今朝の産経2面に、「海江田氏、首相に反発『玄海町長に与えた恥は申し訳ない』」という岡田浩明記者の記事が載っています。11日の衆院東日本大震災復興特別委員会での海江田万里経済産業相の答弁を取り上げたものですが、私にはとても興味深く感じられたので、ここで取り上げようと思います。海江田氏は思いっきりアレをあてこすり、皮肉っていました。

 

 まず、この海江田氏ですが、私はもともと面識もありませんし、聞こえてくる評判は必ずしもいいものではなかったので、好感は持っていませんでした。ただ、大震災発生後、アレに理不尽・不条理にも怒鳴られ続け、蒼白となった顔を隠すように足早に官邸を後にする姿を見ていて、なおかつ海江田氏との役割分担・管轄も不明瞭なまま、アレが細野豪志氏を原発事故担当相に起用したこともあって、「気の毒になあ」とは感じてきました。

 

 ともあれ、11日の海江田氏の答弁には前段があるので、順を追って話を進めようと思います。発端は、8日の衆院本会議での公明党の佐藤茂樹氏の質問でした。佐藤氏はアレに対し、米文化人類学者のルース・ベネディクトが日本の文化を「恥の文化」と評したことを引いてこんな言葉をぶつけました。

 

 「失政に次ぐ失政を重ねながら居座り続ける『恥知らずな史上最低の首相』と烙印が押される前に、一分一秒でも早く身を処すべきだ」

 

 まあ、もうすでに烙印はアレの全身100カ所ぐらいに押されまくっていると思いますが、それに対し、アレは顔を紅潮させてこう反論しました。

 

 「長年与党だった公明党にも責任の一端はある。他人にすべての失政の責任を押しつけて責任を免れようとすることこそ『恥の文化』に反する行動だ」

 

 この言葉は先日のエントリでも触れましたし、テレビニュースでも流れましたから、多くの方がご存じだと思います。この生まれてこのかた鏡を見たことがないであろうアレの発言について、毎日新聞9日付夕刊の1面コラムには「暑い。顔が火照る。菅さんから『恥の文化』を説かれようとは」と書いていました。私には、アレの額にはっきりと「恥」という文字が刻印され、浮かび上がっているのが見えますが、ご本人は何せほら、所詮アレですから。

 

 それで、11日の復興特別委での海江田氏の答弁が、この質疑を受けた内容だったので興味深かったという次第です。階猛衆院議員が、ストレステストをめぐる混乱に対し「いずれ責任をとる」と述べた海江田氏に、「責任をとる必要はないのでは」と質問すると、海江田氏はこう答えたのでした。

 

 「人間関係で大切なのは信頼関係というか信用というか、特に政治家は『信なくば立たず』ということも言われる。信頼が失われたところではもう何を言っても聞いてもらえない。その意味で私は、玄海町長との間で信頼を失った。これはああした発言(辞意表明)をした理由だ」

 

 …これ、ごく当たり前のことを言っているだけのように見えますが、含意は違うだろうと思います。この論語の「信なくば立たず」という言葉は、自民党の谷垣禎一総裁をはじめ、何人もの野党議員がアレに対してぶつけ、「信がないあなたは辞めなさい」と要求した言葉であります。それをわざわざ引いて、自分はだから責任をとるのだという海江田氏の主張は、アレに対する嫌味にほかなりません。海江田氏はさらに続けました。

 

 「もう一つは先週末の衆院本会議で公明党議員からルース・ベネディクトの『菊と刀』を引用して恥について言及があった。もちろん、日本人は恥を大切にしてきたということだ。私自身も恥ずかしい思いをしているが、私の恥は自分の努力によってそそぐこともできる。しかし、私が玄海町長に与えた恥は申し訳ないという気持ちでいっぱいだが、私だけの努力ではそそぐことができない。まさに玄海町長に与えた恥に対してやはり責任をとらなければいけないと思った次第です」

 

 …海江田氏はわざわざ、佐藤氏がアレを批判するために引用した言葉を自分から持ち出し、だからこそ自分は責任をとるのだと強調しています。これは、どう考えても恥を知らず、恥の概念を捨て去ってなおかつ何の責任もとらないアレに対するあてつけですね。

 

 もうアレがどう思おうといいと開き直ったのでしょうか、それともアレごときがこの含意、本当の意味を理解できるわけがないと悟っているのでしょうか。なんかホント、アレに接してきた人はみんな投げやりになるような感じもします。明治天皇は五箇条のご誓文で、「人心をして倦まざらしめん事」を誓われましたが、アレは見る人を倦怠感と脱力感の海に沈めますから。海江田氏も、だったらさっさと辞表を提出すればいいのにと、そう思わないでもないですね。

 

 この正視に耐えないアレについて、世の中の評価もだんだん定まってきたような気がします。昨日はTBSの番組で、島田晴雄千葉商科大学長がアレのことを「普通の人の能力以下の人」と指摘していました。まあ、この表現はまだまだ生やさしいし、菅グループの議員によると、アレはいまだに「自分は誰より優れていると信じている」そうですが。

 

 また、ジャーナリストの田原総一朗氏は「菅さんははたして人間と言えるのだろうか。僕の考えている人間の範疇には入らない」とつぶやいています。私もアレのことを産経紙面で「人に値しない」と書き、このブログでは「人モドキ」と呼んでいましたが、似たように感じる人が増えているということでしょうか。まあ、アレはどう飾っても言い繕ってもあくまでアレにすぎません。自分を人間だと勘違いしているベムかベラかその類の存在なのでしょうね。

 

 

     

 (拙著「総理、あなたこそ復興の障害です 菅直人政権の『大罪』」の裏表紙の帯)