どうやら衆院の解散時期が先送りとなってきたようですね。昨日、ちょっと話す機会があった自民党議員も、「地元でも『今は解散なんかやっている場合じゃないだろ!』と言われる。選挙なんてやっている暇があったら、まずは景気をなんとかしてくれ、というのが国民の声だろう」と言っていました。私は9月の自民党総裁選時には、世界経済がこの時期にここまでふらつくとは思っていなかったので、「ほぼ冒頭解散」だと予想していましたし、実際、麻生首相に近い議員からもそう聞いていたので、そんな予測をしていたのですが、大外れとなりました。

 

 というわけで、不定期連載中の民主党の小沢一郎代表の言動をたどるシリーズを、なんとか解散前に終えたいという欲が出てきました。当初は、特に誰かに頼まれてやっていることではないし、途中で選挙になって中断しても別にいいやと思っていたのですが、間に合うものなら間に合わせようと。本日の「その6」は、平成9年12月の新進党党首時代から新進党の分裂・解党、自由党の結成と来て、自民党との自自連立が成立した後の10年12月までの約1年間の言葉を掲載します。

 

・平成9年12月4日朝日、新進党党首、記者会見で、公明が翌年夏の参院比例代表での合流を撤回する方針を内定したことについて

「公明が選挙を別にやるとの話が本当なら大きな影響を持つことになる。(公明党を)解消して(一緒に)やるということで新進党を作った。やらないのなら新進党は成り立たない。地方議員や党本部の職員の問題もあるので、すぐにはできないということだった。私は今でも全面解消して、新進党として一本化するという初心を貫くのがベストだと思う」

 

 =このころはまだ旧公明党・創価学会に未練たらたらですね。小沢氏はたびたび「数合わせ」の論理を批判しますが、一方でそれは当然だとも思っているのでしょう。そうした矛盾を抱えるのは、現実を動かさなければならない政治家として、ある意味仕方がないとも考えるのですが、この人の場合、「オレの言うことは何も変わっていない」と開き直るから始末に負えないというか。

 

・平成9年12月17日読売、新進党党首、党首選候補者インタビューで

「日本の政党は政策でぴしっと分かれていない。基本的な考え方を立て、それに賛成する人が勢力を結集するというのが正しいやり方だと思う」

 

 =本当にそうであればいいな、と私も思います。でも実際はというと、現在の小沢氏率いる民主党が一つの政策でまとまった集団、政党だなんてだれも思っていないし、小沢氏自身もこれっぽっちも信じていないことでしょう。悲しい現実です。

 

・平成9年12月17日産経、新進党党首、党首選候補者インタビューで、創価学会・公明の「政教一致」について問われて

「政党として政治としてあり得ない。そう考えて接したことはない」

 

 =さて、現在ではどう考えて接しているのやら

 

・平成9年12月28日産経、新進党党首、両院議員総会で解党について

「新進党結党以来3年が経過し、いろいろな評価があると思うが、日本政治に大きな役割を果たした。新進党の成果をさらに発展させるべく、『日本再構築宣言』の実践に向けて全力を尽くしたい。2年間ふつつかな党首だったが、おわび申し上げる」

 

 =後に小沢氏は、新進党が崩壊していなければ政権を取れた可能性が高かったと認めているわけですが、そこが不徳の致すところ、なのでしょうね。「あのとき少し我慢しておけば…」と眠れない夜を過ごしたことが何度もあったのではないかと想像します。でも結局、人は変われないというか、「自分自身」を繰り返し体験するしかないのかもしれないと、この人を見ているとそんな気がします。

 

・平成10年1月1日産経、自由党設立委員会委員長、NHK新春インタビューで

「行革、民間の規制撤廃など既得権益を組み替えることは大きな痛みを伴うが、闘う政策集団として勇を奮って乗り越えたい」

 

 =「闘う政策集団」という言葉に、懐かしさを覚えました。確かに自由党のときは、少人数でもあったし、内部に矛盾は抱えつつも、それでもまだ「政策集団」を名乗るだけのものがあったように思います。しかし、その限界を誰より感じていたのが、ほかならぬ小沢氏だったのか。

 

・平成10年3月11日朝日、自由党党首、日本外国特派員協会での講演で

「自由党は今は50数人だが、国民のために明確な政策を示す政党を支持するという認識が高まれば、過半数をとれる。私の気持ちは『我に改革を与えよ、しからずんば死を』となる」

 

 =このころまでは、小沢氏は盛んに「改革」を口に出し、キャッチフレーズにしていましたね。しかし、「改革」はやがて小泉元首相の専売特許のようになり、やがてそれに否定的イメージが被せられるに及んで、小沢氏はあまりこの言葉を遣わないようになった気がします。それにしてもこの講演でのセリフは、まるで劇的効果を狙うことを好む小泉氏が言っているかのようですね。

 

・平成10年3月27日毎日夕刊、自由党党首、10日の日本外国特派員協会での講演の言葉を引いて

「数十人の同志と改革の旗を掲げて自民党を出てから4年半になりますが、正直に申しますと、改革への道のりがこれほど長く、険しく、つらいとは思っておりませんでした。日本ではいまだにアンシャン・レジーム(旧体制)が続いております。それを考えると情けなくなることさえあります」

 

 =金丸信氏らの庇護の下、47歳で自民党の幹事長となって権力を振るい、世の中を少し甘く見ていたことを告白しています。その率直な心情吐露はいいのですが、今では小沢氏自身が自治労、日教組など旧体制の守護神と化しているようで…。

 

・平成10年5月14日日経、自由党党首、インタビュー

「我々は政権や政治勢力を我々の考えを実行する手段と考えている。だから我々の考えが実現できる限り、直接、政権のポストに就こうが就くまいが、協力していく。極端な話、政策で一致するなら共産党との協力も辞さないと僕は言っているし、当然、自民党も例外ではない」

 

 =この時期、この表現が気に入っていたのか、他紙のインタビューでも「共産党との協力」を語っています。まあ実際、次期衆院選では共産党票がどれだけ民主党に回るか注目されているわけですから、違った形でそれは実現しそうですが。

 

・平成10年8月14日毎日、自由党党首、参院選自民党大敗後のインタビュー

「それでも、なおかつ、まだ自民党は直面している危機の本質に気がついていない。要は橋本さん(龍太郎前首相)に責任を全部負っかぶせ、シャッポだけ首を切った。今までの歴史の中でもまれなことだ。自民党は負ければ、(手を左右に動かし)今度はこっちに振って全交換し、生き延びてきた」

 

 =この見方に関しては私も、自民党の在り方の本質を突いていると同意します。昨年の参院選後、安倍元首相とその保守路線に敗戦の責任をすべてかぶせ、思想信条的にその対極に位置する福田前首相に雪崩を打った自民党議員たちの姿が目に浮かびます。それでは何の解決にもならないのに…。

 

・平成10年11月20日産経、自由党党首、自自連立合意後の記者会見で

「私たちにとっても、国民の皆様のためにも大変よかった」

 

 =もともと前言を翻すことなど平気な人なのでしょう。

 

・平成10年11月23日サンケイスポーツ、自由党党首、テレビ番組で将来、首相を目指すのかと問われて

「みんながどうしても必要だというなら拒否しない」

 

 =この時期、小沢氏が「ハイ」になっていたのが何となく伝わるセリフです。有頂天になっていたとも言えますね。

 

・平成10年12月5日産経夕刊、自由党党首、党国会議員候補者コンテストでのあいさつで自自連立について

「連立しても参院では過半数に達しない意味で数合わせにならない。それでも、自民党が連立を求めてきたのは、自由党が主張した政治、行政、経済の各改革を認め、理念と政策の力を借りて今日の日本の危機を乗り越えないといけない、ということだと思う」

 

 =当時、私は政治部の初年兵として首相官邸で小渕首相の総理番をやっていました。夜回り先などで秘書官らから自自連立についての舞台裏や小沢論などをいろいろ聞いたのを懐かしく思い出しますが、このころは私もまだ小沢氏に根拠のない期待感を持っていたのです。いま、この人のつくられ、祭り上げられた「イメージ」「虚像」を批判し、その是正に努めていますが、当時は私自身、幻惑されていました。

 

・平成10年12月11日産経、自由党党首、女性週刊誌「女性セブン」で「ひれ伏してでも」と自自連立を進めた野中広務官房長官について持ちあげ

「政治家個人の確執なんてどうでもいいこと。今回の連立の決断についても本当に腹が据わっていないとできません。その意味で、(小渕恵三)総理も野中さんもたいへんな政治家。僕自身、野中さんに感情的なわだかまりはありません」

 

 =3週間ぐらい前の週刊現代で、野中氏は不動産問題など小沢氏の政治資金問題について「どうして東京地検が動かないのか不思議だ」という趣旨の発言をしていましたが、政治家同士の互いの評価なんて多くはその場限りのものなのだと思います。一時期がっちりと手を結んでもやがて離れ、また知らん顔をして仲良くしてみたり。小沢氏の場合、離れていく人がちょっと尋常ではないほど多いということは言えますが…。

 

 

 

 今朝、通勤途上に撮った朝の太陽です。遠い遠い宇宙空間で燃えさかる太陽が、地球のすべての生命を育み、生かしているのだと思うと、とても不思議な気がします。些事に悩まされることが多い世の中ですが、空を見上げると、くだらないことを気にしても仕方がないなというおおらかな気持ちにさせてくれますね。

 

 後で気付いたのですが、今回は、記念すべき(?)700エントリ目でした。もっと爽やかな別のテーマにした方がよかったかな…。