日本にとって、決して幸福だったとは言い難かった今年もきょうで終わりですね。堅固に、ときに退屈にすら思える日常が実はいかにもろいか。そんな頭では分かったつもりになっていたことを、身にしみて体感、痛感させられた年でもありました。

 

 私自身も福島県と縁が深かったこともあり、その意味でもいろいろと見聞きし、考えさせられました。ある日突然、暮らし、生活というものは激変する可能性があることを、それがいかに貴重で大切であるかという感慨も含めて振り返らざるをえません。

 

 個人的には、首相官邸で間近に菅直人という「最大の危機に最悪の愚宰相」(読売新聞)の言動を目の当たりにしたことが、それまでの政治観、というより人間観を大きく揺さぶられる経験でした。1人の国民としては二度と味わいたくない悪夢の日々でしたが、政治記者としてはあるいは貴重な経験だったのかもしれません。

 

 それまで、政治においては個々の政治家の人間性や人徳といったものよりも、大きな意味での政策、方向性を重視しなければならないのだろうと漠然と考えていました。政治家においては、「いい人」という評判は必ずしも誉め言葉とはならず、むしろ「優柔不断」で決断力のない八方美人を想起させるということもあります。

 

 ですが、菅氏という「僕の考えている人間の範疇に入らない」(ジャーナリストの田原総一朗氏)ほどの稀代のペテン師、内弁慶でどこまでも独りよがりな大ぼら吹きの人格破綻者に接し、考えを改めることになりました。

 

国会で「今まで見てきた中で最低の政治家」(山本一太参院議員)と面罵され、被災地では「心がない」(飯舘村の菅野典雄村長)、官邸ではスタッフに「クズ人間」と呼ばれるような人もどきが、いかにたまたま政策的にまともなことを言おうと、その人間性が邪魔をして何も実現できず、達成できないことがはっきり分かりました。

 

 政治家は聖人君子である必要も宗教家である必要もありませんが、やはりその地位と権力にふさわしい立ち居振る舞い、出処進退、言動は必要です。硫黄島で慰霊碑に軍手をはめたまま手を合わせ、公の席で皇族の女性たちを「お嬢さん方」と平気で呼ぶようなげすには、やはり首相の任は務まりません。

 

 菅氏という日本国民すべての反面教師を通じてそのことを学んだのと同時に、どうしてこんな出来損ないが選挙区で勝ち残り、政治の世界でトップまで上り詰めることができたのか。そうさせないためにできることは何か、という宿題も背負いました。こんなことが二度と起きては困ります。政治評論家の屋山太郎氏は私と雑談している際に、「このまま菅政権が続けば本気で日本は滅ぶと心配した」と言っていましたが、まさに生ける災厄でした。

 

 ともあれ、その菅氏の後釜に座った野田佳彦首相も、どうやら極度の視野狭窄と自信過剰に陥っているようで、国民が望むことはやらず、財務省が提示した案のうち、難易度の高いものにわざとトライして独りで「孤高の勇者」のつもりになったかのようです。実は財務省も、野田氏のあまりのやる気に困っているんじゃないかと。

 

 もともと民主党は、あの大震災がなければ今年の3月中に崩壊に向かっていたでしょうし、一年遅れで来るものが来た、という感じもしますね。年明け早々、野田首相は内閣改造をやらない限り、国会は動きませんし、こういう状況で消費税増税だなんだと民主党内政局も始まるという、わやくちゃモードで政治は進みそう(後退しそう)です。

 

 ともあれ、今年は一年間、ありがとうございました。来年もあれこれ見たまま、思ったまま、感じたまま書き殴るだけですが、何卒よろしくお願いします。