毅自治相兼国家公安委員長の自宅に夜回りに行ったところ、他社の記者はだれもいませんでした。玄関で呼び鈴を押して待っていると、出てきた野田氏は私に「心配しなくていい。絶対にどこの社も開催地は当たらないから」と言い残して自室に引っ込みました。鈍い私は「絶対にどこも当たらない」という言葉から、ただちに「沖縄だ!」と思いつくことができなかったのでした。

   

 当時、開催地に立候補していた8候補地のうち、沖縄は警備上の観点からは「ダントツで最下位」だったほか、各国首脳と随行団、プレスなどを泊める宿泊施設も少なく、空港から開催予定地までの交通の便も悪いというありさまで、まさか沖縄がメイン会場に選ばれるとは思わなかったのです。その意味では、野田氏の言葉はある意味で大きなヒントともなっていたのですが…。

   

 記者が夜回りその他で取材先からネタを聞きだそうとするときに、まったく白紙で何も知らずに「どこですか」と聞くのと、「沖縄ですね」とぶつけるのでは、相手の対応も自ずと異なります。あそこでピンときて、また違う政治家や政府関係者にその情報をあてれば、あるいは…とも思うと悔しいのですが、取材力のない私のことですから、やはり無理だったかな、とも思います。こういう「あのときこうしていれば…」という瞬間はいくつもあります。このときの官房長官だった野中氏が自民党幹事長となり、その職を辞する前も、ある人から「野中さんの辞める意思は固いよ」と確度の高い情報を得たのですが紙面化できませんでした…。今でも記者として未熟だと感じていますが、これまでやってきたことを振り返ると苦笑いするしかありません。

   

 それでは、どうして小渕氏は条件的に不利な沖縄に決めたのか。それは、もともと学生時代から沖縄復帰運動に携わり、初入閣も沖縄開発庁長官だった小渕氏の沖縄に対する個人的思い入れも強くあったのでしょうが、一番の理由は別のところにあったそうです。それは、小渕氏が、先の大戦で沖縄特別根拠地隊司令官を務めた大田実少将(死後、中将)が、自決する1週間前に大本営海軍次官あてに送った次の電文を、深く胸に刻んでいて、いつか沖縄に恩返ししようと考えていたからでした。

   
 
 《沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ》



 小渕氏はサミット開催地を沖縄に決めた約5カ月後には、ニュージーランドで現地在住の大田中将の4女、昭子さんに会い、「大変苦労された沖縄県民の方々のためにも、来年、沖縄でサミットをやると決めたことは間違いでなかった」と語りかけました。しかし、翌年の4月には小沢一郎氏率いる自由党との合併問題で野中広務官房長官と小沢氏の板挟みになり、脳梗塞に倒れ、5月に帰らぬ人となり、沖縄サミットの議長を務めることはありませんでした。私は沖縄サミットの取材に行き、そこでは元気な様子の森首相(当時)の姿を見ることになりました。その時に記念品としてもらった肩掛けバッグを今も仕事用に使っています。

 昨年の安倍前首相による洞爺湖サミットの決定については、幸いなことに産経は大阪夕刊の1面トップですっぱ抜くことができました(東京では夕刊はありませんが)。しかし、その安倍氏もやはり病に倒れ、福田首相がホスト役を務めることになりました。何の因果か、私は洞爺湖サミット取材班に組み込まれ、7月には北海道でまたもサミット取材をすることになりました。さて、「死に体」内閣とも言われ始めた福田政権は、そのころどんな様子で、また福田氏は各国首脳とどんなやりとりをするのでしょうね。果たして議長として議論をリードしていくことができるのか。

 …本日の写真は、昨日、いつも通勤時に通る道を散歩した際に撮った路傍の草花です。みんな本当に小さな小さな花でしたが、ひっそりと、でも元気に咲いていました。私は勝ち誇り、自分を見せつけようとしているかのような大輪の花より、小さく目立ず、だれも気付かなくてもしっかりとそこに居続けているような、小さな花がとても好きです。