さて、きょうは出勤後、夏休み期間中にたまった新聞スクラップ作業にとりかかったのですが、そうして改めて最近のアレの言動をたどると、そのあまりに幼稚で支離滅裂なことに怒りがこみ上げてきました。新聞記事を通してアレがこのところ執着している再生エネルギーに関しての発言をみても、こんな小学校低学年レベルの発想で論じてほしくない、物事をかき回してほしくないと背筋が寒くなります。

 

 731日付日経新聞のコラム「風見鶏」は、アレが720日の衆院予算委員会で強調したこんな言葉を取り上げていました。

 

 「46億年の歴史を地球は経ているが、原子力への依存はわずか数十年。未来永劫、依存しなければ成り立たないとは思っていない」

 

 このコラムを書いた坂本英二編集委員も指摘していますが、これはアレの前任者が昨年1月の施政方針演説で述べた「この宇宙が生成して137億年」というセリフを彷彿とさせます。46億年だとか137億年だとか無意味なスケールを持ち出していったい何が言いたいのでしょうか。

 

 こういう比較する意味もないような比較で何かをごまかせると考えるその発想の幼さと低レベルさにあきれます。こんな理屈が成り立つのなら、すべての生命の源である太陽は核融合で燃えているのだから、核こそ万物の母であると主張することだってできます。それこそ無意味ですが。

 

 また、81日付朝日新聞の「首相『薬害エイズそっくり』 原子力の官業癒着体質を批判」という記事を読んだ際、アレの正気を疑いました。長野県で開かれた「みんなのエネルギー・環境会議」でアレが行ったあいさつを紹介したもので、記事によるとアレはこう述べています。

 

 「今から200年、300年前は山にしば刈りに行ってやれていたのだから、再生可能エネルギーを新しい技術に転換すれば(将来は)全てのエネルギーを賄うことも十分可能だ」

 

 ……日本昔話でも思い出したのでしょうか。これも意味不明の比較です。本当にこんなことを言ったのか、この部分を現地取材した産経の小田博士記者のメモで確かめると、以下の通りでした。

 

 「今から200年前、300年前は山にしば刈りに行ったおじいさんが、薪や何とかで全部やれたわけですから。それは新しい技術に転換してやればいいだけですから、それは十分可能だと」

 

こんなラジカルというも愚かな恥ずかしい意見を、公の場で臆面もなく語るアレの精神年齢は何歳なのでしょうか。アレがいう「新しい技術」とやらは、打ち出の小づちでも使えば簡単に取り出せるとでも思っているのでしょうか。「薪や何とか」を大量に使用することだって自然破壊でしょうに。

 

だいたい、人口が現在の4分の1で、しかも電気そのものがなかった時代に可能だったからといって、いかなる理屈で今の文明社会が維持できるということになるのでしょうか。まさかとは思いますが、アレは自分の夢のためなら、同胞をジェノサイドして人口を調整しようとでも考えているのか。いや、何一つまともに考えてはいないのでしょうね。

 

 同じアレのこのときのあいさつについて、日経新聞は別の部分も取り上げています。これまた馬鹿丸出しです。

 

 「1億分の1でも1回で地球が崩壊するようなリスクは取れない

 

 自分自身に酔っ払ってでもいるかのようですね。1億分の1のことを恐れていては、うかつに外出もできないどころか、天が落ちてくるのを心配するようなものでしょうに。第一、「1回で地球が崩壊」って何のことでしょうか。確かに原発事故は深刻であり、2度と繰り返してはいけませんが、別に今回、地球が崩壊してしまったわけではありません。論理の飛躍が大きすぎて、ほとんどこの人大丈夫かと言いたくなります。

 

 アレはこの間、経済産業省に企業の自家発電などの「埋蔵電力」の洗い出しを指示し、経産省側が160万キロワットだと回答するとそれを信じず、「もう一回きちんと調べて文書で報告しろ」と追い返しました。自身が提唱する脱原発を推進するためには、埋蔵電力がたくさんないと都合が悪いという思惑が、きっとたくさんあるはずだとの思い込みに脳内変換されたのでしょう。ところが、首相のお膝元の政府の「エネルギー・環境会議」はこれについて128万キロワットだとさらに下方修正する始末です。

 

 この報告に際しての記者会見で、玄葉光一郎国家戦略担当相はこうアレに釘を刺しました。

 

 「自家発電はかなりたくさんあるが、売却しているとか契約しているとか自分で使っているのが現実だ。現実は直視しないといけない

 

 ありていに言えば、「アレは現実を直視していない」と述べているわけですね。でもアレは全く反省などせず、82日付東京新聞の「首相は執務室に『忍』 夫婦で海江田氏批判」の記事によると、こうこぼしています。

 

 「経産省には腹に据えかねることがたくさんあり、海江田氏にも思うところがある。俺だってこらえている」

 

 さらに、何の権限あってか、国会議員でもないのに平然と国政に口を出し続けている伸子夫人もこう語ったといいます。しばらく前、アレの前任者が首相執務室を訪れ、お茶が出されたので顔を上げると伸子夫人だったということがあったそうですが、執務室に陣取る夫人って何なのか。

 

 「泣くような人(海江田氏)に大臣は任せられない。(アレに向かって)あなたが泣いたら別れるわよ」

 

 ……不条理な我慢を強いられているのは国民の方ですから。また、82日付毎日新聞の連載「管流辞典」によると、アレはこの海江田氏が泣いた場面をテレビでみながらこうつぶやいたそうです。

 

 「政治はもともと野良犬のけんか。向こうがきかみついてきた時に『ウォー』と頑張れるか、『キャンキャン』と言って逃げるか、ということだ」

 

 いかにもアレらしい政治の理解というか、アレ独特のアレというか、もうアレですね、だからこのアレはこれほど品性が下劣なのかと納得させられます。「野良犬のけんか」という比喩に、何ら深い洞察も本質的なものもうかがえませんが、話者のレベルだけは如実に伝わってきます。

 

 で、83日付の産経新聞には「首相『わが家は伸子の方が能力高い』 尻に敷かれる?」という小さな記事が載っていました。アレは、男女共同参画に関する要望で官邸を訪れた堂本暁子前千葉知事にこう語りました。

 

 「わが家なんか、私よりも伸子の方が能力が高いんです!

 

 ……あなたの能力が常人よりはるかに低く、無能そのものであることはよくわかっていますから、安心してください。そんなにご自分で強調しなくてもよーく理解しています。それにしても、日本国民はつくづく不幸だなと、ホントそう思います。なんでこんな惨めで悲しい思いを強いられるのか。

 

 保守主義の父ともいわれるエドマンド・バークは、フランス革命とその担い手の革命家たちへの徹底批判で知られますが、その中のこの言葉は、革命家になりたかった市民運動家のなれの果てにもあてはまりそうです。

 

 《かれらは、なにかを破壊しなければならない。そうでなければ、かれらにとっては、自分たちがなんの目的もなく存在しているようにおもわれるのである》

 

 というわけで、強迫観念と義務感にかられるように、アレは日本国を破壊しようとしているのかもしれません。そういえば、民主党幹部はアレにしても前任者にしても小沢一郎元代表にしても、みんな「革命」という言葉を好んで使っていたなあ。

 

     

 おまけ・釧路の市場の名物「勝手丼」の具。別の店でご飯(100~300円)を購入し、好きな具を乗せてもらいます。ちなみに私は生北寄貝、ウニ、カニ、マグロ、ツブ貝をいただきました。