さて、昨日、菅直人首相は中国の温家宝首相に会談をドタキャンされました。海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を釈放し、そのビデオ映像を国民の目に触れないよう封じるなど、中国様の意向にひたすら従い、忖度し、お願いですから会ってくださいと懇願した揚げ句、これです。

 

 さすがは柳腰外交、実にたいしたものであります。鳩山政権以降、これからの日米中3国の関係は「正三角形」にしていかなければならないなどと、何の政治的・軍事的準備もなしに主張し、日米関係を戦後最悪にする一方、自称・野戦軍司令官、小沢一郎氏率いる総勢約600人の朝貢団を北京に派遣した成果が如実に表れていますね。

 

 何も大上段に振りかぶって「外交とは…」などと言わなくても、普通の対人関係でも何でも、常識で考えれば分かるだろうということが、菅政権の幹部らには理解できないようです。産経新聞も私も、多くの国民も、こちらが低姿勢に出るとつけあがるかの国に対して、焦って会談を求めると相手に主導権とカードを握られるだけだと、口を酸っぱくして言ってきましたが、ルーピー脳の人たちには通じません。

 

 中国と非公式な外交ルートを使って裏交渉し、中国語通訳も連れないまま温首相と立ち話をして、それで「すべてが元通りになるだろう」などと安堵していた菅首相ですから、今回の件もこんなものだという気もします。昨夜、政府高官は「分からない。分からない」と中国の対応に困惑しきっていましたが、やっぱり中国のことも外交も何も分かっていないようです。

 

 で、菅首相が会談実現の失敗に意気消沈しているころ、元祖ルーピーこと鳩山由紀夫前首相は、大阪市で開催された平野博文前官房長官のパーティーでこんなあいさつをしています。この人のことをいくら取り上げても、ご本人が「注目されている。また激励された」と受け取って喜ぶだけなのでどうしようかとも悩みましたが、やはりこのルーピーさ加減は記録として残すべきだと考えました。以下、抜粋です。

 

《私たちは、改革の途上です。今、ここで、その改革の炎を消すことはできない。私たちは、何のために、政権交代したんでしょうか。私は、二つの真の独立のために、政権交代したと思っている。

そのひとつは、あまりにも官僚に依存しすぎている日本の政治を官僚の手からはなして、独立させること。

もうひとつは、あまりにも国際問題、アメリカに依存しすぎたこの国を、国際的にも真に独立国だと認めてもらえるような立場にすること。この二つでございました。

この二つが菅政権に引き継がれていく中で、私たち民主党としても、せっかく政権交代をさせていただいた、皆さん方のお力に応えるべく、努力を続けていかなければならない、改めて、心にいましめしているところです。

しかし、なかなか改革は厳しい。独立を図ろうとすれば、独立を阻もうとする旧態依然の勢力が、大変強く残っているわけなので、なかなか国内的にも国際的にも、真の独立を勝ち取る、本当に難しいことだと思っていますが、こういうときだからこそ、雨天の友として、厳しいときに、ご支援いただくことが、何より、私ども政治家にとって、ありがたい。

つい先日、私も総理を辞した後、何かお役に立てることはないかと、あまり国内におりますと、迷惑かけてしまうのではないかと、そのような思いの中で、努めて海外で行動することを、努力をしているところであります。》

 

 …政権交代は、真の独立のためであり、特に米国依存を改めるためだとのたまっています…ああ…はあ…ふぅ。この人は、今は国難の時期だから、国益のために引退を撤回するとか意味不明の寝言を繰り返していますが、あなたが招いた国難であり、あなたの存在が国益を損なってきたのだろうに。この人の発想・思考は、グロテスクにねじくれているのではないでしょうか。

 

 まあ、「国内にいると迷惑をかけてしまう」というのはその通りですが。もっとも、国外に行っても迷惑なので、やはり故郷の宇宙にご帰還いただくのが一番ですね。とにかくいなくなってほしいものです。

 

 中国が「会談」をどう外交交渉で使うか、また、それにどう対処すべきか。ちょうど3年前に一つの記事を書いたので参考までに再掲します。外交は生き物だから、いつもいつも同じ手法でいいというものではないでしょうが、日本側の主張を通した一つの事例として意味はあるかと。

 

「李氏訪日」に反発 首脳会談中止通告[ 20071028  東京朝刊  1面 ]

 すり寄らぬ外交奏功 安倍氏一蹴中国折れ実現

 

 今年6月にドイツで開催された主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)での安倍晋三首相(当時)と中国の胡錦濤国家主席との首脳会談をめぐり、中国側がその直前の台湾の李登輝前総統の訪日を理由に会談を拒否していたことが27日、複数の関係者の証言で分かった。しかし、日本側が譲らず、中国側が全面的に折れるかたちで決着、会談は行われた。こうした安倍政権の遺産をどう継承できるかが、今後の対中外交の焦点になりそうだ。

関係者によると、サミット開催に合わせた日中首脳会談は、日中間の戦略的互恵関係の促進や北朝鮮問題などを話し合うため、早い段階で日本側が呼びかけ、中国も応じる構えだった。

ところが、中国側は、5月末になって会談中止を通告してきた。理由は、5月30日の李氏来日だ。中国政府は、28日の日中外相会談で楊潔外相が麻生太郎外相(当時)に李氏訪日への懸念を表明していた。それにもかかわらず、日本側が李氏の入国に何の制限も加えなかったことを問題視したのだ。

これに対し、日本政府は、「サミット正式参加国は日本だ。招待国の中国と無理して会談することはない」(当時の官邸筋)と会談の提案そのものを引っ込めた。

これにあわてたのが中国だった。すぐに「李氏は日本で講演を予定している。これを(マスコミなどに)完全クローズにするなら安倍氏と会談してもいい」とハードルを下げてきた。

それでも日本側が「会談開催に李氏訪日の件を絡めるならば、会う必要はない」という安倍氏の考えを伝えたところ、中国側は6月3日になって「条件はつけない。ぜひ会談を行いたい」と全面的に譲歩。8日の首脳会談が実現した。

李氏は7日に靖国神社参拝と講演を予定通り行い、講演では、「多くの人々が中国経済の高度成長に惑わされ、危機の存在を否定するが的外れだ」などとも語った。

日本側は「首脳会談で胡主席が、李氏に靖国を参拝させた日本を批判すると予想した」(官邸筋)。だが、胡主席は李氏の靖国参拝にさえ触れなかった。

中国側が強硬姿勢をあっさり転換したことについて、外務省幹部は「それが中国の交渉術」とした上で、「これまで日本は中国の機嫌を損ねることばかりを恐れ、相手の思惑通りに動いていた。しかし、このときは日本がぶれず、譲歩を引き出した」と振り返る。

外交筋は「安倍氏は靖国神社に行くとも行かないとも言わない『あいまい戦術』というかたちで靖国カードを保持していたので、中国も強く出られなかった」と解説する。中国としては、あまり日本を刺激すると安倍氏が反中国の姿勢を鮮明にし、結果的に、安倍氏の靖国参拝を招き、中国国内の暴動や反政府活動を誘発しかねない状況になるのを恐れたというわけだ。

政権交代後の今月11日に北京で開かれた東シナ海のガス田開発に関する局長級協議で、中国側は、改めて強硬姿勢をみせている。

こうした状況から、外務省内には「親中派の福田康夫首相に花を持たせる考えはない」との見方も広がり始めた。外交筋は、「福田首相は早々に『靖国には参拝しない』と述べ、靖国カードを手放しており、中国はくみしやすいとみている」と指摘している。(了。=簾の广を厂に、兼を虎に)