本日は前回のエントリで紹介したジャーナリスト、門田隆将氏の新著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五百日』(PHP)の続きです。門田氏はこの本を著すに当たって、事故当時の官邸担当記者だった私にも参考意見を聞きにきてくれた(何の役にも立ちませんでしたが)ので、私も宣伝に協力したいのと、内容に強く共感しているためであります。

今回はまず、震災発生翌日の312日早朝、福島第一原発へ向かうヘリの中での菅直人前首相の様子からです。この人が官邸内で、官僚や東電関係者に「俺の知っている東工大の教授と議論してからもう一度来い!」となぜか母校・知人に固執していたことは私も聞いており、記事にも書いたことがありますが、門田氏の著書にはこんなエピソードが出てきました。()は私の補足です。

《俺の質問だけに答えてくれーー。有無を言わせぬその菅の言葉に、班目(春樹原子力安全委員長)は押し黙った。班目が伝えようとした懸念の数々は封じられ、せっかくの専門家との直接の対話が、単に菅の質問に対して「答えるだけ」になってしまったのである。(中略)

やがて、現地が近づいてくる。

「東工大には、原子力の専門家はいないのか」

菅は、今度は唐突に意外な質問をした。一瞬、班目は意味をはかりかねた。一国の総理が、東工大に原子力の専門家がいないのか、と聞くのが不思議だったのだ。

しかし、班目は、菅首相自身が東工大の出身であったことに思い至る。

「ああ、この人、東工大出身だったかと、そのとき思ったんです。それで、私は二人の東工大出身者を推薦しました。一人は、東京電力出身の人でしたが……。私は〝そのほかにも何人もいますよ〟と答えました」

この非常事態に内閣官房参与として、東工大時代の仲間やOBが、菅によって官邸に呼ばれた話はあまりに有名だ。極めて愛校心が強いのか、それとも、母校出身者以外は信用できないのか、菅首相の特殊な思考が窺える。(中略)

ヘリが着陸して、さあ降りようとした班目は、ここでむっとすることがあった。

「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないでください」

一行は、すぐにはヘリから降りることを許されなかったのだ。菅首相が現地に視察に来たことを「撮影」するためだった。原発の危急存亡の闘いのさなかに、「まず撮影を」という神経に班目は驚いたのである。》

……次に、ヘリから免震重要棟に向かうバスの中での描写です。菅氏が例の、「日本語とも何語とも分からないような口調で」怒鳴りまくっていたことが具体的に書かれています。私もこのときのことは下記の池田元久氏に取材して記事にしましたが、こんなの誰だってまともに対応できないだろうと思います。だって言葉が通じないし。

(バスの)通路を挟んで左隣に座っている池田(現地対策本部長、経産副大臣)に、菅の言葉は聞き取れなかった。

「激昂してマシンガンのように武藤さん(武藤栄東電副社長)に何か言っていた。しかし、口調が激しくて、何を言っているか、全然、聞き取れなかったですね」

池田は、バスの中の菅首相のようすをそう語る。うしろの席にいた班目にも、菅が何を言っているか、わからなかった。

「私も聞き取れなかった。東電の武藤さんに向かって、激しい口調でなにか言っていましたが、私には内容がわかりませんでした」》

……この三月には、官邸政治家の一人が記者に「菅首相から携帯に電話がかかってきたけど、『あう、あう、あう』と言うばかりで何言っているのか分からないから切っちゃったよ」と話す場面もありました。こんなの、当時、官邸周辺で取材していた記者には常識なのに、「菅は終始冷静だった」と書いた大新聞もありましたっけ。免震重要棟では、こんな出来事もありました。

《一行が汚染検査を受けるため奥に向かおうとした時、いきなり怒声が響いた。

「なんで俺がここに来たと思ってるんだ! こんなことやってる時間なんかないんだ!

フロア中に響く声だった。声の主は、菅首相その人である。汚染検査を受けさせられること自体が気に障ったのかもしれない。

汚染検査をしているような時間はない。俺がなぜ来たと思っているんだーーフロアに大勢いた作業から帰ってきた人間がその声に驚いた。

「これはまずい、と思いました。廊下沿いに、いっぱい作業員がいて、中には上半身裸の人もいたんですよ」

この時、菅のすぐ近くにいた池田はこう語る。

「現場で(徹夜を含む)作業を終えて帰ってきて(検査を受けるべく)待っている作業員の前で、〝なんで俺がここに来たと思ってるんだ!〟って怒鳴ったんです。一国の総理が、作業をやっている人たちにねぎらいの言葉ではなく、そういう言葉を発したわけですね。これは、まずい、と思いました」》

……で、この後、菅氏は吉田所長と面会するわけですが、その次のエピソードがまた重要です。菅氏は一貫して、現地視察は良かったと強弁しているわけですが、こんな弊害もあったということが語られています。

《その時、池田に同行してこの場にいた経済産業省の黒木審議官が、

「総理、これをお願いします」

そう言いながら、すかさず書類を差し出した。

福島第二原発に対しても、「原子力緊急事態宣言」を発することと、「三キロ圏内」の住民に避難の指示をすることについて、総理の決裁を求めたのだ。それは、一瞬の〝間〟を捉えたものだった。

「これでいい」

菅は書類を見て、決済をおこなった。

池田が述懐する。

「それは、第二原発もおかしくなって、避難命令を出さなきゃいけないというんで、総理の決裁を取ってくれという要請が東京からあったんですよ。総理が東京にいればすぐ取れるんだけど、総理がこっちに来たんで、僕に任されたわけだ。現地対策本部長の僕に任されたということは、実際には黒木審議官がやるということです。それで、黒木審議官が決済の文書を持ったままヘリでやってくる総理を迎えたわけです。しかし、総理が激昂しているから、黒木審議官がなかなかこれを持ち出せなかった。本来は、決済をもらうのは、バスの中でも、どこでもよかったんだけどね。逆に言えば、その時間分、避難指示が〝遅れた〟ということになるね」》

……そもそも無理で無意味な現地視察を強行しなければ、もっと早く避難指示が出せたはずだし、視察したとしても、普通の首相ならばバスの中で決済が得られていた、ということですね。私も、こうやって記していて怒っていいのやら情けないやらで力が抜けていきます。

私は菅氏について当時、周囲のやる気と士気を奪って仕事の能率をとことん落とさせる「放射無能」とも言うべき特殊な気を発しているのではないかと漠然と考えていました。池田氏は私の取材にも「僕もあきれた。指導者の資質を考えざるを得なかった」と語っていましたが、こんな人が震災時にわが国のトップにいたことの不幸を改めて思います。

私も早くこんな人(災)のことはきれいさっぱり忘れて、二度と思い出さないで済むようになりたいのですが、まだまだそんな政治情勢には至っていませんね。祈るような気持で、今後の展開を見守りたいと思います。