2007年02月


 国会では、衆院予算委委員会が開かれ、白熱した議論が戦わされています。きょうの安倍首相は、野党議員の質問に手厳しい反論を行うなど、けっこう攻撃的に見えます。内閣発足当時は7割近かったご祝儀支持率が4割程度にまで落ちたことで、かえって万人にいい顔をしてみせる必要がなくなり、思いのままに振舞えるようになった部分があるのかもしれません。

 それはともかく、きょうも国会議員会館をうろうろしていて、ある秘書さんから「これを見てよ」と雑誌のコピーを手渡されました。それは今から8年前の文芸春秋99年9月号に載った論文で、タイトルは「日本国憲法改正試案」。自由党党首だった現民主党代表、小沢一郎氏が書いたものでした。

 「戦後日本のタブーを破って現職政治家が初めて条文を書いた」とのコピーを読みながら、そうだよなあ、あのころ、小沢氏はばりばりの改憲論者とされていたよなあと何だかある種の懐かしさを感じました。ほんの7、8年前のことなのですが、当時は現在より憲法の不可侵性は強かったですね。

 でも、このように国会議員の中でも先頭に立って憲法改正を唱えていた小沢氏が、今では憲法改正を掲げる安倍首相に対し、「今、政治がなすべきことは憲法改正か、生活維新か」と1月29日の代表質問で追及しているのですから、歳月のうつろいと無常を感じます。

 小沢氏は、自民党が5月の憲法記念日までに成立させたいとしている憲法改正手続きを定める国民投票法案についても慎重姿勢をとっています。参院選を前に、対立軸を明確にするためだということは分かっていますが、何だか寂しい話しです。文芸春秋に載った論文の中で、小沢氏はこう誇らしげに書いていました。

 《我々自由党では、憲法改正の国民投票法制化を提案している。国民投票の期日、国民への周知、投票の方式、経費、罰則などを規定したものである。国民投票に関する運動は、原則として自由にした。まずは議論を動かしたいのである。》

 私は、最近の小沢氏の言動や例の資金管理団体による巨額の不動産購入については批判的なことを書いてきましたが、この論文の憲法論には納得できることが多いです。もちろん、国連への傾斜ぶりはちょっとついていけませんが。小沢氏は現行憲法についてこう記しています。

 《時代が変わればルールも変わるはずなのに、50年以上も憲法は改正されていない。新しい時代に必要な価値観を書き加えられることもなく、化石同然の代物を後生大事に抱えている。それなのに現行憲法が完璧であるかのように主張する人達が多い。》

 《占領下に制定された憲法が独立国家になっても機能しているのは異常なことである。民法においては、監禁や脅迫により強制された契約が無効であることは自明の理である。(中略)正常ではない状況で定められた憲法は、国際法において無効である。》

 非常に明快ですね。まあ、憲法を神聖不可侵の教典としてあがめる旧社会党系議員の後押しで民主党代表となった今では、こういうことはなかなか言えないのでしょうが。それは分かりますが、残念な話ですね。次の言葉は、安倍首相の問題意識とも共通すると思うのです。

 《21世紀を向かえようとしている今、日本は大きな転換期にあることを否定する人はいないだろう。日本的な馴れ合い主義では、内外の変化に対応することはできない。(中略)まず法体系の根幹である憲法が様々な不備を抱えたまま放置されていることから改める必要がある。憲法改正論議こそ時代の閉塞状況を打破する可能性がある。

 ここに表れている問題意識は、まさに教育基本法を改正して防衛庁を省に昇格させ、いままた憲法改正を掲げている安倍首相と同じ方向を向いているのではないでしょうか。小沢氏は街頭演説などで、「安倍内閣は復古主義的だ」などと盛んに批判していますが、論文の中では公共の福祉に関連して「時には個人の自由が制限されることもはっきりさせておく必要がある」とも指摘しています。何やら空しく、物悲しい気すらします。

 小沢氏はこうした自らの憲法論を封じ、今国会を「格差是正国会」と位置づけて参院選を戦うようですが、成功するでしょうか。政府・与党内からは「10億円を超える不動産を資金管理団体に買わせる人が格差を訴えても…」という声も聞こえてきます。

 安倍首相は今後、これまで以上に保守政治家としての「安倍らしさ」を全面に出してくると思います。小沢氏も、少し昔の自分に立ち戻った方がいいような気がします。余計なお世話だと分かっていますが…。


 本日も同僚記者たちが働いているというのに、ゆっくりと休日を楽しんでいます。と言いたいのですが、何をしていても、頭の片隅からは仕事のことが離れず、6カ国協議、内閣支持率、政治とカネの問題…と次々に浮かんでは休みに集中させてくれません。たいした仕事はしていないのに、やっぱり私もいわゆる日本の正しいサラリーマンだなあと自嘲するしかありません。

 で、今朝の朝刊には、次のような記事が載っていました。例の民主党の小沢一郎代表の資金管理団体が都心などに10数カ所、計10億円を超える不動産を買い増ししていた問題についてです。記事の扱いは小さいものでしたが、これを読んで、私は自民党の中川秀直幹事長は、リスクを覚悟して勝負に出てきたかと感じました。

 《自民党中川秀直幹事長は10日、広島市で講演し、民主党小沢一郎代表の資金管理団体が巨額事務所費を計上し不動産取得に充てていたことに関連し、小沢氏が将来的に不動産を個人所有しないことを明確にすべきだとの考えを示した。
 中川氏は政治資金で取得した不動産に関し「もし政治団体が解散すれば名義人である小沢氏個人のものになる。浄財で集めた政治資金がそのまま個人資産に変わる。その状態のままで首相の座を狙っていいのか。首相の資質の問題だ」と指摘。「小沢氏は情報公開の用意があると言うが、それで済む問題ではない。不動産を決して個人所有しないと証しを立てなければ国民の理解は得られないだろう」と強調した。》

 総務省などによると、政治資金管理団体による不動産購入は法令違反ではないようです。ただ、このブログや紙面でも何度か書いてきた通り、資金管理団体は法人格を持たないので不動産登記ができないため、実際は土地・建物の名義は小沢氏のものとなっています。つまり、献金や政党助成金からなる政治資金が、事実上、小沢氏の不動産資産となっている点に不透明さが指摘されているわけですね。

 この問題が当初、浮上した際には、国民の間に「どうせ自民党議員も似たようなことをやっているのだろう」という見方がありましたが、総務省に届け出られている政治資金収支報告書をチェックしたところ、少なくとも現職の国会議員372人の資金管理団体のうち、土地を買っているのは小沢氏だけでした。この問題は産経が報じた後、共同通信が切り口を変えて(引退議員分なども含めて)報道しています。

 実際、永田町を知り尽くしたような古参の議員秘書やベテラン議員と話していても、「小沢氏のやり方は論外だ」「ありゃ、めちゃくちゃだ」と驚きの声ばかりを聞きます。違法ではないにしろ、およそだれもそんなことは考えなかったという類の手法であることは間違いないようです。

 これに対し、小沢氏は領収書など関係書類は率先して出す用意があるとしています。それはそれでいいのですが、前にも書きましたが、問題は領収書の有無ではありません。どうして都心の一等地や高級住宅地に次々と政治資金で不動産を買い続ける必要があったのか、それを将来どうするつもりなのかについて、きちんと説明ができるのかが焦点だろうと考えています。

 ですから、中川氏もその点を突いていますね。当然でしょう。で、私が中川氏が勝負をかけてきたなあと思ったのは、小沢氏に引退後に、集めた不動産を自分のものにしないと表明しろと迫っているからです。これは小沢氏にとっては一番触れてほしくない点でしょうし、逆に小沢氏が腹をくくって(あるいは資産を諦めて)「民主党なりなんなりに引き継がせる。私のものにはしない」と言えば、小沢氏はこの問題をクリアできるどころか、大きな得点を上げることになるでしょうから。

 ここで小沢氏が言葉を濁すようだと、イメージとしては、「やはり個人的な蓄財だったのか」となるでしょう。政治とカネの問題をめぐっては、与野党双方に問題を抱えているといわれることから、馴れ合いでうやむやにされるとの見方もありましたが、今回の中川氏の発言から、私は「これは真剣勝負になってきたか」と感じました。まだ分かりませんが…。

 そしてさっきイザのニュース欄を見ていたら、次のような記事が載っていました。与党の公明党のみならず、野党の社民党、共産党も小沢氏と自民党の双方に領収書など関係書類を明らかにするよう求めていますね。小沢氏自身も出すと言っているのですから、これは近いうちに公開されるでしょう。

   《公明党の漆原良夫国対委員長は、11日のNHK番組で、民主党小沢一郎代表の政治資金管理団体が秘書の寮を建設する土地代などを政治資金収支報告書に計上していることについて「公表の用意があるというなら自ら出せばいい。そうすれば流れが変わる可能性も、迫力もある」と指摘、自発的公表を求めた。
 社民党の福島瑞穂党首はテレビ朝日番組で、小沢氏や一部閣僚の多額の事務所費計上に関し「自民党も小沢氏もできるだけ早く明らかにすべきだ」と早期公表を要求。共産党の小池晃政策委員長も「小沢氏は自ら率先して明らかにする責任がある」と強調した。
 これに対し、民主党前原誠司前代表は「小沢氏は衆院本会議代表質問などで公開する考えを示している。状況を見ながら政治的な判断をすると思う」と述べ、近く公開するとの見通しを示した。》

 ただ、やはり本当に大事なのは領収書を出した後の話でしょうね。関係者によると、小沢氏はきちんと自分の政治資金の流れに目を通す方で、領収書の管理もきちんとしているそうなので、その点は問題ないのでしょう。でも、領収書を開示した場合には、同時にどうしてそんなに不動産が必要であり、何に使っているのかについてもきちんと説明しなければ、だれも納得しないでしょう。

 買った不動産の中には、他団体に貸して家賃をとっているところもあるし、現在は分かりませんが、数カ月前まで使われてなかった物件もあるようですから、そうした事情に関してもぜひ聞きたいところです。自民党の若手議員らが、世田谷区の4億円の秘書の宿舎を視察に行くそうですが、ぜひ他の物件も見てきてほしいなと思います。

 この問題は自民・民主の泥仕合だと決め付けることなく、きちんと注視し、また紙面やこのブログで報告したいと思います。


 きょうは3連休の初日ですし、政治のことばかり考えていては疲れるので、今年読んだ面白い小説を紹介したいと思います。私は重度の活字中毒症にかかっていて、電車の中でもタクシーの中でも、エレベーターやエスカレーターの上でも一人のときは本を開かないと落ち着かないのです。ときには通勤途中などに歩きながら本を読むこともあるのですが、これはさすがに危ないですね。みっともないだろうし。

 ただ、読む本の傾向はというと、これは娯楽小説ばかりです。硬い評論や政治がらみの本は、仕事上の必要があるとき以外はあまり手に取りません。基本的に、居酒屋で生ビールを飲みながら読むと多幸感が味わえるたぐいの本を好んでいます。

 また、私は時代小説を愛好していますので、きょうご紹介するのもその分野に偏っています。拙エントリを信じて本屋で買い求めたが面白くなかったと言われても、当局は一切関知しませんのであしからず。紹介の順番に特に意味はありません。目に付いた順です。

 ①『向井帯刀の発心 物書同心居眠り紋蔵』(佐藤雅美著)…これは昨晩読み終えた作品です。確かNHKでドラマ化もされたシリーズものですが、今回は主人公の藤木紋蔵を逆恨みしていじめてくる上役が出てきたり、因果応報のストーリーが組み合わされたりと、かなり面白かったです。江戸時代の法制などのウンチクが出てくるのも楽しい。

 ②『六地蔵河原の決闘 八州廻り桑山十兵衛』(同)…これも佐藤氏の連作物です。話の設定にリアリティーが感じられていいですね。ただ、私が愛読していた作家の故・半村良氏によると、小説家の仕事は上手な「ウソ」をつくことらしいでいすから、この場合のリアリティーとはあくまで「それらしさ」という意味かもしれませんが。

 ③『公事宿事件書留帳 世間の辻』(澤田ふじ子著)…前にも書きましたが、この人の作品はちょっと説教臭いし、作中で使われる京都弁も私にはニュアンスがピンとこないのですが、それでも何度か涙腺を刺激されました。なんというか、小説巧者なんでしょうね。あとがきの安倍首相批判は蛇足のような気がしますが。

 ④『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』(宇江佐真理著)…このシリーズも長くなり、登場人物たちが少しずつ確実に齢を重ねているところが味わいがあります。相変わらずうまいなあ。佐藤氏も宇江佐氏も、これだけ多作なのにこの質を維持できるというのはすごいと思います。何冊読んでも同じような設定と同じようなメッセージばかりなので、読まなくなった時代小説化もいるのですが。

 ⑤『家老脱藩 与一郎、江戸を行く』(羽太雄平著)…この本も確かシリーズ3作目なのですが、今回は主人公の榎戸与一郎がアルコール中毒にかかっていました。私も毎晩のようにビールを飲んでは二日酔いに苦しみながら出社することが多いので、身につまされました。それはともかく、非常に面白いアイデアが盛り込まれた作品です。

 ⑥『制服捜査』(佐々木譲著)…やっと時代小説から離れて、今度は警察小説です。私もたった1年間だけですが、警視庁を担当したことがあるためか、警察小説もけっこう好きです。この本は、北海道警の刑事が、人事異動で駐在さんとなり、平穏な小さな町に隠された秘密を追っていくというストーリーで、なかなか途中でやめられませんでした。

 ⑦『警察庁から来た男』(同)…これは北海道警の暗部を、地元の警察官と警察庁から派遣されたキャリアが暴くという話です。あと、警察小説ではやはり横山秀夫氏が面白いですね。新聞記者出身だということもあって、事件を描くときにマスコミがどうかかわっているのかも省かれずにファクターの一つとなっていて、とてもリアルに感じます。

 ⑧『新・飢狼伝 巻の一』(夢枕獏著)…言わずとしれた格闘小説の金字塔的作品の新作です。私は夢枕作品に陶酔しているので、出たらとにかく買います。読み終えたら時間を置いてまた読み返します。夢枕氏の作品が漫画化されたらそれも読みます。『荒野に獣慟哭す』は漫画化されたものの中では秀逸だと思います。

 ⑨『不沈要塞播磨 出撃!ガダルカナル2』(子竜蛍著)…戦記シミュレーションもの。全長609メートル、最大排水量52万トン、18インチ砲51門を搭載した大艦巨砲主義の究極の到達点的戦艦、播磨が、じわじわと米軍を追い詰めていきます。最大船速8ノットの鈍足で的が大きいために、敵の攻撃もばかすか当たるのですが、何せ大きすぎて頑丈すぎて沈みません。航空決戦時代の逆を行く発想が気に入っています。

 最近はどうしても時間がとれないことが多く、本を読むペースが落ちているため、買ってはいるものの積んだままになっている本がけっこうあります。漫画も好きでいろいろと読むのですが、半年以上新刊が出るのを今か今かと待ち焦がれた高校野球を舞台にした『おおきく振りかぶって』の7巻が、中途半端なところで終わっていたのでがっかりしました。ああ、早く8巻が出ないかなあ。


 きょうは、在京各紙に最近載ったベタ記事の中で、私が個人的に興味を覚え、スクラップしたものを紹介します。どれも小さな扱いですが、あとあと重要になってきはしないかと思った記事です。

 ・2月8日読売朝刊
 見出し 資金管理団体の不動産取得、与野党申し合わせを検討
 本文 「自民党の参院政策審議会は7日の会合で、政治家の資金管理団体による不動産取得と保有を自粛するよう与野党の申し合わせを検討することで一致した」

 いわずとしれた民主党の小沢一郎代表の資金管理団体による、10億円超の不動産保有問題がきっかけなのでしょう。でも、野党側はこれを受けるかな。小沢氏は、領収書など関係書類を公開する考えを表明していますが、問題は領収書の有無ではなく、なんでそんなにたくさんの不動産を買い続けなければいけなかったか、ですからね。

 以前、10数カ所の不動産すべてを確かめてきたという人が言っていましたが、中には「電気のメーターが止まっていて、郵便受けがガムテープでふさがれるなど、全く使われている様子がない部屋もあった」とのことです。さて…。

 ・2月9日産経朝刊
 見出し 中川幹事長、公務員給与引き下げを公約に
 本文 「自民党の中川秀直幹事長は8日、京都市で講演し、統一地方選と参院選に関し『民主党と全面的に対峙しなければならない』として、地方公務員給与の引き下げをすべての党公認、推薦候補の公約にする考えを示した」

 これはけっこう大変なことだと思います。民間より不自然に高い地方公務員給与の引き下げについては、安倍首相がすでに昨年末に菅義偉総務相に指示していますが、自民党はいよいよ自治労・日教組との対決モードを全開にしてきましたね。次の記事もこの自民党の姿勢と関係しています。

 ・2月9日朝日朝刊
 見出し 教組いじめ調査拒否 自民、PT立ち上げへ
 本文 「北海道教育委員会が昨年12月に行ったいじめ実態調査に協力しないよう、北海道教職員組合が指示を出していた問題で、自民党は8日、対応策を検討するプロジェクトチームの設置を決めた。来週中にも初会合を開く。党執行部内で同教組の指示を問題視する声が上がり、中川秀直幹事長が対処する考えを示していた。
 中川昭一政調会長は8日、『プロジェクトチームの議論は教育再生の議論にもつながる』と記者団に語った」

 記事には出てきませんが、PT立ち上げの背後には、山梨県教職員組合問題を熱心に追及した宮路和明組織本部長の存在もあります。中川昭一氏にしても、北海道の地元で北教組のさまざまな問題を見聞きしているだけに、今度こそ見過ごしにはできないと判断したのでしょう。日教組は調子に乗ってやりすぎて、結果的に自ら墓穴を掘っているような感があります。

 私が繰り返し必要性を訴えている地方公務員や教職員の政治活動を制限するための地方公務員法改正、教育公務員特例法改正への流れも少しずつ見えてきたような…。

 ・2月9日毎日朝刊
 見出し 辞任要求は「言葉狩り」
 本文 「自民党の町村信孝前外相は8日、町村派の総会であいさつし、柳沢伯夫厚生労働相の『女性は産む機械』発言について『もう済んだ話。言葉狩りという表現がぴったりだ』と、同党内外の柳沢氏辞任要求を批判した。
 『2人以上子供を持ちたい若者』を『健全』と表現した柳沢氏の発言についても、『(子供が)2人、3人、4人いたらいいねと、ごくごく当たり前のことを言った』と擁護。『(一連の厚労相)批判は安倍(晋三首相)さんのイメージをひたすら落としたいという目的以外の何物でもない。私はしっかりと柳沢さんを支え、安倍内閣を支えていく』と強調した」

 木曜日は各派閥の総会が開かれるので、派閥幹部の発言が相次ぎます。この日は、高村正彦元外相も行き過ぎた柳沢氏批判を諌めていました。本日の衆院予算委員会では、自民党の斉藤斗志二氏が次のように主張していましたが、13日に質問に立つという民主党の菅直人代表代行はどう柳沢氏を追及するのでしょうか。

 「マスコミは非常に重要な機能を果たして、社会にも必要なものだが、時々行きすぎるところがある。柳沢大臣の発言についても、民主党の菅直人代表代行についてほとんど報道されていない。(菅氏は)民主党大会などでこう言っている。『生産性が高いといわれている東京や愛知でも、子供を産むという生産性が低い』と。これはけしからん発言ですよー、うん。菅さんには、いろいろなことを発言する資格はないと思う

 まあ、低レベルの非難合戦よりは、本日の石破茂元防衛庁長官と安倍首相の安全保障論議のような、実のある本物の議論を展開してほしいものです。二人の議論は、自民党同士であるのに緊張感があって、なかなか見ものでした。うん、よかった。

   
   本日は、原稿を書いてデスクへ出稿したものの、ニュース価値の判断や紙面のスペース上の都合で掲載できなかった記事の一つを紹介します。私が後輩記者に「これを書いて」と指示して書いてもらい、手を入れたものです。確かに、特に珍しい情報であるとか新しい解釈というわけではないのですが、政府の公式見解として、掲載してもいいかなと考えたものでした。

   《政府は6日の閣議で、先の大戦に関する「太平洋戦争」という呼称について「政府として定義して用いている用語ではない」とする答弁書を決定した。一方で、「大東亜戦争」に関しては、昭和16年12月12日に閣議決定された呼称だと指摘。大東亜戦争と太平洋戦争とが同じものかは「答えることは困難」とした。連合国軍総司令部(GHQ)は占領期、大東亜戦争の呼称使用を禁止し、厳しく検閲して太平洋戦争を定着させている。
 また、16年12月8日の日米開戦時に、日本側からの最後通告の手渡しが遅れた問題について「当時の外務省の事務処理上の不手際により遅延が生じた。国家の重大な局面において、遺憾な事態を招いた」とする答弁書も決定した。ともに、鈴木宗男衆院議員の質問主意書に対する回答。》

 まあ、これだけの原稿で、仮に紙面化できていても小さな扱いになったのは間違いないのですが、私が載せておきたいなと思ったのは、「太平洋戦争」という用語に私自身、抵抗を感じているためです。私は記事を書く際には、「さきの大戦」または「大東亜戦争(太平洋戦争)」という書き方をしています。

 というのは、答弁書にもあるように、大東亜戦争という用語は閣議で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と決定され、現在まで取り消されていないからです。一方で、太平洋戦争とは、GHQが、占領期に米国製の歴史観を込めて日本に使うように強要した言葉でした。

 私は入社当初から、記事を書く際にはできるだけ大東亜戦争と書くようにしていたのですが、最初のころはデスク段階で太平洋戦争に直されることが多かったと記憶しています。当時は、大東亜戦争を使うと何か極端な右翼、というイメージがあったのでしょう。でも、繰り返し大東亜戦争と書いているうちに、そのまま記事化されることも増えました。

 勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争」によると、GHQはさまざまな用語や文章を検閲対象としましたが、特に大東亜戦争については、徹底的に排除したそうです。察するに、先の大戦に対する日本側の見方を象徴するものとして警戒し、太平洋戦争という米側の用語に置き換えることで、日本側の歴史解釈を封じ込めようとしたのでしょう。

 この本は、GHQの検閲対象が多岐にわたることを例示していてとても興味深いです。例えば、東京裁判批判は当然として、16世紀以来の西洋による植民地支配への批判は「西洋冒涜」として掲載禁止▽日本の封建制度に一定の評価を与えた文章は「国家主義的」として削除▽アヘン戦争に対する研究論文は「英国批判」として削除…といった具合です。そしてGHQは報道機関に対し、自分たちが検閲を行っていることに言及することを禁じていました。

 チェコ出身の作家、ミラン・クンデラは、著書の中で登場人物に次のように語らせているそうです(原本が手に入らないので、高橋史朗氏の著書「検証 戦後教育」からの引き写しです。すいません)。

 「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化をつくらせて新しい歴史を発明させることだ」

 GHQは、まさにこの通りに実行したのだろうと思います。そして安倍首相が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を主張しているのは、このGHQが日本社会や国民の意識を囲い込んだ「檻」から抜け出し、真の独立国になろうという思いからだと考えます。日教組やサヨクの人たちは、表面的には反米に見えても、実はこのGHQのつくった仮想空間から一歩も踏み出せないでいる人たちだと感じるのです。

 話をもとに戻すと、答弁書は日本が真珠湾でだまし討ちをしたといまだに非難されるきっかけとなった対米通告の遅れについて、「外務省の事務処理上の不手際」と正式に認めていました。また、「国家の重大な局面において、遺憾な事態を招いた」ともしています。

 ところが、当時、在米日本大使館にいた関係者はほとんど出世して、外務次官や駐米大使にもなっているのです。終戦後、この通告遅延問題を内部調査した元次官に10年以上前に取材した際に、この点を質すと、彼は「どうしてかは分からない。出世させた吉田茂さんに聞いてくれ」と言っていました。果たしてどういう事情があったのか…。

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