さて、昨年3月の東電福島第1原発事故の発生直後、米国が航空機2機で測定した原発から半径50キロ圏の放射線データを外務省を通じ、文部科学省や原子力安全保安院に提供していたにもかかわらず、公表もされず、首相官邸への報告もされていなかったとされる問題についてです。

 生かされなかった緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の件と同様、当時の政府の初動体制の愚かさと稚拙さを表し、無意味にいたずらに福島の人たちを危険にさらしたどうしようもない事例ですね。

 これについては、当時、菅内閣の内部にいた枝野幸男経産相も細野豪志原発担当相も一応、謝罪なり遺憾の意なりを表明しましたが、この件に関する自民党の小野寺五典元外務副大臣の18日付のツイッター上の発言が目を引きました。小野寺氏はこうつぶやいています。

 《福島原発事故直接(ママ)の米国データ公表しなかった件、事故直接(ママ)、官邸が受け付けないので、何とかして欲しいと私の事務所にも米国大使館から要請があり、官邸につなぎました。ですが結局無視されてしまいました。あまりに無責任》

 ……これは、一体どういうことでしょうか。私はあるいは、看過できない重要な問題であるかもしれないと思って小野寺氏に取材を申し込み、本日、短い時間ですがミニ・インタビューを行いました。経緯は以下の通りだったとのことでした。

  当時の事実関係を教えてほしい。

 小野寺氏 事故発生まもない3月24日に、米大使館の公使クラスの人が国会議員会館の私の事務所を訪れてきた。一体どうして、と驚いたことを覚えている。

  訪問の目的は何だったのか

 小野寺氏 彼が言うには、「米国は米国として原発事故について調査している。その調査結果を政府に伝えているのだが、それに対して政府の反応が全くない。ついては小野寺さんにも、後押しをしてほしい」ということだった。

 もう一つ、米国としてさまざまな支援のための機器を持っているとも強調していた。「無人ヘリを含む航空機や、放射線の測定器などさまざまなものがあるので、ぜひ活用してほしい」とのことだった。そこで官邸に話を伝え、「しっかり対応してほしい。きちんと米側との窓口をつくるべきではないか」と申し入れた。

  官邸のどういう相手に申し入れたのか。また反応はどうだったか。

 小野寺氏 それは政治レベルの相手だ。反応は「分かりました」ということだった。私は米大使館側から、具体的にどういう調査だったのかは聞いていないが、当時、米軍がいろいろな調査を行っているとの報道があったので、その関係だろうとは思っていた。

 確かその前後に長島昭久氏が正式な官邸スタッフとしてではないが、官邸に入って米側との窓口役になったので、「ああ、そういう対応につながったか」という印象を受けたが、これはあくまで印象で、事実関係としてどうだったかは分からない。

  今回、官邸が米国の調査データを全く活用していなかったことが分かったが、どう感じたか。

 小野寺氏 このデータは(SPEEDIなどの予想値と異なり)実測値であり、重みがある。実に残念な話だ。それに、なんで外務省から文科省と保安院に情報が伝わっているのに、一緒に官邸に伝わらなかったのか不思議だ。官邸には外務省出身の秘書官だって複数いるのに。

  小野寺さんに米大使館から話が来たということは、小野寺さん以外にも同様の「官邸に話をつないでほしい」という要請を受けた人がけっこういたということではないか。

 小野寺氏 そうだと思う。米側もいろんな人に「何とかしてほしい」と言っていたのだろう。それだけ米側も危機感を持って自分たちが計ったデータを広く知らせようとしていたのだと思う。

  確認だが、小野寺さんはその中身自体は知らされていなかったのか

 小野寺氏 米政府のデータなので、政府同士のやりとりの話になるから、米側も具体的な中身を私に知らせるものではないし、私も聞くつもりはなかった。ただ、米大使館の人は「私たちが調査したデータ」とは言っていたので、そういうものだろうとは思っていた。

  それにしても当時の菅官邸と米国の意思疎通のパイプはひどく詰まっていたようだ。東電と官邸だけでなく、米国と官邸の不信感も相当のものだっだという印象を受ける。菅直人前首相は当時、「米国が再占領に来るぞ」などと口走っていたとも聞くが……。

 小野寺氏 全く不思議だ。ただ、私は当時、別件で何度か官邸に足を運んだが、今から思えばあのころ、官邸内にいた政治家はみんな右往左往、心ここにあらずという様子だった。たとえ資料、データが届いていても、それが何であるかちゃんと把握して対応するような雰囲気ではなかった。(おしまい)

     

 

 ……何というか、米国政府のただ単にデータを提供するから活用してほしいという要望さえ、当時の官邸にはまともに届かないか、届いてもその価値判断ができる人も被災者のためにどう役立てるかを考えられる人もいなかった、ということでしょうか。あのころ、官邸にずっと詰めていた者とすれば、さもありなんという気もするのですが、同時に悲しすぎますね。

 かの大ゲーテは

 「自分の知っていることは自慢し、知らないことに対しては高慢に構える者が少なくない

 と述べていますが、その典型例が官邸の主だったことも大きな要因だったのでしょう。東日本大震災とそれに伴う原発事故は、いろんな意味で最悪のタイミングで起きたことは間違いありません。実に悲しむべきことですね。