わたしのまちがいだった

わたしの まちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる》(八木重吉「草にすわる」)

 

 さて、みなさんもうご承知の通り、鳩山首相は本日2度目の沖縄訪問を行い、仲井真知事らと会談して米軍普天間飛行場の移設先を、名護市辺野古付近でとお願いしましたね。なんのことはない、自民党政権時代の日米合意の微修正レベルであり、袋小路をさまよった挙げ句、元の地点に戻ってしまったというわけです。

 

 就任以来の9カ月にわたる迷走で、日米同盟を「もう元には戻らない」(外交筋)ほど毀損し、東シナ海は中国の海であるかのように中国を増長させて諸外国の嘲笑と迷惑顔を招き、沖縄県民の気持ちを「差別」という嫌な言葉を使わせるまで傷つけ、結局、以前の案でまたどうかよろしく頼むよと言っているわけです。

 

 一昨日の参院本会議で、自民党の丸川珠代氏が鳩山氏に対して「ルーピー」とヤジを飛ばしたのには賛否両論が出ていますが、私は心から賛同します。これ以上、ぴったりくる言葉は他に思いつきません。長い野党時代、首相になれば何でもできるぐらいに世の中を甘く考え、かつ「米国はきっと折れてくる」という根拠不明な自信を持っていたようです。ある民主党中堅議員はこう言っていました。

 

 「首相はこれまで、すべてが何とかなってきた人だから。困ったな、という状況になっても周囲が何とかしてくれた。今回初めて、これは何ともならないと感じているんじゃないか」

 

 …身もふたもない言い方をすれば、これまでの人生は有り余るお金の力で何とでもなったのでしょうね。ご自身も「恵まれた家庭に育ったものですから」と語っていましたし、母親から毎日50万円の子ども手当をもらっておいて「気付かなかった」と堂々と言えるような人生を送ってきたわけですから。

 

 《政治家が心しなくてはならないのは、問題に直面したとき決して直線で考えないことだ。最短距離を見つけようとしてはならない。目的地へ直線を引くことをやめて、必ず迂回すること、むしろ、回り道を見つけだそうと努めるべきなのである。

直接的であることを避け、間接的なものの考え方を選ぶ重要性は、政治はもとより経済、社会問題においても当てはまる。直接にアプローチすることで、かえって時間がかかるだけでなく、目標を達成できないことも多いのである》(李登輝「台湾の主張」)

 

何度でも繰り返しますが、私は本来、自主防衛ができるものならそうすべきだと考えていますし、沖縄の過重な負担も軽減する方向に持っていくべきだと当然そう思います。ただ、そのためには、準備期間も法整備も防衛費の大幅増も必要ですし、何より国民の相当の覚悟が求められることでしょう。

 

何の検討も「腹案」もなしに、できることとできないことの区別もつかないままいい加減なことを口にし、プライドを保とうと言い逃れを続けているうちに収拾がつかなくなって最期はお手上げというのでは無責任すぎますね。鳩山内閣では、「決着」「合意」という言葉の意味がくるくると日替わりで変わりました。

 

 《外務大臣の宇垣一成は一種の妙な癖がある、彼は私が曖昧な事は嫌ひだといふ事を克く知っているので、私に対しては明瞭に物を云ふが、他人に対してはよく「聞き置く」と云ふ言葉を使ふ、聞き置くといふのは成程その通りに違ひないが相手方は場合によつては「承知」と思ひ込むことがありうる、宇垣は三国同盟(三月事件か?)にも関係があつたと聞いているがこれも怖らくはこの曖昧な言葉が祟つたのではないか。この様な人は総理大臣にしてはならない》(寺崎英成「昭和天皇独白録」)

 

 鳩山氏はきょう、仲井間氏との会談でこう語りました。自民党の谷垣総裁との党首討論で「愚か(loopy)」を「愚直」とすり替えたように、この日も「最低でも県外」という自らの言葉を「できる限り県外」へと誤魔化していました。謝罪に言い訳や嘘を混ぜるこのやり方はもう、はっきりと卑怯者だと言うしかありません。

 

 「私自身の言葉、できる限り県外だということ。この言葉を守れなかったこと。そして、その結論に至るまで、その過程の中で県民の皆さま方に大変混乱を招いてしまいましたことに対して、心からお詫びを申し上げたいと思っております」

 

 国民の声、県民の声、地元の声、同盟国の声、連立与党の声、声、声…。すべてにいい顔をして、それで「自分は何といい人だろう」と良心の満足を得るようなタイプの人とはつきあいたくないですね。まあ、これほど極端な人は滅多にいないでしょうが。

 

 《なによりも、われわれは「国民」をカタル人たちに振り回されないようにしよう。とくに正義を気取って「国民本位」や「国民目線」といった言葉を使うヤカラには最注意だ。かれらは、きっと自分かわいさに「国民」を濫用している。われわれ国民は政治家の自己正当化のためにダシにされるわけにはいかない》(高瀬淳一「政治家を疑え」)

 

 鳩山氏は、仲井真氏との会談で「政府のこれまでの対応によって、県民の皆さま方に大変なご迷惑をかけてしまっていますことも、私自身、痛いほどよく分かっておるつもりでございます。ご批判をちょうだいしておりますことから、逃げるつもりもございません」とも語りました。でも、本当に「痛いほどよく分かっておる」のでしょうか。以前も書きましたが、簡単に「よく分かっておる」なんて口にすること自体、分かっていない証拠のようにも感じるのです。そして、こうも言いました。

 

 「県民の皆さんの思いというものをしっかりと勉強させていただいて、県民の皆さんに理解が少しでも深まってまいるよう最善を尽くしてまいりたいと思っています」

 

 …就任後、学べば学ぶほど、海兵隊の抑止力が理解できたという鳩山氏ですから、県民の思いもこれから学ぶということですね。きょう、鳩山氏と会談した名護市の稲嶺市長はこう述べました。まさにハシゴを外された当事者ですね。

 

 「辺野古に移設ということは、名護市民および県民に県外移設を訴えた行動や、思いを裏切ることであり、特に残念でなりません。鳩山総理が県外移設を公約し、県民の期待を盛り上げ、自らそれを反故にし、鳩山政権が掲げる友愛政治を自ら否定するものであると認識しております」

 

 《みな子よ、人生とは、何をはしたなく思うか、恥と思うか、それだけです。恥のない人間は、日本人だろうが韓国人だろうが、クズです》(つかこうへい「娘に語る祖国」)

 

 それでも、この鳩山氏は今後も首相であり続けるつもりであるようです。政権交代って、本当に素晴らしい。われわれ国民に何か重要なことを気付かせてくれるチャンスだったというわけですね。もう十分、身にしみましたが。

 

 (※引用した本の文章は、職場の本棚にあったものから適当に引っぱりました。たいした意味はありません。)