2006年06月

 国会が閉会したので最近は少なくなりましたが、国会の真裏に位置する国会議員会館の前では、よくビラが配られています。

 

 一番多いのは労働組合による「とにかく何でも反対!」のたぐいでしょうか。覆面やマスクで顔を隠した左翼過激派の人たちが、「米帝国主義に追随する自衛隊のイラク派遣反対」などと、道の反対側からチェックしている公安当局(けっこうすぐ分かります)の目を気にしながら訴えていることもあります。

 

 でも、個人的に一番興味を覚えるのが、中国で弾圧されている気功集団、法輪功のメンバーが懸命に配っているビラで、必ず受け取るようにしています。書かれていることの真偽のほどは確かめていません(申し訳ありません。簡単にできることではないので)が、ご存知ない方のために内容を少し紹介したいと思います。

 

 断っておきますが、法輪功や気功自体には特に関心もありませんし、好悪の情もどちらも抱いていません。もちろん信徒でもないし、知り合いにメンバーもいません。

 

 ただ、中国政府がこの団体に行った弾圧がすさまじいのは本当ですし、法輪功の人が配っているビラの内容が事実なら、これは国際的に大問題となる話です。もっとも、議員会館に吸い込まれる秘書さんや陳情に訪れる人、また記者たちも、ビラは受け取ってもたいして関心はなさそうにしています。現実離れしていると思うからでしょうか。

 

 前置きが長くなりましたが、たとえば写真付きで「中共は生きた法輪功学習者の臓器を摘出して殺害」「中共の大規模な臓器摘出殺人、ナチスより残忍な国家犯罪!」などの見出しが躍っています。「(移植を受けるため)臓器を待つには米国が3-7年なのに、中国は1週間。臓器狩りのため、生身の人間から摘出・殺害」「臓器を摘出した執刀医の前妻の証言」などという袖見出しも衝撃的です。記事本文はあまりにグロいので省略します。

 

 われわれとしては、個々の事実をきちんと検証しないと報道できませんし、これらの記事の信憑性がわからないうちに、真実であることを前提にしたような取材活動もなかなかできません。

 

 しかし、今年4月に中国の胡錦濤国家主席が訪米した際の歓迎式典で、法輪功に所属する女性医師が「生きている法輪功学習者から臓器を摘出するのをやめなさい」と叫ぶハプニングがあったのは記憶に新しいところです。

 

 また、4年前の段階で、中国当局は「法輪功組織の被拘禁者・逮捕者は10万人以上、労働改造所送りは2万人以上、懲役服役者は500人以上」と発表しているのも事実です。中国は法輪功について、「宗教ではなく邪教」「国際的な反中国勢力の手先・道具」と位置づけているからです。

 

 地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教に対しても、破防法を適用できなかった日本とは大違いですね。

 

 仮に法輪功側のビラに事実と異なる点があるにしても、中国が宗教やこうした団体を弾圧していることは疑いようもありません。現に、中国はカトリックの総本山であるバチカンとも国交を結んでいません。チベット仏教のダライ・ラマ法王は亡命を続けていますし。

 

 まあ、共産党独裁の中国とは、本当にいろんな問題点を内在させた国なのだなあ、いつか国内の不満や矛盾が一気に爆発しないかなあ、というのが本日の感想です。

 今からもう20年近く前のこと。都内某所の焼き鳥居酒屋でバイトしていた私に、李永強さんという新しいバイト仲間ができました。上海出身で、年齢は20代後半、確か留学生だったと思います。

 

 バイト先の店長の奥さんに「よろしくね」と言われ、就業時間後の賄い飯でチューハイを酌み交わしました。李さんは「中国の女性は自己主張が強い。おとなしい日本の女性を嫁にもらいたいと思って日本に来ました。日本の男性はみんな高倉健みたいな軍人風かと思っていたら、そうでもないですね」と素直に希望を語っていました。

 

 ですが、ときはバブル前夜。世間ではメッシー君だのアッシー君だのという言葉が飛び交う中で、特に見栄えがいいわけでもない外国人留学生が、そう簡単にいい相手を見つけられはしないだろうな、と少し気の毒になったのを覚えています。日本女性がおとなしいとも限りませんし。

 

 その後はバイトの勤務ダイヤが違ったので、たまに同じ日が重なる程度で、そう顔を合わすことはありませんでした。でも、たまたま一緒になると、李さんは私に、いろいろと店長や奥さんに対する不満をぶつけてきました。

 

 李さん 「契約では夜10時までなのに、『あとちょっと頼む』などと言われる。これは契約違反であり、許せない」
 私 「それは分かるけど、お店が混雑しているときには助けてあげたほうがいい。そうすることによって、場合によっては昇給したり、賄いが豪華になったりすることだってあると思いますよ」
 李さん 「不合理で、理解できない」
 私 「郷に入れば郷に従えということわざがあります。そのうちいいことありますって」

 

 李さんの示した不信感に、ああ、中国人は個人主義だというけれど、本当だなあと感じました。価値観が違うから、日本人同士の「あ、うん」の呼吸、無言で互いを思いやる関係なんて、なかなか納得されないのだなと。黙っていわれた通りにしていたら、ちゃんとむくわれるのに、李さんは一方的に資本家に搾取されたとでも感じたようでした。

 

 一方で、やはり二回目に賄い飯でチューハイを酌み交わした際には、突然、こんなことをいわれました。

 

 「阿比留さん。あなたはこれで本当の友達だ。だから、今度から何でも私に言ってきてください。私の部屋にも遊びにきてください。電話番号も教えてください」

 

 って、急に胸襟を開かれても困るんですよね。こっちは自分が食べるのに(それと飲むのに)精いっぱいの貧乏学生ですから。中国人はいったん親しくなると、どこまでも信用するとも本で読んだことがありましたが、こっちは心の準備ができていないし‥。ただ、「日本でも友人がほしい」という気持ちは痛切に伝わってきました。

 

 こんなやりとりもしました。話の脈絡は覚えていませんが、さきの戦争による中国の被害に話題が及ぶと、李さんはさえぎるようにして「上海では、悪いことをしたのは、日本人の威を借りた朝鮮人ばかりですよ。私は日本人に悪い感情はないよ」と言いました。いきなり「朝鮮人」という言葉が出てきたときには、本当にどきっとしました。李さんが適当なことを言ったのか、何か具体的な事実に基づくのかは聞けませんでした。古い話で言い回しは正確ではないでしょうが、実話です。 

 

 まあ、日本人である私にリップサービスをしたのもあるでしょうが、江沢民国家主席が愛国(反日)教育を強化する以前のことだったということも、あるのかもしれません。

 

 そんな李さんは、その後しばらくして職場を急に辞めました。事情は分かりませんが、バイト先の奥さんが「何を考えているのだか」と怒っていたのを覚えています。私との間には結局、本当の友人関係なんて成立しませんでした‥。

 

 現在、李さんが日本にいるとも中国に帰ったとも分かりませんし、たとえ道ですれ違ってもお互い気づかないと思います。その後、取材では中国人や在外華僑の人と会う機会は何度もありました。しかし、同じバイトという立場で李さんと語らった短い時間は、私の中国に対する「原体験」(少し大げさですね)としてはっきりと記憶に残っているのも事実です。

 

 女子大生誘拐事件の主犯格の男が、元中国人留学生だったというニュースを見て、つらつら思い出してみました。体制も価値観も文化、風土も異なる国民同士が交わり、さらに友情をはぐくむなんて、よほどいい条件がなければ難しいのでしょうね。ちょっと出会っただけでは、それだけで終わってしまう。私が冷たいだけかもしれませんが。

 自民党森派の町村信孝前外相が昨日の講演で、福田康夫元官房長官の総裁選出馬の見通しについて「意欲はあると思う」と語ったことが話題になっています。「生体反応なし」とされる福田氏ですが、森派としては何とか顔も立ててやらなければならず、いろいろな調整・駆け引きも行われているのでしょう。

 

 ただ、これはいずれにしろ福田氏が「出る、出ない」をはっきりさせればいいことですよね。正式の出馬はともかくとして、意欲を示すなり、毎日動向を追っている記者団に「意欲はない」と明言すれば、すっきりするでしょうに。

 

 さて、そこで唐突ですが、ニーチェの「ツァラトゥストラはこのように語った」(吉沢伝三郎訳)から、いくつかの言葉を「恣意的に」紹介したいと思います。

 

 《誇り高い者たちよりも、むしろ虚栄心の強い者たちをいたわること、これが、人間と交わるための、私の第二の賢さである》(人間と交わるための賢さについて)

 

 賢者(?)の沈黙については、次のような言葉が印象的です。

 

 《幾多の賢い者たちを、私は見いだした。この者たちは、誰にも自分の心底を見透かされないように、自分の顔にヴェールをかぶせ、自分の水を濁らせたのだ》(オリーブ山で)

 

 《彼らはみな、自分の水を深く見せようとして、それを濁らせるのだ》(詩人たちについて)

 

 《語らないことが彼の狡猾さだ。かくて、彼はめったに間違うことがない》(覚醒)

 

 何もツァラトゥストラさんが福田氏のことを語っているわけではありませんが、いつの時代も人は同じ、というわけですね。確かに、政治家は何かいうと上げ足取りをされる存在ですから、沈黙戦術を使って本心を見せないようにしている政治家はたくさんいます。ですが、一国の首相を選ぶ選挙ですから、志のある方には早く意思を明確にしてほしいところです。

 

 心からの自戒を込めていうのですが、そうしないと、メディアは虚像を勝手にふくらませ、期待感を勝手に高めたあげくに、「おちた偶像」扱いをしかねません。残念ながら、持ち上げて落とすというやり方は、メディアが最も得意とするところですから…。

 

 《沈黙はもっと悪い、話さずにおかれた諸真理は、すべて有毒になる》(自己超克について)

 

 ところで、総裁選とは関係ありませんが、最近の韓国や北朝鮮の言動について、次の言葉を贈りたいと思います。

 

 《在る者たちは、みずからの一握りの正義を誇り、この正義のために、一切の諸事物に対して罪を犯す。そこで、世界が彼らの不正の中で溺死させられるのだ》

 

 

 昨晩はポスト小泉候補の一人、福田康夫氏がやってくれました。読売新聞グループ本社会長の渡辺恒雄氏や政治評論家、ベテラン政治記者らによる「山里会」に招かれ、会場近くまで来ておきながら、テレビカメラが待ち構えているのを見てドタキャンするとは‥。これは福田氏にしかできない。さすがです。時の首相を含め、有力政治家がマスコミ幹部とひざを突き合わせて本音で語り合う山里会をドタキャンするなんて、並の政治家には真似ができないことです。

 

 そんな「超大物」である福田氏がもし首相になったら、どんな政策課題に取り組むでしょうか。新聞は政治家の政策を取り上げないとよくお叱りを受けることもあり、これまでの言動などから、独断と偏見(それと見聞)をもとに推し量ってみました。

 

 まず、なんといっても「日中首脳会談」はすぐに再開しそうですね。これは中国は大喜びで応じるでしょう。マスコミも大きく取り上げるでしょうが、ただ、その効果は疑問です。外務省の元中国課長は「福田氏が首相になれば、首脳会談は復活するだろうが、それで日中間の諸懸案が解決するわけではない」と冷静な見方をとっています。

 

 福田氏といえば、台湾の李登輝元総統の訪日にも反対していましたが、当時、外務副大臣として李氏の訪日に尽力した衛藤征士郎氏がいま、福田応援団の団長役を務めているのも解せない限りです。

 

 次に、国立・無宗教の追悼施設をつくることも当然、やるでしょう。福田氏が官房長官時代に立ち上げた諮問機関「追悼懇」のメンバー10人の人選では、「福田さんは当初、靖国神社参拝に賛成の人は1人も入れないと言っていた」(官邸関係者)ほどですから。

 

 夫婦別姓もやりそうだし、男女共同参画社会も推進するでしょう。以前、産経(私)が全国の市町村の男女共同参画条例を調べて問題点を指摘した際、官房長官記者会見で記事をろくに読まずに「何も問題はない」とにやにや答えていたぐらいですから。

 

 日朝国交正常化には意欲を示しそうですが、拉致問題には冷たそうですね。この件は以前のブログに書いたので省略させていただきます。

 

 選挙応援は嫌いのようだから、来年の参院選への取り組みはどうなるのかな。何せ、前回の参院選では、自分の下で官房副長官を務め、同じ群馬(福田派王国)選出の上野公成氏の選挙応援すらやろうとしませんでしたし。

 

 皇室典範改正については、福田氏はばりばりの女系容認派ですから、秋篠宮妃紀子さまのお子様の性別にかかわりなく、押し進めることでしょう。そうなると、自民党議員の大半はこの問題ではノンポリだから、皇室の歴史に大転換が訪れるかもしれません。

 

 永住外国人への地方参政権付与はどうかなあ。この問題に対する福田氏の考え方はよく知りませんが、この問題にこだわる公明党とは仲良くしそうだからなあ。うーん。

 

 思いつくまま、適当に記してみましたが、みなさん、どうお感じになったでしょうか。

 

 まあ、いずれにしろ、これまでの言動に基づく仮定の話であって、実際に首相になれば違う対応をとられるのかもしれません。ただ、安倍官房長官に批判的で、福田氏擁立に熱心だったナベツネさんを袖にするなんて、「やっぱり総裁選に出るのは諦めたのかな」と感じています。やはり福田氏に「出ろ出ろ」と言っている山崎拓氏も周囲には「福田さんは横着だ」と漏らしているようですしね。

 ポスト小泉候補の一人、福田康夫元官房長官は外遊先のインドネシア・ジャカルタでの講演で、「東アジア共同体」を目指すことを柱とする「新・福田ドクトリン」を発表し、東アジアでの地域統合の必要性を強調したそうです。お父上の故・赳夫元首相の「福田ドクトリン」が主に東南アジア外交の基本原則をうたったものであるのに対し、どうやら中国、関係との関係強化を念頭にしたものであるようです。

 

 これ自体はもともと、外務省の田中均前外務審議官の路線と同じですから、特に新味はありません。豪州、インドなどの役割を重視する安倍官房長官、谷内正太郎事務次官らの感覚とはやはり違うんだろうなあ、との感想を持つばかりです。

 

 でもねぇ、正直なところ、これほど執拗に反日言動を繰り返し、世界中で日本の悪口をいいまくって足を引っ張る中韓と、どうしてそこまで地域統合する必要があるんでしょうか。日本が中国文化の影響を受けたり、朝鮮半島がその窓口の一つになったりしたのは本当かもしれませんが、遣隋使、遣唐使の時代から1000年以上のときがたっています。

 

 その後も日中間、日韓間では細々とした交易や交流はありましたが、有史以来、はっきりいえば「没交渉の時代」が一番長かったのではないでしょうか。距離感がある方が自然なのかも。

 

 大阪万博の「太陽の塔」で知られるかの岡本太郎氏は、本土復帰前の沖縄に取材し、昭和35年に「中央公論」に連載した「沖縄文化論-忘れられた日本」に次のように書いています。

 

 「東洋文化圏をかざしたり、『アジアは一つなり』なんて根拠のない迷文句が、われわれの根源にあるエネルギーを見あやまらせてしまった」

 「私は極論したい。沖縄・日本をひっくるめて、この文化は東洋文化ではないということだ。地理的にはアジアだが、アジア大陸の運命はしょっていない。むしろ太平洋の島嶼文化と考えるべきである」

 

 断片的な紹介では、岡本氏の主張をあまり正確には伝えられませんが、今日まさに注目されている点(海洋国家と大陸国家との対比など)を、半世紀近く前に指摘していたのはさすがですね。岡本氏といえば、どうしてもテレビコマーシャルで目をひんむいて「芸術は爆発だ」と叫んでいた姿を思い浮かべてしまいますが、独特の観察眼と緻密なフィールドワークに基づいたこの本は、本当に面白い。名著だと思います。

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