2006年09月

 

 本日未明、このブログへの累計アクセス数が30万件に到達しました。20万件を超えたのが今月18日のことでしたから、2週間足らず、15エントリで10万件増えたことになります。心から感謝を述べたいと思います。ありがとうございます。

 

 さて、しばらく言及するのをさぼっていましたが、きょうは公明党大会があり、これまでの神崎武法氏に替わって太田昭宏氏が代表に選出されることもあり、某与党関係について書きたいと思います。いや、党大会とは別に関係はないのですが、こじつけて。

 

 以前のエントリで、某与党機関紙に関し、所属議員さんたちも新聞拡張のノルマに追われて大変だなあ、という感想を記しました。弊紙も、近く新しい新聞を出すので、決してひとごとではありません(今のところ拡張命令は出ていませんが)。

 

 ただ、某与党機関紙といえども、販売収入だけに頼るわけにはいきません。新聞は、販売のほかに広告収入がなければなかなか成り立たないからです。当たり前ですね。

 

 ちなみに、国政選挙が近づくと、ふだんは広告を出していない各政党が出稿してくれるので、新聞社はちょっと潤ったりするのですが、他の新聞には載ってもこっちには回ってこないということもあります。広告代理店の裁量とは恐ろしいものです。

 

 話がずれましたが、○○新聞の場合は、毎年4月の創刊記念日に際して、広告特集面をつくり、つきあいのある業界や団体、支持者らから広告を募っているようです。

 

 ある年、神崎氏と○○新聞広告局の名前で出された「出稿依頼書」によると、「さて、本年も、本紙では、『4.2○○新聞創刊記念日』を迎えるにあたり、記念の特集広告を企画しております。貴社の出稿をご検討頂きたく、下記のとおりご案内申し上げます」とあります。さらに次のように記してありました。

 

 1. 広告の名称   『○○新聞創刊記念』企画広告

 2. 紙面掲載日   200×年 4月2日を中心に数回

 3. 原稿締切日   200×年 3月11日

 4. 一枠の単価   ¥105,000(消費税を含む)

 5. 体裁        名刺広告(ロゴマークあり)

 

 また、「企画広告申込書」には、「原稿サイズは、タテ22mm・ヨコ85mmです」とありました。私にはこの値段が高いのか安いのかはまったく分かりません。ただ、どんなところが広告出稿に応じるのかな、と興味を持ちました。

 

 過去の例をみると、ふーん、有名ホテル、ゼネコン、法律事務所、大手家電メーカー、あっ広告代理店もあるな。それに出版社に医院か…と見ていくと「神戸新聞総合印刷」「毎日新聞北関東コア」の名前も。

 

 別にかまいませんが、わかりやすいなあと思いました。新聞業界は正直なところ、斜陽産業と言われています。10年後、現在の新聞がどれだけそのまま存在しているか、まったく見通しは立ちません。みんな生き残りに必死だなと思った次第です。

 

 安倍内閣発足後の世論調査の結果が、だいたい出そろってきました。産経とフジテレビの合同調査の結果は、あすの紙面に掲載されるのでここでは触れません(すいません)が、内閣支持率はだいたい各社と同じくらいです。ざっと新聞各紙をめくると

 

           支持率      不支持率

 ・朝日新聞    63%        18%

 ・毎日新聞    67%        16%

 ・読売新聞    70%        14%

 ・共同通信    65%        16%

 ・日経新聞    71%         ?

 

 これは、小泉内閣、細川内閣の発足時につぐ高支持率であり、安倍政権はまずは好調な滑り出しに成功したといえるでしょう。合わせて自民党支持率も上昇しており、特に日経の調査では小泉内閣で最高だった51パーセントを上回る55パーセントに達しています。

 

 これで、当面は党内の人事をめぐる不平・不満などはかなり抑え込まれるのではないでしょうか。安倍政権に望む政策では、やはり社会保障関係の充実と教育改革が多いようです。

 

 それにしても、安倍首相に「危険なタカ派」のレッテルをはり、組閣人事についても論功行賞だの同好会的だのと批判したマスコミの目論見は、またしても外れたわけですね。産経をのぞく新聞各社とテレビ、週刊誌のほとんどが小泉前首相の「8.15参拝」に反対したのに、参拝後の世論調査では参拝賛成の方が多かったことを思い出しました。

 

 マスコミによる印象操作にこれだけ効果がない現実をみると、世間ではメディアについて相当、「胡散臭い」存在だと見ていることが伝わってきます。その末端につらなる者として、戦慄を覚えるほどです。

 

 しかしまあ、メディアがそう見られても仕方がないなあ、と感じたのが、昨日の朝日の世論調査記事でした。朝日が教育基本法改正について択一で聞いたところ

 

 ・今の国会で成立を目指すべきだ          21%

 ・今の国会にこだわらず、議論を続けるべきだ  66%

 ・改正する必要はない                  6%

 

 という結果が出たようです。これについて朝日の記事は「安倍首相が最優先課題にあげる臨時国会での教育基本法改正については、『今の国会にこだわらず、議論を続けるべきだ』が66%と多く、『今の国会で成立を目指すべきだ』は21%にとどまった。「改正する必要はない」は6%。首相の意気込みとは裏腹に世論は慎重なようだ」と書いています。

 

 はて。2つ目の選択肢がくせ者のようですね。これが多かったことをもって朝日は「世論は慎重」と結論づけていますが、どうなのでしょうか。この部分には、「改正すべきだが、緊急性は分からないから」「改正すべきだが、政府案はまだ物足りないから」といった意見も相当含まれていると思うのですが。

 

 むしろ、注目すべきは「改正する必要はない」がたった6パーセントしかいないことではないでしょうか。これは、教育基本法改正を主張すること自体がタブーだった以前では考えられない数字で、総裁選での論戦を通じ、安倍氏が教育改革を訴えた結果だと思います。

 

 いくら何でも、「首相の意気込みとは裏腹に世論は慎重なようだ」というのは強引すぎると思います。あくまで教育基本法改正に反対したい、調査結果を認めたくないというのなら、さらっと小さく書き流しておけばいいのに。

 

 また、世論調査に対する解説記事(1面掲載)では、小沢民主党と対決する参院選に向けて、「安倍首相がまだ、右から中道、さらに左まで巻き込んで自民党を底上げする迫力を得ていないことを物語るのではないか」と書いています。

 

 でも、安倍氏は小沢氏とは違い、最初から朝日が代表する左派勢力の取り込みなどほとんど考えていないと思うのですが…。一貫して草の根保守の糾合を主張してきた人ですから。それとも、安倍氏に自分たちのところまで降りてきてほしいという嘆願だったのでしょうか。

 

 安倍首相が目指す「美しい国」がどいうものなのか、分かりにくいという指摘があちこちでなされています。安倍氏自身は就任記者会見時にいろいろと説明していましたが、「美しい」という概念自体がそもそも大きく、抽象的なこともあって、ピンとこないという人が多いようです。

 

 そこで、私自身の「美しい国」のイメージは何かなあ、と考えてみました。すると、以前読んだ「逝きし世の面影」(渡辺京二著)が思い浮かび、頭から離れなくなってしまいました。この本は、江戸自体から明治初期まで確かに存在した「江戸文明」について、来日した外国人の手記を通して描き、その文明がすでに滅んでしまったことを克明に書きつづったものです。

 

 数年前、弊紙が連載していた日本について考える座談会(私は膨大な分量のテープおこしを、紙面に掲載できるように削る仕事をしていました)で、ジャーナリストの桜井よしこさんが強く推薦していたのがこの本でした。ここに描かれた日本は、風景も町並みもそこに生きる庶民も含めて、まさに「美しい国」だといえました。

 

 安倍氏がこの本を読んでいるかどうかは知りませんし、実際は何の関係もないでしょうが、本から少し引用したいと思います。幕末から明治初期にかけて来日した欧米人が見た日本は、テレビの時代劇に描かれたような悪代官が支配するごみごみした世界ではなく、貧しくてもだれもが微笑み、楽しげで、子供をとても慈しむ完成された社会だったようです。

 

 『プロシャの輸送艦エルベの艦長としてこの港(長崎)に入ったとき、ヴェルナーは「すでに港の美しさについて多くのことを聞いていた」。しかし「期待は現実によってまったく凌駕された」。リオ・デ・ジャネイロ、リスボン、コンスタンチンノープルは世界の三大美港とされているが、「長崎の港口はこれら三港のすべてにまさっている」というのが彼の実感だった』

 

 『フォーチュンは江戸西南郊へ遠乗りに出かけた時のことをこう書いている。(中略)どこでも農家はきちんとしており清潔に見受けられた。こんな様子はほかの東洋諸国では見たことがない。…風景はたえず変化し、しかもつねに美しい--丘や谷、広い道路や木蔭道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる』

 

 『フィッセルは(中略)参府旅行の折に見た『都の近くにある湖水』は、イタリアのマジョレ湖よりもっと美しいと言っている。「夏の日には、そのような湖水の上には何百もの帆がただよい、数えきれぬほどの遊覧船が、さながらまき散らしたかのように浮かんでおり、夕べには照明のあかりが美しく、また音楽が聞えて散策する者を水辺に誘い、人々は気晴らしに興じるのである」。スエンソンによれば「日本のジャンク船は本当に絵のように美しい」。』

 

 『オランダ人ハラタマは、1866年初めて江戸を訪れたが、彼の目にも江戸は田園に見えた。「…町中ところどころに公園と云ってよい大きな庭園があるので、まるで田園の村の中にいるような気分になります」。』

 

 『1858年に江戸を訪れたオズボーンが早くもこう書いている。「江戸において公共の娯しみのために設けられた場所の数から判断すれば、日本人は非常に休日が好きな連中だと記述してしかるべきだ。町全体が庭園や茶屋や寺院でとり巻かれていて、老幼男女を問わず保養のためにしじょうそこを訪れる」。ベルクによれば「日本の市民の最大の楽しみは、天気の良い祭日に妻子や親友といっしょに自然の中でのびのびと過ごすことである。(中略)老人たちは愉快に談笑し、若い者は仲間同士で遊んだり、釣をしたり、小さな弓で的を射たりする。釣や弓は若い女性にも好まれている遊びである」。』

 

 『モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。』

 

 『バードは言う。「ヨーロッパの国の多くや、ところによってはたしかにわが国でも、女性が外国の衣裳でひとり旅をすれば現実の危険はないとしても、無礼や侮辱にあったり、金をぼられたりするものだが、私は一度たりとも無礼な目に逢わなかったし、法外な料金をふっかけられたこともない」。』

 

 『ハリスは1857年(安政4)年11月、オランダ以外の欧米外交代表として初めて江戸入りを果たすべく、下田の領事館を発った。東海道の神奈川宿をすぎると、見物人が増えてきた。その日の日記に彼は次のように記した。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。--これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す」。』

 

 きりがないのでもうやめますが、江戸時代の人々は、地域差や飢饉の年などはあるでしょうが、階級史観で貫かれた現在の多くの歴史教科書が描くような社会ではなかったようです。それは悲惨も不平等も厳然と存在していたでしょうが、少なくとも外国人の目には、世界中どの国よりも庶民が幸せそうに見えたようです。

 

 いまさら、鎖国時代に戻るわけにもいきませんし、日本の人口も当時の4倍になっていますから、昔の生活をやろうったってできるものではありません。ただ、この本を読んでいると、近代化の過程で日本が失ったものの大きさに改めて驚かされるのです。

 

 安倍氏は、著書「美しい国へ」の中で、貧しくともみなが希望を持ち、子供たちの目が輝いていた昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に感銘を受けたことを書いています(ちなみに、私は原作の漫画「三丁目の夕日 夕焼けの詩」を全52巻すべて持っています。これは珍しいはず)。

 

 安倍氏の言う「美しい国」のイメージは想像するしかありませんが、小渕恵三元首相のスローガン「富国有徳」を使わせてもらえば、「富国」よりも「有徳」を優先する社会だろうと思います。戦後、国民が必死になって働いて経済発展はもう成し遂げた。その陰で失った何かを取り戻そう、というものではいかと…。

 

 ともあれ、「逝きし世の面影」はお薦めです。まあ500ページ近くあるし、ハードカバー版は4200円もするので、ちょっと手をだしにくい感もありますが、それだけの価値はあると思います。

 

 安倍首相は昨夜の就任記者会見で、皇室典範改正問題について「重要なものであるからこそ、国民に納得されるものでなければならない。慎重に議論を重ねていくことが必要だ」と述べました。これは、政府が「皇室典範に関する有識者会議」の最終報告ほ受けてまとめた女系天皇を認める皇室典範改正案について、白紙に戻すという宣言でした。

 

 当事者である皇族方の意見も聴かず、わずか17回、たった10か月の議論で、神話の時代から続く皇室の大伝統を覆そうとした有識者会議については、以前からいろいろと批判がありました。皇室関係の専門家がほとんどいない人選については、元宮内庁長官の1人も「あれは無識者会議」と憤っていました。

 

 委員の1人にいたっては、出欠が明らかにされている15回のうち3分の1以上の6回も欠席するなど、出席状況もよくありませんでした。別の委員は、安易な女系容認に憂慮を示された皇族に対し、「どうということはない」と言い放ち、また別の委員は海外向け雑誌で「アナクロニズム」と批判しました。

 

 いろんな意味で問題の多い会議でしたが、虎の威を借るなんとやらで、小泉前首相が典範改正にやる気を見せているときは意気軒昂でした。安倍氏は女系天皇には慎重だったのですが、小泉氏と委員たちの夕食会に出席した際には、「アレ(有識者会議)はだめだね。みんな慎重論に耳を貸さない」と言っていました。

 

 まあ、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊でさすがに小泉氏も動揺し、安倍氏の「生まれてくるお子さまが男子だった場合、正統な皇位継承者から、(実質的に)皇位を奪うことになるんですよ」との説得を受け入れて改正案提出を取り下げました。危ないところでした。

 

 このへんが真正の保守である安倍氏と、あまり伝統・文化に関心のない小泉氏の違う点で、小泉氏は拉致事件での対応をはじめ、安倍氏を近くにおいたことで随分助けられたと思います。

 

 その安倍氏は総裁選のさなか、今月15日のフジテレビの報道2001に出た際、この問題について次のように主張していました。

 

 「女性天皇は今までもこの長い歴史の中で存在してきました。しかし、女系天皇は存在していなかった。価値判断は別にしておいて、ずっと男系できたというこの流れ、この伝統をすぐ変えるかどうかという点については、慎重になるのは当然ではないか」

 

 「男系を維持するためには、もっと方法があるのではないか。たとえば旧宮家の方が復活をしたり、あるいは今の宮家を継がれるという形、そういう方向での皇室典範の改正ができるのではないか。(皇籍を)60年離れているから、なかなかちょっと国民から見てどうだろうか、という人もいます。しかし、たとえば、それぞれお妃となられた方はずっと民間人でやってこられたけど、お妃になられたら皇族の一員であると、皇室の一員であるとの認識を(みんな)持っていますね」

 

 私は安倍氏と同じ意見なのですが、この男系・女系の問題は、なかなか理屈で割り切れるものではないので、意見が割れるところでしょう。実際、世論調査の結果も割れています。昨年春ごろの産経の「社論会議」の場でも、「いろいろ説明を受けても女系がダメな理由が分からない」という意見も出ました。

 

 そこで、私が参考になるなあ、と思うのが数学者の藤原正彦氏の見方です。著書「国家の品格」が大ベストセラーになった方です。手元のメモから日付が抜けているので、今年のいつごろだったか分からないのですが、藤原氏が国会議員会館で講演した内容を紹介します。

 

 「私は政治、外交上の失敗には腹は立てても青ざめることはない。しかし、今回の女系容認には青ざめた。私は数学者だから、男系でなければならない理由、また女系でいいという理由を考えろといわれたら、5分で何十通りだって思いつく。しかし、そういう論理の問題ではない」

 

 「私は米国で3年、英国で1年間教えていたが、ケンブリッジ大のディナーは350年前、ニュートンの時代と全く同じようにする。あるとき、白鳥料理が出た。ノーベル賞を取ったやつが、『この白鳥はだれのものか知っているか』と聞く。知っているわけがないので尋ねると、『英国中の白鳥は、12世紀からみんな女王のものだ』と自慢する。それだけ伝統を大事にしている」

 

 「今回の有識者会議の報告は、世にも恐ろしい答申だった。すなわち、日本の伝統の中の伝統に手を加えるというものだ。しかも、それはほとんど驚愕すべき軽薄な理屈だった。報告は、憲法と世論の二つを原点にしている。一言でいうと、男女平等と男女共同参画社会のことだ」

 

 「これを原点にするなら議論をする必要がない。憲法はまず、占領軍のつくったものだ。屈辱の憲法を原点にしてどうする。また、皇室の問題で憲法を適用したが、皇族はもともと憲法の外にいる人たちだ。この人たちに男女同権を適用する愚かさよ。さらに、憲法は流行にすぎない。そもそも伝統を考えるときに憲法とか法律を持ち出すのはそぐわない」

 

 「次に、世論をもとにしているが、世論は1日にして変わる。有識者会議の重大な誤りだ。数学でも、出発点が間違っていたら、その後にどんなに精密に論理を組み立てようと正解にはいきつかない」

 

 「報告書は、出生率1.29を皇室にもあてはめて算数しているが、よほど算数ができない人たちだ。出生率など何も関係のない話。それから、明治、大正年間と昭和の出生率の平均値を比べているが、全くナンセンスな統計だ。算術的詐欺だ」

 

 「報告書はまた、旧皇族の復帰を一蹴している。理由は、国民感情が許さない。その理由として、今上陛下から(共通の祖先は)600年近くさかのぼって、そのときから分かれた。縁が遠すぎるという大嘘を書いている。そうではなくて、旧皇族は国民にとって非常に受け入れやすい人々だ」

 

 「万世一系の定義は、神武天皇以来、男系のみで継承してきたということだ。男系は、父の父の父…とたどると神武天皇にたどりつく。男系をつなぐのは非常に綱渡り的ではある。昔の人もそれを知っていた。男系を貫いてきたことは論理を超えている」

 

 「(男系継承は)天皇陛下ご自身が変えたいといっても、絶対に阻止しなければならない。平成の世にこのようなことがあれば、われわれは未来永劫最も恥ずべき人々として汚名をとどめることになる」

 

 …テープにとっていなかったので、多少、断片的になりました。実際はもっと面白く、話を聞いていた稲田朋美衆院議員など、ほとんど感動していました。藤原氏の論には、賛否あることと思いますが、私が惹かれたのは、論理展開を何より大事にするはずの数学者が、「伝統は論理を超えている」と断言したところです。

 

 また、出発点や前提が間違っていたら、その上にどんな巧緻な論理を組み立てようと正解にはいきつかないという趣旨の部分も納得しました。昨夜、同僚記者と朝日新聞の社説について話題にした際、たまたま同僚が「出発点が間違っていたら、どう理屈をつけてもどうにもならないよな」と言ったのを聞き、藤原氏の講演を思い出したのでした。

 

 安倍氏は皇室典範改正について、テレビ番組で「私の政権の中で、何が何でもやるということではなくて、自然と、だいたいこういうことだなということが培われ、国民的コンセンサスが広く得られるような中で議論を進めていくことが大切だ」とも述べていました。何かとても話しにくそうですね。

 

 来月には、男系維持の立場をとる超党派の議員連盟が結成されます。これをきっかけに、この問題はまた動き出すのか、それともしばらくは沈静化したままなのか。いずれにしても注目していきたいと思います。

 

 本日、安倍晋三氏が首相に就任し、安倍政権の閣僚が発表されました。まずはおめでとうございます。数々の困難が待ち受けていることと思いますが、ここまで来たらひたすら頑張ってもらい、この国の立て直しに尽くしてもらうしかありませんね。

 

 さて、私は前々回のエントリで、安倍新総裁の下での自民党3役のうち2役まで人物、役職とも的中させたと「自慢」したので、今回はやはり閣僚人事はどれだけ当たったかに言及せざるをえません。寛大な目で見てやってください。

 

 私が2か月前の8月1日のエントリ「安倍政権の人事を予想してみた」で閣僚候補として名前を挙げたのは15人でした。結果的に、そのうち8人は入閣しましたが、ポストの的中率はボロボロで、麻生太郎外相の留任しか当たっていません。麻生のほかは…

 

  実際のポスト             (私の予想)

 ・菅義偉総務相            国家公安委員長

 ・尾身幸次財務相           経済産業相

 ・伊吹文明文部科学相        行政改革担当相

 ・甘利明経済産業相         厚生労働相

 ・塩崎恭久官房長官         金融・経済財政担当相

 ・高市早苗沖縄・少子化担当相   環境相

 ・山本有二再チャレンジ担当相   法相

 

 15分の8が入閣したから「よし」と言いたいところですが、ここまで役職を外すとは。やはり反省です。とはいえ、これをポストまで的中させるのは至難の技だろうなぁ。

 

 ちなみに、私が文部科学相候補として挙げた下村博文氏は官房副長官▽拉致担当相とした山谷えり子氏は首相補佐官▽参院の官房副長官とした世耕弘成氏も同じく首相補佐官-という結果になりました。まあ起用を当てたといえば、そう言えなくもないと考えられないこともなくはない云々むにゃむにゃ。

 

 武部勤氏は起用されない、という断言と、二階俊博氏の党3役・閣僚起用はないという見通しはなんとか当たりました。ほっ。まあ、一応、政治記者という立場なので、見通しとすべて逆になったら大変だなぁと冷や冷やものでした。

 

 それはともかく、今回の組閣人事で、違和感を覚えたのは松岡利勝農水相でしょうか。私はこの人を直接知りませんが、いろいろとスキャンダルが噂されていましたね。真偽を知らずにあまり言うのはよくありませんが、ちょっと不安です。佐田玄一郎行革担当相もなんだかなぁ。

 

 あと、拉致問題担当相を兼ねる塩崎官房長官は、これまでそれほど拉致問題に取り組んでいたとは聞きませんので、首相補佐官となった中山恭子氏や山谷氏がフォローするのでしょうね。元拉致議連会長の中川昭一氏も党の政調会長として当然、かかわってきますし、まあ大丈夫か。

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