フランスのモラリスト文学の最高傑作といわれるものに、17世紀に書かれたラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世の「箴言集」があります。で、本日、たまたまここ2代の首相について思いをめぐらせながら、この書を手にとり、何気なくめくったページで目にした言葉が琴線に触れたので紹介します。

 

 さすがに、何世紀にもわたって多くの人々に愛読され、引用されてきた書だけあって、珠玉の言葉に肺腑をつかれる思いがし、同時におおいに吹き出しました。

 

 《世には馬鹿たるべく定められた人がいて、彼ら自身が進んで馬鹿なことをするだけでなく、運命そのものが否応なしに彼らに馬鹿なことをさせるのである。》(309番)

 

 ……いいですねえ、この真実を射抜く視線。そういえば、東日本大震災以降、自分が現在の地位についていることをやたらと「運命」だの「宿命」だの「天命」だのと麗々しく飾りたがる人を知っていますが、ああ、なるほど。それは抗いがたいことだったのですね。

 

 《馬鹿には善人になるだけの素地がない。》(387番)

 

 ……これは深いなあ。馬鹿は馬鹿な分、かえって人よりねじくれているので善人にはなれないのですねえ。せめて善人であってくれれば、まだ救われると思った場面も何度かありましたが。

 

 《気○いと馬鹿は気分でしか物を見ない。》(414番)

 

 ……イザの文字制限に引っかかる可能性があるので、1文字入れ替えました。国会でどう理詰めで追及されても、自分が理不尽にいじめられているとしか理解していないようなあの上目遣いを見ていると、エベレストのように高い広い馬鹿の壁を感じます。

 

 《頭のいい馬鹿ほどはた迷惑はいない。》(451番)

 

 ……そういえば以前、前任者についてある元高級官僚がこんなことを言っていました。「東大だけでなく、スタンフォード大も出てあれなんですから、あの人には学歴信仰を破壊した功績はありますね」。このとき私は同意するのを保留しました。どうなんでしょうね。

 

 《頭がよくて馬鹿だ、ということは時どきあるが、分別があって馬鹿だ、ということは絶えてない。》(456番)

 

 ……これも重要なポイントですね。実際、今の政権党に一番足りないのは分別や社会常識、対人関係のイロハとか、その類のことであるように感じます。だからすべてが前に進まないのに、その肝心なことが分からないと。

 

 ちょっと今の気分に従って「馬鹿しばり」で抜き書きしてみましたが、このほかにもロシュフコーはとてもおもしろいです。「最高の才覚は、事物の価値をよく知ることである。」などは考えるヒントを与えてくれますし、「年とった気○いは若い気○い以上に気○いだ。」なんで、つい笑ってしまいます。

 

 《狡知は小知に過ぎない》

 

 これなんか、私も全くその通りだと思うのですが……。