《人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である》(坂口安吾『堕落論』)

 

 一昨日の話ですが、読売新聞の朝刊に「政治に関する全国世論調査」(面接方式、有効回収数1724人)の記事が掲載されていました。このような金のかかる調査は弊紙にはとてもできないなあと考えながら読み進めていて、ある数字に愕然とするやら、「ああやっぱり」とどこか予想していたような既視感を覚えるやら、複雑な思いにとらわれました。

 

 それは、「どの政党が政権を担当するかによって、あなたの生活や暮らし向きは、変わると思いますか、変わらないと思いますか」という設問でした。これに対する回答は

 

 ・変わる     34%   ・変わらない     62%

 

 だったのです。ああ、やっぱり政治は国民にまともに相手にされていないなあ、政治なんて所詮そんなもんだと思われているのだろうなと受け止めざるを得ませんね。

 

 政権政党が替わる以前に、首相が交代するだけで日本の国力も国際的地位も対外イメージも将来に向けた展開も大いに変わると私個人は考えていますが、多くの国民はそんなふうには思っていないようです。政治に関するあれこれを書き殴って口に糊している身としては、忸怩たる思いもしますが、そんなものなのでしょう。

 

 私が「アレ」と呼んだ前首相のような空前絶後の愚宰相が現れ、現に国民にこれほどの災厄を味わわせたにもかかわらず、誰がやっても同じさ、という声がこれほど多いとしたら、まあ、われわれの仕事、書いてきた記事なんてものは、世の中の意識に何か影響を与えたかという点では、一文の価値もないということでしょう。別に悲観や焦燥感にとらわれてそう言うのではなく、たぶんそういうことなんだろうと淡々とそう思います。

 

 ただ、同じ調査で、「あなたは、最近の日本の政治は、良くなっていると思いますか、悪くなっていると思いますか」との質問に対しては、こんな結果が出ているのです。

 

 ・良くなっている            2%

 ・どちらかといえば良くなっている   13%

 ・どちらかといえば悪くなっている   40%

 ・悪くなっている           36%

 

 これをみると、ここしばらくの政治のありようを肯定的に見ている人は15%に過ぎず、否定的な見方は76%に及んでいます。圧倒的に、政治は劣化しているという感想・実感の方が多いわけです。

 

 また、「今の民主党政権は、政治主導による政策決定を掲げていますが、あなたは、全体的にみて、うまくいっていると思いますか、うまくいっていないと思いますか」との問いへの回答はこうです。

 

 ・うまくいっている           6%

 ・うまくいっていない         88%

 

 これをみても、現在の民主党政権に対する評価はかなり明確に出ているように思います。国民はおおよそ、今の政権のやり方は失敗しており、政治はこれまで以上にダメになっていると感じていることが数字に表れていますね。

 

 そうであるのに、政権が交代しようとすまいと基本的に変化はないと、6割以上の人が答えているわけです。これは、単に自民党前政権のていたらくが愛想を尽かされているからというだけでなく、政治そのものに対するニヒリズム、あきらめが表れているということでしょうか。自民だ民主だ政界再編だ、という以前に、もう何も期待されていないような。

 

これはもう、聖賢の「民主政治は衆愚政治に陥り、独裁政治を生む」という言葉を待つまでもなく、ファシズム待望論まであと一歩、というところまで政治不信が到達しているのかもしれないと危惧します。

 

 ちょっと話がずれますが、このブログのコメント欄でも、あるいは雑誌その他でも、マスコミの影響力の強さが強調してある文をよく見ます。諸悪の根源であると。ただ、仮にそうだとしても、その影響力はマスコミ内部の人間が意図して操れるような種類のものではなくて、世の中全体の大きな潮流に沿ってしか発揮されないものであるように感じています。

 

 伝えたい、知ってほしい、もし可能であれば思いを共有したい、といくら書き手がそう考えても、一部の人には理解してもらえてもほとんどの人には当然、無関係の問題としてスルーされます。逆に、特にこちらが意識せず、何の思い入れもないことでも、国民の集団無意識に合致し、あるいはそのニーズに近いものであれば、大きな渦となり、何人も止められない潮流になることもあるようです。

 

 私は、特に弱小紙の窓際記者なのでそう思うだけかもしれませんが、もともとマスコミになんてたいした力はないし、報道によって社会が動いたと見えるとしたら、それはうまく状況の後追いをしただけだともよく考えます。まあ、私がそう思ったからといって、それこそ何の意味もありませんが。