担当外・専門外の話ですが、今話題のiPS細胞(人工多能性幹細胞)から心筋細胞を作り、患者の心臓に移植する世界初の臨床応用を行ったとしていた日本人研究者、森口尚史氏の「虚言・食言」騒動から連想したこと、思うことについて少し記します。「情報」という、川の流れのようにつかみ所のないものを取り扱うことは本当に難しいと、改めて痛感しています。

 この件は読売新聞が森口氏の「法螺話!?」を大きく報じたほか、弊紙を含む多数のメディアが何らかの形で森口氏の証言に沿った記事を作り、後で訂正したり、おわぴしたり、経緯を説明したり、というハメに陥りました。事実でないこと、怪しいことを書いてしまったのだから当然のことではありますが、メディアの末端にいる人間としていろいろ考えさせられ、反省させられる問題でもありました。

 同時に、新聞、通信社などが今後も速報性・即時性を重視せざるを得ず、タイムリーな話題を手厚く報じようとする限り、今回の件でいくら反省し、注意しても、今後も程度の差はあるにしろ、似たような事例が生じる懸念は否定できないと正直、思います。

もちろん、確からしさの検証や事実確認、裏取り調査はいつだって必要であり重要なわけですし、今後、その点はもっと重視されるべきは言うまでもありません。ただ、世の中に天才的な「詐話師」や、自分の言っている嘘を自分でも真実だと信じ込み、自らの記憶を都合のいいように器用に改編していく人たちがいなくならない限り、取材する側もチェックする側も、それに絶対に引っかからないということは不可能に近いとも考えます。

これまでも繰り返し書いてきた通り、「事実」は複雑な多面形をしているのが普通であり、複数の角度から取材・検証というサーチライトで照らしても、必ずしも全体像はとらえられず、違った角度から見るとまた違った形に見えるということもあります。ある人にとっての疑いようのない真実は、別の人にとっては事実のある一面、しかも本質ではない枝葉に過ぎないということもよくあります。

 ……と長々と言い訳じみた駄文を書き連ねましたが、じゃあ何が言いたいかというと、今回の森口氏の事例をみて、かつて朝日新聞を中心として多くのメディアが全く検証せずに事実であることを前提に報じ、後に全くの作り話だったと判明した吉田清治氏の朝鮮人慰安婦の強制連行証言を思い出すなあ、ということです。

この件も、現代史家の秦郁彦氏が吉田氏が軍の命令で女性205人を強制連行したと証言した済州島に現地調査に行くと、すぐに全くの虚偽でそういう事実は全然ないことが分かったわけですが、朝日などは繰り返し吉田証言を引いては読者に反省と謝罪を押しつけ続けていたわけです。そしてそれが現在も、韓国が慰安婦問題で日本を非難する最大の論拠となっているわけですから、その重大性と深刻さは森口氏の問題どころではありません。(まして、朝日は吉田証言が事実でないと分かってからも知らんぷりしているわけですから)

同じような話としては、文科省が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えさせたという「教科書誤報事件」もありました。これもそんな事実はなかったにもかかわらず、各社が一斉に報じた結果、それが国際的に「事実」として流通してしまい、教科書制度のあり方、ひいては教科書内容にまで悪影響を及ぼしましたね。現在のようにネットによる監視環境があれば、もっと早い時期に誤解は正されていたことでしょうが……。

その朝日が、うちは森口証言の信憑性を疑っていたと自慢し、「読売ざまあ」とばかりに読売をはじめとする他者の失敗を鬼の首を取ったように報じている姿に、ちょっと「お前が言うな」という印象も持ちました。まあ、そうは言っても、メディア同士の相互批判・検証自体は好ましいと思いますし、歓迎します。どんどんやった方がいい。

あと、個人的には今回の騒動をみて、元自称ジャーナリストの件とどこか似ているなあという感想も抱きました。いずれにしても、不完全どころか完全にはほど遠く、自分勝手で忘れっぽい人間という生き物と、それがつくる集団・組織のやることですから、なかなか難しいものがあります。メディア・リテラシーと一言でいっても、これまたそう簡単にどうこうできるものではないでしょうし、その片隅に棲息する私としても、振り返ると赤面することばかりですし……。