さて、どこからどう見ても完全に「詰んで」いるのに、ゾンビ化しながら生きているふりをしている民主党政権は、「近いうち」に実施される次期衆院選で「中道」「中庸」路線を売りにするつもりのようです。自民党の安倍晋三総裁や石原慎太郎東京都知事、橋下徹大阪市長らに「タカ派」のレッテルを貼って対立軸としたいようですが、もう打ち出すべき目玉政策も政党としての大方針も示せなくなって、抽象的で何が言いたいのか分からないところへ逃げ込んでしまったかのようです。

 この件については、4日付のコラム「日曜日に書く」でも書いたので、関心のある方はそっちも読んでいただければ幸いですが、実は私は昔から、政治上の「中道」の意味がよく分かりません。公明党もよく、自らを「中道」と位置づけで「えっへん」という得意顔をしてみせるのですが、端から見るとある政策に関する両論をただ「足して2で割る」ことをしているだけで、かえって政策の実効性を損ねてきました。

 で、大学生のころからずっと疑っているのですが、「中道」って一見偉そうな響きがあるけど、実のところ、思考停止して何も考えていないことをごまかしているだけではないのでしょうか。ある問題を考える上で、解決のための選択肢が両極端になることはよくあることでしょう。そのどちらをとってもそれぞれリスクがあり、一長一短だとしても、その真ん中をとるよりはマシだと思います。だって、そんなの全く無意味で無効だとしか思えません。

 これって、「極端に走らない」「過激にならない」などと聞こえのいい言葉を隠れ蓑にした、ただのお手上げのポーズに映るのです。私の大学時代は、どんなテーマでも「中道ちょっと左寄り」ぐらいの発言をしておけば、誰からも批判されず、論難もされないという安全地帯にいられた気がします。

 ところが、最近の民主党は、野田佳彦首相も岡田克也副総理も細野豪志政調会長も安住淳幹事長代行もみんな、何とかの一つ覚えのように「中道」「中庸」の大合唱です。そして、10月31日の衆院代表質問では、仙谷由人元官房長官と野田首相との間にこんなやりとりがありました。

 仙谷氏 「民主党は民主中道。首相にはど真ん中の中道を突き進んでほしい」

 野田氏 「中庸の姿で明日への責任を果たすということだ。行き過ぎず、偏らず、改革のど真ん中の道を着実に進む」

 これはどうやら、民主党執行部側が仙谷氏に質問に入れるよう要請したらしいのですが、「赤い官房長官」とも「ピンクの官房長官」とも言われた仙谷氏が「ど真ん中の中道」なんて口にすると笑ってしまいますね。なんだ、中道ってそういうことだったのかと。仙谷氏は著書の中で「若かりし頃、社会主義を夢見た」と記し、こう続けています。

 「社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力は全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いからであった」

 ……「個人の完全な自由」も「能力の全面的な開花」も「正義の完全な貫徹」も、体制のいかんにかかわらず、人間社会で実現するわけがありません。そんなこと、人間や社会について1ミリでも考えたことがあれば当然分かる、というも愚かな当たり前のことでしょう。というか、いかに若い頃であっても、こんな夢想を「ア・プリオリ(先験的)」に思い込むようなお花畑の脳ミソそのものが信じられず、想像を絶していますね。

 で、そんな風に社会主義社会を白昼、堂々と夢見た人がいま、国会の場で「中道」を語る。そして、一応、保守政治家を自称してきた首相がわが意を得たりとばかりに答弁する。すべてが馬鹿馬鹿しい限りです。ああ、どうでもいいから早く解散してほしい。