さて、私は平成58月の河野洋平官房長官談話の作成に、事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官に、河野談話について9年と17年の2回、インタビューをしています。1回目はアポなしで石原氏の自宅に押しかけ、家の前で長時間立ったまま話を聞いてノートにメモし、2回目はきちんと約束して指定先に出向いて取材しました。

 

で、その2回目の分については、6年前の2006828日のエントリ「河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/30961/)でおおよそのやりとりを掲載したのですが、きょう当時の取材ノートをチェックしていてもう少し詳細に紹介したくなったので、その部分を補充して再掲載します。現在、ワシントン支局長をしている佐々木類記者と2人で聞いたものです。

 

Q 河野談話発表の経緯を説明してほしい

 

石原氏 慰安婦問題が出てきたのは、韓国で挺身隊問題対策協議会の人たちが日本政府に謝罪と賠償を要求するという訴訟が起こった。日本政府ははじめはそれほど気にしていなかったが、そのうち日本でも法廷闘争に持ち込んできて、だんだんエスカレートしていった。当時、日本では内閣外政審議室が一応の窓口になって対応していたが、どんどんエスカレートしていき、(外政審議室が対応していたのは)もともとはいわゆる強制労働、徴用の話だったのに、強制的に連れてこられた中にご婦人がいる、要するに慰安婦にされた人たちがいるんだという議論になった。

 

ところが、我々は戦中・戦後の事務手続きの中で慰安婦は全然、引き継ぎ事項になかった。強制徴用の問題は、数の問題はともかく認識していた。ところが、慰安婦問題は全然、データもないし出てこないし。慰安婦が存在していたということは、当時の関係者から聞いていたけども、政府はそれを裏付けるデータを当時、全く持っていなかった。

 

戦後処理の問題は日韓の国交正常化の際に一括で処理したわけで、個別の対応というのは、我々は対応しようがないじゃないかということできたが、だんだん攻められて放っておけないと。国会でも当時の社会党を中心に、政府が何らかの対応をすべきじゃないかと。それでは当時の文献その他調べてみよとうということで調べ始めたが、そういう経緯だから各省庁とも積極的ではなかった。

 

しかし、この問題を熱心に追及している運動団体がいる。この人たちが、あそこにあった、ここにあったと言い出した。それで政府側としても、こういうデータはあるじゃないかと各省庁に協力を求めて資料を集めた。それで加藤紘一官房長官のときに第一回の調査結果を発表した。随分我々ととしては努力して集めたつもりだったが、関係者からすればまだまだ不十分だとご不満だった。第一回の調査結果発表については、韓国側を中心に全く関係者は納得しないということだった。

 

そうというときに宮沢喜一首相が日韓首脳会談で韓国・済州島だったかに行った。本当は、日韓首脳がこれからはサシでざっくばらんに話し合いをやろうという趣旨で、慰安婦問題は全然想定していなかった。未来志向で行こうということで、外務省からもそんな話はなかった。ところが、現地で女子挺身隊と称する人たちに宮沢首相が取り囲まれて、この話ばかりになっちゃった。我々は慰安婦問題が韓国では深刻な問題になっているのを改めて認識した。そういうこともあり、さらに調べてみようと。

 

Q  慰安婦と政府のかかわりを示す資料はあったのか

  

石原氏  上げられたデータの所在地は全部念を押して、国外、国内、ワシントンの公文書館も調べたし、沖縄の図書館にも行って調べた。それこそ関係省庁、厚生省、警察庁、防衛庁とか本当に八方手をつくして調べた。その結果をとりまとめて発表することになったが、当然といえば当然だが、日本側の公文書では、慰安婦といわれるような女性を強制的に募集するような文書はない。八方手をつくしたがそんなものはない。日本政府が政府の意思として韓国の女性、韓国以外も含めて、強制的に集めて慰安婦にするようなことは当然(なく)、そういうことを裏付けるデータも出てこなかった。

 

我々は調べた結果、強制にあたる文書は発見できなかったと関係者にも話したが、元慰安婦たちが、自分は慰安婦だったと公表して日本政府の責任を追及する動きに出てきた。韓国政府も当然、日本政府に対してもっとしっかり対応しろと要求した。駐韓日本大使館にも、外政審議室にも、強制的に慰安婦にした罪を認めろ、謝罪しろ、賠償しろと来た。

 

我々は八方手を尽くしたが、公文書その他で裏付けるものが見つからなかった。調査した結果、(慰安婦の)移送・管理、いろんな現地の衛生状態をどうしなさいとかの文書は出てきたが、本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった。当たり前で、国家意思としてそういうことはありえない。(中略)少なくとも、政府の意思として動いた人にそういうことはなかったと思う。文書にないんですから。

 

ただし、戦争が厳しくなってから「(軍が人数を)割り当てした」「軍の方からぜひ何人そろえてくれと要請があった」と、そういう要請はある。それは、従来であれば、業者の人たちが納得ずくで話し合いで本人の同意のもとに数をそろえた。ところが、戦争が厳しくなってからどうも、ノルマを達成するだめに、現地判断で無理をしたのが想定された。(中略)(十数人の韓国女性に)ヒアリングした中には、意に反して(慰安婦)にされたと涙ながらに話した人がいた。当時の朝鮮の警察官から協力しろと言われた、自分は嫌だったけど断れなかったという人も出てきた。通達その他文書の面で強制的に募集したという事実は発見できなかったが、事情聴取り中で、心証として明らかに意に反して慰安婦にされてしまったという人が何人か出てきたのも事実だ。それを日本政府としいてどうするかというのが最後の問題となった。

 

  この点については、当時、河野官房長官のもとで関係者が集まって議論して、もちろん、外政審議室も外務省もみんな集まって議論し、文書的には裏付けはないが、本人として意に反して慰安婦にされた人がいるということはどうも否定できない、その点は認めざるをえないんじゃないかと。それが河野談話になった。誰がいつどう言ったかは絶対に出さないという条件でヒアリングした結果、どうも本人がだまされたり、いろんな意味で心理的圧迫を受けて自分の意に反して慰安婦にされたりしたのは否定できないということになった。河野談話をまとめるときにはその一点が最終的なポイントになった。

 

 もちろん、この問題については当時の朝鮮総督府の関係者の人から、とんでもない、政府としてそんなことは絶対にやっていない、強制なんかありえないという意見もあった。少なくとも、政府の意思として動いた人にそういうことはなかったと思う。ただし、現地判断で無理をしたのが想定された。

 

 Q ヒアリング調査は韓国側の意向を反映したものか

 

 石原氏 意向を反映させたというか、そもそも調査したこと自体が韓国側の意向に沿ったものだ。問答無用で要請をぶち切ったら、あのときの日韓関係が非常に厳しくなるので、やっぱり話を聞いてみよう、調査しようとなった。

 

本人の意に反するといっても、親が本人に黙って業者に売ったケースもありうる

  

石原氏 そこはああいう戦時下のことだから。しかも個人の問題だから、親との話がどうだとかはこれは追究しようがない。要するに、本人の証言を信用するかしないかの問題。(中略)そのときの状況、本人の親と会うとかの裏付け、当時の関係者と会うとかそういう手段はない。もっぱら本人の話を聞くだけだ。

  

Q  これで日韓間の騒動が収まるとの政治判断によって、かえって問題は大きくなった。訴訟を起こした韓国女性のいう自らの経歴も二転三転している

  

石原氏 我々はできるだけ客観的事実を聞き取るための条件設定努力を続けたけど、それは限界がある。こっちに捜査権があるわけじゃない。誰がどうだったか、金銭関係はどうだったかとか調べることはできない。それは不可能だ。そこは日本政府の意を受けて強制したかどうかは分からない。(中略)我々は、当時の関係者として、いかなる意味でも日本政府の意を体して日本政府の指揮命令のもとに強制したということは認めたわけじゃない。あの(河野談話の)文章は、そこはよく読んでもらえばわかる。

  

Q  河野談話からは、甘言、強圧の主体が誰かが欠落している

  

石原氏 これはまさに日韓の両国関係に配慮して、ああいう表現になった。普通の談話であれば、物的証拠に基づく手法ではああいうものはできない。だから、論者によっては当然、そこまでいかないのになぜ強制を認めたのかという批判はあるでしょう。あの当時、「絶対強制なんかなかった」「とんでもない話だ」と反対意見もあったし。だけども、本人の意思に反して慰安婦にされた人がいるのは認めざるをえないというのが河野談話の考え方、当時の宮沢内閣の方針なんですよ。それについてはいろいろとご批判はあるでしょう、当然。当時からあったが。

  

Q  石原さんは反対しなかったのか

  

石原氏 私は補佐役だから、弁解なんかしない。過程はいろいろあるが、政府として内閣として補佐にあたった以上は私は全責任を負わないといけない。個人的にどうだとか言ってはいけない、組織の人間としては。まとまるまでは中で議論があったが、まとめた以上はそこにいた人間は逃げられない。

  

Q  河野談話が出された結果、国連人権委員会などでも「セックススレイブ」という言葉が使われるようになった

  

石原氏 それはもちろん、そういうことに利用される可能性は当然ある。限られた状況の中で意に反した人がいたと認めれば、やはり訴訟している人たちは一事が万事、すべてが強制だと主張している。それを認めることになるというリスクは当然、あの談話にはあるわけだ。それは覚悟した。そういう風に言われるだろうと。だから出すべきでないという意見も中にはあった。だけど、政府として決めたんだから、我々関係者は少なくとも弁解がましいことはいえない。

  

Q  宮沢首相の政治判断か

  

石原氏 それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから、宮沢内閣の責任ですよ、もちろん。

  

Q  国家賠償請求につながるとは思わなかったのか

  

石原氏 全く想定していない。それはもちろん、あの談話をまとめるにあたっては外務、財務、法務省すべて関係者は承知している。われわれはあの談話によって、国家賠償の問題が出てくるとは全く想定していなかった。当然、当時の韓国側も、あの談話をもとに政府として要求するということはまったくありえなかった。

 

(中略)慰安婦問題はすべて強制だとか、日本政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのはまことに苦々しくて仕方ない。もちろん、こういうものをいったん出すと悪用される危険はある。外交関係とはそういうものだから。だけど、あまりにもひどいと思う。

 

 (河野談話発表の)あのときは、これで日韓関係は非常に盤石だ、お互い不信感がとれたと日韓間で言っていた。韓国側も、自分たちが元慰安婦たちの名誉のために意に反してというのを認めろと求めたのを日本が認めた。これで未来志向になると言っていた。それが(韓国)今日まで、いろんな国際会議で日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。 (後略、おわり)

 

 ……まあ、善意や配慮は、相手にそれを正しく受け止める度量や真摯さがあって初めて意味があり、そうでない場合はかえって有害であるということですね。以前のエントリでも書きましたが、私はこの韓国女性16人へのヒアリング調査結果について以前、内閣府と外務省に情報公開請求を行いましたが「プライバシー」を理由に却下されました。なんだかなあ、という感じです。