本日、天皇陛下の76歳の誕生日を迎えられました。これにあたって、陛下が文書で公表された「ご感想」全文が今朝の産経に掲載されていました。私は以前、宮内庁担当だったこともあり、強い関心を持って読んだのですが、中でも、次の部分がとても重要であるように感じました。決して直接的・明示的には書かれていませんが、含意は伝わってきますね。

 

 《昨年は十二月初めに体調を崩し、静養期間の間に誕生日を迎えました。多くの人々が心配してくれたことを感謝しています。そのようなことから、今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年十二月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています。》

 

 今朝の産経「主張」欄が「天皇の意忖度は不適切だ」と書いているように、あまり勝手に陛下のお考えを解釈するのはよくないと思うので、ここまでにしておきます。そして、しつこいかとも思ったのですが、とても重要な内容であると思うので、改めて17日に開かれた自民党の「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」について紹介します。これは、17日のエントリ「天皇陛下の『政治利用』に関する自民党の検証会」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1371841/)で記した16日の会合の翌日に、その続きとして開催されていたものです。合わせて読んでいただくとよく分かると思います。

 

 この日は、大原康男國學院大教授と百地章日大教授が招かれ、それぞれの立場から天皇陛下と中国の習近平副主席との会見、それに対する民主党の小沢一郎幹事長の発言について論じています(議員とのやりとりは、あまりに長文になるので省略しました)。とても分かりやすいです。

 

大原氏 専門的な法律問題は百地章氏から。全般的な事柄について私見を申し上げる。あのような異例の強硬な申し入れを宮内庁長官が受け入れ、このような事態になり、小沢一郎民主党幹事長の記者会見が波紋を広げている。この問題は法的、政治的にどう問題を捉えて整理していくかが大事だ。言うまでもないが、鳩山首相が今回の措置は諸外国と日本の関係を好転させるための話であり、政治利用という言葉は当たらないと言っているが、私なりに言わせれば、今まで他国に対してルールを守るよう要求しながら中国の無理強いだけを受け入れるという極めて卑屈な政治的配慮があった。そのことによって習副主席に天皇会見がなされた。

これは、胡錦涛主席の有力後継者と言われながらもまだ確立していない人に天皇会見によってある種の有利な実績を与えることになるという政治的効果を与えることも間違いがない。その意味で、政治利用と十分に言える。その上、小沢幹事長の動きを見ていると、ちょうど小沢訪中団が中国に行っているさなかの話であり、胡錦涛主席・小沢会談と天皇・習副主席の会談がセットになって、それを世界にアピールしようという極めて政治的なセレモニーのような気がする。ますますもってこれは両国の首脳が、政治的意図でやったことはほぼ間違いなく、否定することはできない。

 元々、皇室外交と言われるものは、現実の国際政治の次元を超えたところでなされる友好と親善だ。宮内庁は外国交際という言葉を使い、外交とは違う政治的ニュアンスを含んだ言葉は使わずに来ている。そういうことがあるだけに、今回の宮内庁としてのはっきりした主張が出されたと思う。

 小沢幹事長の記者会見はいくつも問題があるが、まず1つは、1カ月ルールを法令ではないというようなことを断言しているが、宮内庁法第2条に宮内庁の所掌事務がある。その第9号には「交際に関すること」とある。当然、外国交際を包含している。従って外国交際に関して宮内庁がそれなりのルール作りをする。宮内庁の式部官長から外務省の儀典長に出している正式の文書だ。まさしくこれを宮内庁令などに比べると法令だ。法令なのか、ということを問いただすこと自体が極めて不明な頭の持ち主ではないかと思った。

本当に国事行為と思い、内閣の助言と承認で何でもできるんだとするならば、これは内閣の助言と承認であって、総理や官房長官の助言と承認ではない。つまり、閣議にかけなければそう言うことは言えないが、閣議にかけた形跡がない。仮に国事行為と言っても、それですら外れている。

 政権交代やったんだから何でもできる。それをまた天皇にも強要するような興奮が見られるがそんなことはない。元々、象徴天皇の行為は不偏不党の立場で国民に対しても外国に対しても公明正大に臨む。これが、象徴である天皇および準象徴である皇族方の立場だ。そのことが頭にあれば政権交代で何もかもができるという発想が出てくるわけがない。

 結局、宮内庁長官にああいうことを言うなら辞表を出してくれと、行政の責任者である内閣総理大臣の指揮命令に従わなければ、と言っているが、しかし、宮内庁長官というポストは各省の次官や各省の外局の長官と同じではない。重要なのは、宮内庁長官は認証官だ。認証官は人事院人事官、会計検査院検査官、公正取引委員会委員長、最高裁判事、高裁長官、検事総長、次長検事、高検の検事長などと同じ格だ。ということは、人事院や公取は行政委員会と呼ばれており、人事権は政府にあるが業務は独立して行う。検察官も最終的な法務大臣の指揮下にあるが指揮権発動は極めて異例なことであり、検察官が独立性を持ってやらなければ、司法の独立性は担保できない。宮内庁長官がどうして認証官になったか分からないが、それと並ぶのなら、宮内庁は内閣府の外局になっており内閣総理大臣の管理下にあるとは言え、各省の次官などと同じではない。他の認証官と同じように皇室の事務を行うという特別な役所であって、そこにはある程度の独立性を持ちながら業務にいそしまねばならないということが含まれているので、政権交代が万能だと言うこと自体、皇室の有り様をまったく理解していないと感じる。

 これまで皇室の外国交際が政治利用と言われた例をいくつか。1つはニクソン政権、田中政権末期にご訪米計画が昭和48年(※後で49年と訂正)にあった。これはどちらもウォーターゲート事件、金脈問題があったかどうかは忘れたが、両政権の政権末期の政権浮揚だったので、当時の宮内庁長官が猛烈に蹴って国論を二分するようなときにこういうことをやってはならないと見送られた。2つめが平成4年の天皇、皇后のご訪中。これも国論を二分した。残念ながら強行され、危惧はあたった。当時の担当者であった銭基琛外相が回顧録で、天安門事件の孤立から脱却するために西側の包囲網の中で最も弱い日本をターゲットにした、天皇の政治利用であったことを平然と書いている。そのことが今回、反省された形跡がない。昨年の北京五輪への皇太子出席も中国はかなり言ってきた。しかし、チベット争乱、毒ギョーザ等々の中国側の対処の仕方で国内世論が許さなかったから見送られた。4番目が今回。なお、報道によると、2012年には皇太子殿下を招きたいという動きもあると聞く。この問題をうやむやにすると、また日本人は簡単にものを忘れやすい。どう決着して二度と繰り返さないようにするか。民主党政権を徹底的に追及しなければ一過性のことで終わる可能性がある。

もう1つ気になることは、小沢幹事長がご訪韓まで言及している。こういう皇室に対する考えを持っている民主党政権が来年、天皇訪韓を進めればどうなるか。日韓併合100年にあたる。小沢氏は外国人地方参政権を熱心に推進すると言っている。悪夢は外国人地方参政権を手みやげに日韓併合100年をお詫びするという、そういうような形でひょっとしたらご訪韓を進めるかも知れない。そういうことも考え、この問題は一過性の問題ではなく、将来に大きな禍根を残したという意味で真剣に受け止めねばならない。

 

百地氏 憲法学の立場からそもそも国事行為、公的行為がいかなる性格のものなのかということ、小沢発言のどこに問題があるか申し上げる。今回の陛下のご引見は国事行為でなく公的行為である。小沢氏は国事行為であると思いこんでいるだが、新聞各紙も報道済み。共産党の志位委員長も批判している。

天皇の行為の中には国事行為と公的行為と私的行為の3つがある。公的行為は象徴行為とも言われる。国事行為の中には大使、公使の接受が7条9号にあるが、今回の会見は当たらない。ます、大使、公使ではない。そして接受ではない。接受とは、国際法上、事実行為としての接遇や引見ではなく、外交使節の信任状の奉呈を受けることだと理解されている。もし大使、公使の接受であるなら内閣の助言、承認が必要。もし閣議決定がなければ憲法違反になる。ちなみに、信任状の正本を奉呈されるのが陛下、副本が内閣に提出される。陛下に信任状を提出することで外交官としての活動が始まる。

 今回の会見は小沢氏が平野博文官房長官に要請したとの報道があるとの質問に対し、小沢氏は「天皇の国事行為は国民の代表である内閣の助言と承認で行う」と自ら要請したことは否定した上で、「内閣官房長官からの要請で行われたのに政治利用ということになれば、国事行為はすべて政治利用になる」という言い方をしている。これも非常におかしな話だ。天皇の国事行為はそもそも非政治的なものであり、中立、公平性が必要だ。天皇は国民統合の象徴なので、国事行為についても天皇自身の政治的中立性、公平性が要求される。その意味で非政治的なものだ。この点、憲法4条1項をもって、学説は天皇は政治に関与しないと通説を述べている。しかし、従来の政府見解は必ずしもそうではない。天皇の国事行為の中には国政上の権能もある。例えば衆院の解散だ。だからこの条文は天皇は国事に関する行為のみを行い、その他の国政上の権能を有しない、の意味であるのが制憲時の憲法解釈。しかしながら、そうなると天皇の国事行為の中には国政上の権能も含まれることになるが、しかしそれはすべて内閣の助言と承認による。天皇は絶対的に内閣の助言と承認に拘束されるので、そこに天皇の意思が介在する余地はない。そういう意味で、政治性がそこで払拭される。これが立憲君主制の所以だ。英国では自らを死刑に処すという文書にも内閣の助言があれば署名しなければならないと言われる。 

 天皇の公的行為だが、小沢氏は「天皇陛下御自身に聞いてみたら」と。「手違いで遅れてかも知れないが会いましょうと必ずおっしゃると思うよ」と述べている。率直に言って不遜きわまる発言であって、まるで天皇自身が自分の思い通りなるかのような思い上がりの発言だと思うが、それは感情の問題。公的行為についてもご引見の相手を、どうするかは宮内庁の責任で決定していると思う。天皇自身だけの判断で会うか会わないかを決めることはないと思うし、色々、報道されているところでも、会見の時、突然、招聘されても「内閣が決めることですから」と返事される。陛下自身が自ら行きたいとか言うことは絶対、ないと思う。

公的行為の限界だが、公的行為は国事行為以外の公的行為、つまり象徴としての地位に基づくもの。国事行為というのは国家機関としての地位に基づいてなされる行為。私人の立場で行うのが私的行為と分類されている。国会開会式でのお言葉や外国への公式訪問、植樹祭等への出席、外国元首との●(聞き取れず)。ちなみに、大嘗祭も皇室の公的行為だという答弁が出ている。限界は、事実行為に限られ、法的効果を伴うものではないと考えられるし、国政に影響のある行為や党派性を持った行為は認められない。宗教的色彩を持ってはいけないとは、学説は主張するが、内閣の答弁の中には出ていないと思う。天皇の公的行為と内閣の補佐の問題だが、公的行為も内閣の直接または間接の補佐と責任において行われなければならない。だいぶ昔は閣議で決めていたが、その後は宮内庁の責任で処理していると聞いている。ただし、現在でも外国訪問の決定は宮内庁の一存では決まらないと思う。あるいは外国からの国賓等は閣議決定を行い、その上で宮内庁がお世話していると聞いている。

 宮内庁の1カ月ルールの問題は、「誰が作ったの」と言っているが、これは自社さ政権の平成7年、さきがけの幹事長の鳩山由紀夫さんだった時に作られたそうだが、確認していない。宮内庁による1カ月ルールの設定だが、これは外国からの賓客の引見について天皇をお守りする立場にある宮内庁が陛下のご多忙さ、健康、さらに陛下は接見にあたっては非常に入念に準備をされるのでそのための準備も必要だ。従って一定のルールが作られたのは当然だ。皇室の政治利用に対しては宮内庁が天皇陛下を守り、政治的中立性と公平性を確保するために、毅然とした態度を取るのは当然だ。

1カ月ルールについて、小沢氏は法律で決まっている訳ではないと主張しているが、新憲法の施行にともない旧皇室令はすべて失効した。それでは困るということで、昭和22年5月3日付けで宮内府文書課長名で依命通知が発せられた。それによれば、従前の規定が廃止されて、新しい規定が存在しない場合には従前通り行う、となっている。従って、●(聞き取れず)の儀式もかつての皇室令に従って行われている。コモン・ローと考えても良いという発言がある。従って法律でないから駄目だという発想そのものが法律万能主義によるものであり、理解できない。例えば、官僚が勝手に作った取りきめとはまったく性質を異にする。社会保険庁が45分働いたら15分休むとか、あんなのこそ政治主導で廃止すべきだ。

 宮内庁の役人がどうだこうだと言うが内閣の一部局だという発言は、宮内庁が国家行政組織法上、内閣府の管轄下にあることから、宮内庁長官が上級官庁である内閣府の統括下にあるのは事実だ。従って一般的に言えば、その命令に従わなければならない。しかし、宮内庁は国民統合象徴たる天皇の補佐機関でもある。従って、国民統合の象徴としての天皇を守るべく上級官庁から一定の独立性が確保されなければならない。皇室の尊厳と天皇の政治的中立性、公平性を確保するためだ。その意味で1カ月ルールを無視した内閣からの政治的要求を拒否したのは当然のことであり、非難される言われはない。

 天皇の行為、行動は、2つの原則に基づく。1つは、憲法、法律その他のルールに従って行動するということ。その際には、必ず内閣、宮内庁長官の補佐、助言等によって行動する、それに必ず従う。これが基本原則だ。これが立憲君主たる所以である。従って、動機さえよければ良いという話ではない。あるいは政治的に非常に重要な価値があるからいいという話ではなく、原則に従う、それが中立性、公平性を保つ所以だ。そう考えると、今回の引見はルール違反である点で問題。もう1つは、宮内庁長官が補佐機関であると考えて良いが、その助言を無視して強行した。まったく許されないことだと考えている。

 

外務官僚 習近平国家副主席の訪日について年初以来、中国側から、国家指導者の一人との表現で訪日の打診がございました。今秋、この秋になりなりまして、当該指導者が習近平副主席であるとの想定で日中外交当局間で訪日について進めてきたものでございます。日本側からは、国家副主席の訪日のマネージがしっかりできるようにと、再三にわたり具体的日程を中国側に対して早期に提出するよう求めてきた経緯でございます。昨日も申し上げましたように、23日に中国側より外務省に対して正式に訪日日程が伝達されました。26日に外務の担当局長の方から宮内庁に往訪し、ご引見の可能性について打診した経緯がございます。

宮内庁よりは1カ月ルール、ご説明があり、これに照らし陛下のご引見の実現は極めて困難であるという反応が示されたという風に承知しております。27日に、改めて宮内庁よりご引見の実現は不可能である、そういう回答がなされております。同日に、私どもの方から、在京中国大使館に対してほぼ不可能であるという風に説明、伝達したところであります。また、30日に改めてご引見の実現は不可能であるという風に伝達してございます。12月3日に、中国外交部、これは北京でございます、外交部の方から我が方大使の方にご引見の実現の要請がなされております。また9日には、これは東京でございます。内閣官房長官の方に在京の中国大使からご引見の実現の要請がございました。12月の10日に、宮内庁から外務省に対し、ご引見が15日午前に実現するとの内報がございました。それを含めまして11日に、外務省より習近平副主席の訪日日程、これは陛下のご引見を含むものでございますが、正式に発表した、そういうような経緯でございます。

 (中曽根)元総理への説明は昨日、申し上げた通り。今のような経緯もご説明し、1カ月ルールもあわせて説明した。元総理から「分かりました」ということだった。それ以外に本当になにもございません。

 

大原氏 一つだけ訂正したい。過去の例としてニクソン・田中角栄によるご訪米計画は昭和48年ではなく49年の間違いでした。これは重要なことで、そういうことで宇佐見長官が拒絶した。それはもう1つは、その秋のことだが、ちょうど第60回の伊勢神宮の式年遷宮の翌年で、神宮をご参拝になるということもあって断ったという理由もある。それと今回、関連致しますのは、この15日という日は実は、皇居において賢所御神楽(かしこどころみかぐら)という宮中祭祀が行われる日なんです。本来ならばこれは大祭でなく小祭なので、大祭ほど決済なされませんが、天皇陛下は心を平静に保たれる。その後、午前中、午後にかけてはあるはず。それをも押し切ったというのは、これはまたゆゆしきことだということだけ、ちょっと追加しておきます。

 小沢氏の発言は、非礼不遜であり、国民統合の象徴であり国民の敬愛の対象であるお方に対して非礼な言葉を使いながら強要していることであります。昔から中国に不忠の臣の2つある。1つは君主に対し正しいことを直言せず、口先たくみにへつらう臣下。これを佞臣(ねいしん)と言う。もう1つは袞竜(こんりょう)の袖に隠れる。つまり天皇の徳を利用して自分が責任を逃れる。かつてご訪中の時もあったが、「天皇陛下も中国へ行きたいとおっしゃっている」と、そういう言い方をするのを袞竜の袖に隠れる。今回のことはそこまで言っていませんが、「おっしゃると思う」というのも、袞竜の袖に隠れる、天皇に責任をかぶせるような形で自分の意思を表明するということですから、これはまさし君主の不忠なんて言い方は古いかも知れないが、先ほど何回もあったように国民統合の象徴であり国民の敬愛の対象である、しかも政治的に中立、公平でなければならない天皇に対する、一般国民の言論としても礼を失する。それを公党の最高首脳の一人が公開の場所でああいうことを言うことに対しては、断固として許すことが出来ない。

 

百地氏 小沢氏の発言が憲法違反にあたるかどうかだが、憲法における天皇の地位を正しく理解していない発言であることは間違いない。憲法の基本精神に反する。

 

大原氏 1カ月ルールを守っていなかったら政治利用にならなかったと思う。ただ、どういう資格で呼んだのか。こうした問題は、この問題がおこらなくても検討すべき。後継者レースの人に点数をあげた。当事者の目的、結果においても政治利用だ。<了>

 

 …今回の取材メモも、後輩の田中記者が提供してくれました。私も経験してきましたが、このメモ起こしってけっこう時間と労力が必要なのです。内輪の話ではありますが、改めて感謝したいと思います。飯でもおごるか。