2006年12月


 イラクのフセイン元大統領に対する死刑が執行されました。罪名は、民間人に対する迫害や殲滅を実行した「人道に対する罪」でした。一国の元元首を裁いたフセイン裁判は、日本人には極東国際軍事裁判(東京裁判)を連想させますが、両者には大きな違いがありました。東京裁判では、誰もこの「人道に対する罪」で有罪になっていないのです。この事実は、日本の過去の戦争を振り返るとき、とても重要なポイントであると思います。

 私は今年10月に、日本陸軍史研究家の奈良保男氏から手紙をいただきました。内容は、弊紙も含めて「ABC級戦犯と、訴因の(a)(b)(c)項の混同」が見られるというご指摘でした。ちょうどいい機会だと思うので、反省を込めて、以下に引用させてもらいます(奈良氏の許可は取ってあります)。

 《ひと言で申しますと、多くの方の誤りは先ずこの混同によるものと言って過言でありません。このことを最も早く指摘されたのは、現在徳島県小松島市で「平成昭和研究所」を主宰しておらえる茶園義男氏が1993(平成5)年8月27日発行の「別冊歴史読本・第15号『戦争裁判処刑者一千』」(新人物往来社)に発表された「戦争裁判の法的正当性を問う」が最初ではないかと考えます。(中略)

 茶園先生からご指導を戴いていた小生は、それを基に、茶園先生の監修を戴いた上で、平成14年5月、名越二荒之助編『昭和の戦争記念館』第5巻の「戦犯とされた昭和の殉難者たち」欄に書かせて戴くことが出来ました。ここでその概要を述べます。

 「ABC級戦犯に対する世間の誤った認識 現在日本国民の大多数が認識しているABC級戦犯という戦犯区分の認識は、次のようなものであろう。
 A級-軍人や政府の上層部で、侵略戦争を謀議計画し、推し進めた者。
 B級-従来型戦争犯罪において、命令を下した上級部門者。
 C級-下級の地位で実際にそれを行った者。
 この区分には法的な根拠がない、と言ったら多くの人は驚くかもしれない。しかしこれは事実である」

 以上を前置きとして、ドイツ戦犯を裁いた「ニュルンベルク裁判所条例」の説明をし、その第6条がa・b・c項に分かれ、a項は「平和に対する罪」で従来に無かった概念であること。b項は「通常の戦争犯罪」即ち従来型戦争犯罪であること。もう一つ、その何れでもない犯罪が今次戦争では起きていた。それがナチスによるユダヤ民族の絶滅政策であり(ホロコースト)、それは戦争でない時期にも行われていることもあって、新たに一項が加えられた。c項がそれであり、「人道に対する罪=Crimes against humanity」と名付けられた…、と書きました。

 続いて、日本の占領のために設置された連合軍司令部(GHQ)は、日本にもナチスのゲシュタポ以上の犯罪集団があったに違いない、故に、日本にもc項犯罪があるだろうと最大限の力を注いで調査に当たったが、その片鱗すら出てこない。日本には元々、先住民や、植民地・占領地の住民を絶滅するなどという思想はまったくない。

 それどころか、ベルサイユ条約後の「人種・国籍差別撤廃」提案、或いはナチスドイツのユダヤ人迫害と対照的に、ユダヤ難民に対して手を差し伸べている。このことは『昭和の戦争記念館』第1巻の第5部にその救済に尽力した軍人と外交官のことを紹介している。

 ちなみにそれぞれ当時の①関東軍参謀長・東条英機②満鉄総裁・松岡洋右③陸相・板垣征四郎が、八紘一宇の精神で人種差別に反対しユダヤ難民の救済に責務を果たし、ユダヤ人から感謝されていること。運命の悪戯か、その三人がいずれも「A級戦犯」となって命を落とし、「靖国神社」に合祀されていることを良い機会なので申し添えておきます。

 さて、予測の外れたGHQは、c項を設けた手前もあり、また、中華民国の顔も立てていわゆる「南京大虐殺」なるものを捏造して裁こうとしたのが真相だろうと書きました。現に、東京裁判ではc項の「人道に対する罪」の該当者は一人も無いままで終わっています。

 このことについては、『明日への選択』(日本政策研究センター刊)18年7月号に、同センター岡田邦宏氏が、「東京裁判・誰も『人道に対する罪』で有罪になっていない」という稿で見事に論考されていますので、是非ともお読み戴きたいと存じます。》

 奈良氏の手紙はまだ続くのですが、とりあえずここまでとします。奈良氏によると、a項、b項、c項と戦犯のABCとは呼応したものではなく、GHQが意図的に訴因との混同を狙ったものとみられるそうです。

 ちなみに、ニュルンベルク裁判では、有罪となった19人のうち、16人までがc項の「人道に対する罪」に問われています。一方、東京裁判では、有罪とされた25人のうち、一人を除く全員がa項の「平和に対する罪」で裁かれました。日本とドイツが行った戦争の様相が、いかに異なるものであったかの傍証とも言えそうですね。

 靖国神社に参拝することを、ヒトラーに参拝するようなものだと粗雑かつ無理な議論を展開する人が、社民党や中国の要人にみられますが、こうした暴言・妄言には何度でも反論していこうと改めて考えた次第です。

 平成18年ももうあと半日となりました。来年が日本とみなさまと私と家族と周囲にとって、いい年でありますように。思いっきり欲張って祈っています。


 きょうはかなり個人的な話を書きたいと思いますので、関心のない方は飛ばしてください。実は、昨日から一日早く正月休みをいただき、福岡の実家に帰省しています。同僚たちが働いている中、休むのは心苦しいのですが、28日の飛行機しかとれなかったのでわがままを許してもらいました(ちょっと仕事を持ち帰りもしましたが)。

 それで昨夜、隣に住んでいる祖父から、「これを読んでおけ」と約80ページほどのミニ冊子を手渡されました。「大衆紙『夕刊フクニチ』誕生記」というのがそれで、昭和40年発行の非売本で、著者は浦忠倫とあります。この人は、私が中学2年生のときに死去した曽祖父です。私はこの曽祖父の家で「歴史読本」や戦記小説の類を読むのが楽しみでした。

 曽祖父は今はもう廃刊となっている福岡の地元紙、夕刊フクニチの創業者でした。陸軍の主計大尉を経て福岡日々新聞(現西日本新聞)に入り、記者も販売も営業もやって昭和16年に日本新聞会(新聞統制会)の常任理事になるなどの経歴を持っていました。私が子供のころに曽祖父の家に遊びに行っていたときには、もうとっくに引退していて、イメージとしてはいつも安楽椅子に座っていた姿が目に浮かびます。

 日本新聞会は、戦時体制づくりを進める国の要請によって、地方紙の統合や新聞用紙の割り当てなどを行った組織です。あまり評判のいい存在ではありませんが、曽祖父が残した冊子には、次のような記述もありました。

 《当時の政府側及び新聞会の略一致した方針として、当時は一万から三万弱程度の発行部数しか持たなかった地方新聞に用紙を重点配給、このため中央紙は殆んど既存部数に釘付されたが、地方紙のみは次第に発行部数を増加し、今日の地方新聞隆盛の素因を形づくったものと断じてよい。》

 《戦時中の諸物資は次第に欠乏の度を高め、新聞発行頁も圧縮また圧縮、昭和十九年には遂に二頁の半ピラ新聞に迄落ちようとした。これはいささか余談だが窮余の策として我々統制会役員四名で時の東条大将を築地の料亭金田中に招び、おがみ倒してやっと一時四頁を維持したこともあった》

 料亭「金田中」というと、私は政治家の会合を外で待っていたことはありますが、自分では入ったことがありません。歴史があるとは聞いていましたが、曽祖父は使っていたのか…と妙な感慨を覚えました。統制会が地方紙発展のきっかけになったとは知りませんでした。

 それからあれやこれやがあって、曽祖父は昭和21年4月にフクニチ新聞を立ち上げたのですが、そのときの社員数は総勢33人だったとのこと。発行部数7万部。2ページ建てで販売価格は月5円でした。「発刊宣言」には次のようにあります。

 《この新聞は何よりも最初に、読者諸君の新聞であり、大衆の新聞であることを宣言する。大衆の気持ちを、感情を、意欲を紙面の上に躍動させ、活字の姿にかえる。諸君はこの新聞が少しいたずらの児だが明朗で元気のよい生き物であることを感ずるだろう。諸君の命令の下、われわれはどこえでも飛んでゆく、潜ってゆく》

 《邪悪と不正はあくまでもわれわれの憎むところである。軽い風刺もあるだろう。ピリッとした皮肉もあるだろう。しかしこれぞ大衆の敵と見るところは厳しい批判の鞭を加えてゆく。民主主義とはつまり大衆の正義感の実現にほかならぬ。われわれはその眼であり、口であることを念願している》

 戦後、新しい新聞をつくっていくんだという意気込みが伝わってくるようです。曽祖父は《気負いたった宣言である。だが、これが当時の全社員三十三人の一致した意気であった》と書いています。社員は7か月後には74人に増えていますが、当時の社会部長の年齢は31歳です。若いなあ。

 しかし、いい時代はそう長く続かず、曽祖父はそのわずか約2年後には社を去らざるをえなくなります。軍歴を理由にGHQによる公職追放にあったからです。「公職追放の黒い影」という章には、こうあります。

 《私は大正の末期まで現役の主計大尉であった。尚また昭和十六年から二十年まで、新聞統制会の常務理事であった。共に公職追放のワクにはいる。殊に二十余年前の下級将校であったことが戦争責任の追放に値するなんて、全くナンセンスだと思った。駄目かも知れぬが抗議だけはして見たい。というわけで、軍職を去った直後の小著『脱走』『軍隊物語』などを資料に追放免除の請願を出してみた。それらの小著ははからず所謂反軍的記述もあって、嘗ては時の参謀総長から宿舎に呼びつけられて、こっぴどく叱られたこともあったくらいで、多少はやくに立とうと思ったのであるが、遂に取上げられず十把一からげの追放になることが、次第に明らかになった》

 曽祖父はその後、昭和30年に再びフクニチの社長に返り咲くのですが、やがて身を引きます。フクニチもいろいろと経営努力はしたようですが、廃刊になりました。今年亡くなった私の祖母は、曽祖父の長女であり、歳月を感じます。

 長々と個人的なことを書きましたが、最近は、新聞はどうしたら生き残れるのかと考えることが多いので、曽祖父の経験をたどりながら、いろいろと思うところがありました。読者に必要とされる新聞であるためには、どうすればいいのか。答えはなかなか見つかりませんが。


 イザ編集部から来年の予想を何か書けと命令が降りてきました。果たして来年はどんな年になるのか、参院選の見通しは…と真剣に3分半ぐらい考えたのですが、自慢したり、人様に披露したりできるようなことは思い浮かびませんでした。正直なところ、来年は吉に転じるのか凶に転ぶのか予測がつきません。わかりません。

 とはいえ、何も書かないというわけにはいかないので、これを機会に告知しようと思い立ちました。私が日々、世迷いごとや個人的などうでもいい感想を書き連ねてきたこのブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」が来年の1月末か2月初旬に出版されることになりました。ドタキャンされない限り、本当です。

 出版元は産経新聞出版です。つまり、私に「印税」は入りません。ただ、上司によると「5回飲みにいける程度」の報奨金は出るようです。それでも十分、ありがたいと思いますが、「10回ぐらい」ならさらによかったことは言うまでもありません。今年5月22日の初エントリ(公開は6月)から教育基本法成立までの約200エントリのうち、約半数が収録される予定です。

 私は過去に、産経新聞のナントカ取材班に何度か入ったことがあり、その連載が単行本になったことはあるので、偉そうにいえば共著は何冊かあります。ですが、単独での本出版は初めてなので、とても嬉しいのは本当ですが…。

 大丈夫なのでしょうか。ただでさえ、日々炎上やらネガティブな反応を気にしながらびくびく(その割にはずうずうしく)書いてきたのに、本になったら名誉毀損で訴えられたりしないでしょうか。実名でいろいろ他人や危ない団体を批判していますからねぇ。まあ、ブログに書いた段階で覚悟していないといけないのでしょうが、根が小心なもので、実は心配でもあるのです。まあ、成り行きに任せて開き直ろうとは思っていますが。

 まったく売れなかったらへこみそうですが、多少は売れたら、それはそれで怖い気がします。いやまあでも、やっぱりどうせなら売れてほしいなあ。言いたいこと、伝えたいことが少しでも多くの人に届くことを恐れるくらいなら、この仕事を辞めた方がいいのでしょうし。

 というわけで、買ってくださいとは言いませんが、どうかよろしくお願いします(われながら何をお願いしているのか意味不明)。来年がいい年でありますように。

 ※イザの「有名人お宝グッズプレゼント」の商品のひとつに、自民党の中川昭一政調会長のサインが「箱」に書かれたネクタイと、中川昭一携帯ストラップ(レアものω)があります。ついでに宣伝しておきます。


 今朝は通勤電車の中から、白く輝く富士山の雄大な姿がくっきりと見えました。冬は寒くて乾燥しているので嫌いなのですが、富士がきれいに見えるのはいいですね。それだけで、少し前向きな気持ちになれます。

 このところ、官邸は政府税調会長に香西泰氏が就任した件や、佐田行革担当相の進退問題などでばたばたしています。私は昨夜(というか未明)は午前1時半まで記者クラブにいて、それから雨の中帰途に就いたものの、タクシーがなかなか拾えずさんざんでした。

 忙しいのは各社も同じなのでしょう。昨日の夕方に、官邸クラブに投げ込まれた小さな資料に関する記事は、今朝のどの新聞にも見あたりませんでした(見落とした可能性もありますが)。私もぜひ書きたいと思いつつ、他の記事を優先せざるをえなくて放っておいたものです。

 それは、「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙掲載記事に対するわが国政府による反論投稿について」という長い題の3枚紙で、内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室というこれまた長い名前の部署が発信元でした。

 このヘラトリの記事とは、言わずと知れた超有名人であるニューヨーク・タイムズ東京支局長、ノリミツ・オオニシ記者が書いたものですね。ニューヨーク・タイムズはヘラトリと提携していることから、両紙に掲載されたものと思われます。私も知人から、「オオニシ記者の取材に応じたらデタラメ書かれた」との話を聞いたことがありますが、まさに「札付き」の人物です。

 記事は12月18日付のヘラトリに掲載されたもので、「Abductions energize Japan right」という題で、拉致問題対策本部は「拉致問題が日本の右翼の活力となる」との仮訳を当てていました。

 それで、政府が22日に中山恭子首相補佐官名で反論を同紙に送付したところ、26日付の7面「Letters to the Editor」(編集者への手紙)欄にほぼ同趣旨の反論記事が掲載されたとのことです。以下に中山氏の反論文を記します。

 《第一に、北朝鮮による日本人拉致問題が(政府によって)政治的な思惑のために利用されているという事実はない。この問題は、自国民の救出の問題である。

 日本人拉致被害者の多くは北朝鮮に30年近くも監禁され、全ての自由を奪われている。拉致被害者が自由と尊厳を取り戻すためにあらゆる支援を受けるのは当然である。拉致被害者の救出は日本政府の使命である。

 第二、拉致問題はまさに現在進行中の問題である。たった5名の拉致被害者が2002年に帰国しているだけであり、北朝鮮は、それ以外の拉致被害者が死亡あるいは入国していないとする自らの主張を裏付ける説得力ある証拠を示していない。

 最近、国連総会で北朝鮮の人権状況決議が採択されたことも、拉致問題を解決する必要性が国際的に認識されつつあることの表れである。   

内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)中山恭子》

 オオニシ記者のような確信犯にすれば、こうした抗議は痛くもかゆくもないかもしれませんが、日本政府の反論するという姿勢は評価したいと思います。拉致問題対策本部によると、官邸のホームページには掲載していないとのことだったので、ここで書いてみました。

 拉致問題対策本部は今後、今まで政府がばかばかしくて無視していた北朝鮮のトンデモ放送についても、きちんと反論していくことにしたそうです。これは、拉致被害者家族の要望と、中山氏の考えによるものだそうです。

 拉致問題の解決は、北朝鮮の体制が変わらない限り、実際にはなかなか困難でしょうが、日本としてもできることは何でもやるという姿勢が大切だと思います。

 中山氏はかつて小泉前首相時代、内閣官房参与として拉致問題に取り組んでいましたが、小泉氏が山崎拓氏を首相補佐官に起用した段階で辞任しました。当時、北朝鮮に融和的な山崎氏が官邸に入ったことで、強硬派の中山氏の居場所がなくなったとも言われましたが…。

 とにかく、拉致被害者と家族、そして日本のための取り組みを応援し、さらに頑張っていただきたいと思っています。

 

今朝の産経朝刊は政治面で、日教組が教育基本法審議に向けて、民主党の参院議員らに想定問答集を配布し、質疑に活用するよう呼びかけていたことを報じています。というか、私が例よって国会議員会館をうろうろしていて見つけ、書いたものです。教職員組合が、いかに政治的な動きをしているかがよく分かりますね。

 《日教組、あの手この手 教育基本法審議で想定問答集
 日本教職員組合(日教組)が11月下旬、民主党の参院議員らに、教育基本法改正案審議に向けた想定問答集を配布し、質疑での活用を呼びかけていたことが25日、分かった。問答集は日教組の森越康雄委員長の名前で出され、34ページ。日教組の政治団体、日本民主教育政治連盟(会長・輿石東民主党参院議員会長)所属の議員のほか、「協力関係にある議員に配った」(日教組)という。
 問答集では、例えば、旧教育基本法の「教育は国民全体に対して直接責任を負って行われる」という条文に関し、質問案に「『直接責任』条項をなくした理由は何か」とある。これを参考にしたのか、民主党の下田敦子氏が11月28日の特別委員会で「条項をなくした理由をまずうかがいたい」と質問。同じく神本美恵子氏(元福岡県教組女性部長)も12月5日に同じ趣旨で追及した。
 日教組は、「議員それぞれのお考えがある。(問答集を)活用した議員もそうでない人もいる」と説明。日教組が質問議員に質問内容を押しつけたのか、逆に議員があまりにも不勉強なので、日教組が手助けしたのか、その経緯は不明だが、いずれにしても、改正教育基本法は日教組にとって、かなり都合が悪い法律だったことがよく分かるエピソードだ。》


 紙面に載った記事からははみ出てしまいましたが、私はデスクの手直しが入る前の原稿で《また、質問案には教育基本法16条にある「不当な支配」の文言について「『不当な支配』として排除される可能性があるものは具体的に何が想定されるか」とある。

これに関しては、やはり民主党の佐藤泰介氏(元愛知県教組委員長)が11月22日の質疑で「(排除される)特定の団体とはどんなことを想定しているか」と繰り返しただしていた。》とも書きました。


 この記事に書いた通り、問答集を配った対象は「日本民主教育政治連盟」(日政連)に所属する議員(参院には8人います)や、教育基本法改正に反対する活動で、日教組に協力していた議員らだそうです。日教組に電話して何人に配布したのか聞いたのですが、その点は教えてくれませんでした

 
  実際のところ、議員たちがこの問答集をどこまで利用したのか分かりませんが、日教組自身が「活用した人もいる」と認めているのですから、国会質問のタネ本になったのは間違いないでしょう。日教組には、「そこを知りたければ国会速記録を読め」と言われました。仕方がないのでかいつまんで議事録を読みましたが、確かにいくつか日教組の質問案と類似した質問がありました。でも、記録全部を精査するのは大変なので…。

 

 でもねえ、政府主催のタウンミーティングのやらせ質問をあれほど口を極めて罵っていた人たちが、一部とはいえ、日教組の質問案に沿って質問していたとするとどうでしょうか。これも日教組によるやらせ質問だとは言えないでしょうか。まさか謝礼は払っていないでしょうが。

 

 この疑問を日教組に問いただしてみたところ、「やらせというのは高位のものが下位の者にさせるもので、日教組と国会議員は対等ではあるかもしれないが、そんな拘束力はない」とのことでした。ふーん、なるほどね。聞き置きます。

 

 で、この問答集は12章構成で34ページもあるので、とても全部は紹介できませんが、第10章はまさに「タウンミーティングでの『やらせ発言』に関して」というタイトルでした。質問案は次の通りです。

 

 《(問)政府は、タウンミーティングで国民の声を聞いてきたと説明してきたが、内閣府の調査によって、政府の振り付けによるヤラセであることが発覚した。子どもたちが絶対に手本にしてはいけないことを、あろうことか政府が行ってしまったのである。とりわけ案分を作成した文部科学省の責任は重大である。タウンミーティングとは名ばかりの政府による世論統制が行われていたのである。

広く国民の声を聞くことは立法府である国会で行うべきであり、タウンミーティングが果たした以上、国会において全国各地での公聴会を行うべきである。したがって、拙速な審議や、まして議論も尽くされていないのに、あわてて採択などということになれば、教育の権威は地に堕ちるであろう。伊吹大臣の見解を問う。

 

(問)教育基本法改正に関する世論調査(資料、地方紙社説、アンケート等)では、「今国会での成立にこだわらず、慎重に十分に審議をするべきであるとの意識が多数を占めている。広く国民の声を聞くということは、世論の状況も見極めることが必要なのではないか。

◇慎重審議に関して

この間の世論調査は、改正に賛成でも「今国会にこだわらず、慎重に十分議論を尽くすべきだ」という意見が高い割合を占めている。そのことをどう考えるか。国民的論議についての具体的な方法をどのように考えているのか。あらためて、タウンミーティングのやり直しを含め、国民の意見を聞く場(公聴会など)を開催することを考えるべきではないか。》

 

懇切丁寧ですね。よく言うよ、というか。特に日教組が改正を嫌がっていた教育基本法16条「教育行政」については、質問案が12例も並んでいました。教育現場を「不当に支配」しているのはだれか、行政なのか組合なのか、などという点です。これについてもちょっと紹介します。

 

◇現行の教育基本法10条は、「教育は国民全体に対して直接責任を負って行われる」と直接責任条項を謳っている。これが改正案にはない。この「直接責任」は国民側から言えば、「住民による学校教育へのコントロール」を基礎づけるものである。この「直接責任」条項をなくした理由は何か。

 

◇政府案は、現行法10条1項の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」との文言を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」との文言を盛り込むことで、国会という国家的意思によって教育の内容が定められることを認めることになる。「不当な支配」として排除される可能性があるものは具体的に何が想定されるのか。

◇最高裁判決(1976年5月21日、旭川学テ)が、法令に基づく教育行政機関の行為にも教育に対する「不当な支配」の適用があると判断したが、司法の判断と立法府の法律とに乖離が生ずることになるが如何に。》

 

 確かに、国会審議中もどこかで聞いたことがあるような内容です。まあ、議員と日教組の問題意識がたまたま同じだったから質問が似たということも考えられますがから、決めつけるのはよくないでしょうが。

 

 このほか、問答集は「『改正』理由について」「『改正』手続きについて」「教育基本法の性格 憲法、国際条約、『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』との整合性について」「国内法との整合性について」「前文について」「条文について」…と微に入り細をうがち論点を整理し、質問案を記しています。ご苦労なことです。

 

 日教組は、この22日に出した「『改正』教育基本法成立に関する日教組中央執行委員会見解」の中で、次のように書いています。

 

 《日教組及び各単組では、教育基本法問題を広く訴えるため意見広告、ポスター掲示、ラジオCM等の広報活動や全国キャラバン行動、集会、全戸ビラ配布行動など、教育基本法改悪反対のとりくみが継続・強化された。各地のキャラバン行動は地元新聞でも取り上げられるなど世論を盛り上げる効果をもたらした。また、衆議院段階では全国から結集した組合員による国会前座り込み行動で「政府法案」の廃案を訴えた。》

 

 《日教組は、中央・地方における諸集会を開催し、職員要請行動、国会請願行動など、日政連議員と連携して院内外の一体的とりくみを展開してきた。(中略)10月26日に「非常事態宣言」を発するとともに、組織の総力をあげ「教育基本法改革(※悪の誤字か?)阻止!『政府法案』の廃案」のとりくみを強化した。この間、開催した緊急中央行動には、全国からのべ8万人組合員が結集した。》

 

 この際、本来の崇高な仕事である教育に専念するため、日教組には解体されることを、日政連議員には辞職されることをお勧めします。

 ※追伸(12月27日午後8時)
 日教組が11月9日付で、「内閣府タウンミーティングにおける世論操作に対する抗議声明」という文を出していたのを今、見つけました。そこには「国民の声を聴き、国民の要求を実現していくことが、『政治』であるのに、その国民の『声』『要求』をある一定の方向に操作するなどということは、民主主義社会においてあってはいけないことである」と書いてありました…。

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