もう20数年前の話ですが、私は大学生のころ、ものごとを相対化して見ることは大事だけれど、いわゆる価値相対主義には陥るまいと考えました。それは結局、何も決められない、選べないことになりかねないと当時、感じていたからです。

 

 それぞれの人にそれぞれの意見や主張があり、自分と考え方が違うにしろ、どちらかが100%正しく、相手が100%間違っていることはありえない。ただ、どららも似たりよったりで大差はなく、あるいはともに一長一短だったとしても、少しでもマシだと自分が思う方を選択するしかないし、それには当然、リスクもマイナスも付随してくると、まあ、若いころはそんな当たり前のことをあーだこーだと悩んだりするわけです。

 

 で、そのことと関係するようなしないような話なのですが、最近、小渕恵三首相の政務秘書官だった古川俊隆氏にインタビュー(というか雑談に近いものでしたが)をした際に印象に残ったことを、ここで紹介しようと思います。以前のエントリでは小泉純一郎元首相の政務秘書官だった飯島勲氏の話を掲載しましたが、政治家も秘書さんもいろいろです。

 

     

 

 【竹下登元首相】

 

 古川氏 竹下さんが総理になったとき、「最後には51対49の決断をしなくてはいけない立場になった。こういうときは49の反対論の方が多く見えるものだし、選ぶのは難しいけれど、国民の将来のために、どちらがいいかを決めなければならない重い立場になった」と言っていたのを覚えている。

 

 下から慕われた総理と言えば、竹下さんと田中角栄さん。竹下さんについては、小渕内閣の組閣のときにこんなことがあった。竹下さんは、言葉では誰がどうだとか評価は一切言わない。だけど、閣僚になれそうな人たちの一人ひとりについてこれまで経験した役職や、何に強いかなど得意分野などをチェックして点数をつけて表にまとめてくれた。

 それも小渕さんには言わずに、僕に「小渕が何か悩んでいるようだったら渡してくれ」と言う。そういう気配りをする人だった。

 

 【小渕恵三元首相】

 

 古川氏 優ちゃん(小渕優子衆院議員)から国会質問について相談があったとき、「あなたのお父さんはこういうつもりで政治をやったよ」と伝えた言葉がある。それは小渕さん(元首相)が平成11年7月31日に出した総理就任時の談話で、こういうものだ。

 

 「私は、この度、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。内外ともに数多くの困難な課題に直面する中、わが身は明日なき立場と覚悟して、この難局を切り拓いていく決意であります」

 

 菅内閣のときに、菅さんに近い記者が僕のところに来て、「菅内閣の支持率が上がらない。小渕さんは最初は支持率は低かったけれど途中からどんどん上がった。どうしたらいいか」と聞いてきたことがあった。

 

 僕は「菅さんが本当に国のためと思うなら、あとどれぐらい総理を続けるとかじゃなくて、捨て身になって『これだけやれれば明日は辞めていい』というつもりになれば、支持率は上がるかもしれない。身を捨ててこそだよ」と話したことがある。

 

 【橋下徹大阪市長】

 

 古川氏 先日、作家の堺屋太一氏が数年ぶりに「会いたい」と言ってやってきた。どうしたのかと思ったら、「橋下氏のバックアップをしてくれる人はだれかいないか」との相談だった。僕は暇な方がいいのでやんわり断ったけど。

 

 ……「わが身は明日なき立場」、か。当時、私は小渕首相の番記者でしたが、こんな談話を出していたことは全く記憶にありませんでした。民主党を見渡しても自民党を振り返っても、政治家がどんどん軽くなっているという印象は正直、否定できませんね。

 

 これももちろん、古川氏からいろいろ話を聞いた中でのごく一部です。小渕氏に関しては、5年以上前の2006年8月11日のエントリ「江沢民を強く疑っていた小渕元首相」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/24575/)でも触れていますので、関心のある方はご参照ください。

 

 それにしても、問題発言をした防衛省の沖縄防衛局長は一体どうしちゃったんだか。魔が差したんだか何だか、ちょっとありえませんね……。