本日、天皇陛下の76歳の誕生日を迎えられました。これにあたって、陛下が文書で公表された「ご感想」全文が今朝の産経に掲載されていました。私は以前、宮内庁担当だったこともあり、強い関心を持って読んだのですが、中でも、次の部分がとても重要であるように感じました。決して直接的・明示的には書かれていませんが、含意は伝わってきますね。
《昨年は十二月初めに体調を崩し、静養期間の間に誕生日を迎えました。多くの人々が心配してくれたことを感謝しています。そのようなことから、今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年十二月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています。》
今朝の産経「主張」欄が「天皇の意忖度は不適切だ」と書いているように、あまり勝手に陛下のお考えを解釈するのはよくないと思うので、ここまでにしておきます。そして、しつこいかとも思ったのですが、とても重要な内容であると思うので、改めて17日に開かれた自民党の「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」について紹介します。これは、17日のエントリ「天皇陛下の『政治利用』に関する自民党の検証会」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1371841/)で記した16日の会合の翌日に、その続きとして開催されていたものです。合わせて読んでいただくとよく分かると思います。
この日は、大原康男國學院大教授と百地章日大教授が招かれ、それぞれの立場から天皇陛下と中国の習近平副主席との会見、それに対する民主党の小沢一郎幹事長の発言について論じています(議員とのやりとりは、あまりに長文になるので省略しました)。とても分かりやすいです。
大原氏 専門的な法律問題は百地章氏から。全般的な事柄について私見を申し上げる。あのような異例の強硬な申し入れを宮内庁長官が受け入れ、このような事態になり、小沢一郎民主党幹事長の記者会見が波紋を広げている。この問題は法的、政治的にどう問題を捉えて整理していくかが大事だ。言うまでもないが、鳩山首相が今回の措置は諸外国と日本の関係を好転させるための話であり、政治利用という言葉は当たらないと言っているが、私なりに言わせれば、今まで他国に対してルールを守るよう要求しながら中国の無理強いだけを受け入れるという極めて卑屈な政治的配慮があった。そのことによって習副主席に天皇会見がなされた。
これは、胡錦涛主席の有力後継者と言われながらもまだ確立していない人に天皇会見によってある種の有利な実績を与えることになるという政治的効果を与えることも間違いがない。その意味で、政治利用と十分に言える。その上、小沢幹事長の動きを見ていると、ちょうど小沢訪中団が中国に行っているさなかの話であり、胡錦涛主席・小沢会談と天皇・習副主席の会談がセットになって、それを世界にアピールしようという極めて政治的なセレモニーのような気がする。ますますもってこれは両国の首脳が、政治的意図でやったことはほぼ間違いなく、否定することはできない。
元々、皇室外交と言われるものは、現実の国際政治の次元を超えたところでなされる友好と親善だ。宮内庁は外国交際という言葉を使い、外交とは違う政治的ニュアンスを含んだ言葉は使わずに来ている。そういうことがあるだけに、今回の宮内庁としてのはっきりした主張が出されたと思う。
小沢幹事長の記者会見はいくつも問題があるが、まず1つは、1カ月ルールを法令ではないというようなことを断言しているが、宮内庁法第2条に宮内庁の所掌事務がある。その第9号には「交際に関すること」とある。当然、外国交際を包含している。従って外国交際に関して宮内庁がそれなりのルール作りをする。宮内庁の式部官長から外務省の儀典長に出している正式の文書だ。まさしくこれを宮内庁令などに比べると法令だ。法令なのか、ということを問いただすこと自体が極めて不明な頭の持ち主ではないかと思った。
本当に国事行為と思い、内閣の助言と承認で何でもできるんだとするならば、これは内閣の助言と承認であって、総理や官房長官の助言と承認ではない。つまり、閣議にかけなければそう言うことは言えないが、閣議にかけた形跡がない。仮に国事行為と言っても、それですら外れている。
政権交代やったんだから何でもできる。それをまた天皇にも強要するような興奮が見られるがそんなことはない。元々、象徴天皇の行為は不偏不党の立場で国民に対しても外国に対しても公明正大に臨む。これが、象徴である天皇および準象徴である皇族方の立場だ。そのことが頭にあれば政権交代で何もかもができるという発想が出てくるわけがない。
結局、宮内庁長官にああいうことを言うなら辞表を出してくれと、行政の責任者である内閣総理大臣の指揮命令に従わなければ、と言っているが、しかし、宮内庁長官というポストは各省の次官や各省の外局の長官と同じではない。重要なのは、宮内庁長官は認証官だ。認証官は人事院人事官、会計検査院検査官、公正取引委員会委員長、最高裁判事、高裁長官、検事総長、次長検事、高検の検事長などと同じ格だ。ということは、人事院や公取は行政委員会と呼ばれており、人事権は政府にあるが業務は独立して行う。検察官も最終的な法務大臣の指揮下にあるが指揮権発動は極めて異例なことであり、検察官が独立性を持ってやらなければ、司法の独立性は担保できない。宮内庁長官がどうして認証官になったか分からないが、それと並ぶのなら、宮内庁は内閣府の外局になっており内閣総理大臣の管理下にあるとは言え、各省の次官などと同じではない。他の認証官と同じように皇室の事務を行うという特別な役所であって、そこにはある程度の独立性を持ちながら業務にいそしまねばならないということが含まれているので、政権交代が万能だと言うこと自体、皇室の有り様をまったく理解していないと感じる。
これまで皇室の外国交際が政治利用と言われた例をいくつか。1つはニクソン政権、田中政権末期にご訪米計画が昭和48年(※後で49年と訂正)にあった。これはどちらもウォーターゲート事件、金脈問題があったかどうかは忘れたが、両政権の政権末期の政権浮揚だったので、当時の宮内庁長官が猛烈に蹴って国論を二分するようなときにこういうことをやってはならないと見送られた。2つめが平成4年の天皇、皇后のご訪中。これも国論を二分した。残念ながら強行され、危惧はあたった。当時の担当者であった銭基琛外相が回顧録で、天安門事件の孤立から脱却するために西側の包囲網の中で最も弱い日本をターゲットにした、天皇の政治利用であったことを平然と書いている。そのことが今回、反省された形跡がない。昨年の北京五輪への皇太子出席も中国はかなり言ってきた。しかし、チベット争乱、毒ギョーザ等々の中国側の対処の仕方で国内世論が許さなかったから見送られた。4番目が今回。なお、報道によると、2012年には皇太子殿下を招きたいという動きもあると聞く。この問題をうやむやにすると、また日本人は簡単にものを忘れやすい。どう決着して二度と繰り返さないようにするか。民主党政権を徹底的に追及しなければ一過性のことで終わる可能性がある。
もう1つ気になることは、小沢幹事長がご訪韓まで言及している。こういう皇室に対する考えを持っている民主党政権が来年、天皇訪韓を進めればどうなるか。日韓併合100年にあたる。小沢氏は外国人地方参政権を熱心に推進すると言っている。悪夢は外国人地方参政権を手みやげに日韓併合100年をお詫びするという、そういうような形でひょっとしたらご訪韓を進めるかも知れない。そういうことも考え、この問題は一過性の問題ではなく、将来に大きな禍根を残したという意味で真剣に受け止めねばならない。
百地氏 憲法学の立場からそもそも国事行為、公的行為がいかなる性格のものなのかということ、小沢発言のどこに問題があるか申し上げる。今回の陛下のご引見は国事行為でなく公的行為である。小沢氏は国事行為であると思いこんでいるだが、新聞各紙も報道済み。共産党の志位委員長も批判している。
天皇の行為の中には国事行為と公的行為と私的行為の3つがある。公的行為は象徴行為とも言われる。国事行為の中には大使、公使の接受が7条9号にあるが、今回の会見は当たらない。ます、大使、公使ではない。そして接受ではない。接受とは、国際法上、事実行為としての接遇や引見ではなく、外交使節の信任状の奉呈を受けることだと理解されている。もし大使、公使の接受であるなら内閣の助言、承認が必要。もし閣議決定がなければ憲法違反になる。ちなみに、信任状の正本を奉呈されるのが陛下、副本が内閣に提出される。陛下に信任状を提出することで外交官としての活動が始まる。
今回の会見は小沢氏が平野博文官房長官に要請したとの報道があるとの質問に対し、小沢氏は「天皇の国事行為は国民の代表である内閣の助言と承認で行う」と自ら要請したことは否定した上で、「内閣官房長官からの要請で行われたのに政治利用ということになれば、国事行為はすべて政治利用になる」という言い方をしている。これも非常におかしな話だ。天皇の国事行為はそもそも非政治的なものであり、中立、公平性が必要だ。天皇は国民統合の象徴なので、国事行為についても天皇自身の政治的中立性、公平性が要求される。その意味で非政治的なものだ。この点、憲法4条1項をもって、学説は天皇は政治に関与しないと通説を述べている。しかし、従来の政府見解は必ずしもそうではない。天皇の国事行為の中には国政上の権能もある。例えば衆院の解散だ。だからこの条文は天皇は国事に関する行為のみを行い、その他の国政上の権能を有しない、の意味であるのが制憲時の憲法解釈。しかしながら、そうなると天皇の国事行為の中には国政上の権能も含まれることになるが、しかしそれはすべて内閣の助言と承認による。天皇は絶対的に内閣の助言と承認に拘束されるので、そこに天皇の意思が介在する余地はない。そういう意味で、政治性がそこで払拭される。これが立憲君主制の所以だ。英国では自らを死刑に処すという文書にも内閣の助言があれば署名しなければならないと言われる。
天皇の公的行為だが、小沢氏は「天皇陛下御自身に聞いてみたら」と。「手違いで遅れてかも知れないが会いましょうと必ずおっしゃると思うよ」と述べている。率直に言って不遜きわまる発言であって、まるで天皇自身が自分の思い通りなるかのような思い上がりの発言だと思うが、それは感情の問題。公的行為についてもご引見の相手を、どうするかは宮内庁の責任で決定していると思う。天皇自身だけの判断で会うか会わないかを決めることはないと思うし、色々、報道されているところでも、会見の時、突然、招聘されても「内閣が決めることですから」と返事される。陛下自身が自ら行きたいとか言うことは絶対、ないと思う。
公的行為の限界だが、公的行為は国事行為以外の公的行為、つまり象徴としての地位に基づくもの。国事行為というのは国家機関としての地位に基づいてなされる行為。私人の立場で行うのが私的行為と分類されている。国会開会式でのお言葉や外国への公式訪問、植樹祭等への出席、外国元首との●(聞き取れず)。ちなみに、大嘗祭も皇室の公的行為だという答弁が出ている。限界は、事実行為に限られ、法的効果を伴うものではないと考えられるし、国政に影響のある行為や党派性を持った行為は認められない。宗教的色彩を持ってはいけないとは、学説は主張するが、内閣の答弁の中には出ていないと思う。天皇の公的行為と内閣の補佐の問題だが、公的行為も内閣の直接または間接の補佐と責任において行われなければならない。だいぶ昔は閣議で決めていたが、その後は宮内庁の責任で処理していると聞いている。ただし、現在でも外国訪問の決定は宮内庁の一存では決まらないと思う。あるいは外国からの国賓等は閣議決定を行い、その上で宮内庁がお世話していると聞いている。
宮内庁の1カ月ルールの問題は、「誰が作ったの」と言っているが、これは自社さ政権の平成7年、さきがけの幹事長の鳩山由紀夫さんだった時に作られたそうだが、確認していない。宮内庁による1カ月ルールの設定だが、これは外国からの賓客の引見について天皇をお守りする立場にある宮内庁が陛下のご多忙さ、健康、さらに陛下は接見にあたっては非常に入念に準備をされるのでそのための準備も必要だ。従って一定のルールが作られたのは当然だ。皇室の政治利用に対しては宮内庁が天皇陛下を守り、政治的中立性と公平性を確保するために、毅然とした態度を取るのは当然だ。
1カ月ルールについて、小沢氏は法律で決まっている訳ではないと主張しているが、新憲法の施行にともない旧皇室令はすべて失効した。それでは困るということで、昭和22年5月3日付けで宮内府文書課長名で依命通知が発せられた。それによれば、従前の規定が廃止されて、新しい規定が存在しない場合には従前通り行う、となっている。従って、●(聞き取れず)の儀式もかつての皇室令に従って行われている。コモン・ローと考えても良いという発言がある。従って法律でないから駄目だという発想そのものが法律万能主義によるものであり、理解できない。例えば、官僚が勝手に作った取りきめとはまったく性質を異にする。社会保険庁が45分働いたら15分休むとか、あんなのこそ政治主導で廃止すべきだ。
宮内庁の役人がどうだこうだと言うが内閣の一部局だという発言は、宮内庁が国家行政組織法上、内閣府の管轄下にあることから、宮内庁長官が上級官庁である内閣府の統括下にあるのは事実だ。従って一般的に言えば、その命令に従わなければならない。しかし、宮内庁は国民統合象徴たる天皇の補佐機関でもある。従って、国民統合の象徴としての天皇を守るべく上級官庁から一定の独立性が確保されなければならない。皇室の尊厳と天皇の政治的中立性、公平性を確保するためだ。その意味で1カ月ルールを無視した内閣からの政治的要求を拒否したのは当然のことであり、非難される言われはない。
天皇の行為、行動は、2つの原則に基づく。1つは、憲法、法律その他のルールに従って行動するということ。その際には、必ず内閣、宮内庁長官の補佐、助言等によって行動する、それに必ず従う。これが基本原則だ。これが立憲君主たる所以である。従って、動機さえよければ良いという話ではない。あるいは政治的に非常に重要な価値があるからいいという話ではなく、原則に従う、それが中立性、公平性を保つ所以だ。そう考えると、今回の引見はルール違反である点で問題。もう1つは、宮内庁長官が補佐機関であると考えて良いが、その助言を無視して強行した。まったく許されないことだと考えている。
外務官僚 習近平国家副主席の訪日について年初以来、中国側から、国家指導者の一人との表現で訪日の打診がございました。今秋、この秋になりなりまして、当該指導者が習近平副主席であるとの想定で日中外交当局間で訪日について進めてきたものでございます。日本側からは、国家副主席の訪日のマネージがしっかりできるようにと、再三にわたり具体的日程を中国側に対して早期に提出するよう求めてきた経緯でございます。昨日も申し上げましたように、23日に中国側より外務省に対して正式に訪日日程が伝達されました。26日に外務の担当局長の方から宮内庁に往訪し、ご引見の可能性について打診した経緯がございます。
宮内庁よりは1カ月ルール、ご説明があり、これに照らし陛下のご引見の実現は極めて困難であるという反応が示されたという風に承知しております。27日に、改めて宮内庁よりご引見の実現は不可能である、そういう回答がなされております。同日に、私どもの方から、在京中国大使館に対してほぼ不可能であるという風に説明、伝達したところであります。また、30日に改めてご引見の実現は不可能であるという風に伝達してございます。12月3日に、中国外交部、これは北京でございます、外交部の方から我が方大使の方にご引見の実現の要請がなされております。また9日には、これは東京でございます。内閣官房長官の方に在京の中国大使からご引見の実現の要請がございました。12月の10日に、宮内庁から外務省に対し、ご引見が15日午前に実現するとの内報がございました。それを含めまして11日に、外務省より習近平副主席の訪日日程、これは陛下のご引見を含むものでございますが、正式に発表した、そういうような経緯でございます。
(中曽根)元総理への説明は昨日、申し上げた通り。今のような経緯もご説明し、1カ月ルールもあわせて説明した。元総理から「分かりました」ということだった。それ以外に本当になにもございません。
大原氏 一つだけ訂正したい。過去の例としてニクソン・田中角栄によるご訪米計画は昭和48年ではなく49年の間違いでした。これは重要なことで、そういうことで宇佐見長官が拒絶した。それはもう1つは、その秋のことだが、ちょうど第60回の伊勢神宮の式年遷宮の翌年で、神宮をご参拝になるということもあって断ったという理由もある。それと今回、関連致しますのは、この15日という日は実は、皇居において賢所御神楽(かしこどころみかぐら)という宮中祭祀が行われる日なんです。本来ならばこれは大祭でなく小祭なので、大祭ほど決済なされませんが、天皇陛下は心を平静に保たれる。その後、午前中、午後にかけてはあるはず。それをも押し切ったというのは、これはまたゆゆしきことだということだけ、ちょっと追加しておきます。
小沢氏の発言は、非礼不遜であり、国民統合の象徴であり国民の敬愛の対象であるお方に対して非礼な言葉を使いながら強要していることであります。昔から中国に不忠の臣の2つある。1つは君主に対し正しいことを直言せず、口先たくみにへつらう臣下。これを佞臣(ねいしん)と言う。もう1つは袞竜(こんりょう)の袖に隠れる。つまり天皇の徳を利用して自分が責任を逃れる。かつてご訪中の時もあったが、「天皇陛下も中国へ行きたいとおっしゃっている」と、そういう言い方をするのを袞竜の袖に隠れる。今回のことはそこまで言っていませんが、「おっしゃると思う」というのも、袞竜の袖に隠れる、天皇に責任をかぶせるような形で自分の意思を表明するということですから、これはまさし君主の不忠なんて言い方は古いかも知れないが、先ほど何回もあったように国民統合の象徴であり国民の敬愛の対象である、しかも政治的に中立、公平でなければならない天皇に対する、一般国民の言論としても礼を失する。それを公党の最高首脳の一人が公開の場所でああいうことを言うことに対しては、断固として許すことが出来ない。
百地氏 小沢氏の発言が憲法違反にあたるかどうかだが、憲法における天皇の地位を正しく理解していない発言であることは間違いない。憲法の基本精神に反する。
大原氏 1カ月ルールを守っていなかったら政治利用にならなかったと思う。ただ、どういう資格で呼んだのか。こうした問題は、この問題がおこらなくても検討すべき。後継者レースの人に点数をあげた。当事者の目的、結果においても政治利用だ。<了>
…今回の取材メモも、後輩の田中記者が提供してくれました。私も経験してきましたが、このメモ起こしってけっこう時間と労力が必要なのです。内輪の話ではありますが、改めて感謝したいと思います。飯でもおごるか。
コメント
コメント一覧 (36)
このエントリはGJです。
前文には、完全に同意します。
本文ですが、、ほんとに分かりやすいです。
ただ、下記文中にある「決済」は、精進潔斎の「潔斎」です。
>15日という日は実は、皇居において賢所御神楽(かしこどころみかぐら)という宮中祭祀が行われる日なんです。本来ならばこれは大祭でなく小祭なので、大祭ほど決済なされませんが、天皇陛下は心を平静に保たれる。その後、午前中、午後にかけてはあるはず。それをも押し切ったというのは、これはまたゆゆしきことだということだけ、ちょっと追加しておきます。<
それから、大原氏の訂正補足文中にある昭和49年が伊勢神宮の式年遷宮の翌年だったので、天皇陛下が伊勢神宮をご参拝になる年にあたるとありますが。天皇陛下がご参拝になるのは、伊勢神宮と橿原神宮だけです。靖国神社へは行幸されるというのが正しい日本語です。マスメディアはこのあたりが不正確です。
天皇誕生日のこの日に、有意義な「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」のご報告を頂き、ありがとうございました。
天皇陛下が謁見されるということは、海外要人においても誠に光栄なことだという2600年の重きというものを実感しました。
つまり、天皇陛下がお会いになるということは、その影響力が大きいため、外交においての切り札足りえるものとなるがゆえに、上申するものは私心がないかよくよく慮り、内閣においては閣議決定して決めるべき事柄であることがよく分かりました。
その点、小沢-鳩山内閣は、その心において、その手順においてまったく正当性を欠くものであったと言わざるを得ません。この一事をもってしても現内閣に徳の器量がないと露見しました。これからなされるであろう国民の判定を待つものであります。
Hermes
阿比留さんは宮内庁担当の記者の経験がおありと書かれていますが、
では12月15日には皇室で最も重要な祭祀が行われる日だったことも
ご存じですよね...
ここに己の政治的日程を割り込ませた小沢とそれを支持した首相以下の
民主党議員は、日本人全員を侮辱したことになるのです。
認証官ですか、調べてみました
宮内庁法第八条第四項ですか,
確かに宮内庁長官だけは「2 宮内庁長官(以下「長官」という。)の任免は、天皇が認証する。」と書かれてますね
内閣府は副大臣ですら「副大臣の任免は、内閣総理大臣の申出により内閣が行い、天皇がこれを認証する。」と言う扱いなのに
これは文面だけ撫でても判らないですね(^^;
宮内庁法第八条第二項でした
おまえいい加減にしろよ、このタコ!!!。
支那絡みの皇室の大事な話にチャチャいれるな!。
日本人は本気で頭に来ているんだよ、このボケナス!。
それは違うでしょう(笑)
①宮内庁長官の客観性の担保
→この概念、何ですか?では一介の政党幹事長が宮内庁を批判する客観性の担保はあるのですか?
②官僚依存の自民党政権から民主党政権に替わったのだから、考えも変えるべきでは
→まず、官僚は対立観念で捉えるべきじゃないでしょう。行政の担い手ですから、あなたの書き方そのものに悪意を感じます。
また、内閣が変わる度に宮内庁の立場、姿勢まで変えるという考えはあり得ないでしょう(笑)感情論も甚だしい。
結論として、一見マトモに感じるあなたの言い分は、現実的には論点がズレており、不適切な用語が使われており、全くの的外れであるようです。
というか、あなたのブログを見ましたが、どれもマスコミの二番煎じですね。
主体性を持った方が良いと思います。
内閣の助言と承認があったわけでもないということですね。
一部報道によると、
鳩山や平野は一ヶ月ルールがあるから無理だと認識していたが、
チンピラ小沢の一喝で、走狗となって
無理やり何度もねじ込んだという事ですから
今回の騒動は正確に言えば、憲法第七条は
「天皇はチンピラ小沢の恫喝と命令により
中国共産党と民主党のために公的行為を行ふ」
という意味だと解釈していた、
というのが実際の顛末だったわけですね。
自分の頭で考えることができるまともな内閣ならば、
憲法違反の小沢はクビにしなければなりません。
それから、小沢がいきなり闇から出てきて
内閣を批判するなら首を取るぞ、などと脅すのは、
やはり検察庁に向けての恫喝だということがわかります。
田中記者に感謝です。
こういうのを見ると憲法って何なんだろうと、思ってしまうことがあります。
本日はここまでにしてください。これ以上、書き込まれるようならぱ、削除します。
>ただ、リアルで大勢の日本人師匠に恩を頂いたold学生の僕は、”民主主義”の日本で致命的なショックを受けてしまいました。
>
>日本のマスコミはシナマズゴミと変らぬことだ。
いつも意味不明のコメントで煙に巻こうとする卑怯者
日本人の神経を逆なでして喜ぶのは支那人の性か
失せよ
これだけのメモを起こすとなると本当に大変な作業だった事でしょうね。
田中記者にはどうぞ美味しい食事でもおごってやってください。
さて、大原、百地両教授の小沢一郎の発言に関する見解、全くそのとおりですね。本文を読んで胸にストンと落ちました。これらに対し小沢は何か反論でもするのでしょうか?「全て俺が正しい」などと・・・・。「大原なにがし」とか「百地なにがし」とか云いだしたら全くお笑いですな。
百地氏の言葉の中に、何度か「立憲君主国」というのが出ていますが、
我が国が、そうであるかは、いまだに定説はありません。
内閣法制局の見解でさえ「そういえなくもない」程度の曖昧さです。
天皇は「君主」と定義するには、国民に対しての法的優越性が、低すぎるのです。
これは、現憲法を制定した一派が、意図的に君主性を薄めすぎた結果です。
その張本人の宮沢俊義が、故に、君主にあらず、と言う説を立て、
いまだに、それを凌駕しきれていませんね。
また、英国の例は、不適切です。成文化されていません。
例えば、同じ欧州なら、スペインあたりと比べるべきでしょう。
スペイン国王は、自らの死刑執行書類への署名は、拒否できます。
「フランコ独裁政権」が、良くも悪しくも、教訓となっているようです。
日本の場合、天皇は拒否できませんね。
「小沢独裁政権」になって、国民が懲りなければ、
やはり、「それは、おかしい」と、変えられないのでしょうか?
>宮内庁は、内閣から天皇をお守りするために、上級官庁から独立しているというのでは、組織としては大きな矛盾がありますね。
>日本国憲法のどこを読んでも、内閣の下部組織が内閣から独立した存在だとは書いてありませんよ。
お前は、本文が長いから、きちんと読んでいないだろう。
【認証官は人事院人事官、会計検査院検査官、公正取引委員会委員長、最高裁判事、高裁長官、検事総長、次長検事、高検の検事長などと同じ格だ。】
と、ちゃんと書いてあるぞ。
これらの認証官の職掌を内閣が左右できると思うのか?
それをすれば、どんな事になるか、想像できないのか?
憲法には規定されていなくても、下位法で充分に規定されている。
下位法が合憲である以上、憲法に書いてあるか否かは、問題ではないのだ。
例えば、憲法には【人を殺傷してはいけない】と書いていない。
では、しても良いのか?
お前の理屈は(小沢の言う事も)、この程度に疎漏だ。
憲法自体もろくに知らないくせに、それより煩雑な、下位法がらみの事まで、
口を挟むな、クソ馬鹿野郎。
お前が偉そうに書けるのは「セメントの捏ね方」だけだろうが・・・
まずはメモった田中記者に感謝。
> 自民党の「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」
なんか、金とって受講者集めるくらいの値打がある内容ですな。
現政権-民主党の政策決定過程において決定的に欠落しているのはこの手の論点提示と丁寧な説明ですね。 マニュフェストとの整合性可否以前の問題でしょう。 政策転換を「この思いを国民にはご理解して頂けると...」で片付ける様ではとても当事者間の信頼関係なんて結べないと考えるんだが...
大原> 政権交代が万能だと言うこと自体、皇室の有り様をまったく理解していない...
恐らく小沢は皇室尊崇の念なぞ持ち合わせてないでしょう。 彼の常識では最大与党の幹事長による決定と承認により三権のあらゆる行動を制御する事が「民主主義」なのでしょうから、皇室すら行政府の一部局に過ぎないと考えているのでは♪
時宜を得たエントリーありがとうございます。毎日多量のニュースに接して消化不良でいるときに、このように明快に整理した見解を読ませていただくと助かります。田中記者さんのように、わが身を甘やかすかどうかはともかく、同じように国を憂える後輩の記者さんたちが阿比留記者の後に続いていることを知って心強く思います。
前回のエントリーですが、創価学会のアドレスリスト、大問題ですね。衆を頼んでの激しい抗議活動で自らの言い分を通しメディアや行政機関を威喝し萎縮させる行動を取ってきた団体 ― 朝鮮総連や民団、部落解放同盟なども同じですが ― が会員向けにそのような手帳を発行しているとなれば、その目的は明らかです。
まったく子どもそのものの振る舞いですな。だから天皇陛下の謁見に対してもあれだけゴリ押ししたのでしょうね。中国の手前もあって・・・。
あなたはさきほど、承知しました、と返事をされました。私は嘘が嫌いです。それを平気で破るのであれば、以後、すべて削除します。
本日の産経抄にもありましたが、オザワは日本に自分が君臨出来る王国を作りたいのでしょうね。王様は勿論オザワ。側近は名前を出すのも面倒な、提灯持ちばかり。岩手はすでに王国らしいですが、岩手では善政を敷いて名君なのでしょうか?自分自身には、どうしても田舎の爺ちゃん婆ちゃんを騙して当選してるだけの詐欺師にしか思えないのです。何故に彼にいとも簡単に騙され、そんな支持があるのか解りません。一種のカルトでしょうか。
大原先生、百地先生のお話には説得力ありますね。そこには客観的事実だからこその説得力が伺えます。翻って、オザワの言動には何もありません。事実を知らぬが故の誤魔化しと恫喝で人を説得しようとする、暴力団まがいの“本性”が垣間見えます。
話変わりますが、阿比留さん、Cosplayなんぞという常に嘘と誤魔化しの支那人なんぞ相手にされない方がいいですよ。大変面倒ですが、常に削除をお勧めします。
天皇陛下の誕生日でのお言葉を読みました。
感謝の言葉を述べたあとに続く言葉を、
テレビでは放送していませんでしたね。
まあ、あちこち全てチェックしているわけではないので
断定はしませんが、やはりこの件は・・
チンピラ小沢が憲法も一ヶ月ルールもくそくらえ、と
坊ちゃん政治家鳩山・平野をパシリに使って
陰に隠れて会見をねじ込もうとしたところ、
それは間違った行為だ、と知っている宮内庁が拒否した、
というところが実態ですね。
また小沢は、内閣の支持に従うべき官僚が
会見まで開いた、と腹を立てていましたが、
羽毛田氏が言うとおりの不正行為をやっていたから
恫喝するしかなかった、というのが実態でしょうね。
また羽毛田氏は、(内閣に対しては)立場が下だから、
会見するなど、広く明らかにするしかなかった、
ということも理解できますね。
上司や社長に違法行為をしろ、と命令されたら、
立場が弱いものが拒否するためには、
弁護士や警察あるいはマスコミに相談するしかないですからね。
石原知事が皇太子をオリンピック誘致に利用しようとした時も
(私は、石原知事を大体は支持しているほうですが)
このときは知事は何を考えているんだろうと感じましたが、
羽毛田氏は国士ですね。
もうひとつ気になること。
副主席の夫人が関係していた中国劇?に皇太子が観劇に行っていたこと。
これも何か政治的背景がありそうな気がしてしようがない。
なかでも、注目されるのはリヒテンシュタインの王室だと思います。
皇太子殿下は二度ご訪問されています。
内親王の方々も、外国を旅行されています。
開かれた皇室と言われ市民化し、御妃が、バッシングに遭うなどと、ゆゆしき時代であることを憂います。
国家の根幹のことであるので、今からでも真剣に取り組む必要があるでしょう。
いつも大変勉強になるエントリーをありがとうございます。
そして田中様、
大変な作業お疲れ様でした。
さて、私も昨日一般参賀に行ってきました。
皇居の中へ進む途中に、近くを歩いていた方が
「毎年来てるけど、こんなに人が多いのは初めてだ。」
と驚いていました。
報道でも平成に入ってから最多との事でしたが、まさにその通りだったようです。(私自身も初めてでしたが)
皇室に対する崇敬の念を持った人たちがまだこれだけいれば、小澤氏の自身の利権の為の一連の言動は批難されて当然だと思います。
そう言えば、かなり異国の方も周りにいて、日本人と同じように笑顔で日の丸を振っている姿が見られました。
日の丸に反対している方が、この光景を見たら何と言うのか聞いてみたいところですね。
打倒民主党政権!
邪悪な亡国政権はわれわれがぶっ潰す!!!!!!!!
> Cosplay様
> あなたはさきほど、承知しました、と返事をされました。私は嘘が嫌いです。それを平気で破るのであれば、以後、すべて削除します。
阿比留様、Cosplayさんは日本の味方です。
削除はしないでください。
私にも、非常に勉強になる意見を書いています、彼は。
見る人が見ればわかります。
今しがた、馬鹿 鳩衆議院議員の政治献金への謝罪説明会を犬HKでやってました。
阿比留さんから質問がいつ出るかと期待していましたが、30分頃には打ち切りになってしまいました。
結局、この人は総理大臣なのに「非常識」そのものです。
辞任しないキーワードは
1)事実を
2)正直に語る
3)それが「私腹を肥やさなければ」OKだそうです。
鳩山一家は今や、「非常識」一族で、こんな輩には政権を任せられません!
12憶を7年以上貰っていて、ばれたから遡って贈与税を払えばそれで懺悔という論理はないでしょう~!
鳩ぽっぽは大見得を切って、クリーンなイメージをばら撒き、有権者を欺いて政権を奪取した。
その釈明会見。
過去の大法螺との整合性を聞かれて、私腹を肥やす意図は無かったから自分のケースは許されると。過去の言辞の再定義をやって逃亡を図る。
「天下り」はやらないと言いながら、斉藤次郎について事後に都合のいい「天下り」再定義をやった。これと全く同じだ。
私腹を肥やす意図が無いのは、当たり前だ。詐欺師の面目躍如、語るに落ちる、とはこのことだ。
政治資金規正法は、私腹を肥やす意図など、要件にしてはいまい。
政治資金規正法に違反した「秘書の罪」は、「本人」たる鳩ぽっぽが取るべきなのだ。綸言汗の如し。
ちいさな者から大きな者まで、動かす力だ、六幸商会。
素朴な疑問です。
鳩山首相は長年にわたる個人献金者の偽造は全て秘書がやったことで何も知らなかったと言っています。
選挙も何度かあったにもかかわらず、個人献金した有権者を顧みることはなかったのということですね。
政治家とはそんなものなのでしょうか。
地方へ遊説にいってもその土地の献金し支援する人をも気にかけることはないのですか。
他の政治家もそうなのでしょうか。
脱税で税金を払わないのは「私腹を肥やす」にはあたらないのでしょうか?
政治の結果の責任をとるのが政治家です。実母の贈与と、秘書の故人偽造献金を知らなかったと言い逃れても、その結果の責任は、政治家である貴方ご自身がとるべきとは思われませんか?そうお考えになったから、過去に秘書のした責任は政治家の責任であるとおっしゃったのでしょう。
政治に空白を作らないため総理にとどまるといいますが、皮肉にも本日の日経平均株価は上昇しました。鳩山内閣の危機を、経済界は歓迎ということです。辞任して頂ければ、二番底もなくなり、解散即ち、国民の幸福ということを期待する現われです。総理の椅子に執着されて、出処進退の美学を逸しませんようご忠告申し上げる次第です。
明日出るであろう大いなる批判の嵐の前に。 Hermes
検察は、フニャフニャな鳩山よりも、小沢不動産へターゲットを絞ってきましたね。
まぁ、亀井風に言えば、
検察が、小沢をがんじがらめにすれば、今の民主党はガタガタだし、
鳩山政権は社民党・国民新党によって、グダグダになります。
政権成立後の「ハネームーン」期間は、すでに終わったのですから、メディアの本領を発揮していただき、明日の日本の活路を見出していただきたい。
切なる願いです。
以上
どうしても気になるのですが、
チンピラ小沢は羽毛田氏に対して、
一官僚が内閣に反してモノを言うとはけしからん、
官僚は内閣にしたがっていればよい、
批判するなら辞表を出せ、と恫喝していました。
それを鳩山首相も支持していましたね。
それで聞きたいのは、鳩山氏が昨日の会見で、
「検察にゆだねる」といっていたことの意味です。
鳩山首相および民主党は、
官僚は内閣の指示に従わなければならない、
内閣に反するなら「あいつは分かってない」、
「勉強が足りない」とわめいても、それが正しい、
という考え方を持っているわけですが、
今、検察庁の長官はクビになっていない、
また、羽毛田氏のようにやりやっているわけではない。
つまり検察庁は内閣の指示に従っていると考えられますが、
内閣の指示に従っている検察庁に「ゆだねる」
とはどういうことか。
どういう指示をし、それに検察が応えているから
ゆだねていられるのか。
チンピラ親分の小沢とパシリの鳩山に是非聞きたいのです。
こんにちは。確かに吉国一郎内閣法制局長官の答弁(昭和48年6月28日、参院内閣委員会)は、「立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思う」というものですね。
今後もお体を大切にご活躍ください。