さて、岡田克也副総理は先日のテレ東番組で、決裂に終わった三党党首会談について、偉そうに、まるで自民党の安倍晋三総裁が悪いと言わんばかりに次のように述べました。それが、いかにも岡田氏らしいモノの言いようだったので紹介します。

 

「今回の会談で安倍さんが野党の党首として振る舞われるのか、あるいは近い将来総理大臣になり得る人として振る舞われるのか、そこを見極める一つの機会だと思っていたのだが、見事に野党党首としての演じ方であったというふうに思う。残念なことだと思う」

 

 自分たちが「誠意」の「せ」の字も見せずに「トラスト・ミー」としか言わなかったことへの反省は微塵もなく、それどころか他人事という趣すらあります。さらに、ここが一番、岡田氏らしいのですが、ごくナチュラルに他者を見下したような上から目線で口をきくのですね。

 

 私は幸い、これまで岡田氏の担当をしたことはありませんが、ここ十数年見てきて、この政治家は「一貫して揺るぎなくピントが外れている」という感想を抱いています。自分では賢いつもりでいろいろと語るのですが、はたから見ると「いや、そんなことみんな分かった上での話だから」「えっ、今さら何を言っているの」という類の言葉が多すぎます。

 

 ごくナチュラルに相手を見下す癖があるので、言葉に他者に対する敬意がそもそもなく、それを隠すほどの知恵も才もないのでみんなストレートに伝わってしまうのでしょうね。

 

しかもけっこう独断型なので、「東アジア共同体に米国は含まれない」なんて危ないことを勝手に言って、あとであのルーピー鳩山氏が火消しに躍起になるという場面もありました。中国大使に丹羽宇一郎氏を「これが政治主導の民間起用だ」と言って押し込み、かえって日中関係をおかしくしたのもこの人でした。

 

 なので、この人についてはときどき、その言動にクギを刺しておかないと考え、私は先日の産経連載「再び、拉致を追う」の中で、帰国して10年がたった5人の拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだったと主張した岡田氏の過去の言動について以下のように再掲しておきました。

 

《この(政府の責任で拉致被害者を日本にとどめるという)ぎりぎりの判断に対し、少なくない学者や評論家らが「拉致被害者たちはすでに北朝鮮側に生活の根っこを持っている」と指摘し、北朝鮮の要求通り5人を戻すべきだったとの反応を見せた。民主党の岡田克也幹事長も翌平成15年1月のHNK番組で、こう政府を批判している。

 「5人を帰さないと政府が決めたことは間違いだ。5人が『日本にいたい』というなら、日本人なんだからとどめるのは当然だ。しかし、それを政府が決める必要はない。そのために北朝鮮が態度を硬化させた」》

 

 ……5人が「日本にいたい」にもかかわらず、家族を人質にとられ、日常を監視されている中でそれを素直に公にできないことなど、深く考えるまでもなくわかって当然なのに、そういう「自然の理」が理解できないタイプだということでしょう。しかもその内幕なんて、メディアで随分報じられていたのに、それも咀嚼できていない。ともあれ、あのころの岡田氏の政府追及もまあ、随分と上から見下ろすような物言いでした。

 

 まあね、そもそも地元の三重県教職員組合(金銭的にも思想的にも県内支配の構図的にも実に問題の多い教組であることは何度か書きました)の政策協定を結んで選挙を戦ってきた岡田氏に、何かを期待し、まともであってほしいと望む方がピンぼけなのかもしれませんね、はい。