さて、秋の臨時国会がようやく、やっと、とうとう明日から始まるのを前に、本日は約1カ月ぶりの読書エントリといたします。時代小説を愛好する私としては珍しく、今回は時代小説がありません。好きな作家のシリーズものが出なかっただけですが、その分、新しい収穫がありました。

 

 まず、帯の「青春の傍観者だった」というコピーにひかれて初めて読んだ三羽省吾氏の「傍らの人」(幻冬舎、☆☆☆★)は、非常によかった!  この本は5つの短編で構成されていて、ストーリーを紹介するとかえってつまらなく思えるかもしれないので抽象的に言うと、さまざまな事情で、あるいは特に理由もなく、日常の中でくすぶっている人たちに訪れる転機と再生の物語です。

 

     

 

 この人は小説はいい、と思ったので書店で他の作品を探して見つけたのが、「JUNK」(双葉社、☆☆☆)でした。この本の帯にも「社会の本流から外れた人間たちの哀しくも愛らしい真剣な姿を描く」とありましたが、作者独特の視点がいいですね。この本には「指」と「飯」という2つの中編が収められていて、私は当然、後者が気に入りました。

 

     

 

 で、次に、前回の読書エントリで初めて読んだと記した三田完氏の浅草の喫茶店を舞台にした連作「モーニングサービス」(新潮社、☆☆☆)に手を出しました。これもいいなあ。前回の紹介作と同様、今回もソープ嬢が出てきたほか、性同一性障害の医大生など、登場人物もキャラが立っています。

 

     

 

 奥泉光氏の「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」の第2段、「黄色い水着の謎」(文藝春秋、☆☆☆)も出ていたので、早速購入しました。以前紹介したように日本最底辺大学、たらちね国際大学の最底辺教師である通称クワコーが、事件(?)に巻き込まれ、何の活躍も解決もせずにおろおろしているというお話の続きです。

 

     

 

 これも私がここで四の五の言うより、ご一読いただければ早いのですが、笑えます。電車の中で本を読んでいて、「ククッ」と吹き出しそうになったのは久しぶりでした。作者の言葉遣い、表現、徹底したクワコーの小者ぶりの描写は秀逸というしかありません。

 

 ここからは、有川浩氏ばかりとなります。私は本でも食事でも何でも、ツボにはまるとしばらくそれぱっかり、という癖があるので申し訳ありません。まずは還暦ヒーローが町内で活躍する「三匹のおっさん ふたたび」(文藝春秋、☆☆☆)からです。

 

     

 

 前回の読書エントリで紹介した「シアター」と同様、ここでも働くこと、きちんと稼ぐことの大切さがこれでもかと述べられています。と同時に、世の中いいことばかりではないけれど、ほのぼのとする瞬間だってあるよなあと感じさせてくれました。

 

 次の「植物図鑑」(角川書店、☆☆☆)は、私の苦手な「恋愛小説」にジャンル分けされるのでしょうが、もちろんそういう要素はたっぷりありつつ、野草、山菜を食べ尽くすという話でもあり、楽しく読めました。ここでも倹約の大事さが主張されています。

 

     

 

 この本を読んで、私は「ああ、あの小さな花はニワゼキショウという名前だったのか」とわかって感謝していますが、同時に、作者が「ツクシ」について、特に特徴もなく、手間がかかるばかりでたいしてうまくもないという描写を何度かしているのが気にいりません。作中では、もっぱらつくだ煮にされていますが、私にとってはツクシを油でいためて卵とじにしたものが、ほのかな苦みとともに懐かしい故郷(というか実家)の味でした。

 

 さらに、この「阪急電車」(幻冬舎文庫、☆☆☆)も恋愛ものでしたが、とても楽しく、面白く読めました。私には全く土地勘のない阪急沿線を舞台にした連作(仕掛けが面白い!)でしたが、登場人物がそれぞれ可愛いというかいじらしいというか。上記の「植物図鑑」もそうでしたが、これも作中から作者の故郷、高知への愛が深く読み取れます。

 

     

 

 こうなると止まらず買い求めた「フリーター、家を買う」(幻冬舎文庫、☆☆☆)も、やはりきちんと職を持ち、社会の中で働くことの意義をこれでもかと指摘するような内容でした。もちろん、そうした含意とは別にストーリー自体もよくできているのですが、作者自身の過去の経験、苦労が投影されているとのことでした。

 

     

 

 ただ、このタイトルだとフリーターが家を買ったのかとどうしても思うわけですが、少しだけばらすと、フリーターがあれこれ悩んで就職して、それから家を買う、というお話でした。まあ、そうじゃなきゃ不自然ですけどね。

 

 最後に取り上げる「ラブコメ今昔」(角川文庫、☆☆☆)は、題名だけみると、ちょっと食指が動かないところなのですが、帯には「国を守る日常の~」とありました。これ、つまりは自衛官の恋愛事情をテーマとした連作なのでありました。しかも、実際に自衛官にしっかりと取材して書かれた非常に興味深い内容でした。

 

     

 

 そして、東日本大震災の後に書かれた「文庫版あとがき」が、私にとっては大いに共感できるものでした。これは、名指しこそしていませんが、当時の菅直人首相への明らかな批判となっています。以下、有川氏の文章を引用します。

 

 《これを書いていた頃とはまったく社会の情勢が変わってきましたが、自衛隊に関しては声を大にして言っておきたいことがあります。

 

 自衛隊は命令に従うことしか許されない組織です。そしてその命令を出すのは内閣総理大臣です。

 逆に言えば総理大臣が出す命令ならどんな命令でも従わなくてはならないということで、近年は非常に歯がゆい命令が多すぎました。

 しかし、どんな理不尽な命令でも、彼らは命を懸けるんです。

 これは警察も消防も同じだと思います。東北が苦難に見舞われたあの日、明らかに消防の職分であるはずの現場に機動隊が投入された一件に関しては、きっと疑問を覚えた方も大勢いらっしゃることでしょう。

 機動隊は治安維持のエキスパートであって、消防のエキスパートではありません。適切な装備も持ってはいません。

 適材適所という原則が無視されたことには未だに首を傾げざるを得ません。

 あんな大変なときに一番働きづらい体制で本当に申し訳なかった。そんなことになってしまったのは国民全員の責任です。(後略)》

 

 有川氏が何を具体的に思い浮かべてこれを書いたのかは推測するしかありませんが、私はすぐに、あるエピソードを思い出しました。それは、当時の国家公安委員長が菅首相に、「警視庁の放水車では福島第一原発まで水は届かない」ときちんと進言したにもかかわらず、菅首相が「それでもいいから出せ」とめちゃくちゃな指示を出し、その結果、東京消防庁の作業を遅延させたという問題です。

 

 菅氏は最近だした著書でも、「石原慎太郎都知事に東京消防庁の出動を要請したら快諾してくれた」という趣旨のことを自慢げに書いていました(立ち読みなので、正確な文言ではありません)が、これも当時、私が官邸で取材していた事実とは異なります。私は当時、事務方からこう聞いていました。

 

 「政府の要請を石原知事はいったん断ってきた。菅首相が信用できないからだ。仕方がないので、われわれが安倍晋三元首相を通じて石原伸晃氏経由で再度、お願いし、なんとかハイパーレスキュー隊を出してもらった。この経緯がばれると、菅首相がまた激怒して何をするか分からないので、当面は記事に書かないでほしい」

 

 有川氏が指摘しているように、菅氏の自衛隊の使い方もひどいものでした。部隊運用も配置も各部隊の役割と仕事内容も何も考えず、ただ分かりやすい数字にこだわって、場当たり的に「何万人出せ、いや十万人出せ」と規模だけ決めて指示した結果、現場の混乱と苦労は大変なものがあったと聞きます。本当に、日本にとって彼は……。

 

 まあ、アレのことばかりでは何なので、口直しに最近、お気に入りの漫画についても触れます。テレビCMもときどきやっているようですが、北海道の農業高校を部隊にしたこの「銀の匙」はいいですよ。派手な展開もアクションも何もありませんが、しみじみ素敵な物語です。