東日本大震災では、被災者支援に福島第1原発への放水にと、自衛隊が連日、大活躍していますね。テレビも新聞もそれを大きく報じていますし、メディアが自衛隊の活動やその実績を伝えること自体がタブーだった時代(小説「クライマーズ・ハイ」にも、新聞紙面に自衛隊員の人間らしい真情の吐露と、その活動を載せないようにする上司が出てきますね)は今は昔の感があります。

 

 ただ、だからといって、すべてが過去の話というわけではありません。

 

 父親が自衛官だったという弊紙の先輩記者から以前、子供のころのこんな話を聞いたことがあります。小学校4年生のころ、社会科の授業中に日教組の組合員である担任の女性教師が突然、こう言い放ったというのです。

 

 「◯◯君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても◯◯君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や(日米)安保をなくすために闘っているのです」

 

 その後、先輩記者は同級生から仲間はずれにされ、教室の隅で一人で給食を食べることになり、上履きを隠されたり、ランドセルの中身を放り出されたり、下校途中に石を投げつけられて怪我をしたりのいじめに遭い、登校拒否に追い込まれたそうです。

 

 また、この先輩記者の知人でやはり自衛官の父親を持つ人物は小学生のころ、教師から「自衛官は人殺し。鉄砲持って喜んでいる」と言われ、同級生に「人殺しの子供」とののしられたといいます。

 

 私自身は自衛官の子弟ではありませんが、小学生の低学年のころ、通学班の上級生からいじめられ、真冬にどぶに突き落とされるなどの経験もある(理由ははっきりしませんが、生意気だったからだろうと思います)ので、いじめや差別は絶対に許せないと考えています。

 

 なので、自衛隊出身の佐藤正久氏が昨年11月22日の参院予算委員会で、当時の仙谷由人官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言に次のように抗議した際の質問が、強く印象に残っていました。実体験を持つ当事者の言葉は、胸に突き刺さるようでした。

 

《怒りを抑えながら質問させていただきます。もう当初この話を聞いたとき、血管がぶち切れそうになりました。官房長官、あなたの自衛隊は暴力装置だという発言によってどれだけ多くの自衛隊員が傷ついたか。今この瞬間も自分の尊い命を盾にして日本の国益や国民の命を守るために、泥水や、あるいは汗を流しながら、そういう中で頑張っている隊員がいるんですよ。どれほどの自衛隊員の方々が傷ついたか、御父兄が傷ついたか、官房長官、分かりますか。実際、官房長官、あなたの発言によって自衛隊の子供たちが学校でいじめられる可能性だってあるんですよ。事の重大さが分かっていない、全然分かっていないですよ。私がイラクに派遣されたときも、私の子供も学校でいじめられないように学校の先生はすごく気遣ってくれましたよ。警察の方々も私の家の周り、警備してくださいましたよ。》

 

 そういうこともあり、先日の産経紙面で、この佐藤氏の言葉を引用して仙谷氏を自衛隊との連携が必要不可欠な被災者支援担当の官房副長官に起用した人事に異を唱えたところ、その記事を読んだという自身も元自衛官で、夫もそうだという女性からこんな手紙をもらいました。

 

 《阿比留様の心が痛いくらいに感じられました。…中略…(子供たちは)小学、中学、高校と教師によるいじめを経験しました。けなげに頑張っている子供たちに申し訳ないと心の中で手を合わせました。でも表向きは「職業に貴賤はないよ」「いつか皆わかってくれるさ…」と慰めるのがせいいっぱいでした。今すこしだけその存在が認められつつあるのは、心あるサンケイの記者の皆様の論調のおかげであることを深く認識しております》

 

 弊紙がそんな役割を果たせたなんて思ってはいませんが、とても励まされる手紙でした。ありがとうございます。そして、これからも身を挺して現場で働く自衛官の皆さんにエールを送り続けたいと考えています。