今朝の産経の「早版」には掲載されているものの、東京など都心部で配達される「遅版」では他のニュースに押されて紙面からこぼれ落ちた小さな記事がありました。それは政治面のミニ・ニュースで、「官房長官、韓国大使と竹島会談?」という見出しの記事でした。中身は以下の通りです。

 

 《仙谷由人官房長官は29日、韓国の権哲賢駐日大使と首相官邸で会談し、北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件などについて意見交換した。平成22年版防衛白書で竹島を「わが国固有の領土」とする記述に韓国側が反発、政府が白書の閣議了解を先送りした問題について、仙谷氏はその後の記者会見で「(会談では)全くでなかった」と説明したが、政府筋は「白書の話はあった」とし、食い違いが生じている》

 

 この仙谷氏と政府筋の話の齟齬について、私ははっきりと、仙谷氏が記者会見という公の場で嘘をついたものだと考えています。白書の件は話題の核にあったのだろうと。その後の取材でも、その確信を深めましたが、まあ証拠を示せるわけでもないし、政治家や役人が記者会見で嘘や誤魔化しを述べるのは珍しいことではなく、場合によってはそれを見破ってテキトーに聞き流すのも記者の心得なので、その話はここまでとします。

 

 では本日は何を書きたいかというと、仙谷氏がこの権大使との会談の中身について昨日の記者会見で聞かれた際、次のように話を脱線させた点です。

 

 「私は弁護士になって1年目から在日の方の、ある種の権利回復のようなことを、事件を担当してきた。(中略)鳩山前総理についてもそうでありますが、20年前から私と鳩山さん、本当にこれを実行したのは原文兵衛先生(元参院議長、アジア女性基金初代理事長)や五十嵐広三先生(元官房長官)でありますが、サハリン残留韓国人問題についての、私もその末端でちょろちょろしとったわけでありますが、その活動については大変評価するという話を先方(権大使)はされていた」

 

 いきなり自分から元慰安婦への「償い金」支給を進めてきた二人の名前を出してくるところが、先日の新たな戦後個人補償検討発言とあわせて考えると非常にきな臭いですね。仙谷氏は、7月7日の日本外国特派員協会での講演でもこう語っています。

 

 「弁護士としての生活の中で在日韓国人問題については日立就職差別裁判というのを弁護し、一年生のときから相当エネルギーを注いで勝利の内に終わった。そのあと、入管事件などでもある程度のエネルギーを使って日本の植民地主義的な侵略戦争についての、それを受けた側からの視点をしっかりと勉強しなければならないと。(中略)サハリン残留韓国人の帰国問題とか、その集会に出るように友人の高木健一君という弁護士がかかわっていた問題で同行を求められ、そこで実は鳩山由紀夫さんとも親しくなった経緯がある」

 

 さて、ここでもサハリン残留韓国人問題が出てきましたね。仙谷氏はよほどこの問題に関心があるようで、たびたび言及しています。あるいは、8月29日の日韓併合100年に合わせて、菅直人首相による謝罪の「首相談話」のほかに、この問題での新たな支援を打ち出すつもりなのかもしれません。

 

 実は私も、平成11年にサハリンを訪れた際にこの問題を少し取材し、連載「日露共生」という記事の中で触れているので参考までに関連部分を少し引用します。以前のエントリとも参照していただければ幸いです。

 

 《日本サハリン州経済開発促進協会の趙応奎さん(65)によると、韓国人は南樺太が日本領となった日露戦争後の1905年ころからサハリンに移り住み始めたという。

「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」

この地に来た韓国人には、①戦前戦中の出稼ぎや自由募集、または日本による徴用②戦後、友好国の北朝鮮からの労働力募集③スターリンの命令で沿海州から中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられていて、共産主義指導のため再び移されたーーの三通りがある。

南部の港湾都市、コルサコフ(旧大泊)の市場で働く韓国人女性(70)は、日本名「山下花子」と名乗り、話しかけてきた。

「来年三月、五百世帯が韓国に引き揚げるんだよ。今、日本の援助で韓国に家を建てているんだ。一時帰国で家を見に行ったけどなかなかいい家で、私もここ生まれだけど引き揚げる」

「山下さん」がいう一時帰国とは、日本政府が平成元年から毎年、一億二千万円前後の支援をしている事業を指す。また、政府は「自社さ」連立の村山内閣時代の平成七年、〝人道的見地〟から二十七億円以上かけて韓国・ソウル郊外に永住帰国者のため五百戸のアパート建設を計画、今年十二月に完成する予定だ。居住の条件では、日本の徴用でサハリンに来たかどうかは問われない》

 

 …記事には書ききれませんでしたが、文中の③の人たちは「日本帝国主義から開放された人たちを教育する」という名目で送られてきていて、コーリャンの配給もロシア人と同等であるなどおおいに優遇されていたそうです。「山下さん」は今は韓国で暮らしているのでしょうか、日本人が懐かしかったらしく、自分から話しかけてきて、私のメモ帳に日本名を書いてくれました。(私の下手な文字が横に書き込まれていて見苦しいですが…)

 

      

 

ただ、私はこれ以上の際限のない支援や援助には賛成できません。第一、上の記事でも書いたように、「残留」の責任の所在は必ずしも日本にあるわけではありませんし、日韓の個人補償請求問題は、日韓基本条約とそれに伴う協定で「完全かつ最終的に」解決されており、それを無視するかのようなやり方は国際条約の軽視そのものだとも考えます。

 

 また、この手の問題は他の国にも飛び火しがちで、往々にして韓国に出すなら中国も、などという話になっていきます。正直、もううんざりですし、韓国政府側からも「何でまた寝た子を起こすような補償うんぬんの話をするのか」と疑問視する声が聞こえてきます。

 

 29日の朝日夕刊のコラム「窓 論説委員室から」は、「弁護士政治家」として仙谷氏を取り上げ、次のようなエピソードを紹介しています。

 

 《東大在学中に司法試験に合格した仙谷由人さんが弁護士登録をしたのは、25歳のとき。最初に担当したのが、日立製作所の就職差別事件だった。(中略)

「オマエたち日本人が作り出した差別だ」「この裁判にかかわることでオレは生き方を変える」。深夜までよく青年弁護士と議論したのを、来年日立で定年を迎える朴さん(※裁判の原告)は、覚えている。

40年近くが過ぎ、仙谷さんは官房長官に就いた。戦後補償などをめぐる発言に原点の体験がにじむ》

 

 …要するに、仙谷氏の根っ子の一つは「人権派弁護士」にあるのでしょうね。日韓併合100年の首相談話にしても、あるいは終戦の日の声明にしても、熱心なのは菅首相よりむしろ仙谷氏であるように見受けられます。ですが、個人的な思い入れだか思い込みだかで、国政や国際関係をもてあそばれたらたまらないなあと、つくづくそう思うのです。