今朝の産経は1面トップでFNN(フジニュースネットワーク)との合同世論調査結果を「政権交代は確実」「民主、300議席確保へ」と報じています。私も昨日、各選挙区の情勢に関する政治部の検討会議に出席しましたが、つまるところは、まあそういう結果が数字に表れているということです。最近の各紙の調査をみても

 

・20日付朝日 「民主、300議席うかがう勢い」「自民苦戦、半減か」

・21日付日経 「民主 圧勝の勢い」「300議席超が当選圏」「自民、半減以下も」

・21日付読売 「民主300議席超す勢い」「自民激減 公明は苦戦」

・22日付毎日 「民主320議席超す勢い」「自民100議席割れも」

・23日付東京 「民主、300議席超す勢い」「自民は100前後か」

 

 などと、みんな300議席超の民主党大勝利を予測しています。これだけ各紙がほぼ同様の見通しを示す場合には、まず大きく外れることはありません。私は、ちょうど半年前にあたる今年2月23日のエントリ「雑感・麻生内閣の支持率と自民党と日教組」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/927304/)と、関連する同27日のエントリ「前回の雑感エントリの続きのようなものです」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/932584/)で、「自民党は、もうどうあがいても、いかに野党の問題点を指摘し、批判してみても、勝てないでしょう」と書いています。近年の自民党のあまりに退行的で旗印が見えず、後手後手の印象ばかり残る政治に、国民の支持が集まる道理がないとみていました。

 

 ですので、今回の各紙の世論調査結果にも「時はうつろうものだな」とある種の感慨は覚えたものの驚きはありませんでした。政局の関心事は今後、民主党が本当のところどんな外政・内政を行うのか、官僚内閣制打破をなしうるのか。それは国民の幸福に資するのか。自民党は党として存在し続けられるのか雲散霧消していくのか、巨大与党となる民主党に対する対抗・牽制勢力足りうるのか。小沢一郎氏による一極支配が強化される民主党内のガバナンスはどう機能するのか…などに移っていきますね。少なくとも、ここしばらくの政治状況より良くも悪くも関心が持てそうなので、きちんと監視していきたいと思います。

 

 衆院選後には、政治部内でも選挙後に部内異動が予定されていますが、上司は「今度の自民党担当は楽だぞ。5時には仕事が終わる。その代わり、残業代はなしだ」と冗談を飛ばしていました。これ、経費削減が社の至上命題である今、半ば本気でもあるのでしょう。私もどうなるかなあ…。

 

 さて、話は飛びますが、昨日から本日にかけて思うところあり、学生時代に読んだプラトンの「ゴルギアス」をおおよそ四半世紀ぶりに読み返しました。何か、現在の政治情勢に通じるものがあったような気がしたもので。で、改めて約2400年前に書かれたこの本を通読し、やっぱり人間というのは変わらないし、そうそう進歩もしないものだなあと痛感しました。この点はまあ、プラトンに限らず、古典を読んだ際にはいつもそう考えさせられるのです。きっとこれから先も人間は同じことを繰り返すのだろうなあと。プラトンの描いたソクラテスの言葉をちょっと引用します。

 

 《人びとのほうは、この連中が国家を大きくしたのだと言っているが、事実はしかし、あの昔の政治家たちのせいで、国家はむくんでふくれ上がり、内部は膿み腐っているのだということに、気がつかないでいるのだ。なぜなら、あの昔の政治家たちは、節制や正義の徳を無視して、港湾だとか船渠だとか、城壁だとか貢租だとか、そういった愚にもつかないもので国家を腹いっぱいにしてしまったからなのだ。だからあとで、あのいま言われたような病気の発作が起こった場合には、人びとはその責任を、ちょうどその時傍にいて忠告する人たちに負わせて、この災厄の真の責任者である、テミストクレスやキモンやペリクレスのほうは、これを褒めそやすであろう》

 

 《ぼくとしては、理解に苦しむようなことが、今日でも行われているのを目にするし、また昔の人たちについても、そういう例を聞いているのだ。というのは、国家が、政治家たちの中の誰かを、不正を行っている者として扱おうとするとき、そうされる人たちは腹を立てて、何というひどい目にあわせるのかと、不平を鳴らすのをぼくは認めるからだ。その人たちの言い分では、国家のために数々のよいことをしてやったのに、その国家によって、自分たちは不当にも滅ぼされようとしている、というわけなのだ。しかし、これは全くの嘘である。なぜなら、国家の指導者たる者が、自分の指導しているまさにその国家によって、不当に滅ぼされるというようなことは、どんな人の場合にも決してありうるはずはないからだ。》

 

 《ぼくとしては、これまでこんなふうに考えていたのだ。ほかの人たちのことはいざ知らず、民衆に呼びかけることを仕事とする人たちや、ソフィストたちだけは、彼ら自身が教育してやっている当のそのものを、自分たちに悪いことをするものとして、咎め立てすることは許されないのである。さもなければ、同時にまたその同じ言葉でもって、彼らがよくしてやったと主張している当のその人たちを、実は少しもよくしてやっていなかったのだと、自分たち自身をも非難することになるのだから、とね。》

 

 …プラトンの対話篇では、ソクラテスは文字通り対話(議論)を通じて実にうまく相手を説得していくのですが、相手もそう簡単には納得してくれません。ときには反発して感情的にもなるし、面倒くさそうにも投げやりにもなります。その際の相手の反応もまた、実に興味深いものでした。私自身、面倒くさがりだし効果に疑問を持っているのであまり議論が好きでないこともあり、ソクラテスの追及にいやいやそうに答える相手の方に感情移入されられる部分もあります。プラトンという人は、学生時代に何冊か読んでいましたが、今回初めてそうした描写、掛け合いの面白さに気づきました。例えばソクラテスと議論になった相手は、こんな風に反論したり、うんざりしたりしています。

 

 《ポロス いや、そんなところへ話を持っていくなんて、ずいぶん失礼なやり方ですよ》

 

 《ポロス いや、それは、あなたに同意しようという気持ちがないからですよ。しかし、僕の言うとおりだと思っておられることは、間違いないですけれどもね》

 

 《ポロス あなたはもう、すっかり反駁されてしまっているのだとはお思いになりませんかね、ソクラテス。この世のだれ一人認めないような、そのようなことを言われるに至ってはですよ》

 

 《カリクレス あなたという人はほんとうに、ソクラテスよ、真理を追求していると称しながら、そのような卑俗で、俗受けすることへ、話をもっていかれるのだからなあ》

 

 《カリクレス (傍白)この人ったら、いつまでたっても、馬鹿話をやめることはないだろうなあ……まあ、いってくれたまえ、ソクラテス。あなたはそれほどのいい年をしていながら、語句の穿さくをしたり、また、人が言い損ないでもすれば、それをもっけの幸いと考えたりして、恥ずかしくはないのかね?》

 

 《カリクレス 認めるから、もう訊かないでくれ》

 

 《カリクレス 何だかわからんけど、あなたは賢い人ぶって屁理屈をこねているのだね、ソクラテス》

 

 《カリクレス ソクラテスという人は、いつでもこうなのですよ、ゴルギアス。些細な、ほとんど取るに足らないようなことを問い返しては、反駁して来るのです》

 

 《カリクレス どうしてそうなるかは知らないけれど、あなたの言うことはもっともであるように思われるよ、ソクラテス。けれども、ぼくの気持ちは、世の多くの人たちが感じているものと同じなのだ。つまり、これですっかり、あなたの言うことを納得したわけではないのだ》

 

 《カリクレス 議論に勝ちたい一心なのだね、ソクラテス》

 

 …ソクラテスという高名な哲学者の姿が、まるでちょっと迷惑な議論好きの頑固親父のように生き生きと浮かんできます。この本の中でプラトンは、政治に急いで携わろうとするより、まず自分の徳を磨け、現在も過去もろくな政治家はいなかったとぶつぶつ言っているわけですが、さて…。