えー、このエントリはほぼ純粋な宣伝PRエントリなので、「そんなの見たくない」という方はご遠慮ください。一方、「それでもいい」という奇特で博愛精神あふれる方は是非ご覧になってください。本日、17日発売(一部の書店では3連休明け発売)の「民主党解剖 この国を本当に任せられるのか?」の見本本が刷り上がってきました。値段は1300円(+税金)で全228ページとなっています。

 

     

 

 やはり、自分がかかわった本ができ上がってくるというのはいいものです。で、表紙だけだとナンなので、目次も紹介します。私は主に第2部からかかわり、各記者が集め、持ち寄った情報をまとめて記事化するアンカー役を務めました。

 

   

 

   

 

   

 

   

 

 というわけで、以前のエントリでも書いたことをしつこく繰り返すわけですが、興味を覚えた人は騙されたと思ってぜひ買ってください。土日つぶして必死に赤字をさしたり、加筆したり、以前書いたものを書き直したりしてまとめたこの本が或る程度は売れないと、ただでさえ社内で肩身の狭い思いをしている私の立場が、一層悪くなること必定です。どうか助けると思って…。

 

 …さて、これだけではいくら何でもいかがかと自分でも思うので、最近いただいた献本の中から、一冊紹介します。著者は、名古屋外国語大学・大学院教授の高瀬淳一氏(情報政治学)で、私も何度かコメントをもらい、産経とSANKEI・EXPRESSの紙面に掲載したことがあります。

 

          

 

 この本の中で、マスメディアの政治報道について次のように論じてありました。自戒を込めてここに記しておきます(※太字は私がつけました)。

 

 《人の悪口を言うのは楽しい。政府をたたく報道に「そうだそうだ」と手を打ちながら、日頃のフラストレーションを発散させている人もいることだろう。

 政治批判は娯楽の提供や精神安定の作用も兼ね備えている。ここに現代の政治報道の問題の本質が隠れていると私は思う。政治イデオロギーに支えられた偏向報道だけでなく、娯楽追求的な報道がもたらす悪影響について、もっと考えるべきなのだ

 たとえば選挙は、どっちが勝っているかを刻々と告げる競馬中継的報道によって、民主主義を支える有権者の厳粛な信託の儀式ではなくなった。一方、冷静であるべき政治討論には、バトルとしての楽しみが求められるようになっている。「有権者にわかりやすい」あるいは「有権者が喜ぶ」という理由によって、政治のバラエティ化は正当化され、推し進められていく。それが現代の政治報道の偽らざる一面である。》

 

 われわれが記事を書く際に上司からいつもいつも言われることが、「とにかく分かりやすく」というものです。それは当たり前で、読者に分かってもらえないようなことをいくら書いても意味がないのはその通りなのですが、いつのまにか「分かりやすさ」がすべてに優先され、実際には複雑で簡単には割り切れない諸問題を単純化し、正邪・善悪の二元論の構図に無理矢理落とし込んでいくような報道があまりに多いように感じています。

 

 では、お前はそうしたある種の「陥穽」「呪縛」から脱していているのかと問われると、とてもそんな自信はないわけです。高瀬氏の指摘する「娯楽追求的な報道」は主にワイドショーに見られますが、新聞もまたそのワイドショーが強い影響力を持つ現状をただ追認し、追随するような傾向もないとは言えません。以前のエントリで書いた「ステレオタイプ」の強い拘束の件もあり、まあ、悩みながら、迷いながら原稿を書いているという場合がけっこう多いというのが実情です。