私は前々回のエントリで、鳩山首相が「私の思い」「沖縄県民の思い」などと、「思い」という言葉をやたらと多用する点を指摘しました。米軍普天間飛行場移設の先送りについても、鳩山氏はクリントン米国務長官に自分の思いを訴え、クリントン氏から「『よく分かったという思い』は伝わった」と述べているが、思い込みによる独りよがりや片思いでないこと祈ります。

 

 で、この鳩山氏についてあれこれ考えているうちに、社会部にいた13年前の平成8年12月に自分が書いた記事を思い出し、スクラップをひっくり返して見つけました。それは、「幻の『近衛-ルーズベルト会談』 山本有三氏起草の首相声明文発見 戦争回避の心情切々と 昭和16年夏」という見出しのものです。近衛文麿首相が戦争回避のためルーズベルト大統領との首脳会談を企図した際、ブレーンだった作家の山本有三氏が書いた幻の決意声明文の草稿が発見されたとの内容です。

 

 草稿は当然、近衛氏の考え方を反映したものでしょう。近衛氏と鳩山氏を単純に比較してはいけないのは当然ですが、連想してしまったものは仕方ないのでそのまま書きます。要は、冷厳な国際社会の現実を主観的に解釈し、「話せば分かる」的な視点で見ている点が似ているのではないかと感じたのです。「友愛」が好きな鳩山氏も以前、「オバマ氏は分かってくれる人だ」と周囲に言っていましたし。

 

 まず、その声明文草稿を以下に掲載します(歴史的仮名遣いは変換が面倒だったので現代文で表記してあります)。

 

《およそ国際間の交渉は、「まこと」をもって語り合う時、たとえ困難な問題であっても、解決の道が見出されないはずはない。いま日米両国の上には、ただならぬ暗雲が暗雲がみなぎっている。もし、これを趣くままに趣かしむるならば、いつ最悪の事態を引き起こさないとも限らない。さような結果に立ちいたる事は、両国の国民にとって、最大の不幸といわなければならない。

顧るに、太平洋の波は、有史以来、砲弾戦争によってのしぶきを立てたことはないのである。誤解と感情と、第三国の策動とによって、太平洋を射的場とするようなことがあっては、この太平洋を挟む両大国は、世界史の上に、心にもない汚点を残すことになる。そこで自分は、今回アメリカ大統領ルーズヴェルト氏と会見し、日米問題について懇談することにした。尽くすべき手段を尽くし、施すべき限りの手だてを施すことは、この際為政者としての責務であると、痛感したのである。

本来、わが国において、総理大臣が現職のまま国土を離れることは、かつて例のない事であるが、このたび、あえて先例を破って海外に渡航するゆえんのものは、ひたすら東亜の安定を願い、世界の平和に貢献したい一念にほかならないのであって、上は以て陛下のご信任にこたえ奉り、下は以て万民の生業をやすんじたいと、深く心に決したからである。

恐らくルーズヴェルト大統領も、為政者として、同じ心がまえであろうと信ずる。私は腹を割って、平和と人道のために語り合いたいと思っている。私のこの信念は、率直にして賢明なるアメリカの全国民にも、必ず通ずるものがあると信じている。

万一、尽くすべき手段を尽くし、「まごころ」をうち明けて語っても、なお、日本の真意が通じない場合には、その時には、全日本国民の血潮によって、解決してもらうより道はないのである。自分は今、重大なる決意をもって船出する。国民諸君も、不動の覚悟と、万全の用意とをもって、この重大なる推移を見まもっていていただきたい》

 

 …しかし、近衛氏が望んだ日米首脳会談は結局、米国に拒否され、実現しませんでした。腹を割って話そうにも、もう相手は話し合う気もなかったというところでしょうか。善意も真心も国際社会では必ずしも通じるものではなさそうですね。ルーズベルト大統領自身は興味を示したけれど、ハル国務長官らが強硬に反対したとも言われています。

 

この声明文について当時コメントをもらった近衛首相の研究で知られる防衛庁防衛研究所の庄司潤一郎主任研究員は「近衛の考え方が色濃く反映されている。近衛が日米戦の回避に、戦後の自己弁護としてではなく、当時から命がけだったことを示す客観的な資料といえる。同時に、厳しい国際情勢についての認識の甘さも表れている」と語ってくれました。

 

 この幻の日米会談に関しては、現在、フジテレビで放映しているドラマ「不毛地帯」のメインのモデルとなった故瀬島龍三元伊藤忠商事会長にもインタビューして軍側がどう見ていたかなどの話を聞きました。近衛氏は16年8月4日、陸海両相に会談の決意を報告し、6日には昭和天皇に上奏しています。そして28日に、野村吉三郎駐米大使が近衛氏のメッセージをルーズベルト大統領に手交したとのことです。

 

 当時、大本営陸軍部作戦課参謀(大尉)だった瀬島氏によると、こうした経緯は大本営にも伝わり、「現業部門の僕らは、全面的に期待したわけではないが、戦争にならずに別の道が開けるかも、とほっとした」といいます。

 

 海軍は早速、近衛氏を乗せる高速巡洋艦の選定を始め、陸軍は土肥原賢二中将を随員長に内定しました。瀬島氏は田中新一作戦部長(少将)から直接、極秘裏に中国戦線から全兵力約85万人を撤収する作戦の起案作業を命じられたそうです。瀬島の説明はこうでした。

 

 「日本軍は武漢三鎮(武昌、漢口、漢陽)で中国の国民党軍と対峙状態にあり、撤兵は容易ではなかったが、前線から徐々に折り畳み、最終的には天津、南京、広東など港湾付近に集結させる作戦を起案した。作戦を発動してから全兵力の撤収まで、最低1年かかる計算だった」

 

 それから約30年後の昭和47年に、瀬島氏が米ハーバード大のジョン・F・ケネディ・スクール(政治・行政学の大学院)のセミナーに日米戦争についての講師として招かれた際、米側に「なぜ米国は近衛首相の会談提案に応じなかったのか」と尋ねたところ、米国の学者からはこんな回答が返ってきたそうです。

 

 「日本に好意を持っていなかったハル国務長官が、ルーズベルト大統領に対して『近衛は1937年の日支事変当時の首相であり、信用できない』と進言したからだ」

 

 …鳩山氏は19日閉会したデンマークでの国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)に向けて、繰り返し「国益は大事だ。しかし、地球益も大変大事だ」と聞き慣れない「地球益」という言葉を駆使して強調していました。でも、予想通りというのも辛いですが、やっぱり資金拠出の手形を切るだけに終わったようです。オバマ氏ともろくに口をきく機会もなかったようですし。

 

 まあ、多国間の枠組みでの国際会議ならばまだいいのですが、日米という2国間関係において信用を失うことのダメージは小さくないと考えます。だから外交は難しい。知日派で知られる元米政府高官は日本の現政府高官に対し、オバマ氏について「彼の本質はコールドだ」と指摘しています。鳩山氏がいかに善意と友愛に満ちていようと、米側から「話し合う価値がない」と外されてしまえば、それを伝えることすらできないのではないでしょうか。まっ、もうなるようにしかなりませんがね。