2007年03月


 ちょっと旧聞となりましたし、すでにイザブロガーをはじめ取り上げられていることですが、やはり事実を記録するという意味でも書いておきたいことがあります。それは、28日夕に、参院議長公邸で各国の駐日大使を招いて開かれた「桜を愛でる会」での河野洋平衆院議長のあいさつについてです。この人の嫌らしさと厚顔無恥さ、そして何より有害さがよく表れていると思うからです。以下に河野氏のあいさつを記します。

 《外交を重視する(扇千景)参院議長のパーティーをお借りして、衆院議長が一言だけごあいさつをさせていただきます。
 春になると日本中埋め尽くす桜の花ですけれども、ごらんをいただいても色も違いますし、咲き方も違います。桜にもいろいろな桜があるんです。一重に咲く桜もあれば、八重に咲く桜もありますし、赤い色の桜もあれば白い色の桜もあります。
 桜はさまざまですけれども、しかし、咲くときには一斉に、一緒に咲きます。いろいろの色が一緒に咲くからきれいなんで、しかしそれはすべて桜であることは間違いありません、全部桜です。
 それはあたかも日本の国の議論のようですね。どうぞその桜をお楽しみください。これが本日の河野談話でございます。》

 …さて、この河野という人はわざわざ「河野談話」という言葉を使って何を言おうとしているのでしょうか。私の解釈では、河野氏はいろいろな種類の「桜」に例えて、慰安婦募集時の官憲の関与について「狭義の強制性」と「広義の強制性」に分けて前者を否定した安倍首相をあてこすっているのだと思います。

 そして、この場には安倍首相もいました。私は現場にいなかったので、そのときの安倍氏の表情などは見ていませんが、心中は察するに余りあります。安倍氏が苦しい答弁を強いられているのも、日本が米国をはじめ諸外国から特別な偏見で糾弾されているのも、この河野氏の愚かさがすべての発端なわけですから。それを、言うにこと欠いて、河野氏はさまざまな桜の存在を「日本の国の論議のようですね」とひとごとのように突き放して語りました。

 また、この話を聞いていたのは、各国の駐日大使であるという問題もあります。各国が実際にどう動いたかは分かりませんし、そもそも意味が分からなかった大使もいたことでしょうが、3権の長の発言ですから、あるいは本国にこの新「河野談話」を本国に伝えた国もあったかもしれません。日本の国家の中枢の意見対立とナイーブさとして…。国益によかろうはずがありません。

 この決定的な外交センスのなさ、または自分の利益しか考えないやり方はどうでしょうか。この人は小泉政権時代も訪中時には、小泉氏の悪口ばかり言って遠回しに「日本には私という親中派がいる」とアピールし、あわよくば中国のバックアップで首相の座を射止めようとしていたと、河野氏と中国要人のやりとりを知る某外務省幹部は言っていましたが、想像を絶するマヌケさです。さすがに、中国側は、表面的にはこの人を歓迎しつつもウラではあざ笑っていたと聞きますが。

 安倍氏の政権運営には各界からいろんな批判がありますし、実際、年齢相応に拙かった部分もあると思いますが、そもそも自民党でも政界でも、保守派自体の数が多くないことが大きいと思います。この河野発言のように、あらゆるところから足を引っ張られていますから。リベラルの首相であったなら、今の5分の1程度の批判で済んでいたでしょう。そもそも、昔からあった政治家の事務所費問題がなぜ今、火をふいたのかというのも、何とか政権を攻撃したい勢力が血眼になっていろいろ探しているからでしょうし。

 話が脱線しかけましたが、しかも、この河野氏のあいさつは、平成5年の河野談話と同じく事実誤認ないし、いいかげんなところがありますね。桜は種類ごとに咲く時期はずれていますし、この人の言うように一斉に咲くのは同じ種類の桜の話でしょう。この人の語彙をあえて使えば「知的に誠実でない」あいさつです。こんなあいさつを聞かされる駐日大使たちがかわいそうなぐらいです。

 で、今朝の朝刊には、来春から使用される高校教科書の検定結果が出ていました。慰安婦問題については、政府が今月16日、安倍首相名で「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定したにもかかわらず、主語をあいまいにして「連行」という表現を使った教科書会社が実教出版社と第一学習社のに2社ありました。

 実は安倍氏は、昨年10月に国会で河野談話をとりあえず継承しつつも「狭義の強制性(強制連行)はなかった」と答弁したときから、教科書記述を意識していたと聞いています。国会での首相答弁は、当然、教科書検定に反映されるべきものですから。そして、全閣僚が署名する政府答弁書でさらにこのことを明確化させているのです。

 ところが、長年サヨク(マスコミを含む)からの攻撃・要請に弱腰対応を続けてきた文部科学省は、「連行」の主語が軍だとか官憲だとかはっきり示されていなければいいや、という対応をとったわけです。でも、民間の売春宿経営者などの行為に対し、ふつうは「連行」という言葉は使わないように思います。

 これは、実は河野談話と同じパターンです。河野談話にしても、本来は「いかなる意味でも、日本政府の意を体して日本政府の指揮命令系統のもとに強制したということは認めたわけじゃない」(談話作成時の事務方のトップである石原信雄元官房副長官)なわけです。ところが、韓国政府との談合もあって、主語をあいまいにした結果、諸外国では日本軍と官憲が強制したと認識されています。今回、検定に合格した教科書の記述も同じことなのではないでしょうか。

 私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。人によって違うので一概に言えませんが、産経新聞だと名乗って電話取材をかけると、居留守を使うような教科書課長もいましたし。

 昔は、首相をはじめ政治家なんてだれがやっても同じだろうとかよく言われていましたが、そんなことは決してありません。河野氏の属人的なキャラクターと思想(?)傾向と能力が、この日本をここまで苦しめているのですから。有権者の1票は、やはりとてつもなく重みがありますね。
 


 先日のことですが、首相官邸の記者クラブで席を並べて仕事をしている「夜討ち朝寝坊日記」の佐々木美恵記者の机に置いてあった月刊「Voice」4月号をパラパラめくっていて、「おおっ」と驚きました。いや、別に驚く必要はなかったのかもしれませんが、「ヒゲの殿下」の愛称で知られる寛仁親王殿下と、旧皇族の家に生まれた竹田恒泰氏の特別対談が載っていたのです(※親王殿下のお名前は、正しくは「寛」の右足の部分に「、」がつくのですが、この画面では表示できないため、大変失礼と知りつつ「寛」の字を使用させてもらいます)。いやあ、贅沢な対談というか、「Voice」の企画実現力はたいしたものだというか。

 寛仁親王殿下と言えば、明治天皇の孫であり、現在の天皇陛下のいとこに当たります。1昨年11月に政府の皇室典範有識者会議が父方に天皇を持たない女系天皇容認の報告書を出した際に、皇族の立場から異論を唱えられた方として有名ですね。有史以来の皇室の大伝統である男系による皇位継承を守る方策を探るべきだという趣旨からのご発言でした。私もインタビューを申し込んだことがあるのですが、当時は国会開会中だったため、「政治的発言ととられることは慎みたい」というお考えから、これは残念ながら実現しませんでした。

 一方の竹田氏は、やはり明治天皇の血統を引く旧皇族、竹田宮家の一員ですが、著書「語られなかった皇族たちの真実」を出版、やはり女系天皇容認に反対の論陣を張った方です。雑誌の対談で、司会者の田原総一朗氏に暴言を浴びせられている記事も読みましたが、それでも真摯に答えていました。先日、サンデー毎日の広告で「旧田中宮家」と誤記されているのを見たときには、さすがにびっくりさせられましたが。私は以前、一度この竹田氏と何人かで食事をする機会があったのですが、そのときに竹田氏がこう聞いてきたのが印象的でした。

 「この前、大学で講義をする機会があったのですが、皇室典範の話になった際、学生から『そもそもなぜ皇室が必要なんですか』と問われて、明確な返事ができませんでした。何と答えればよかったと思いますか」

 …これはねぇ、理屈はいくつも考えられますし、自分なりに考えるところはあるのですが、相手に説得力を持って伝わる回答というのは、実はなかなか難しいのではないでしょうか。その相手がどの程度、日本の歴史を知っているかによっても、理解度は変わってくるでしょうし…。私はそのとき、竹田氏に対して明確に「こう言えばどうですか」という話はできなかったと記憶しています。

 それで「Voice」の対談を読み進めていると、竹田氏はまさに同じ質問を寛仁親王殿下にぶつけていました。ずっと心に引っかかっていた、ということでしょうか。殿下は、次のように答えられています。

 《まず、一つの国家を形づくるには必ずリーダーが必要です。烏合の衆では部族同士が縄張り争いするだけで、国家にはなりません。かつて日本もさまざまな豪族がいて、北条や織田といった武将が現れ、時代の変遷を経て、江戸時代に徳川家を頂点とする三百諸侯になりました。あるいは家族という単位で例えれば、お父さんがしっかりしていないとその家庭は崩壊してしまう。しかし、もしお父さんが亡くなってもお母さんがしっかりしていれば、その家庭は安泰です。家庭という小さな単位でも、国という大きな単位でも、何らかのリーダーが必要と思います。
 ただし日本の場合は特殊で、世界で唯一、権力をもった人がナンバー2、権威をもった人がナンバー1です。ナンバーワンは天子さま、最高権力者はナンバー2としてきたから、2667年ものあいだ、日本のあり方は微動だにしなかった。かつて、ほとんど二年ごとに総理大臣が代わることを日本人はずいぶん恥じた時期がありました。外国人も不思議に思っていました。しかし、本心では何も気にしてなかったのではないでしょうか。ナンバー2がころころ代わっても、ナンバーワンは不動だったからです。逆にいえば万世一系が崩れ、誰が本当の権威の継承者かわからなくなり、一般国民の家系図と天皇家の家系図があまりにも似たものになれば、おそらく天皇は尊敬の対象でなくなってしまうでしょう。》

 これは私も同感ですが、なかなかこうはずばっと言えませんね。いつだったかは忘れましたが、少年のころ、初めて明治維新時の版籍奉還や廃藩置県のことを知った際、「どうしてこんなことが可能だったのか」と不思議でなりませんでした。で、徐々にいろんな本を読んで学びつつ、「皇室の存在がなければ、明治維新もありえなかったろう」と思うようになりました。また、歴史学者の今谷明氏の「信長と天皇」「武家と天皇」など一連の著書などで、覇者、織田信長も最後は朝廷の権威にすがらざるを得なかったことなどを知り、感銘を受けたこともあります。

 ともあれ、寛仁親王殿下を主張されている男系継承の維持に関しては、昨年9月に秋篠宮家に悠仁親王殿下が誕生されたことで、当面は可能となりました。ただ、若い皇位継承者が悠仁さまただお一人というのでは、皇位継承は不安定にならざるをえず、そこで旧皇族に複数いる男系男子の中から、適正とご本人の意思を確かめた上で皇族に復帰してもらおうという意見があります。この点について、皇室典範有識者会議は否定的でしたが、寛仁親王殿下は「Voice」の対談でこう語られています。

 《GHQによって11宮家が皇籍離脱させられたとき、当時の宮内府次長が、「宮さま方がいつの日かまた復帰なさることがあるやもしれません。身をお慎みください」といっているのです。実際に旧皇族の方とは、いまも年間を通して至るところでお付き合いがあります。有識者会議は、60年間も一般人として生きてきた人々が皇族に戻るのは違和感があるといいましたが、2667年のなかの60年など一瞬にすぎません。陛下も皇族と旧皇族からなる菊栄親睦会を大切になさり、お正月や天長節など、事あるごとにメンバーをお集めになられています。私のなかには現職皇族と元皇族の垣根などありません》

 この中に出てくる宮内府次長とは、加藤進氏のことです。加藤氏は月刊「祖国と青年」の昭和59年8月号のインタビュー記事で、終戦後、鈴木貫太郎元首相と次のようなやりとりを交わしたことを明らかにしており、殿下のお言葉もこれを指すのだと思います。

 《(皇籍を離脱する宮様方に対し)また「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」とも申し上げました。これに対し鈴木さんはさらに「それでも(皇位継承者が)絶えたら」と質問をしてまいりますので、「万が一にもそのようなことは無いと存じますが、それでも絶えたなら、そのときは天が日本を滅ぼすのですから仕方のないことではありませんか」と申し上げました。鈴木さんは「そこまで考えているのならばよろしい」と言って認めてくれました。》

 最近はあまり見なくなりましたが、加藤氏は「天」という言葉を使って説いています。確かに、今でも「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、この皇位継承問題について、現在はとても人事を尽くしたとは言えない状況だと思います。国会では、超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)もできて、男系継承維持の方向での皇室典範改正・特別律法の可能性を探る動きもあります。ただ、まあこれも参院選が終わるまでは本格的な活動には至らないのかな、と感じています。
 


 昨日のエントリで予告した通り、昨夜は7時から約2時間にわたり、東京・内幸町のプレスセンタービルで、「阿比留のブログ」の出版記念パーティーが開かれました。たくさんのイザブロガーのみなさんをはじめ、政治家、評論家の方々がわざわざ足を運んでくれ、私を励ましてくれました。まずは、心からお礼を述べたいと思います。ありがとうございます。

 実は、昨日はけっこう大変でした。今朝の新聞各紙に記事が載っていますが、国立国会図書館が夕方4時から記者会見し、「新編靖国神社問題資料集」なるものを発表したのです。この資料集はA4判で約1200ページという膨大なものでした。

 で、何が大変かというと、私はパーティーの会場に6時半までに来るように言われていたのです。靖国問題に関して、弊紙では別に明確な担当者がいるわけではないのですが、いろいろな行きがかり上、私が記事を書くことが多かったので…。国会内での記者会見に出る記者と、とりあえず会社に待機してその資料集が届けられるのを待つ記者に分かれ、私は後者でした。そして4時20分すぎに届いた資料集から何が記事になりそうかを探したのですが、あまりにも膨大で全部目を通すことなどとてもできません。

 そうしているうちにも時間は刻々と過ぎていくので、とりあえず私は昭和59年の中曽根内閣時代に設置された「靖国懇談会」での議事録に関する記事に絞り、なんとかその部分だけ書き上げて、6時すぎに会社を出てパーティー会場へと向かったのでした(記事は朝刊3面に掲載されました)。1面や2面の関連記事は、同僚記者が手際よくまとめてくれましたが、迷惑をかけました。この場を借りてお詫びとお礼を言いたいと思います。

 さて、パーティーの話です。会場には、ブロガーのみなさんや政治家では中川昭一氏、下村博文氏、戸井田とおる氏、世耕弘成氏、松浪健太氏(この人は産経記者出身なのですが、話をしたのは実は初めてでした)らが、評論家・学者では田久保忠衛氏、屋山太郎氏、金美齢氏、宮崎正弘氏、西岡力氏、栗原宏文氏らがパーティー事務局のお願いを快諾してやってきてくれました。また、日本文化チャンネル桜と日本新聞協会の取材もありました。これは私が緊張して舞い上がるのも無理はないというものでしょう。

 読売新聞のメディア戦略局からも2人の方が来ていて、「うちもイザのような記者ブログをやりたいのだけど、踏み切れずにいる」「ひどいコメントやトラックバックは会社がセーブしてくれるのか」と言った趣旨のことを聞かれました。私が「イザでは、自分ではコメントの削除もできない」と話したら、何か考え込むような顔をされたのが印象的でした。まあ、どこの社でも、これからの時代の情報発信・交流のあり方をいろいろと考えているのでしょうね。当たり前の話ですが。

 乾杯のあいさつをしていただいた金氏は、私がかつて書いた記事の内幕を暴露され、ただでさえ緊張していた私はさらに冷や汗を流したのでした。その後、少し会話を交わした際に「台湾を忘れないわよね」と念を押され、思わず「忘れようがありません」と答えていました。金氏はあまりに流暢な日本語を操るので、一瞬、台湾の方と話していることを失念しそうになるぐらいですが、本当に台湾を愛している方だなあ、と改めてしみじみ感じ入った次第です。

 …本来は来賓のあいさつの一つひとつを紹介したいところですが、メモをとっていたわけではないし、社交辞令もあって私の本をほめていただいた内容が多かったので、残念ながら割愛します。私自身がなんとあいつしたかというと、結論から言えば「これからも開き直って(居直って)頑張ります」ということに尽きます。

 このようなたいして中身もないブログが、多くの方々が読んでくださったことで本になり、またこうしてパーティーまで催していただきました。そして、多くの立派な方々に過分なお褒めの言葉と鞭撻をいただきました。何がどうしてこんなことになったのか、よく分からないのは今も変わりませんが、みなさんにひたすら感謝いたします。重ねてありがとうございました。しめの産経新聞出版の山本社長のあいさつで、「売れ行きが期待したほどではない」という言葉を聞き、現実の厳しさも感じましたが。

 これだけではナンなので、もう一つ、昨日のエントリの続きを。私と同僚記者が安倍首相の昭恵夫人をインタビューしたのは26日のことでしたが、その際、昭恵さんは「主人が今朝、どこかで足を打ったようで、『痛い』と大騒ぎになりました。それで、予定していたインターネット用の『ライブトーク官邸』の収録も中止になったんです」と話していました。そのときは気の毒ですね、という話になったのですが、昨夜の首相ぶらさがりインタビューでこんなやりとりがありました。

 記者 一昨日あたりから足の具合がよろしくないようだが、どうしたのか?大丈夫か?

安倍首相 大丈夫ですね。皆さんもよく、くじくんじゃないの。

 

 記者 くじかれた?

 安倍首相 あなたなんか、しょっちゅう、くじいている感じがあるけどね。

 

 記者 くじかれた?

 安倍首相 そうね。

 

 記者 それに関連して…

 安倍首相 関連して?

 

 記者 下村副長官が従軍慰安婦の発言について、与党内から懸念の声が出ている。総理の考えと明らかに異なる下村氏の発言は総理の足を引っ張ると考えないか?

 安倍首相 あのう、それも工夫したつもりなのかもしれないけど、そういう質問をしているようじゃね、先輩記者の「足元」にも及ばないということにもなりますよ。政府の考え方は私はもう述べている通りです。》

この質問には、安倍首相もかなりご立腹だったようです。ジョークで切り返してはいますが、ちょっと棘のある答え方です。まあ、何が首相の足を引っ張っているかなんて、今さら聞かなくてもわかりきっているような気もしますが。

 ※追伸 午後8時13分。大事なことを書き忘れていました。パーティー会場には、埼玉を本拠とする2人の某女性記者ブロガーからの白いムーミンのぬいぐるみ電報(グフグフ祝辞が書かれていました)が届いていました。ありがとうございます。感激です。昨夜、というか未明に自宅に帰って、4歳の娘の枕元に置いておいたところ、今朝、目を覚ました娘が「サンタさんだと思うよ」と季節外れのことを言っていました。


 毎日毎日忙しくてばたばたしているうちに桜の花も咲き始め、ひそかに恐れていた3月28日が来てしまいました。今夜は、どう考えても分不相応なことに私の本「永田町記者日記 阿比留のブログ」の出版記念パーティーがあります。政治家や自民党各派閥の政治資金パーティーにはよく取材に行きましたが、タテマエ上は自分が主役のパーティーというのは結婚式を除けば初めてで、ずっと緊張しています。

 そりゃあ、大変ありがたい話ではあるし、身に余る光栄なことではあるのですが、なんだか不思議で。産経新聞出版に聞いたところ、本の売れ行きも「ネット販売は好調だけど、書店では『並』」ということだし、事務局側がいろんな方に声をかけたので、いわゆる偉い人や立派な人もたくさん来てくださるそうで、ただ平凡なサラリーマン生活を送り、ヒラ記者をやっていただけの私には、何がなにやらいやはやはてさて。

 まあ、パーティーには、このイザのブロガーのみなさんや読者の方も来てくれるそうですし、めったにない(一生に一度?)機会なので、楽しんでこようと思います。出席者のみなさんが、何を話してくれるのかも楽しみです。あまり人様の関心をひくようなことはないかもしれませんが、内容は、後日のエントリで紹介したいと思います。

 それと、これだけでは本日のエントリはあまりにも手抜きなのでもう一つ、記事の予告をさせてください。先日、安倍首相夫人の昭恵さんにインタビューをしてきましたので、近く紙面とブログで紹介します。昭恵さんの本当に飾らない人柄と率直さ、首相への思いが伝わればいいなと考えています。30分間の限られたインタビュー時間ではありましたが、安倍首相が公邸(私的スペース)でどんなことを話し、どうすごしているかも一部、紹介できそうです。

 パーティーまでに片付けないといけない仕事が山積しているので、きょうは半端なエントリになりましたが、どうかご容赦ください。それでは失礼します。


 今朝の読売新聞は解説面で、1ページ使った特集記事を掲載しています。題して「基礎からわかる『慰安婦』」。見出しは「強制連行の資料なし」「あいまい表現河野談話 『強制連行』の誤解広げる」などで、とてもいい感じの記事でした。慰安婦問題における朝日新聞の「罪」の部分にも触れており、なかなかGJ!と思って心が少し軽くなっていたのですが…。

 夕方、朝日の夕刊を何気なく手にとって私はしばし凍りつきました。そして、深く溜め息をついた後、パソコンに向かってこのエントリを書いています。さすがは朝日だなあと、今さらのように思い知りました。「朝日の魂百まで」「腐っても朝日」とか意味のないフレーズが頭の中をぐるぐる回っています。

 まず、1面に連載している人脈記「安倍政権の空気⑮」から。まず、見出しに安倍首相もかつてメンバーだった自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」について、「慰安婦の強制 疑う集団」とあるのが引っかかりました。疑う集団ねぇ。何か自明のことである地動説を否定し、天地創造を唱えているかのような印象操作を狙っているような印象です。まあ、これだけならいつものことです。

 で、米下院の慰安婦問題をめぐる対日非難決議案に対する安倍氏の「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」という答弁について「~と弁明した」と書いて、まるで言い訳をしているかのように記述しています。ここは普通の日本語では「反論」とするところだと思うのですが。

 そして、登場させたのが本岡昭次元参院副議長でした。この日教組議員は、私が3月15日のエントリに書いたように、国会で「私は、政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊という名前によって朝鮮の女性を『従軍慰安婦』として強制的に南方に連行したということは、間違いのない事実である思っている」などと現実と妄想の区別がつかない質問をした人物です。

 社会党から民主党へと移り、慰安婦への国家補償を求める「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を書いたそうですが、朝日の取材に対し、「政権交替したら、真っ先にこの法案が実現するんですよ」と語っています。私はこれを読み、絶対に民主党に政権を取らせてはいけないと改めて心に深く刻みました。

 それはともかく、朝日の記事には 「92年1月、中央大教授の吉見義明(60)が、日本軍が軍慰安所設置を指示した公文書を発見し、政府も知らんぷりはできなくなる。」とありました。記事では言及していませんが、これは当の朝日が92年1月12日付の1面トップで書いた「慰安所 軍関与示す資料 部隊に設置指示」のことですね。この記事自体が全体からつまみぐいして都合のいいところを繋ぎ合わせたものであることは広く知られていますが、記事を補足する用語解説がまた噴飯ものでした。

 《従軍慰安婦 1930年代、中国において日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる。》

 …あの、この問題に最も詳しい現代史家の秦郁彦によると、慰安婦の総数は2万から2万数千人程度で、日本人が4割、朝鮮人は2割だとしているのですが。それに、挺身隊と慰安婦が全く関係のないことは、もはやだれも否定できない事実なのですが。本岡氏の世界観・現実認識とは一致しているのでしょうが。

 まあ、当時は現在ほどこの問題の実態が広く知られていなかったということは考慮に入れても、明らかに思い込みと誘導意図がぎっしり詰まった報道であることは間違いありません。本日の朝日夕刊の記事も、そのへんのことが後ろめたいから、「弊紙のスクープで政府も知らんぷりはできなくなる」と書かなかったのかもしれません。

 そして、この1面記事を読んでふらふらになりながら2面を開くと、1面と連動するように大きな横見出しで「従軍慰安婦『おわび』見直す声」「河野議長『知的に不誠実』」という文字が飛び込んできました。もう、ほとんどノックアウトされかかって記事を読むと、リードにはこう書いてありました。

 《河野洋平衆院議長が昨年11月、アジア女性基金(理事長・村山富市元首相)のインタビューに対し、従軍慰安婦の募集に政府が直接関与した資料が確認されていないことを踏まえたうえで「だから従軍慰安婦自体がなかったと言わんばかりの議論をするのは知的に誠実ではない」と語っていたことが明らかになった。》

 もうどなたか何とかしてください。「慰安婦自体がいなかった」なんて議論は私は生まれてこのかた聞いたことがありません。「従軍慰安婦という言葉はなかった」というのは正しい事実ですが。この人は一体何を語っているのか自分で分かっているのでしょうか。さらに、「知的に誠実ではない」って、国会で最も「知的」という言葉と縁遠そうなあなたがそれを言っては、ギャグなのか何なのかも分からない。

 このインタビュー自体はアジア女性基金が行ったものであり、それを転載した朝日の責任ではありませんが、聞き手には、もう少し河野氏が何が言いたいのか分かるように聞いてほしかったと思います。で、朝日の記事はこう続きます。

 《インタビューで河野氏は、談話で「官憲等が直接(慰安婦の募集に)加担したこともあった」と認定した点について「どなたが何とおっしゃろうと問題ない」と断言。談話の前提となった政府調査での元従軍慰安婦16人への聞き取り結果を理由に挙げ、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる」と振り返っている》

 だから、何が「問題ない」のでしょうか。そりゃ、慰安所などで厳しい目に遭った元慰安婦はいたでしょうが、それと官憲の加担がどう結びつくのですか。この説明ではさっぱり分かりませんし、「次から次へと出てくる」という部分は口がすべったのだろうと推測します。私が過去2回、河野談話作成に事務方トップとしてかかわった石原信雄元官房副長官にインタビューした際には、この当たりのニュアンスはそういう感じではありませんでした。政府がこの聞き取り調査について、情報公開をプライバシーを理由に拒んでいるので明確な点は分かりませんが…。

 また、記事の中で河野氏は、「慰安婦の徴集命令!」に関する旧日本軍の資料について「処分されていたと推定もできる」と指摘したそうです。ふーん、無責任なことを述べていらっしゃいますが、そもそも何の必要があって、いつ処分したというのでしょうか。さらに、「(談話を出した)責任を逃げたり避けたりするつもりは全くない。談話を取り消すつもりも全くない」と強調しているそうです。

 このブログを訪問してくださる人の中にも、河野氏が日本と日本人に取り返しのつかない恥辱を負わせた罪を悔い改め、謝罪を表明することに期待を寄せておられた人もいました。ですが、河野氏はそんな気はさらさらなく、意味不明の弁明に努めているだけのようです。

 こんな人が衆院議長として居座っている現状をつくづく憂います。自民党の歴史教科書議連の中には、河野談話見直しを進めると、河野氏がすねて衆院の本会議開会のベルを押さず、すべての法案が成立しなくなることを心配している人もいるようですが…。とにかく、朝日新聞を1回読むと、寿命が1日縮む気がします。

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