いまさっきチェックしたところ、このブログの累計アクセス数が800万を超えていました。苦節2年3カ月弱、ようやくここまで来ました。訪問者のみなさんに改めてお礼を申し上げるのと同時に、とりあえずまだまだ続けようと思っていますので、今後もよろしくお願いします。というわけで、本日は日頃私が抱いている仕事とブログに対するくだらない思いと迷いについて、だらだらと記してみます。

 さて、このブログは、人によって評価してただくこともありますし、論じる価値もないとけなされることもあるわけですが、書いている本人は日々、何をどう書くべきか悩んだり、どこまで書いていいのかなどといろいろな壁にぶつかったりで、相変わらず何がなにやらわけが分からないまま、流れに任せてエントリを続けているのが本当です。硬軟取り混ぜと言えば言葉はいいですが、その実、単に私の趣味に過ぎないようなこともアップしていますしね。読み手のみなさんのニーズに合うのかどうかは分かりませんが、やはり私自身ができるだけ楽しんで書きたいという気持ちもあるもので。

 で、最近、よく思うのは、私的な放言ブログではあっても、取材中のことや、いろいろな情報があっても裏付けがとれていないか、反証がある話は本当に書きにくいなあ、ということです。取材現場の表の話、記者会見や発表については何の問題もないのですが、その背景について取材したり、情報提供を受けたりしたことは、すぐにはエントリには書けません。それは、産経紙面で「独自ダネ」として載せるまで明らかにできないという場合もあるし、大事な問題であればあるほど情報は錯綜し、普段なら疑いようのない確かな筋からの話であっても、簡単には確認もできないし、反証も出てくるということがあります。

 また、さまざまな情報源の立ち位置、思惑が微妙に情報そのものの照らし出す角度に偏差を与えていたり、あるいは都合のよい解釈が加わっていたりすることもあります。ですから、複数の相手に確かめるわけですが、その過程で、ある人にはその情報が全否定されたり、また別の人には暗に肯定されたりもします。

 政府の公式発表や、産経を含めた全マスコミが同じように一斉報道している件について、「それは全く違う」という情報を、当事者や、事実関係を知りうる人から耳打ちされることもあります。その場合、私だけが事実はこうだと思っても、なかなか紙面には反映できません。ある問題に関して取材している人間は常に複数いるわけで、なおかつ政府や当局が公式見解を発表し、それに従って物事が論じられているときに、「それは前提からして違う」と言っても、「どんな証拠があるのか」と言われると、「証言がある」としか言えません。そして、個人の「証言」は、必ずしも重視されない場合があります。

 私個人の私的な見解であれば、結果的に間違えても、言いたいことは言うという姿勢もとれるのですが、新聞紙面ではそうした態度はとれませんし、ブログであっても安易には書けません。また、なまじ自分が今現在それについて取材していて、自分自身が情報をどう扱っていいのか、どこまで信じていいのか、あるいは他者を説得するにはどうしたらいいのか悩んでいる状態では、力量不足もあって表層的になぞるようなことしか書けないということがあります。

 それと、自分が書いたことが誤解されて受け取られるのではないかという危惧もあります。毎日、ならすと1万3000~1万5000アクセスぐらいあるわけですが、コメント欄を通じて何度もやりとりし、私の言いたいことが手に取るように分かっていただける方もいるでしょうし、新しい読者の方には、これまでの議論や対話の経緯は分からないでしょうから、本来はきちんと説明しなければならないのだろうなと思います。しかし、そこでの重複は、これまでこのブログを継続して読んでいただいてきた人にとっては、繰り返しであり、退屈なやりとりであるかもしれません。

 たとえば、ときどき、いただいたコメントを読んでいて違和感を覚えるのは、政府や政党が一枚岩であるかのような見方をしている方が少なくないことです。政治家も官僚も、みんな互いにライバル関係や利害関係、あるいは好き嫌いや縁のあるなしがあり、同じ内閣、同じ省庁であっても、何でも情報を共有するような関係にはありません。それは、上司と部下、首相とその下、という関係においてもそうです。特に政治家はみんな一国一城の主でもありますし、同時に選挙区での選挙運動に急がしく、同じ派閥であっても他の政治家のことをあまり知らないということは珍しくありませんし。この点は何度も過去に書いてきたことですが、やはり重複を恐れずに何度も強調した方がいいのかどうか。

 私自身、かつては政府・自民党の熱心な支持者であるように誤解(曲解)され、いろいろな場所で政権の幇間だの福田政権ができたらすぐ福田氏にすり寄るに決まっているだの書かれたわけです。さすがに現在はそうした書き込みやトラックバックは減っていますが、私の意図や思い、真情は、私自身の文章の拙さもあるし、ある種の先入見を持った人もいて、必ずしもストレートに伝わらないということも痛感しています。

 そういえば、最近も後輩記者に「また阿比留さんのことが出ています」と言われて読んだ某政治ジャーナリストの新刊に、私は古い「派閥記者」のように書かれていましたが、実際のところは私はまともに派閥を担当したことがありません。私の政治家の人脈は、一切派閥とは関係ありませんし、当然、特定の派閥に思い入れも何もありません。過去には山崎派を1カ月だけ持ったほか、亀井派も受け持ちましたが、そのときは平河(与党)サブキャップで、夜は原稿処理のためなかなか取材に出れませんでしたし、派閥にのめり込むも何も、とてもそんなところまで…という感じでした。この方は著書や雑誌で繰り返し私の名前を出しているわけですが、一度も会ったことも話したことも、もちろん、取材を受けたこともありません。不思議だなあと思います。

 話が飛んだので戻します。取材過程で、時に希薄で時に複雑な関係にある複数の人物から得た情報をつなぎあわせ、点と点を結びつけて線とし、できることならば面にし、さらに可能ならぱ立体として把握し…という努力をいろいろな情報を通じてやっているわけですが、正直に言うと、次から次へと起きる新たな事態に対応せねばならず、途中まで調べかけて放り出した問題の方が多いというのが実態です。新しい問題を追っているうちに、実際、忘れてしまうのです(素直に認めますが愚か者ですから)。

 というわけで、この人間としても記者としても欠落したものが多い、私のようなものがろくに推敲もせずに書き散らしたブログでよろしければ、今後ともおつきあいのほど改めてよろしくお願いします。上に書いたような事情で、本来は伝えるべき新鮮な情報についても、真っ先にここで書くということはときに難しいのですが、どうか私の真意を御理解いただければと思います。つまらない内輪・私的な話で申し訳ありませんでした。