もうげんなりして書きたくもないのですが、今回の菅直人首相についてです。こんな人モドキであっても、現在のわが国の首相であるので、やはり触れざるを得ません。自民党の逢沢一郎国対委員長は今朝の会合で、次のようにあいさつして朝日新聞の今朝の朝刊に掲載された曽我豪編集委員のコラム「身を引いて信の回復を」を激賞しました。

 

「今日の朝日新聞のコラムに、朝日にしてはというと大変恐縮ですから今の発言、撤回をしますけれども、素晴らしいコラムが載っております。私も改めて思い起こす訳ですが、先週、菅さんはエネルギー関係の会議に出て、この顔が、自分の顔が見たくなければ自然エネルギー法案を通せ、通しなさいと、そういう趣旨の発言をしました。とんでも無い発言です。考えて見れば、国会に対する最大限の侮辱というか、立法府をどう考えているのか。一国の総理として、宰相としての見識といいますか、考え方が本当に厳しく問われる。それに近いことはこの1年、種々あったと思いますけれども、極めつけの発言ではないか。その一言を取ってみても、もう十分、十分、不信任に値をする、あるいは問責に値をする。そう我々は厳しく受け止めなければならないのではないかと思います」

 

 曽我氏のコラムは、確かに大変論理的で説得力のある内容でした。見出しはまだおとなしいのですが、中身を読むといきなり冒頭から「もはや限界を超えた」という一文で始まるかなり激烈な調子でもあり、私も朝日を読んでこれほど頷いたことはこれまでそうはありません。まあ、さんざん菅政権を擁護しておいていまさら…という感もありますが、それはそれとして。

 

本当は全文、ここに掲載したいぐらいですが、それは著作権の問題があり無理なので、一部引用してお茶を濁します(太字は私が入れました)。

 

 《自分の顔を見たくないなら早く通せ。再生エネルギー促進という脱原発の明日に直結する法案について、最高権力者がこんな脅かしめいたことを言い放つ国に住む不幸を私たちに甘受せよというのか。》

 

 《それは熟議を旨とする議会制民主主義の根幹を踏みにじるものであり、出処進退をここまで軽く扱う首相もかつてない協調を損ねる乱雑な政治作法と自己の責任に無頓着な言葉の軽さ。それが菅政治の本質だ。》

 

 《首相がもっと謙虚で、冷静に丁寧に正確に手順を踏んで与野党の合意形成を育てていれば、幾多の課題処理が進んだ別の幸せな日本になっていたはずだ。

それを全面協力か、さもなければ「歴史に対する反逆行為」かといった対立図式でしか政治を動かそうとせず、結果、合意の芽を摘んだのが菅首相である。》

 

 《今最も肝要なのは、電力不足はじめ多くの負担や不便を強いられる国民からいかに信を取り付け続けるか、その地道で真面目な政治の作法である。

それは菅政治とは逆の道だ。》

 

 …まあ、この菅首相の発言については、読売新聞も18日の社説で「見苦しい」と書いていましたし、公明党の山口那津男代表は最近、菅首相について「おぞましい」という表現を使って酷評しています。なんでこの誰の目にも明らかであるように思える菅首相のいやらしさ、醜い実態が2~3割の国民には伝わらないのか、本当に不思議なくらいです。

 

ただ、菅政権が「自由と民主主義の敵」であることは、私は昨年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で菅内閣が国民を裏切り、隠蔽体質を見せつけた時点で明らかだったと考えますし、実際、そう書いてきました。

 

 また、菅内閣の本質がその徹底した「卑怯さ」「姑息さ」であり、その政治手法が「思いつき」「場当たり主義」であること、その姿は大人の品格が欠落した「下劣の見本」であることも、たびたび指摘してきたことであります。やっと朝日新聞もその当たり前の事実を正視する気になったのかという気がします。毎日新聞はまだ必死に目をそらしているようですが。

 

 民主党の渡部恒三最高顧問は最近、公明党幹部との会談で、昨年9月の代表選を振り返ってこう語りました。

 

 「とにかく小沢一郎代表にしちゃいけないというので、みんな菅に入れたけど、本当にひでえのにやらせちゃったな」

 

 …国民は本当に不幸です。私もここしばらく、ずっと気分が優れません。本当に菅首相の顔などこれ以上見たくありません…。