参院選から一夜が明けて、新聞の社会面を開いて驚きました。劇作家のつかこうへい氏の死去が報じられていたからです。以前のエントリにも書いたことですが、私はつか氏にインタビューしたことがあり、そのときの話がとても印象深かったので、本日は政局がどうのこうのという話は抜きにして、その際の記事を紹介したいと思います(選挙結果については、現在、新聞紙面をつくるので精一杯なので、また改めて書くつもりです)。

 

つか氏は当時、演劇のことなど何も知らない社会部の若手記者だった私を相手に、実に分かりやすく、かつ懇切丁寧に答えてくれました。心よりご冥福をお祈りします。

 

作家・つかこうへいさん語る 「慰安婦報道一部マスコミに違和感」 [ 19970404  東京朝刊  社会面 ]

 

 歴史は、もっと優しいまなざしで見つめなければいけない-。在日韓国人で、このほど『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』(光文社)を出版した直木賞作家、つかこうへいさん(四八)は慰安婦問題について、こう語りかける。執筆に当たって取材をし、実態を知れば知るほど疑問は深まり、慰安婦を「悲惨」という視点ばかりで描きたがる一部マスコミ報道への違和感が募ったという。(教科書問題取材班)

 

 『娘に語る祖国』は平成二年、つかさんが当時四歳だったまな娘のみな子さんに、日韓両国への思いや人間観など、さまざまなメッセージを優しく語るという形でまとめられた。今回、発売されたのは続編。題の「満州駅伝」は、戦中のある日、満州の平原で慰安婦と日本兵による男女混合駅伝が催された-というつかさんの創作物語だ。

 

 「慰安婦制度自体、ひどいことはひどい。でも、この問題は多面的で、真実を一つの見方にくくってはいけないと思う。韓国の人が読んだら反感を覚えるかもしれないが、僕はオタオタしながらも誠実に書いたつもりだ」と、つかさんは言葉を選びながら話す。

 

 「ぼくは『従軍』という言葉から、鎖につながれて殴られたりけられたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」

 

 つかさんは当初、慰安婦問題についてエイズ、オウムと並んで同時代に生きる作家として避けて通れないテーマだと感じ、『二等兵物語』という劇の脚本を書き下ろすつもりだった。

 

 「悲惨な境遇にあった慰安婦と、同情した日本兵との恋もあり得たのでは」と作家として想像。「慰安婦のつらい日々にも、救いはあっていい」と、あくまでフィクションで描こうと元日本兵らに取材を進めると、何度も「あれっ」と驚かされることになった。

 

 「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった。彼女たちの境遇は必ずしも悲惨ではなかったことが分かった」

 

 とはいえ、つかさんは「慰安婦の二百人中百九十九人が違っても、一人にでも強制性があれば、言い訳はできない」という立場だ。また、「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」とも。その上で、「時代の貧しい状況も考慮しなければいけないのでは」と問いかける。

 

 「日本はよくないことをしたし、中には悪い兵隊もいただろう。でも、常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったりけったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏をつくろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」

 

 もともと、生活習慣が朝型のつかさんは、深夜テレビの討論番組などは見たことがない。『娘に語る-』は、教科書論争のことはほとんど知らず、たまたま出したという。

 

 「慰安婦問題を教科書に載せるべきかどうかを声高に発言する立場にないけれど、『従軍慰安婦』という言葉はあまりに強すぎるから。載せるのであれば、それを読む子供が自分で考え、(どちらが正しいか)選択する余地が残る記述にすべきだと思う」

 

 読者からは「社会科の先生はみんな、この本を読んでから(慰安婦問題を)生徒に教えたらいい」(東京都中野区の女性)といった励ましの手紙が寄せられている。

 

最後に、つかさんは「人間の業(ごう)というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で、一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人をうらむために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」と訴えている。

 

                

つかこうへいさんの本名は、金原峰雄。昭和四十五年、戯曲『郵便屋さんちょっと』でデビュー。四十九年、『熱海殺人事件』で岸田国士戯曲賞を最年少で受賞し、五十七年に『蒲田行進曲』で直木賞。平成三年、『飛龍伝90』で読売文学賞。六年に東京都北区文化振興財団と「北区つかこうへい劇団」を、七年には「大分市つかこうへい劇団」を旗揚げした。

 

 …下の写真は、そのときにつか氏にもらったサインです。大事にしなくてはいけませんね。私も娘がいるので、この本は特に胸に響きます。本日は時間がないので簡単ですが、ここまでとします。

 

     

 

     

 

 それにしても、山梨は惜しかったなあ…。