2006年12月


 本日は首相官邸で、安倍首相と山口新聞など地元4メディアのインタビュー取材があり、われわれ他社も傍聴しました。この中で、安倍首相は繰り返し社会保険庁の解体・廃止・6分割を行うための法律を提出し、成立させたいと表明していました。

 私はこのブログで、しつこいほど日教組や自治労のことを書いてきました。ただ、自治労については、以前は日教組ほど関心を持っていなかったので、正直なところ、あまり詳しい実情は知りません。大阪市の職員厚遇問題に代表される地方公務員の問題に関心を持つようになって以降、その背景に注目を始めたというところです。

 それで、きょうは自民党が以前つくった16ページの手帳サイズのミニパンフレット「あきれた社会保険庁の実態 自民党は社保庁解体を断行します」(所属議員や地方組織に配布されたそうです)を紹介しようと考えました。

 ただ、恥ずかしい話、どこまで実態に即しているのか判断がつきません。あくまで参考として書き留めたいと思うのですが、けっこう扇情的な文章なので…。まず、いきなり第一章の表題は「はっきり見えてきました。わたしたちの『敵』の姿が。」です。

 《混み合う社会保険庁事務所。
その受付の向こう側で、私たちを無視して休憩しながらコーヒーを優雅に飲み続ける職員。
 そんな姿に怒りを覚えたこと、ありませんか。
 しかしそれは、不正と腐敗の進んだ組織の、ごく表面の部分でしかありませんでした。
 大切な年金を流用して、ゴルフボールやマッサージ器などを購入。
 仕事の効率を上げよ、と言われて、ウソの実績を捏造して平気な顔。
 興味本位で有名人の年金状況を覗き見て、その情報を他人に漏らす。(中略)
 わたしたちの「敵」の姿がはっきり見えてきました。いまこそ、混み合う受付で私たちを無視した、自分たちのことしか考えない組織に、メスを入れるときです。》

 社会保険庁の態度の悪さは有名ですし、まあ確かに公私混同の年金情報の大量閲覧の話もありました。で、次章のタイトルは「全部でおよそ、39万件。社会保険庁が行った不正行為の数です。」。とても説明的でわかりやすいですね。

 《社会保険庁の村瀬長官が、「きちんと正直に年金を納めている国民がバカを見るようなことではダメだ。払えるのに払わない人には、ちゃんと納めてもらいなさい」と、命じました。
 すると、社会保険庁の職員たちは、「まじめに仕事をするのは面倒だ。効率が上がったように見せかけよう」ということで、年金掛金を払わなくてもよい、と、勝手に22万件以上もの人々を免除しました。その他の不正行為を含めると、なんとその数およそ39万件。
 野党や労働組合はこの責任を、「村瀬長官が職員に無理な仕事を押しつけたから悪いのだ」と言っています。
 ちょっと待って下さい。(後略)》

 確かにそういうニュースもありました。国会では、民主党議員らが村瀬長官批判を繰り広げ、テレビのワイドショーが同調していましたが、私も確かに疑問でした。ちゃんとやれ、という方が悪いとか無理だとかのセリフは、最近の必修科目未履修問題でもよく聞きましたが、ちょっと変な言い分に思えます。

 第3章は「『45分やったら、15分休憩』小学生の授業ではありません。社会保険事務所での話です」がタイトル。ふーん。本当でしょうか。

 《社会保険庁の不正行為を突き詰めていくと、そこに労働組合の姿が浮かんできます。
 社会保険庁の窓口で端末を操作する時、「職員は45分操作したら15分休憩をとる」という約束事がありました。社会保険庁は、自治労の中の国費評議会という労働組合とこんな約束を交わしていたのです。
 大問題になった「覚書」。これはそのほんの一部です。全部で100近くある覚書の中には、この他にも、普通の神経を持っていたら「?」と思う項目がたくさん羅列されています。(中略)
 ちなみにこの悪名高き「覚書」は、村瀬長官が就任してから、破棄されました。しかし実態は…。》

 打つのが面倒になってきたので4章と5章は飛ばして次は6章です。タイトルは「自治労・国費評議会のみなさん。『国費』とは、国民が汗水流して納めた公金ではありませんか?ならば…。」というとても長いものでした。

 《(前略)ではなぜ、自治労・国費評議会は社会保険庁にそんな圧力をかけられるのでしょうか。
 実は、自治労・国費協議会の社会保険庁における組織率は、40県で96%にのぼります。つまり、ほとんどの職員がこの組合に属しているということです。
 ここで思い出されるのは、あの、背広まで税金でつくっていた大阪市のケースです。
 大阪市の行政を市職員が食い物にしてきた原因の一つは、組織率98%を誇った大阪市労連の横暴きわまりない要求の数々でした。(後略)》

 日教組でも自治労でも、組織率が高すぎるところは、問題が生じていると思います。やはり「横暴」になるのでしょう。第7章では民主党批判が出てきます。こういうミニパンフの趣旨からして当然でしょうね。表題は「小沢さん、『常識の政治』を目指すのなら、まず『非常識な支持団体』を何とかしてはいかがですか。」です。そのまんまです。

 《年金不正免除問題では、最初は威勢の良かった民主党ですが、最近はさっぱりです。
 理由は簡単。
 民主党の最大の支持母体は連合で、連合の中で最大の組織が自治労。自治労の中で一番力を持っていると言われているのが自治労・国費協議会だからです。
 つまり、自治労・国費協議会を批判することは、自分たち民主党の支持母体を批判することになるから、腰が引けているのです。
 だから、不正免除問題では、ウソをつき不正を働いた職員ではなく、『払えるのに払わない人から、ちゃんと納めてもらいなさい』と言った村瀬長官を責めたのです。
 まるで、労働組合の手先のような民主党の行動に、多くのまじめな国民が違和感を覚えました。民主党が政権を握ると、間違いなく国民無視の『労働組合至上主義』の政治になることは、この問題を見ても明らかです。(後略)》

 自民党による民主党批判だから、割り引いた方がいいでしょうが、社民党の辻元清美氏もかつて「民主党のほうは労働組合が皆びたっとくっついている感じで、昔の社会党みたいな感じに私なんか受け取れる」と言っていますね。それで終章は、「みなさん、怒って下さい。その怒りを、自由民主党は糧とします。そして、敢然と戦い抜きます」というタイトルでした。

 内容は読まなくても想像できると思いますので省略します。今年の仕事もあと数日ということで、とても忙しいです。なんか雑な内容のエントリだったかもしれませんが、ご勘弁ください。それではまた。

 

  

 昨日、たまたま本屋で的場順三官房副長官の著書「座して待つのか、日本人」が目にとまり、買いました。平成12年7月に初刊発行なので新しい本ではないのですが、的場氏が安倍内閣の官房副長官に抜擢されたこともあり、再びクローズアップされたようです。

 

 安倍首相は、事務方の官房副長官(全官僚のトップ)は厚生省や自治省など旧内務省から出すというこれまで連綿と続いてきた霞ヶ関のルールを打ち破り、大蔵省出身で元国土庁事務次官などを歴任、民間経験の長い的場氏を副長官につけました。

 

この人事には、安倍首相が女系天皇実現を強引に進めようとした古川元副長官(旧厚生省出身)や、中国にハニートラップをしかけられた上海総領事館員の自殺を小泉前首相に知らせなかった二橋前副長官(旧自治省出身)に不信感を募らせていたという背景があります。一方、的場氏は安倍首相の父、晋太郎元外相時代からの付き合いとあって、気心が知れていたということもあるでしょう。

 

それでここからが本題ですが、今回、的場氏の本を読んでいると、サハリン(樺太)でのエピソードが紹介されていました。「朝鮮系ロシア人の言いがかり」という見出しがついていて、次のように書かれています。

 

《カムチャッカとサハリンの視察に行った折、朝鮮系ロシア人と出会った。このとき、彼らがサハリンに置き去りにされたのはすべて日本政府の責任で、いまでも日本政府は彼らに対して責任を負うべきだと高圧的な感じで迫ってきた。一緒に行った人たちに著名な評論家が多かったためか、雑誌や新聞に彼らの主張を掲載して、そのコピーを送れと要求された》

 

実は、私はそのときの視察団(日本財団主催)の末席に連なっていました。著名な評論家とは、田久保忠衛氏、屋山太郎氏、日下公人氏らのことです。ですから、この朝鮮系ロシア人との会話もだいたい覚えています。私は平成10年8月に書いた連載記事「日露共生(5)」の中で、こんな風に書いています。

 

《一方、日本サハリン州経済開発促進協会の趙応奎さん(六五)によると、韓国人は南樺太が日本領となった日露戦争後の一九〇五年ころからサハリンに移り住み始めたという。「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」

 この地に来た韓国人には、(1)戦前戦中の出稼ぎや自由募集、または日本による徴用(2)戦後、友好国の北朝鮮からの労働力募集(3)スターリンの命令で沿海州から中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられていて、共産主義指導のため再び移された-の三通りがある。

 南部の港湾都市、コルサコフ(旧大泊)の市場で働く韓国人女性(七〇)は、日本名「山下花子」と名乗り、話しかけてきた。

 「来年三月、五百世帯が韓国に引き揚げるんだよ。今、日本の援助で韓国に家を建てているんだ。一時帰国で見に行ったけどなかなかいい家で、私もここ生まれだけど引き揚げる」

 「山下さん」がいう一時帰国とは、日本政府が平成元年から毎年、一億二千万円前後の支援をしている事業を指す。また、政府は「自社さ」連立の村山内閣時代の平成七年、人道的見地から二十七億円以上かけて韓国・ソウル郊外に永住帰国者のため五百戸のアパート建設を計画、今年十二月に完成する予定だ。居住の条件では、日本の徴用でサハリンに来たかどうかは問われない。

 ただ、こうした善意の支援は「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているからだ」(サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長)と受け止められ、新たな要求の根拠とされている。

 二世であるパク会長は、「ロシア経済は悪く、裕福な韓国に戻りたい人が増えている。日本が何もしていないとは言わないが、もっと帰国支援をすべきだ」と憤まんをぶつけた。》

 

ここにも村山内閣の後遺症が…という感じですね。的場氏がいう朝鮮系ロシア人とは、このケーレン氏のことです。私は現場で、的場氏が顔を真っ赤にして、ケーレン氏を相手に正論を力説する姿を見ています。そのときに私は、この人は割と信用できるなと感じたのを覚えています。的場氏は著書の中で次のように書いていますが、ケーレン氏にも同様の説明をしていました。

 

《少なくとも韓国との話し合いはすでに済んでいる。1965(昭和40)年に日韓基本条約を結び、外貨準備が少なく、まだ日本人がそれほど豊かではなかった時代に8億ドル以上(政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル以上)もの実質的な賠償を払っている。今の経済力でみれば小さい金額と言えようが、払った時代から言えば大変な額を払った。》

 

《また、ソ連と北朝鮮政府との間で協定を結んで、労働力不足のために送り込んだ人たちに関しては、われわれには何の責任もない。それは北朝鮮とロシア政府が責任を負うべきものである。いわんや、スターリンが中央アジアで共産主義教育をして送り込んできた人たちに対しては、日本が負うべき義理はまったくない。》

 

こうした的場氏を中心とする視察団の反論に対し、日本人たちからの反論が珍しかったのか押され気味のケーレン氏が繰り出してきたのが、「でも、日本の著名な弁護士であるT氏がもっと日本政府から賠償を取れると話していた」という内容の言葉でした。T氏は、人権派弁護士として慰安婦訴訟などにもかかわっているある種の有名人です。

 

私はその数年前、インドネシアで慰安婦問題の取材をしている際にも、現地の人から「T弁護士の指示に従った」と聞いたことがあったので、「ここでもTか!」と驚きました。インドネシアでのエピソードについては、拙ブログの7月9日のエントリ「火のないところに火をつける人たち」に書いていますので、関心のある方はご笑覧ください。

 

ちなみに、われわれはケーレン氏にお茶に招かれ、彼の自宅マンションも訪問したのですが、かなり広い部屋を二つぶちぬいた2世帯仕様になっており、サハリンの中ではかなり裕福な部類だったようです。的場氏はケーレン氏について、こうも書いています。

 

《一番問題なのは、スターリン時代に、北朝鮮の隣の沿海州シベリアにいたロシア語のわからない朝鮮人を再教育する目的で中央アジアに強制移住させ、その人たちがサハリン州政府の要職に就いたことである。(中略)実は、日本政府に責任を取れと言ってきたのは、サハリンの局長クラスをリタイアした後、顧問として残っている彼らの一人だったのである》

 

ともあれ、日本は国外だけではなく、国内にもたくさんの反日勢力を抱えている内憂外患の状態にあると思います。本来なら、心ある保守陣営が相互に批判しあったり、足を引っ張りあったりしている場合じゃないと思うのですが、現実はあまり芳しい状況にはないようです。

 

この的場氏にしても、私はこのサハリンでの会合以来、「事なかれ主義が多い並のお役人とは違うな」という印象を持っていますし、安倍政権のスタッフの一人ひとりはなかなかたいした人物だと思っています。それでも、歯車がうまく回転しないときがあるのを見るにつけ、「百鬼夜行、魑魅魍魎の跋扈する永田町」というフレーズが思い浮かびます。

 

すっきりと、小気味よくうまくいくことなんてあまりないなあ。最近、つくづくとそう感じています。


 今朝の産経政治面は、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える会」小委員会が、河野談話を是正する新たな談話を出すよう求める提言を、塩崎官房長官に提出する方針を確認したと報じています。この会は、拙ブログで何度か書いたように、中川昭一政調会長が初代会長、安倍首相が初代事務局長というある意味、筋金入りの議員連盟であります。

 安倍首相は、これまで国会答弁で、官憲による慰安婦募集の「強制性」について認めた河野談話を、とりあえず政府として継承すると述べた一方、強制連行そのものについては歴代首相で初めて、「なかった」と表明しました。

 ただ、メディアでは河野談話継承ということのみがクローズアップされたこともあり、安倍首相自身も談話の修正・文言加筆のたぐいが必要だと感じているようです。中川氏も私のインタビューに対し、談話の見直し検討が必要だと答えました。

 迂遠なように見えるかもしれませんが、政府の公式な談話の見直しには、きっかけが必要なのも事実です。ある日突然、ときの首相が恣意的に政府見解を変更するとなれば、政府見解自体が軽い、あまり意味のないものになってしまうからです。

 そういう悩ましいときに、「歴史教育を考える会」が学識経験者らを交えて談話の検証作業を進め、政府に提言をするということの意味は大きいのです。安倍首相としては、それをきっかけにして、提言を重く受け止めて事態を前に進める作業に入ることがやりやすくなりますね。

 私としては、この会の前会長であり、いろいろな教育問題を熟知している古屋圭司氏(郵政造反組)に帰ってきてもらいたかったことも、復党を支持した理由の一つでした。私には、郵政民営化より教育問題の方がはるかに重要なことに思えたためですが、これは異論もあることでしょうね。

 河野談話については、韓国における元慰安婦と称する女性に対する聞き取り調査が唯一の証拠とされています。日本国内はおろか、米公文書館など世界各地での調査でも、強制連行の証拠はなかったことは、私も当時の事務方、石原信雄元官房副長官に2度にわたってインタビューし、証言を聞いています。

 また、私は外務省と内閣府に対し、韓国女性に対する聞き取り調査の内容を情報公開請求しましたが、いずれも「プライバシー」を理由に却下されました。この件については政府高官も、「どうせいいかげんな内容なのだろう」と言っていました。

 そこで本日は、昨日の「歴史教育を考える会」でのあいさつ、記者ブリーフィングを紹介します。以下の通りです。
 

 【中山成彬会長あいさつ】
 いろんなことを考えてみるに、話の根源は河野官房長官談話にあるんじゃないかと。あのときもいろいろ話題になったが、これをもう一回検証する必要があるんじゃないかと。検証の必要を最初に言われたのが中山泰秀先生だったから、彼を小委員長のもとに、河野官房長官談話について検証、見直しをする小委員会を始めたいと思うので、よろしくお願いしたい。

 

 【中山泰秀ブリーフ】

 A 前回、山谷えり子先生(首相補佐官)から、新メンバーの中で、新たに米国の下院における、いわゆる従軍慰安婦決議が出される懸念の発表というか、意見の開陳があった。それを受け、新たに慰安婦問題を考える小委員会を設けて慰安婦の問題を考えましょう、検証しましょうということで今回、この小委員会の設立にいたった。

 小委員会の目的は、慰安婦問題を中心にいろいろ検証し、民間の方々、学識経験者等のご意見も聞きながら、民間の協力者に対してお願いができるのならばプロジェクトチーム(PT)みたいなものを作っていただいて、政治家と民間の学識経験者、有識者で小委員会を中心にPTを作ってなるべく掘り下げて検証と、事実を積み重ねていきたい。それで親会に報告し、政府官邸に対してお願いに上がる、提言に上がることも将来的には考えている。


 Q 下村さん(官房副長官)と山谷さん、安倍さんは会のメンバーか?


 A メンバーには入っているが役員からは外れている。


 Q 提言はいつまでに?


 A タイムスケジュールも会長と相談しながら決めるが、来年にレイプ・オブ・ナンキンという映画が作られるタイミング。中国、韓国との間で並行して動いている六カ国協議や共同研究があるが、その折を見ながらやっていきたい。

 特に我々が重視し、目標としているのは米国で下院議員が議会で決議を目指しているが、その決議が出るまでにしっかりと米政府、議員本人にもチャンスがあれば私どもの意見を日本の政治家として申し上げる機会も作らなければいけないと思う。


 Q 検証するのは従軍慰安婦がいるのかどうかと、強制性を検証するのか?


 A はい。あと、先生がたからの意見として、従軍慰安婦という言葉自体が造語でおかしいじゃないかと。私も小委員長として同じですから、従軍慰安婦という言葉の精査も行っていきたい。ですから慰安婦という表現になると思う。


 Q どんな意見が出たか?


 A 検証する中で従軍慰安婦という言葉がいつから使われたのか調査する必要がある。それからたくさんの国々で公娼制度が認められる中で、そういった累次的な事例があったのかなかったのか。あとは情報を風化させないという問題。

 要するに生き証人というのもいるだろうと。そういった間に合ううちにそういったもの。それから公娼制度を活用しての慰安婦自体を、働き手を募るときにハングル文字で書かれた募集の紙というかビラがあるという指摘もあるので、そういったものが残っていたら、そういったものも取り寄せたい。

 同時にインターネットを活用して情報を集めるべきだと。それからユダヤ人のホロコーストの問題、強制収容所の問題と南京の問題が同一視されていることもあるという問題を、はっきりと違うということを世界の人に理解してもらうことも重要なんじゃないかという問題。あとは裁判でいろんな係争を国際的にしていると思うが、裁判の戦略を誰が一体やっていたのか。当時の法務大臣を中心にやっていたという事務方の話があった。

 しかし、本当にそれが日本にとって、早く裁判を決心させて終わらせたいという役人側の考え方と、正しい考えをしっかりと主張して、裁判で係争していくんだということをもって自分たちの事実を証明した方がいいんじゃないかという指摘もあったんで、その辺のこともしっかりと精査していきたい。


 Q 提言の提出先は政府と下院議員?


 A 海外に対しては、まずその米国の下院の日系議員のところに会いに行くのを私はやるべきじゃないかと思う。それと、官邸ということになる。特に自民党は与党ですから、官房長官なりに、じっくり検証した後でしっかりと中山成彬会長の下でどういうアプローチをしていくかということを同時に考えなきゃいけないと思っております。


 Q 官邸にもっていくというのは、新たな談話を出してもらうということか?


 A 私が小委委員長として申し上げられることに関しては、自民党の安倍晋三総裁も河野談話を踏襲なさるということをはっきりとオープンにされておられるわけで、この河野談話というものを同じ自民党の総裁を経験された方が当時官房長官として発表している。しかし、同時に今日集まった先生方全員が自民党の国会議員がこの河野談話が果たして本当に正しいのかという疑問を抱いている先生方もたくさんおられる。

 ですから、そういうたくさんの先生方のご意見というのは無視するわけにはいきませんので、そういう先生方の疑問をはらせるだけの検証とデータを収集しながら、当時どういうものをリソースにして談話が作られたのかということ。

 そういう検証も含めて、必要があれば、談話自体を否定するというわけじゃなくて、今の官房長官に新しい談話を発表してもらう機会を設けていくほうが私は進歩的じゃないかなと思います。これは私の私見ですけど。


 Q 次回は?


 A 隔週1回やりたい。来年の党大会前後で第二回をやりたい。


 Q 提言は来年の早い時期にとりまとめを目指すということでいいのか?


 A そうですね。来年の早い時期ということで。大体来年の春ぐらいになるんじゃないですか。下院のすすみ具合が分からないですけど。(
了)

 この中山泰秀氏については、私は名刺交換したことがある程度であまり知らないのですが、期待したいと思います。

 新聞、テレビなどメディアは、タウンミーティングや前政府税調会長の官舎入居問題などに話題を集中させがちですが、私にとってはこちらの方がはるかに重要に感じられます。今後も注目していきたいと思います。

 

 


 昨夜は外務省の人と忘年会もどきの会合があり、本日は弊社政治部の忘年会です。今年もあとわずかだなぁと実感します。総じていえば、日本にとっていい年だったように思いますが、ここにきて気分が重くなるニュースが多く、もっと山崎拓氏のようにタフにならねばと思いつつも消沈気味です。

 で、今朝、気分直しに(?)靖国神社が月に一度発行している社報「靖国」の1月1日号を読んでいたところ、南部利昭宮司の「年頭の請願」が載っていて、今年を振り返っていました。とりわけ入手が難しいものでも何でもない社報ですが、ふだん、目を通す機会がない人の方が多いと思うので、内容を紹介します。

 《(前略)昨年の8月15日は、小泉首相が退陣を前にして果たして6回目の靖国参拝をするのかどうか、マスコミは連日その話題を取り上げ熾烈な情報戦を仕掛けてをりました

 或る時は富田メモを振りかざし、更には米国からの一部の批判をことさら大きく取りあげたりと執拗に首相の参拝阻止のキャンペーンを展開してをりました。

 このやうにメディアの殆どが反対の立場にあった中での総理参拝は御承知の通り8月15日に、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し御本殿での正式参拝でありました。

 そして、その日の参拝者数は近年最高の25万8000人を数へました。(中略)

 9月26日には安倍新内閣が発足し、途絶えていた日韓・日中の首脳会談も実現しました。これにより首相の靖国参拝が中韓との首脳会談を阻害しているといふ論評は多分に怪しくなってきたやうです

 安倍政権は、自公連立といふ矛盾を抱へながらも、憲法改正、教育基本法改正といふ大きな課題に取り組んでいます。これらが健全な形で国会で成立し、一日も早く戦後の占領軍の呪縛から解き放たれることを願ふものであります

 昨秋9月6日には、秋篠宮家に悠仁親王殿下御誕生といふたいへんおめでたいできごとがありました。国民こぞって親王様のお健やかな御成長をお祈り申し上げる次第です。(後略)》

 そうですねぇ、小泉前首相の靖国参拝はあれだけ新聞、テレビ、雑誌が悪し様に罵ったにもかかわらず、世論調査では支持率が5割を超えましたねぇ。あれはメディアの一方的なキャンペーンが敗北した瞬間だったと思います。

 ある政治評論家からは、「参拝に賛成していたのは産経だけだ。国民の半分が支持したんだから、産経はこれに乗じて国民の半数の購読を目指せ」とはっぱをかけられましたが、現実は厳しいようです。余談ですが。

 あと、何といっても秋篠宮さまに親王さまが生まれたのは嬉しかったなあ。今年の2月ごろは、女系天皇容認へと突っ走る小泉氏と、夢の中で何度も議論したぐらい、皇室典範問題が重くのしかかっていたのですが、紀子さまのご懐妊と親王さまご誕生で、厚い雲が一気に割れて青空が見えました。

 そして、私の予想より2、3年早かった安倍氏の首相就任がありました。今はごたごたしている部分もありますが、安倍首相はときに驚かされるほど前向きな人なので、年が明けるのをきっかけに、また空気を一新してくれるものと思います。

 とにかく今年もいろいろありました。個人的には、祖母の死去がありました。それとこのブログを始めて世界が広がったこと、生活習慣が変わったことがやはり大きいかな。とりわけメディアというものについて考えさせられた年でした。

 靖国の社報にはまた、「遊就館展示見直し作業中間報告」という一文も載っていました。これはおそらく、「ルーズベルトの大戦略」など一部の解説文に、米国要人などが不快感を示していた問題への対応だと思います。社報には次のようにありました。

 《歴史記述パネルのうち今回変更のあったものに「日露戦争から満州事変」「満州の歴史」「支那事変」「ヒトラー」「スターリン」「ルーズベルト」「日米交渉」の各パネルがある。》

 どうなのでしょうか。米国に関する記述だけでなく、中国に対しても表現を変えて配慮を示したということでしょうか。あるいはそういうことではないのか。靖国神社の広報に電話で変更内容を聞いてみたのですが、「お答えできないことになっています。来年元旦から変更されますので、ご自分でご覧になった方が…」とのことでした。

 靖国さんは、マスコミにぼこぼこにたたかれてきたから、気持ちは分かるのですが、もう少し教えてくれてもいいのになあ。以前も南部宮司インタビューを断られたし。愚痴ですが。

 日本にとっても私個人にとっても、そして皆様にとっても、来年が今年よりもっといい年になるよう心から祈ります。


 本日はアルコール疲れの上に、例の本間正明税調会長の辞任問題などがあってけっこう忙しく、どうも気分が乗りません。それで、申し訳ありませんが短めのエントリで失礼します。

 今ちょっと、古い資料を整理していたら、平成16年6月に憲政記念館で開かれた国会議員・地方議員合同シンポジウム「正しい歴史教育を子供たちに!」のメモが出てきました。これは、最近活動を再開した自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が主催したものです。

 で、このシンポでは、当時は幹事長だった安倍首相があいさつをしていました。私が手でメモできた範囲ですが、それを紹介します。

 《私が当選2回のときに、中学の歴史教科書にいわゆる従軍慰安婦の記述が載りました。果たして事実か、あるいは中学生に教育すべきかと、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(※当時はこの名称)で勉強しました。
 
 いろんな方々に講師として来てもらいましたが、当時はこの問題について発言すること自体、はばかられる雰囲気がありました。その中で、石原信雄官房副長官が河野談話に至る過程について、「政治的にああするしかなかった」と率直なお話をしてくれました。

 子供たちが生まれ育った地域や国に愛情を持てるようにしていきたい。そのことによって日本の未来は開かれる。

 前回の教科書検定では、特定の教科書に極めて強い抗議がなされた。採択が歪められた。

 イギリスはサッチャー首相時代に思い切った教育改革を行い、大きく変わった。停滞していた経済は活力ある経済となり、子供たちも夢を持ち、国際社会で活躍している。

 来年わが党は結党50年を迎える。なぜ自民党を結党し、自民党はなぜ21世紀に存在するのか、もう一度見直さなければならない。そのための基本理念が必要だ。

 新しい憲法をつくって一から書き直す。教育基本法改正についても、やっと与党でだいぶ煮詰まってきて、あともう一息だ。

 愛国心については、学習指導要領の中にも国を愛する心と書いてある。祝日法にも記述があり、とくだん難しいことではない》

 言っていることは、今とまったく変わっていませんね。最近は、首相には逆風が吹き荒れていますが、一つひとつ実績を積み上げていくしかないのでしょう。初心を忘れずに。

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