事業仕分けを「政治の文化大革命」、自衛隊を「暴力装置」に例え、自らは「赤い官房長官」といわれる仙谷由人官房長官の言動を見聞きし、また、同僚記者らと取材を続けてきて、最近ようやく得心がいったことがあります。それは、ああ、この人は社会主義思想から現実主義への「転向」を意識しながらも、往生際の悪さから十分に転向できなかった「ピンク色の官房長官」なのだな、ということです。

 

 菅直人首相も野党時代はよく、自身の政治手法を「一点突破、全面展開だ」と新左翼用語を用いて表現していましたが、仙谷氏は著書の中ではっきり、「若かりし頃、社会主義を夢見た」と書き、その理由を次のように記しています。

 

 「社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力は全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いからであった」

 

 私は高校時代に、趣味に合わないながらもマルクス・レーニン主義も少しは勉強しようかとかじった際、即座に「これはうそだ。どのような形で社会が発展しようと、もてる男はもてるし、もてない男はもてない。そうである以上、ここに描かれているような社会は実現しない」と感じました。

 

ですので、仙谷氏がどうしてこんなありえない夢想に囚われたのか不思議ですが、まあ時代の流行でしょうか。ただ、仙谷氏は「挫折の季節」を経て弁護士となり、やがて政治家を志すにあたって、現実主義のアプローチを選んだようです。今年7月7日の講演ではこう語っています。

 

「全共闘のときの麗しい『連帯を求めて孤立を恐れず』を政治の場でやると、すってんてんの少数派になる。政治をやる以上は多数派形成をやる」

 

自分の本音を剝き出しにして周囲と摩擦を起こすより、主義主張はひとまずオブラートに包み隠して、まずは小沢一郎氏と同じように「数の力」を蓄える、というところでしょうか。一方で仙谷氏は22日の参院予算委員会では、次のように述べました。

 

 「東大全学共闘会議(全共闘)の救援対策を担ったことは隠しも何もしない。若かった時代の考え方に、思い至らなかったこともあるが、誇りを持ち、その後の人生を生きてきた」

 

 政治家志向の辣腕弁護士であった仙谷氏は、自民党から選挙に出ないかと誘われたこともあったそうですが、その際は「元全共闘の自分が自民党から出るのは潔くない」と断ったという話があります。社会主義の限界を悟りつつも明快な「転向」はせず、それではと社会民主主義に傾倒していったのも、彼なりの筋の通し方であったのかもしれません。

 

 しかし、私のような学生運動を知らない40代半ばの人間には、このような態度は「潔さ」をはき違え、過去の自分とその活動を正当化し、しがみついているだけのようにも見えます。若いころに果たせなかった自己実現に、今になっても固執して国政を歪めないでほしいと率直に感じるところです。

 

 そんなことを思っていたところ、かつて新左翼の理論的指導者といわれた吉本隆明氏が著書「わが『転向』」(文春文庫)の中で次のように書いていたのを思い出したので引用します。

 

 「いまのようにロシア・マルクス主義を源泉とする『マルクス主義』が世界的な大敗北を喫している中で、徹底的な否定を潜らなかったら、理念の再生なんてありえないんです。ところが、そのつっかい棒に対して一度も否定的批判をしたこともなくて、この大転換期を通り抜けようとする姑息な知識人ばかりがいる」

 

 「一度もロシア・マルクス主義に対して否定的な批判をしたりしないできて、またぞろ自分の理念を水で薄めれば通用すると思っている」

 

 まあ、吉本氏がここで批判しているのは柄谷行人氏や浅田彰氏や本多勝一氏や社会党護憲派の国弘正雄氏や上田哲氏で、仙谷氏について述べたものではありませんが、つい連想した次第です。

 

 こんなこと、本来はどうでもいいことで余計なお世話でしょうが、「陰の総理」と呼ばれる菅政権の仕切り役の話なので、少々こだわってしまいました。結論は、柳腰でピンク色か。しかしまあ、世の中なんだかなあ…。